ちょっとブログ論

■ある論

体調わる子の毒吐きブログ様より

リンク先を読んで頂く必要がありますが、さして長くもありませんから宜しくお願いします。内容的には良くあるお話で、ブログを始めて人気が出てくるとネガコメが増えてきて参っているぐらいです。それだけ人気が出るブログを書けるというのが一種の才能ですが、人気と言うか読者が増えるとネガコメとか、荒らしとか、粘着とか出てくるのはブログが始まって以来、いやBBSしかない時代から付いて回る問題です。うちだって時々ウンザリさせられる事はあります。それが理由でブログをやめた人間も少なくはないと思っています。正直なところ辛い時は辛いものです。

でブログなんですが、少なからぬ人が「書くからには人気ブログになりたい」の望みをもっていると思っています。そうでない人もまた多くはいると思っていますが、これまた本音で言うと人気と言うか、誰も読んでくれない状態ではブログを継続させる意志が保てないのは確実にあります。ブログも長く続けるほどそうなるのですが、少々話題の引き出しが多い人でも3か月から半年もすれば手持ちのネタが尽きてしまいます。その先を続けられるかどうかは自己満足であっても「楽しみにしている人がいる」と思うから書けるようなものだと思っています。少なくとも私はそうです。逆にいうと最初の何か月かの間にそれなりの読者を獲得し、コメがそれなりに入ってこないとやめてしまう結果になる事が多いとも思っています。

たとえ短くともエントリーを仕事の合間に書くのは結構な作業だからです。

読者と言うか人気を集めるのに割と有用な方法は、主張に陰影を含ませるというか角を立てる事です。ありきたりの丸い主張では、どこにでも転がっているのでなかなか読んでくれないぐらいのところです。ある問題に対して立場を明瞭にしてしまうでも良いかもしれません。主張の賛同者にすれば「良く言ってくれた」になり固い読者層になる事が期待できます。ただなんですが、一方で反発する者も出てくるわけです。「なに言ってるんだ、ボケ!」的な向う傷も必至ってところです。そういう反発がネガコメになりやすいのですが、これもある種の必要悪で、それぐらいの刺激がないと、とくに無名の初期の頃に読者を獲得するのは容易じゃない部分は確かにあります。


■それに対する論

体調わる子の毒吐きブログ様のエントリーに対するブログ論がシロクマの屑籠様の、

こちらは少々長いのでリンク先を読むのは大変かもしれませんが宜しくお願いします。なかなか手厳しいのですが、個人的には次の段階へのアドバイスと取れない事もありません。人気を集めて軌道に乗ってきたブログの次の展開へのヒントです。まあ、アドバイスとかヒントとするには相当辛口なんですが、そういうスタンスで受け取る事にします。私が言う角を立てる主張はニア・イコールで「黒っぽいレトリック」として良いかも知れません。そういう手法は人気を集めるのに適していてもどこかで壁に当たるぐらいの考え方です。ネガコメが辛いのはシロクマの屑籠様も同様の前提のようで、この対処法として修辞法を挙げられています。修辞法と言うと難しそうですが、要は、
    モノは書きよう
同じ問題に、同じスタンスで批判を書いたとしても、表現方法を工夫するだけで読者の反応は確実に変わってくると言う考え方です。これは実感として良くわかります。あまりに生の刺激が強い表現で書くと、趣旨は賛同しても感情としての反発が時に起こります。ましてや反対意見を取る者なら強烈なものになります。ここをもう少し表現を変えて言うなら、
    売り言葉に買い言葉状態の反応を避ける
たとえば「こいつはアホや!」と直に表現すれば「なに言うとんじゃ、ボケ!!」の反応になりやすくなります。主張する側の最初の表現が感情を強く刺激すれば、これに反応する者は最初から感情的と言うか喧嘩腰になりモロのネガコメで返ってきてしまう可能性が高くなってしまうぐらいのところです。それを避けたいのなら感情的な反発を抑える修辞法を行うべきだの意見は理解できます。あくまでも頻度と言うか確率の問題ですが、冷静と言うか理知的な批判を行えば、反論もまたそうなってくれる可能性が高くなるです。

