脳画像で裁判するの巻

この前(12/3深夜)テレビで見たCBSドキュメント(アメリカのドキュメンタリー番組の日本語版)は面白かった。殺人の容疑者スタンコが裁判にかけられるのだが、そこで被告の責任能力が問われる場面になる。そこで弁護側が被告の脳画像を用いて被告の責任能力のなさを立証しようとしていた。つまり、被告の脳画像は一般的な脳画像と違って前頭葉が活性化されていないことを示し、それは生まれつきの障害であって被告の社会的能力に欠陥があった証拠であるというのだ。それに対して検察側は、被告の日常の言動はいたって普通で特に異常が見られたわけではないとし、さらに検察側も専門家を連れてきて、被告の脳画像は正常な範囲内であると証言させた。争点になっている被告の責任能力はほぼ脳画像しか証拠がないも同然だが、これは受け入れられるだろうか。果たして、容疑者は有罪か無罪か、有罪ならば刑は軽くなるのか。
さて、この裁判では陪審員の決定は有罪、その上に死刑。陪審員に被害者への同情が強く生じたせいもあるが、証拠としての脳画像への不信感も働いたようだ。今回はこのような結果になったが、これからはどうだろう。そういえば、まもなく日本にも裁判員制度が導入されるが、それを考えるとこうした事例は他人事ではない。