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福島のいまとこれから(7/7)おわりに――原発について(savefukushima さんインタビュー)
7.おわりに――原発について

――最後に、原発について考えていることがあれば、教えてください。

原発にたいする考えは、今回の事故があって変わりました。一回、学生のときに、原発の見学にいきました。原子炉の上にも立ちました。もういたれりつくせりなんですよ。バスも出て、タダで、原子力発電所を見せてくれる。原子力博物館みたいのも案内してもらって、バスチャーターで全部無料でした。

そうやってどんどんひろげようという政策があったんです。こんなに安全でクリーンなんだよ、ということをどんどん推し進めていた。学生のときは、「はあ、そんなものあるんだ」という感じで、ゆっくり安心して見ていましたね。

でも、やっぱりこういう事故が起きてしまうと、「ちがうなあ」と。たしかに夢のエネルギーなんですけど「これはちがうなあ」と思います。

――じゃあ、事故起きる前はそんなに危ないという感じは

ぜんぜんそんなこと思っていませんでした。ここと原発とは、距離がありますしね。ほぼみんなわからなかったというのが近いと思います。「原子力ってなあに」というレベル。その電気が東京にいっていたということもわかっていない人も多くいたでしょうしね。

まあ、最近は全然ちがいます。いきなりゼロにすることはできないとは思うんですけれど、やっぱりこの教訓をもとに、そうじゃない方面でのエネルギーで生きていく国に生まれ変わらないとこの国の未来はないんじゃないかなと思っています。大戦で戦争を捨てたように、原発を捨てて、それで生まれ変わらないとと思いますね。

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福島のいまとこれから(6/7)求められる支援(savefukushima さんインタビュー)
6.求められる支援
福島で被曝を減らす

――前回は、避難が意味することやそのむずかしさ、また、そのむずかしさがなかなか福島県外のひとに理解されていないということをうかがいました。それでは、今は、外の人には、何をしてほしいですか?

やっぱり、外に逃がすためのお金じゃなくて、今この地を元に戻すための支援をしてほしいですね。もちろん、100%元に戻すのは無理ですけれども、戻すことにつながる支援をしてほしい。

それから、この地において被曝を減らすための支援です。チェルノブイリの方では、学校の方に、食物の放射線を測る機械が配置されていて、食の安全を守っているそうです。この前NHKでは、市民が自分で食べ物をもっていって、自由に測定してもらえるベラルーシのことを報道していました。そういう環境を日本も整えなければならない。今自分が食べているものがどのくらいなのかということをわかっていたい。ただそれだけです。基準値を下げることは求めていません。ひとそれぞれで基準は変わるので、基準値というものは曖昧にならざるをえないと思います。それよりも、いま自分が食べているものがどのくらい汚染されているのか、何ベクレルなのかを知りたいんです。

あと、公園や校庭の除染ですね。郡山の校庭は土削りましたけど、市民の圧力があったからやったのであって、圧力がなかったらやりませんでした。もっと安全に遊べるところをつくり出してほしい。学校では外での活動も制限されているわけですから。だから、[1]元に戻すための活動と、[2]この地にいても被曝を減らせる支援を求めています。

 国は「1mSv を目指す」と言ったのにやっていることが目に見えません。それをどうにかしてほしい。「1mSvを目指す」ということは、親が抗議した結果でてきたことばだけれども、それは口だけで、ほんとうに目指しているようには見えないわけです。正直、もう1mSvを超えている子どもがいっぱいいるんです。避難地域に比べれば線量の低い郡山でも無防備に日々を送っていた子どもたちはどうかわからない。

――補償についてはどうですか?

補償は、正直、欲しいですけど、……可能だと思いますか? 無理ですよね。その線引きをどこでするかがむずかしいからです。もっと、もっと、というのが人間じゃないですか。ひとりひとりがもっとよこせもっとよこせというんじゃなくて、みんなでみんなの土地をという方がお金の使い方としてはベストじゃないかなと思っています。

――福島産のものを買おう、買って応援、みたいな取り組みはどうですか?