もう少し言えば、そういう場と言うか雰囲気をブログに作れれば言うことなしです。どんなに冷静に論を展開しても、それでもの感情的なネガコメは入ってきます。この入って来た時に場違い感が出てくれればしめたもので、スルーするだけで事は流れていきます。モロの感情的なネガ・コメンテーターだけではなく、仮面のネガ・コメンテーターのあぶり出しにも時に有用に作用してくれる事もあります。

仮面のネガ・コメンテーターは登場時には理性的な反論者ですが、根がネガ・コメンテーターですから、いつまでも冷静なやり取りが続けられだけの持久力がありません。理で追いつめられるとやがて仮面が剥げ、本性の感情的なネガコメを爆発させます。そうですねぇ「ぐだぐだぬかすな、オレの言う事を聞け」ぐらいになり、それでも追い詰められると誹謗中傷に速やかに走られます。そうなれば議論は終了で、誰がお手上げになったかは衆目が一致する状態になります。ネット世界も特定クラスタ内では狭いですから、一度人気ブログでこれをやらかせば、他のところにコメンテーターとして登場しても既にレッテルがベッタリ貼り付けられている事になる寸法です。


■とは言うものの・・・

シロクマの屑籠様の主張は共鳴できる点は少なくないのですが、根本的な問題が別にありそうな気がしています。文体はその人のキャラの反映であって、文章の面白みそのものである点です。ブログの基本はテキスト・ベースですから、いくら内容が秀逸であっても「読みにくい」ものは敬遠されます。どんな文章が果たして「読みやすい」のかはこれまた難しい問題ですが、とにもかくにも読んでいると「おもしろい」と感じられるのは必要条件の一つとしても良いかと思っています。おもしろくないエントリーは読むのが嫌がられるのはまず間違いないからです。

「おもしろい」の要素のうちに書き手の文体のクセは確実に入ります。個性的な表現とか、言い回しはおもしろ味の要素です。そういう文体のおもしろ味で人気を呼んでいたのに、下手に修辞法を取り入れると個人のキャラを殺してしまう結果にならないだろうかです。これももともとは穏やかな修辞法の文体であったのを。最初は人気を集めるためにあえて刺激的な文体を駆使し、ネガコメでウンザリし始めた頃に本来の文体に戻るのならともかく、元々が刺激的な文体の人が穏やかな修辞法の文体にするのは簡単じゃなかろうです。

そこまで考えるとなかなか難しい話になり、

    ブログ開始時・・・軌道に乗せるために刺激的かつ個性的な文体が有利
    ブログ発展期・・・刺激が強すぎる文体はネガコメを呼び込みやすく、これへの対策として穏やかな修辞法を取り入れる必要がある
穏やかな修辞法の取り入れを拒んで、刺激継続路線を歩むのも一つですが、あれはかなり精神的にタフでないと難しいものに感じます。ですから穏やかな修辞法を取りいれられなかった多くのところが、この時点で挫折するか、最悪炎上消滅になってしまいます。ほいじゃ、穏やかな修辞法を取り入れればすべて解決かと言えば、人によるでしょうが、自分の書きたい表現が制約されて、今まで魅力となっていた文体を殺してしまう事になりかねません。つうか、書きにくくなってブログをやめちゃう感じです。

そうなると自分の文体に穏やかな修辞法を取り入れて、新たな文体を自分本来の文体のように書きこなし、なおかつそれがそれで魅力を放つ事が必要になります。これはこれでハードルが高い気がします。ほいじゃ、ほいじゃ、話をフリダシに戻して、最初から穏やかな修辞法で始めればどうかですが、これではなかなか人気が集まりにくいと思います。人気がそれなりに集まらなければ、ブログが嫌になってこれもやめてしまう感じです。

ブログ論と言うより感想みたいなものですが、とにかくブログを長く続けるのは大変なのは実感です。私も「たぶん」ベテランの領域に入っていると思いますから、それだけはしみじみ感じる次第です。