どこまでが進化心理学の範囲?

勘違いしている人を見かけたが、私は進化心理学の全体を批判していない、進化心理学と言っても、モジュール論的な正統派の進化心理学話もあれば、(社会生物学の影響を受けて)ネオ・ダーウィズムを取り入れた進化心理学話もある一方で、(進化上の適応的説明を持ち出す)ナゼナゼ話に陥る俗流な進化心理学話もあって、この全てが進化心理学として一括されているところがある。以上の分類は互いに重なる部分もあって分離できないこともあるが、大局的には便利な区分だ。私自身は、モジュール論こそが正統な進化心理学であり、ネオ・ダーウィズムの導入は実証成果とセットの時にこそ受け入れ可能であり、(進化上の適応的説明をでっち上げる)根拠のないナゼナゼ話にはまる俗流進化心理学は科学的には言語道断である、と思っている。
もちろんこれ以外にも進化論の心理学や認知科学への導入法はいろいろあるのだが、進化心理学の定義をこれ以上混乱させないためにはこの程度に考えるのが妥当だと考える。もちろん、モジュール論に問題がないわけじゃないしそこはそこで議論されてしかるべきだが、それ以前にまず真っ当な理解をする方が先な状態が日本にはあるように思う。
同じことは進化心理学以外にも言えるだろうが、進化心理学の場合はアメリカのブームを受けての影響力が大きく、日本には(たいていピンカー経由で)支持者も多いので特に注意が必要な気がする。ちなみに、進化心理学と認知科学とを同一視してる人が日本にはいることにちょっと驚いたことがある。日本の認知科学を巡る状況の貧弱さを考えたら無理もない気もするが。