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福島のいまとこれから(5/7)避難という選択(@savefukushimaa さんインタビュー)
5. 避難という選択
消えた「安全」説

――ここまでは、311以後のひとびとの意識の変化やご自身の生活の変化についてうかがってきました。
意識についていえば、首都圏のほうでも似たようなことがあったと思います。やっぱり事故当初は「安全」と思って、そう言っていた人が私の知り合いにもたくさんいたんですが、最近それはかなり減ったように思う。

いなくなりましたよね。私が福島で経験したことは、やっぱり1ヶ月2ヶ月遅れて首都圏で起きた感じがありますね。だから、あの時起きていたことが今ちょっと遅く首都圏で起きている。みんな「危険だ、危険じゃないか」「どうしようどうしよう」って言っているんじゃないですか。

――そうですね。私が今回の事故をめぐっていちばん驚いたのはその危機意識の温度差でした。私は、是非は別にして、原発にはいろいろ問題があると理解していたので、311の事故直後「あ、これはやばいな」「用心に越したことはないな」と思ったんですが、まわりは全然そうではない人が多かった。「あ、みんなここまで安全だと思っていたんだ」と驚きました。

そうですよね。その溝を埋めるのに、「危険だ」というふうに思っている人と、「ふざけるな安全だろ」と言っている人の溝を埋めるのにやっぱり2、3ヶ月かかってしまった。でも一番本当に危険だったのはあの爆発してからの短い期間でした。でも、その短い期間では、やっぱりその溝は埋められなかったんですよね。あれは苦しい。

というのは、今はもう正直外部被ばくはどこもほぼ大差ないと思うのです。むしろ内部被ばくのほうが気をつけるべきだと思っています。だから今はツイートで「逃げて」「逃げろ」「避難しろ」と言わないのはそこなんですよね。今さら避難を強く言っても苦しむ人が増えるだけだと思っています。

――ただ、それが首都圏だとちょっと遅れているせいか、原発事故に関心があるひとのなかでは、まだ「避難してほしい」という人が多いです。避難ということが大きな意味をもったことばであるように思います。

今はやっぱり避難は求めていないです。どう見たって避難なんて無理なんですよ。人口が210万人いて、子どもが何万人いる中で、その子どもたちが親無しで集団疎開できるでしょうか。始めの10日くらいだったらばその意味はあったと思いますけど、今はほとんどそれは意味はないし、逆に害のほうが大きいと思っています。

避難を考える

――savefukushima さんのまわりのひとたちはどう思っているのでしょうか?

周りの方々は、「逃げろって言われてもねぇ」「避難って言われてもねぇ」なんて言っていました。しかし、徐々に徐々に動きはじめてはいます。しかし、それでも動いている人はごくわずかだと思います。

 経済的余裕がある方はもうとっくに移動しています。でも移動できない、動けない人はなんなのかと言ったら、避難をしたら経済的に成り立たない人。土地に根ざした職をやっている人など様々な理由があるのだと思います。動けるのは全体のごく一部なんです。そういう人々がどうするのかといったら、この場に残ってできる方法を考えていくしかない。

ただ、小さい子どもを抱えている方々は避難の状況が揃えば、避難をしたいと思っていると思います。でもそんなお金どこにあるのか。国は魔法使いじゃないんだから、全てのお金が出るわけじゃない。一日子どもたちが、たとえば食べ物だけで千円かかるとして、それが何万人、一日何万人×千円で、それが何日間という話になります。誰が賄うのか。無理ですよね。

――あと、仕事ですよね。

そうですね。お金の部分、国が対応とってくれないって部分、あと、やっぱり仕事ですよね。

ここは Twitterで何回言ってもわかってくれないとこなんですよね。「動かない」んじゃなくて「動けない」ということです。でも、「そんなに簡単に仕事やめられると思う?」とツイートすると、「俺だったらやめる」「命とどっちが大事なの?」という返信が返ってくることがかなりあります。福島の外の人だと思います。外の人であればあるほど、想像できないようです。そんなに簡単な問題ではない。

避難できないということ

――自分の立場で考えたらわかりそうなものなのですが。

でも、「仕事と命とどっちをとるの?」と言われるんです。でもそんなこと言っても簡単には動けない。

動けないんですよね。直ちに健康に被害がないと言われてきて、最初の時は「動かなかった」んです。でも、20ミリも撤回になって、1ミリを目指すまできて、危険なんじゃないの、ということになったら、こんどは「動けない」んです。そこがなかなかわかってもらえないんですよね。

ローンを抱えた親が、仕事をやめて、どこかにポーンと行けるか? 生活自体が成り立たない。結局この地で生き抜くしかない。

――ローンだけでもそうですね。圏外だと補償の話とか全然ないですからね。

ないですね。しかもこっちから出て行ったら、全部自分で負担しなくてはならない。自主避難には何もないわけですから。強制避難だったら多少保障はありますけどね。そんなリスクを冒してまで、二重ローンを背負ってまで行くか? ということです。

 あるいは、二世帯三世帯が同居している中で、親父お袋を置いて、子どもたちの家族、お嫁さんだけが、逃げることができるか? 言い出しにくいに決まってるじゃないですか。

じゃあ、みんなで行けばいいか。寝たきりの老人抱えてたら、あるいは痴呆の老人だったら、環境変わったらもっと酷くなるかもしれない。そうしたら、下の世話だってもっと辛くなる。老人が環境が変わるというのは子どもとちがう。だから動けない。さまざまな状況が絡まっている中で、簡単に避難しろとはいえないです。

ただ、原発事故直後だったら、叫んでくれるのはありがたかったんです。「逃げろ」「避難」というのはほんとうにありがたかった。でも、今はその声はかえって逆効果かもしれません。

――わたしだったら「線量が低ければいいや」と思ってしまうかもしれません。

子どもがいるかどうかで変わってくるのかもしれないです。わたしも妻と二人だったら同じように考えるかもしれません。でも、小さい子がいて、その子に対する影響が何十、何百倍ということを考えるとそうは思えません。


(つづく)

話し手:@savefukushimaa  聞き手・編集:@dabitur   2011年8月1日@郡山にて
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テーマ:災害ボランティア - ジャンル:福祉・ボランティア

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