ありがたいとは思うんですけどね。ただこれはいろんな考え方があるところだと思います。国が対応とってくれない以上、その行動が農家の方を救うことになる。しかも国は予算がないから全部買い上げはできない。かといって、じゃあどんどん買ってくれともいいがたい。むずかしい。すごくむずかしい問題をはらんでいると思いますね。

避難・疎開よりも大切なこと

――放射能汚染の問題をめぐっては、いろんなところでそういう支援のむずかしさのようなものを目にします。

あと、いま夏休みで子どもたちを福島の外に無料で連れて行ってくれるプログラムなどもいろいろ立ち上がっています。でも、五日位経つと戻ってくるわけですよね。

それもありがたいんです。支援はあればあるほどありがたい。でも、お金は無限ではないので、その中で何を優先順位にするかということになります。たとえば、一週間だけ外に出すお金と、365日住む土地の話を天秤にかけたらどうなるか。

そう考えたときに、お金は、人の移動よりも線量測定等、福島での被曝を減らす試みの方をメインにつかってほしいと思う。移動につかったお金は流れていってしまうんじゃないかなと思います。私個人の考えですが、どっちにお金を使いますかといったらやっぱり私はこっちの方に使ってほしい。

――学齢期の子どもたちの疎開についてはどうですか?

その時期は過ぎたと思います。今問題なのは内部被曝だと思っているので、どこに疎開しようが、食べ物で入ってきたら同じなんですよね。だから、疎開よりは内部被爆を避けるような体制作りを日本全国でやってほしい。

親の抱える悩みや不安は全国みんな同じだと思います。福島であろうが、栃木であろうが、新潟であろうが、茨城であろうが、内部被曝の問題は変わりません。どこであっても、みんな同じに食べられるような、そういうふうな体制を作っていくことが大事だと思う。脱原発デモも大事だけども、そういう体制作りに対するデモとかは日本全国で大事じゃないかな、と思います。

――ありがとうございました。最後の質問です。郡山や福島には将来どのようになってほしいでしょうか?

隣県で汚染にたいして何も対応が行われていないところがあります。そういうところのひとたちが、むしろ、「福島に行った方が安全だよ」「福島に行きたい」と思ってくれるような土地にしたい。事故があったからこそ行きたいという土地にしていかないとと思います。

だから、情報を隠して、ひとがでていくのをとめようとするのではなく、情報をオープンにして、十分な対策をとって、ひとを戻すということをしていかないといけないと思っています。

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福島のいまとこれから(5/7)避難という選択(@savefukushimaa さんインタビュー)
5. 避難という選択
消えた「安全」説

――ここまでは、311以後のひとびとの意識の変化やご自身の生活の変化についてうかがってきました。
意識についていえば、首都圏のほうでも似たようなことがあったと思います。やっぱり事故当初は「安全」と思って、そう言っていた人が私の知り合いにもたくさんいたんですが、最近それはかなり減ったように思う。

いなくなりましたよね。私が福島で経験したことは、やっぱり1ヶ月2ヶ月遅れて首都圏で起きた感じがありますね。だから、あの時起きていたことが今ちょっと遅く首都圏で起きている。みんな「危険だ、危険じゃないか」「どうしようどうしよう」って言っているんじゃないですか。

――そうですね。私が今回の事故をめぐっていちばん驚いたのはその危機意識の温度差でした。私は、是非は別にして、原発にはいろいろ問題があると理解していたので、311の事故直後「あ、これはやばいな」「用心に越したことはないな」と思ったんですが、まわりは全然そうではない人が多かった。「あ、みんなここまで安全だと思っていたんだ」と驚きました。

そうですよね。その溝を埋めるのに、「危険だ」というふうに思っている人と、「ふざけるな安全だろ」と言っている人の溝を埋めるのにやっぱり2、3ヶ月かかってしまった。でも一番本当に危険だったのはあの爆発してからの短い期間でした。でも、その短い期間では、やっぱりその溝は埋められなかったんですよね。あれは苦しい。

というのは、今はもう正直外部被ばくはどこもほぼ大差ないと思うのです。むしろ内部被ばくのほうが気をつけるべきだと思っています。だから今はツイートで「逃げて」「逃げろ」「避難しろ」と言わないのはそこなんですよね。今さら避難を強く言っても苦しむ人が増えるだけだと思っています。

――ただ、それが首都圏だとちょっと遅れているせいか、原発事故に関心があるひとのなかでは、まだ「避難してほしい」という人が多いです。避難ということが大きな意味をもったことばであるように思います。

今はやっぱり避難は求めていないです。どう見たって避難なんて無理なんですよ。人口が210万人いて、子どもが何万人いる中で、その子どもたちが親無しで集団疎開できるでしょうか。始めの10日くらいだったらばその意味はあったと思いますけど、今はほとんどそれは意味はないし、逆に害のほうが大きいと思っています。

避難を考える

――savefukushima さんのまわりのひとたちはどう思っているのでしょうか?

