Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「自殺なんて馬鹿みたい」と母は言った。


死んだ父への不満や怒りをどこへ吐き出せばいいのだろう、ついこのあいだまで僕はそんなつまらないことばかり考えていた気がする。父は40過ぎで命を絶った。理由はわからない。もしかすると理由なんてなかったのかもしれない。母が父と夫婦を過ごしたのは20年弱。あまりにも短すぎた。突然、父を喪った母への同情は僕のなかで父への怒りと侮蔑になっていった。

苦しい家計を支えるために母は隣町の葬儀屋で働きはじめた。結婚以来専業主婦を続けていた母の苦労は想像に難くない。葬儀屋の仕事は立ち仕事が多く、土日も関係なく、深夜に及ぶこともよくあった。どうして葬儀屋なんだ?他に仕事があっただろう?僕の問いに対する母の答えは忘れられない。「金がいいから。残業代と深夜手当がつくからね。それに…朝から晩まで働けば気が紛れるでしょ〜」僕の父への怒りはより強く激しいものになった。


大学2年の夏。蒸し暑い8月の夜。僕は車で母を迎えにいった。葬儀屋の事務所に母はいなかった。母は冷えきった霊安室にいた。寒さをこらえるように腕と足を組みパイプ椅子に座って眠っていた。僕は、不謹慎だなと笑いそうになったけれど、その笑いもすぐに、なぜこんなになるまで…という憤りに変わっていった。僕に気づいて目が覚めた母は笑った。「ここ涼しくていいの。人生が嫌になって父さんみたいにパッと死んでもここなら腐らないから安心でしょ。まだ死ねないけどね。自殺なんて馬鹿みたい。もったいない」


安心じゃねーよーと軽口を叩きつつ僕は母に見抜かれていることを恥じていた。僕の父への怒りが母への同情からではなく、どうして俺が、バイトばかり、なぜこんな目に、こんなクソ人生、という自分の不遇への不満からきていることを。「もったいない」「馬鹿」。母は、その一言は、僕のつまらない生き方をさしていたように感じた。


それから母は「さあ晩御飯食べよう。霊安室だけに冷凍食品のあんかけそば」と言った。もし子供のころ教会で教わったように言葉が神様なら、ユーモアの衣を纏った神様がいちばん強いのではないだろうか。ユーモアは弱い人間が生きるために備えた強さだ。僕は父を罵るのは母が生きているかぎりはやめようと誓った。その日の霊安室のぶぶんと重く響く空調を昨日のことのように覚えている。


母が葬儀屋を定年退職した。僕は車を出し母の荷物を引き上げるのを手伝った。段ボールを両手で持ち上げ、館内を挨拶してまわる母のあとについて歩いた。後ろからみた母は随分と細く、小さくなっていた。僕は父への憤りが復活しないよう祈るようにその小さく死者のような白い首筋を見つめていた。


公園や街中で親子連れに出会うたびに、僕はそのなかに自分の家族を見つけてしまう。父がいて、母がいて、僕、弟。母は決して口にしないけれど四人がいた時間は短すぎた、そんな感傷にとらわれたときは、あの「もったいない」を思い出すようにしている。感傷は早い。今は。まだ。なくしたものを嘆いてばかりでははじまらないのだ。僕は欠けた家族を生きるしかないのだ。もう、僕の口を父への悪口が塞ぐことはない。僕はいつ父を許したのだろうか。自分でもわからない。


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