[書評]どうぶつしょうぎのほん(きたおまどか、ふじたまいこ)
「どうぶつしょうぎのほん」(参照)は書名の通り、「どうぶつしょうぎ」(参照)の本だし、棋士でもあるふじたまいこさんのイラストがふんだんにあり、同じく棋士のきたおまどかさんのやさしい解説で書かれているので、子供でも読めるようになっている。が、読んだ印象は、どちらかというと、子供に「どうぶつしょうぎ」を教えるときの指導要領に近い。
どうぶつしょうぎのほん |
「どうぶつしょうぎ」とは何か? 3×4という小さな盤面で、動きを簡略化した4種の駒を使う将棋である。将棋で言えば、駒は、王、歩、飛、角といったところだが、盤面が狭くどの駒も一回に一マスしか動けないから、飛・角とは違う。とはいえ、当然、将棋の簡易版、サブセット、入門用といったふうに理解されるだろう。
どうぶつしょうぎ |
違った。人にもよるのだろうが、やってみると、全然違うのである。どう違うのか。まず将棋の勘が働かない。序盤、中盤、終盤といった全体構図がそもそも存在しない。最初から取る取られるの戦い。一種の詰め将棋に近い。では、詰め将棋なのかというと、そうでもない。詰め将棋なら出題者の思惑や詰み筋といったものから思考するが、「どうぶつしょうぎ」はそうでもない。
やってみて、ええ?と驚きもしたのは、局面ががらりと変わることである。盤面が狭いから当たり前だが、三手後の局面があっという間に入れ替わることがある。五手読むのがつらいというのかじっくりとした思考が迫られる。
もうひとつ、違和感でもあったのだが、飛車・角・香車・桂馬といった遠隔的な飛び道具が一切ない。なんというのか、ボクシングでぼこすからやりあうようなもので、そもそも最初の一手目から、歩(ひよこ)が取る・取られるの状況にある。
これは将棋とはずいぶん違うものだなと思ったが、逆にプロの棋士にしてみると、将棋のシンプルな姿というものは、こういうものなのかもしれないとも思った。将棋的な思考の本質はむしろ「どうぶつしょうぎ」に凝縮されているのではないか。棋士が考えだしただけのことはあるなと思った。
で、実際に身近の小学生や中学生とやってみた。これがまた驚きだった。すでに知っているというのはいい。そんなものだろう。で、数手して、あっという間に私が負けた。どう負けたかというと、相手の王(らいおん)がぐんぐんと進んでこちらの陣地に入り一列目に入って、「勝った!」と勝利宣言を聞かされる。え?と思ったが、そういうルールがあった。要するに、将棋だと思っている固定概念がいけない。
「どうぶつしょうぎ」といえば、当初聞いたとき、私は中国の闘獣棋という将棋を思い浮かべた。こちらは、いわゆる将棋とは違ったゲームである。iPhone用に3Dアニメで動く、Animal Kingdomというゲームもあり、動物たちの動きがかわいい。そういえば、「どうぶつしょうぎ」もiPhoneアプリがあるが、こちらは現物がはるかに面白い。木の手触りもよい。
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コメント
ブログらしいブログは久々?と言ったら失礼かもしれません。
まあ、在野の論客がテキトー気ままに、ふだんふるまえないチカラ作用して、それが、いつの日か消えれば、みんなの為でしょう。
投稿: 曽根清治 | 2011.11.12 08:30