周りの方々は、「逃げろって言われてもねぇ」「避難って言われてもねぇ」なんて言っていました。しかし、徐々に徐々に動きはじめてはいます。しかし、それでも動いている人はごくわずかだと思います。

 経済的余裕がある方はもうとっくに移動しています。でも移動できない、動けない人はなんなのかと言ったら、避難をしたら経済的に成り立たない人。土地に根ざした職をやっている人など様々な理由があるのだと思います。動けるのは全体のごく一部なんです。そういう人々がどうするのかといったら、この場に残ってできる方法を考えていくしかない。

ただ、小さい子どもを抱えている方々は避難の状況が揃えば、避難をしたいと思っていると思います。でもそんなお金どこにあるのか。国は魔法使いじゃないんだから、全てのお金が出るわけじゃない。一日子どもたちが、たとえば食べ物だけで千円かかるとして、それが何万人、一日何万人×千円で、それが何日間という話になります。誰が賄うのか。無理ですよね。

――あと、仕事ですよね。

そうですね。お金の部分、国が対応とってくれないって部分、あと、やっぱり仕事ですよね。

ここは Twitterで何回言ってもわかってくれないとこなんですよね。「動かない」んじゃなくて「動けない」ということです。でも、「そんなに簡単に仕事やめられると思う?」とツイートすると、「俺だったらやめる」「命とどっちが大事なの?」という返信が返ってくることがかなりあります。福島の外の人だと思います。外の人であればあるほど、想像できないようです。そんなに簡単な問題ではない。

避難できないということ

――自分の立場で考えたらわかりそうなものなのですが。

でも、「仕事と命とどっちをとるの?」と言われるんです。でもそんなこと言っても簡単には動けない。

動けないんですよね。直ちに健康に被害がないと言われてきて、最初の時は「動かなかった」んです。でも、20ミリも撤回になって、1ミリを目指すまできて、危険なんじゃないの、ということになったら、こんどは「動けない」んです。そこがなかなかわかってもらえないんですよね。

ローンを抱えた親が、仕事をやめて、どこかにポーンと行けるか? 生活自体が成り立たない。結局この地で生き抜くしかない。

――ローンだけでもそうですね。圏外だと補償の話とか全然ないですからね。

ないですね。しかもこっちから出て行ったら、全部自分で負担しなくてはならない。自主避難には何もないわけですから。強制避難だったら多少保障はありますけどね。そんなリスクを冒してまで、二重ローンを背負ってまで行くか? ということです。

 あるいは、二世帯三世帯が同居している中で、親父お袋を置いて、子どもたちの家族、お嫁さんだけが、逃げることができるか? 言い出しにくいに決まってるじゃないですか。

じゃあ、みんなで行けばいいか。寝たきりの老人抱えてたら、あるいは痴呆の老人だったら、環境変わったらもっと酷くなるかもしれない。そうしたら、下の世話だってもっと辛くなる。老人が環境が変わるというのは子どもとちがう。だから動けない。さまざまな状況が絡まっている中で、簡単に避難しろとはいえないです。

ただ、原発事故直後だったら、叫んでくれるのはありがたかったんです。「逃げろ」「避難」というのはほんとうにありがたかった。でも、今はその声はかえって逆効果かもしれません。

――わたしだったら「線量が低ければいいや」と思ってしまうかもしれません。

子どもがいるかどうかで変わってくるのかもしれないです。わたしも妻と二人だったら同じように考えるかもしれません。でも、小さい子がいて、その子に対する影響が何十、何百倍ということを考えるとそうは思えません。


(つづく)

