はじめと終わりがつながってませんが、御容赦ください。

履修問題では二人も校長先生が自殺しているのに、いじめ自殺で死ぬ校長先生がいないのは実に不思議なことだ。
人一人の命が失われ、もう2度ともどってこないことよりも、生きている生徒の回復可能な単位数問題の方が
先生にとっては大事らしい、つまり、親から預かった生徒の命をなくしたことより
文科省の言うなりにならなかったことの方を恥じる気持ちが強いのだろう、誠に日本の教育とは偉大だ、
「上意」を「下達」できなかったことに死を持って詫びる、と言う礼節が生きている。
今校長世代とは戦後生まれの人ばかりだと思うが、私は戦後の教育は「死ぬな」を教えることだと
思っていたのにその教育が身についてない人までが校長にまで登りつめるのだから、この先大変心強い、
たとえ教育基本法が改悪されて「お国のために死ぬことがよいことです」と教えられても
それに心から従う人はお上が思うほど多くはないことだろう。
もちろん亡くなった校長先生を責めるつもりはない、いじめで自殺に追いやられた子供達と同じ状況だったことは
痛いほどわかる、そして自殺した子供がいる学校の教師に死んで詫びろと言うつもりもない、
ただ、教育現場にとって何が敵であるのかはっきりと認識しておきたいと思っている。
今回の履修問題にしろ、いじめ自殺にしろ、置き去りにされているのは声のない無数の普通の生徒達のことだ。
校長先生が自分達の履修科目のせいで命をたった事実をただでさえ受験前で神経質になってるだろう心に
どんな影を落とすのか、亡くなった校長は少なくとも自分達の受験を優先してくれたことくらい
高3にもなればわかるだろう、校長先生が守ろうとして守りきれなかった子供の権利が現場で混乱した原因が
なんなのか、TVや新聞が報道すべきことはそれだろう、国のいいかげんの施策のせいだ。
それからいじめ問題、様々な大昔からあるいい加減な意見が繰り返されてそしていつでもある
「いじめを見逃していた周りの子供達も悪い」がもっとも正当性のある意見のようにもてはやされる。
私はこんなことをしたり顔で言う奴はレイプされた女性に向かって「死ぬ気になって抵抗すれば防げたはずだ」
なんて言う奴と同じだと見なしている。自分が出来もしないことをさも簡単そうに言う奴なんか人間のクズだ。
子供の集団心理を大人でさえ統御できないと言うのになんで一人一人のか弱い子供が抵抗できるものか、
そうやって、また子供達の心を平気で傷つける、そしてそれを「正しい」ことだと子供達に教え込もうとする。
それは間違っていると私ははっきり言う。出来ないものは出来ないのだ。
履修問題だって大学受験を控えた生徒のいる進学校の授業時間数を減らして科目を多くしたら
まともに対応できるわけがない。出来ないことをさも出来ることのように言う連中がこの国の政治を握っている、
核兵器保有論議なんか非核3原則を考えたら出すのも無駄ではないのか、「論議するのも悪いのか」
なんてワケのわからない理屈言ってんじゃねーよ、といいたくなる、あんたみたいに頭の悪いやつが
家のコネクションで政治家になれるからこの先お先真っ暗と子供が思っているんだよ、勉強したって
無駄だって思っちゃうんだよ、政治家やめて今から公立学校に入りなおせ!政治家の教育について
言いたいことは山ほどあるがそれをすると長くなるのでやめておこう。
とにかく、私は教育現場の罪のない傷ついた子供達を加害者扱いするのはやめろと言いたい。
自殺した校長も自殺した子供も命の重さは同じでそれを多くの子供はちゃんと知っている。
人が死ぬことは衝撃だ、それ以上の混乱を現場にいる子供達に与えるな、と私は言っておきたい。
「教育基本法が悪いせいだ」「日教組があるからいけない」政治家やマスコミは結局自分の都合のいいようにしか
話を持っていかない、子供達を大事にしてるかけらすら私には感じられない。
今朝の新聞に文藝春秋の広告がでかでかとあった「子供を殺すのは教師か親か」、
加害者が被害者を加害者扱いするこのマス「ゴミ」!「家畜化する子供たち」他人様の子供に向かって
「家畜」呼ばわりするようなやつの書くことなんかにどれほどの信憑性があるのか、私は絶対認めない、
このライターの子供は「家畜」なんだろう、うちの子供は人間です、そして大抵の人間の子供は人間です。
一体どれくらいマスコミと政治家は親子や教育を愚弄すれば気がすむんだろう、
日本が北朝鮮なみに「美しい国」になるまで?(TVにうつるピョンヤンはゴミ一つない「美しい」街ですなあ)
あんまり腹が立ったんで支離滅裂だ(いつもにまして)、今日はもうお店おしまいッ!
朝から文藝春秋広告はよくもここまで人を不快にできたものだ。
子供は家畜化なんてしません、人間の子供は人間です、それすら知らない人間にものを書く資格はありません。
家畜なのは文藝春秋に仕事をもらってるあんたのことです。