旧暦の世界

新暦に切り替わる以前の旧暦に生きた人々の年間を通じて世界を祝福し続けるような賑わいや、旧暦が新暦に切り替わった後の混乱とそれによって失われてしまったものの大きさは想像を遥かに超える。私のように新暦が「新」と意識されることもなく、それが当たり前の一年の経過だと刷り込まれて生きてきた者にとっては、いくつかの伝統行事の名残の向こう側にかつて古くさい世界があったという程度の理解しかない。しかし、一説には、かつて月齢によって運ばれていた自然相手の仕事は、新暦に切り替わったことによって、壊滅的な打撃を受けたとも言われる。

民俗学の旅 (講談社学術文庫)

民俗学の旅 (講談社学術文庫)

民間暦 (講談社学術文庫)

民間暦 (講談社学術文庫)

宮本常一『民俗学の旅』にはこう書かれている。

 子供の頃を思い出してみると、心をはぐくんでくれるいろいろの行事があった。年中行事にしても昭和のはじめまでは旧暦が主で、多くの行事は旧暦で行われていた。(49頁)

「心をはぐくんでくれるいろいろの行事」という表現が新鮮だ。しかも、その旧暦の年中行事は、驚くほど、目白押しである(本書49頁〜57頁参照)。さらに、それらのほかに臨時の大きな祭りが挿入される(57頁)。

 平和で単調で、おなじような日が続いていく中に、こうして晴れやかで胸をとどろかすような日がその単調な日の中にはめこまれていて、そのことゆえにみな日々を生き生きと暮らしつづけてきているといってよかった。しかもこのように胸をとどろかす日の行事はそのほとんどが自分たちの手で演出されたもので今日のように大きな町へ出かけていって、そこでいろいろのものを見たり、たべたりして遊んでくるというようなものではなく、一日の祭りのために何十日というほど準備や練習を日常のいそがしい生活のなかで続けてきたのである。(57頁〜58頁)

数日前に、昨年もまた自殺者が3万人を超えたという新聞記事を見て、暗澹となった。数字の意味はなかなかピンと来ないものだが、それが例えば、阪神淡路大震災なみの災害が年間5回も起きることに相当すると考えれば、いかに異常な数字かがすこしは腑に落ちる。内戦や飢餓の深刻さが報じられる不幸な国の死者の数を遥かに超える死者を生み出すことが小さな記事にしかならないという意味でも異常な国に生きているわけで、「みな日々を生き生きと暮らしつづけ」られる時が再びやってくるとは到底思えない。

せめて、身近なところで、心をはぐくむような、生き生きと暮らせるような工夫を、ささやかにでも、続けるしかないのだろう。


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