話し手:@savefukushimaa  聞き手・編集:@dabitur   2011年8月1日@郡山にて
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福島のいまとこれから(4/7)放射能とメディア(@savefukushimaa さんインタビュー)
4.放射能とメディア
Kohri-yama City
                                   郡山市内の風景。8月1日撮影。

ソーシャル・メディアで「つながる」

先週から郡山市の @savefukushimaa さんへのインタビュー「福島のいまとこれから」を連載しています。(1)Twitter をはじめたきっかけ では震災直後の状況から現在までに起きた変化についてを中心にお話しいただき、(2)福島を生きる では現在の福島に生きるとはどういうことか、(3)放射能に立ち向かう では、除染や行政の対応等について、考えてきました。今日はそのつづきとしてメディアについての話をうかがいたいと思います。



 私自身、今回、インターネットをメインに情報収集していて、原発災害についてはインターネットの力をすごく感じました。インターネットを見ているひととテレビを見ている人との情報量に大きな差がでたように思っています。そうした情報量の差が対応のちがいにも結びついているようにも感じます。――そこで、メディアについておうかがいしたいのですが、情報は主にどこから手に入れてましたか。

やはり私は Twitter が大きいですね。携帯だと難しいのでスマートフォンの力も大きいです。Twitter で @savefukushimaa をしていたおかげで、みなさんが情報をくださった。それによって、情報がない状態で判断するんじゃなくて、情報がいっぱいあって自分で選べる状態で判断することになった。役に立ったと思っています。

結局、SPEEDIも、県や国は隠してたわけですよね。情報がない状態ではなにも判断できない。みんな動けない。ポンと動けたのはやっぱいろんな情報があったからだと思う。

でも、福島県内の人は Twitter はそんなにやっていない。インターネットを使っているひとはいるのですが、やっぱり世代によって差がある感じですかね。


テレビが「大丈夫」をふりまいた

――まわりの方はどういうところから情報を得ていますか。

テレビが多いですね。テレビが多いから、やっぱり「大丈夫大丈夫」というのに惑わされてきたように思います。うちの親世代も、テレビが「大丈夫大丈夫」といっているから、なかなか理解を得られなかった。テレビで大丈夫といってるだろっ! というわけです。

でも、テレビの報道が変わったじゃないですか。あれは大きかった。やはりメディアの力というのは大きい。 

親世代にとっては、Twitterやインターネットというのは、だまされちゃいけないというか危ないものという感覚がある。「得体の知れないもの」という感覚です。でも、テレビは信用できるという感覚がある。

――テレビや新聞からの情報はあまり役に立たなかったですか?

最近の情報は役に立たないわけじゃないですよね。テレビの力は大きいですし、スマートになってきているように思います。でも原発事故の直後は、ほぼ役に立たないというか、後手後手、二転三転の情報ばかりだったですよね。

――最近はずいぶん変わりましたよね。

変わりました。最近 Twitter のつぶやきがすくないのは、そのせいもあります。あの頃は何とか伝えなきゃと思っていました。でも、今はみなさんがもうつながりあって変えてくださったので、最近はもうつぶやかずとも状況が変わったと思っています。


「安全」説が広がったもう一つの理由

――「安全」説についてですが、長崎大学の山下俊一教授が事故直後に福島で講演をして安全をふれ回ったので、それにだまされてしまった、という話をよく耳にします。しかし私は疑問があって、山下氏ひとりの力で安全だと信じるのは考えがたいと思うんです。その点についてはどうお考えですか?

そうなんです。そこなんです。山下氏ひとりの力ではないんです。彼を県のアドバイザーとして呼んだ福島県知事の影響が大きいと考えています。

 結局それで何が起きたか。山下氏だけが講演に行ってしゃべるわけではありません。氏の考えを、公務員が説明しに行って「アドバイザーの山下さんがこういう風に言ってますから、みなさん大丈夫ですよ」というわけです。また、地方紙、タウン誌にも山下氏のインタビューがでました。大丈夫ですといって回されてくるのです。テレビでも新聞でも氏の見解は流れました。講演会もありました。

