デフレ脱却国民会議に参加します

 以下の「デフレ脱却国民会議」が立ち上がった。日本では首相と日本銀行総裁が会うことすらも「ビックイベント」扱いという異常な体制をとり続けている。一種の二重政府状態に近いといっていい。「二重政府」状態は、日本が現在直面する経済危機をさらに深刻化してしまうだろう。特にデフレの長期間の放置は、下の趣意書に書かれているように、日本経済を決定的に痛めつけている。日本銀行法を改正し、まともな政策のフレームワークの構築、そして政府と日本銀行との積極的な協調が必要だと、僕個人はそう思っている。

 この国民会議が今後どのような行動をするか、それに期待していきたい。なお以下の「呼びかけ人」はあくまでも今日現在のもので*1、少なくともそれに加えて数名の方が加わっているはずだ(それはいまも増え続けていると思う)。近い将来に国民会議主体のイベントも用意されていると聞く。どんどんやるべきだと思う。この国民会議だけではなく、類似の試みがあればどんどん積極的に参加するつもりだ。

平成22年8月18日
デフレ脱却国民会議設立趣意書

 日本の長期停滞の原因はしつこく続いている「デフレ」という現象です。経済というのはモノとお金のバランスによって成り立っています。しかし、お金の供 給を長いこと怠ってしまうと、そのバランスが崩れ、お金が極端に不足します。すると、人々はモノよりもお金(紙幣=印刷された紙)に執着する現象が発生するのです。この現象がデフレです。人々は紙幣(=印刷された紙)を欲しがってモノを買いません。モノが売れないので企業の業績は悪化し、失業が増え、若年層が定職に就くことができず、世の中に悲観ムードが広がっています。
 デフレと円高を解消する唯一の手段は、政府と日銀が協調して貨幣量を正しい形(非伝統的なオペも駆使して)で増加することです。 これが世界の中央銀行の常識です。要するにモノに対してお金の量が不足しているわけですから、お金を国民に持たせるようにすればいいのです。ところが、マスコミがこのことをちゃんと伝えないのです。
 これまで政府はデフレをずっと軽視してきました。軽視どころではありません。その姿勢が行き過ぎるあまり、「モノが売れない原因は心が豊かになったからデフレになった」といったおよそ経済学的には考えられない「非常識」があたかも「常識」のような形でなってしまったのです。 巷に氾濫する経済学の「非常識」はいつのまにか「常識」になっています。この間違った「常識」を疑うことから始めようではありませんか!
本会は広く国民の皆様と経済学の知見を共有することを目的として設立されました。もはやデフレ脱却は一刻の猶予もありません。個人的な利害関係を超え、デフレ脱却に必要な政策を早期に実現していくために活動してまいります。

呼びかけ人 <2010年8月18日現在>
勝間和代(経済評論家、中央大学大学院客員教授)、田原総一朗(ジャーナリスト)、浜田宏一(イェール大学教授)、岩田規久男(学習院大学教授)、田中秀臣(上武大学教授)、若田部昌澄(早稲田大学教授)、浅田統一郎(中央大学教授)、高橋洋一(嘉悦大学教授)、野口旭(専修大学教授)、森永卓郎(経済アナリスト、獨協大学教授)、原田泰(エコノミスト)、斉藤淳(イェール大学助教授)、松尾匡(立命館大学教授)、安達誠司(エコノミスト)、松岡幹裕(エコノミスト)、嶋中雄二(エコノミスト)、山形浩生(評論家兼業サラリーマン)、宮崎哲弥(評論家)中村宗悦(大東文化大学教授)、片岡剛士(三菱UFJリサーチ&コンサルティング主任研究員)、矢野浩一(駒澤大学准教授)、飯田泰之(駒澤大学准教授)、稲葉振一郎(明治学院大学教授)、山崎元(エコノミスト)

事務局長 上念司(経済評論家、㈱監査と分析 代表取締役) 

*連絡先は省略(何かありましたらプロフィール欄の田中秀臣宛メールでも上記、事務局宛でもかまいません)

*1:最初に掲載したものは13日現在のものを掲載しましたが、現在は18日午前の最新のものに修正しました

ポール・クルーグマンのリチャード・クー批判

 クルーグマン氏のク―批判を道草http://econdays.net/?p=714で読んだけど、クルーグマン氏はク―氏がなぜ危機後の状況では、家計や企業のバランスシートに実質利子率が無関係になるのか理解できない、と書いている。

 長年のク―氏との論争の経験を踏まえれば、危機後の家計や企業のバランスシートに関係する名目的要因は、実質利子率(名目利子率マイナス期待インフレ率)のそれぞれの要因ではない。バランスシートに影響を与えるのは資産価格(個々の主体が保有する株価)だけ。

 企業も家計も保有する資産価格の低下に焦り、どんどん資産の投げ売りをするという行動に強く制約されている。これは好意的にみれば、一種の認知バイアスで人々が行動しているともいえる。

この認知バイアスの強さは只者ではない(とク―氏は説明するわけ)。例えば彼はこう書いている。「借金地獄を一回経験した経営者は「二度と借金なんかするものか」という気持ち(借金拒絶症)になってしまうことである」。バランスシートの毀損を経験した経営者には「二度とお金を借りたがらない」。

 このような強固な認知バイアスの前では、日本銀行のあらゆる政策は無効である、というのがク―氏の基本的な説明である。

 この強度の認知バイアスが前提にされてしまっているので、例えば僕が負債デフレ効果(一般物価水準の低下による実質負債増加)をなぜみないのだ? という批判にも、ク―氏は「そのような実質と名目の峻別は現実ではない」として、もっぱら負債の名目額の多寡が借金恐怖症に重要だという発言と整合的

クルーグマン氏が道草のブログの最後に、インフレによる負債の逓減を書いているが、そのような世界は、いま説明したように、ク―氏のバランスシート不況の世界(認知バイアスの世界)では、バイアスゆえに主体の関心外である。

簡単にいうと、ク―の経済学では、危機になると、いや長期不況になるとだが、人はあまりにも長く非合理的に行動する、というわけである。でも財政政策だけは効果がある。おそらく政府の宣伝の方が中央銀行の宣伝よりも効果があるということだろう。これをク―バイアスとでもいおうか。実際にほぼ無条件に、現在の日本では政府の投資減税が効果があるとされている。

 もちろんク―氏の議論を好意的に理解すれば、以上のような「認知バイアス」理論ということになる(それが正しいかというと国民の過半が異常行動を20年とり続けるというのはなはだ変だけど)。好意的にとらなければクルーグマンのように、ク―氏の議論はなぜか理由もなく、金融政策だけをなぜか排除し、財政政策の効果だけバランスシートの改善に効果があるように解釈できるだろう。

いままでのクー・田中論争(!)の経過

 田中によるクー氏の『デフレとバランスシート不況の経済学』への批判(『経済論戦の読み方』、『エコノミスト・ミシュラン』)

 クー氏による田中上記著作への反論(『「陰」と「陽」の経済学)

 田中によるクー氏上記著作への反論(『不謹慎な経済学』)

 クー氏による田中上記著作への反論(『日本経済を襲う二つの波』)

The Holy Grail of Macroeconomics: Lessons from JapanÂs Great Recession

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