結局、何がほんとうかわからないときに呼んだアドバイザーですから、それにしたがって、行政は動いたわけです。だから彼の「100mSvまでOK」は本当に罪深い。山下氏ひとりの力というわけではありません。彼を呼んだ知事の責任もあります。でも、ここまで対応が遅れた原因は山下氏にあります。

ひとことでも初期被曝が危険だと言ってくれれば、親たちはちゃんと判断できたはずなんです。いまであれば1ミリでも危ないと思うかもしれないけれど、あのときは「20ミリでも」「100ミリまでなら」ということでした。「100ミリまで大丈夫なら20ミリなんてなんてことないや」となってしまう状況でした。

Twitter のなかでも、それの状況をねじ曲げるのが大変でした。「『20ミリまで大丈夫』『100ミリまで大丈夫』と言ってるのに、なに言ってんのおまえは?」という感じが大きかったのです。


(つづく)

話し手:@savefukushimaa  聞き手・編集:@dabitur   2011年8月1日@郡山にて
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福島のいまとこれから(3/7)放射能に立ち向かう(@savefukushimaa さんインタビュー)
3.放射能に立ち向かう
健康被害を考える

前回は、多くの人が危険を知りながら生活しているというお話をうかがいました。それでは、その「危険」をどのようにとらえ、軽減してくべきなのでしょうか。今回はその点についてもうすこし詳しくお話をうかがっていきます。

――放射能に関する健康被害はわかっていないことが多く、何ミリシーベルトなら安全というのも、影響がないという研究、あるという研究、いろいろあります。おそらく研究してる人のあいだでも評価が割れるところで、都合の悪いことが隠されることもある。すると、曖昧模糊とした情報になってしまうと思います。そうした健康被害をどのようにお考えですか?

結局、過去の例がないから何とも言いようがないんですよね。0.5%ガンが増えるという声も聞きましたが、その0.5%という数字をどうとるかで変わります。0.5%というと、100%のなかの0.5というとすごく少ない感じがしますけども、福島県の人口で言ったら、かなりの数です。「しか」ととるか、「も」ととるか。それは、人によって違うと思うんです。

福島に住んでる私たちにとっては、0.5%「も」となる。でも、そのくらいたいしたことないんじゃない、という人にとっては、それが真実であって嘘ではないと思う。感じ方によって変わる。ただそれだけの話だと思うんです。

だいじょうぶ、なのかもしれないです。結局、放射能の影響でガンになったか、他の影響でガンになったのかっていう明確な判断基準がないし、ホールボディカウンターでも測れないから、結局わからない。すべては憶測でしかない。

だから、やっぱり、わからないんだったら最大限の防護をするしかないというのがとった方法でした。

行政の危機管理は

――本来だったら国の政策がそうあるべきですよね。また、ヨウ素剤配布など、わかってることでさえちゃんとできていない面もありました*1

そうなんです。それにSPEEDIで同心円状じゃないという拡散予測も出ていたのに、それも握りつぶしました*2。そして、「混乱を避けるために隠してました」と言う。ふざけるなという話ですよ。

――あのヨウ素剤の件では私も驚き呆れました。SPEEDIの件もですが、それから「甲状腺被曝の100mSvを超えないだろうから配らなかった」という言い訳もありました。でもそれもおかしい。子どもに100ミリでという基準は、予防の体をなしていない。

信じられないですよね。そして、同心円状で線量的にあまり影響の大きくない地域の人には一生懸命出していた。関係ないところに対策してるから、お金がなくなっちゃうわけですよね。SPEEDI の予測にもとづいて、関係あるところだけピンポイントでやりました、としたらよかったのに、そうしなかった。

ほんとうに二転三転、それに隠蔽でがっかりします。スピードも遅い。トップダウンだからだと思います。国には失望しました。


学校や地域での対策

――現在の郡山市内の学校の放射線量について思うところはありますか?

だいぶ良くなってきたかとは思います。はじめは削る予定もなかったので、削ったからまだ許せるということです。

そもそも国は最初は「大丈夫だ、削る必要はない」と言っていたんです。福島市と郡山市は Twitter でつながりはじめた市民の声に押されて、やっと削りはじめたんです。

でも、削った土を西の山に持って行こうとしたら、そこの住民に反対されました。それで仕方なく校庭にブルーシートを敷いて仮置きしているのです。中学校の前を通りかかるとその山の横で部活やっていました。「なんなのかな」という感じです。そして、それらの土は運ぶところがないので、校庭に穴を掘って埋めることになりました。

――学校の除染作業は普通の人がやるんですか?

そうです。誰もやってくれないですから、PTAが力を合わせてやっています。国は「お金は出しますよ、でもあなた達がやってね」ということです。

今だって表土を剥いだりする仕事を、みんな被曝しながら、福島の人がやっているんですよ。ありえないですよね。

アスファルトの部分はまだいいんです。土や草むら、それと公園が問題だと思います。だから、都市部は未来があるのですが、キツイのは周辺部だと思っています。農家の方に話聞いてみると深刻さがわかると思います。あの広大な面積をすべて除染することはできないですから。

また、各家庭には線量計はないです。なので、線量計を貸し出しできるシステムがほしいですよね。地域の方が、市役所から借りて計測して放射線マップを出してくれたりするんですけれど、やっぱり自分の家が知りたい。やっぱり見えないと大丈夫なんじゃないかなと鈍くなってきてしまう部分があります。

――学校外の地域で除染はしたりしますか?

まだ本格的には始まっていませんが、やっていかねばなりませんね。

 
変わるべきはなにか

――このインタビューの後半の質問とも重なりますが、いま被害を受けているのは福島で、それの加害者といえば東電なんだろうなと私は思います。だから、たとえば、東電からの補償をもっと充実させるべきだと考えています。ところが、その東電の名前が savefukushima さんのツイッターを見ているとあまりでてこない。なにかそこにお考えがあるのでしょうか。

変わるべきなのはどちらなのか、ということを考えています。東電が変わって体制が変わるかといったら、変わらない。なにが変わるべきかといったら、国や県ではないでしょうか。

東電が加害者、福島が被害者という構図は、すごく簡単なんです。でも、ほんとうに大本を握りしめているのは東電じゃなくて、それを認めてきた国と、あと対策も後手後手にまわる県だと思っています。県がもっと国に圧力をかければ国は変わるだろうし、国も東電に圧力をかけることができます。東電もたしかに悪いです。でも東電の下のほうのひとたちも、ある意味では被害者です。トップはちがうと思いますが。

だから、東電というよりはやっぱり国のほうに目がむいています。でもなかなか何も変わらないなというのが一番大きなところです。


(つづく)

話し手:@savefukushimaa  聞き手・編集:@dabitur   2011年8月1日@郡山にて

*1 ヨウ素剤とは、放射性ヨウ素による内部被曝を防ぐために用いられる放射線障害予防薬のこと。「安定ヨウ素剤」ともいう。原子力災害時に服用することが推奨される。国は「性別・年齢に関係なく全ての対象者に対し一律に、放射性ヨウ素による小児甲状腺等価線量の予測線量100 mSv」を配布の目安として定めており、こうした目安にもとづき各地方自治体は災害基本法にもとづき配布・服用の指示などじっさいの災害対応を実施する責務がある(cf. 原子力安全委員会(2002)「原子力災害時における安定ヨウ素剤予防服用の考え方について」(PDF))。しかしながら、『DAYS JAPAN』誌(2011年9月号)による地方自治体にたいするアンケートによれば、今回の災害時にヨウ素剤配布を行ったのは、富岡町、三春町、いわき市の3自治体であった(配布せず:10 未回答:6)。多くの市町村は配布しなかった理由として国や県からの指示の不在をあげている。

*2 SPEEDIは「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information)の略。原子力災害時に関係都道府県や気象庁、原子力施設から収集したデータにもとづき大気中の放射性物質の拡散や被ばく線量等の予測を行うシステムをいう。文科省の管理のもとに原子力安全技術センターによって運用されている。枝野幸男官房長官は6月20日、国会の委員会で「SPEEDIの予測が結果的に必要なところに共有されず、その結果として住民の皆さんに伝わらず、また避難等に活用されなかったということについては、その理由いかんを問わず、結果的に政治の結果責任だ」と認め謝罪している(cf. 「不吉な放射能拡散予測―住民避難に生かせなかった日本政府」『ウォール・ストリート・ジャーナル 日本版』(html))。

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