「ありえないと思える未来」は何年後?

今回、将棋ソフトについて何冊か本を読み、ponanza 開発者の山本一成さんと話した中で、ソフト開発者とそれ以外の人には、いくつか根本的な発想の違いがあると感じました。

山本さんが「将棋の完全解明より、コンピュータが人間の知性を超える日のほうが早く来る」と言われたのにも驚きましたが、


同じく将棋ソフト開発者の保木邦仁氏が本の中で、「ボナンザ (Bonanza)は、全幅検索を用いた点とコンピュータ自身に学習させたという点で、コンピュータ将棋としては画期的であり、関係者にはすごく驚かれた。

それでも(将棋の強さの結果が他のソフトと)同じレベルにすぎないということにやや愕然とした」と書かれているのですが、この言葉も私にはピンときませんでした。


保木氏は、ボナンザはこれまでのソフトとは異なる発想で作られたのだから「まったく弱いか、あるいは群を抜いて強いか、どちらかになりそうなものだが、そうはならなかった」と振り返られてます。

でもね。人間なら、「やりかたを大幅に変えたけど、結果は対して変わらなかった」という経験はよくあります。

勉強方法を根本的に変えてみたけど、たいして成績が上がらない(下がらない)とか、
食べるものを変えてみたけど、人間ドックの数値も変わり映えしない、
もしくは、化粧の仕方を根本的に変えてみたのに、結局どうよ、みたいなことは・・・よくあるでしょ?


私は保木氏の言葉を読んで、「そうか、ソフト開発する人って、“考え方を大きく変えたら、いいにしろ悪いにしろ、劇的に結果が変わって当然”と考えるんだ」と、初めて認識したんです。

この点については山本さんも「プログラムをちょっと変えただけで結果がめちゃくちゃ違ってしまうのはよくある話。保木さんの感覚はごく自然」とのこと。


この理由を考えていたのですが、もしかすると人間は「根本的に何かを変えたつもり」でも、実は過去に引きずられ、もしくは、知らず知らずのうちに変化することへの抵抗が表れてしまい、結局あまり変えずにいたりする、のかもしれません。

だから「大きく方法を変えたのに、結果はたいして変わらない」という経験が多いのかも。


機械の場合は、指示されれば必ずそのとおりに変えます。躊躇も抵抗感もありません。しかもバカ正直に(すべての場合において指示されたように)変えるから、レバレッジも大きく作用します。

「やり方を変えたら、結果は劇的に変わる機械」と、「やり方を変えたのに(=変えたつもりなのに?)、結果として何も変わらない人間」の違いは、それぞれの変化に対するスタンスを反映しています。


★★★


もうひとつ、変化に対する人間とコンピュータの感覚の違いが鮮明だったのが、2007年に行われた渡辺明竜王と保木邦仁氏の会話です。

渡辺竜王はこの本の中で、「でもいつの日か人間が完全に勝てなくなるということはあるんですかね。私が生きている間に」「あと 60年以内でどうですか? 私が生きているうちには?」と話されています。

(※この会話は今から 6年前の 2007年に行われているので、渡辺竜王の今のご意見ではありません)


ここで私が関心を持ったのは、「人間が、あり得ないほど画期的なことが起こるのは、何年後だと考えるか」という時間感覚です。

「いつ再び世界大戦が起こるか」とか、「誰も働かなくても食べていけるような日がくるだろうか」みたいなことを考えるとき、私たちはよく「自分の目の黒いうちに、それがあり得るか」と考えます。

これは、今の時点では想像もできないことが起こるタイミングは、人間の寿命と比較するほど長い時間感覚の中で捉えられる、ということです。

渡辺竜王の“60年”も同じ感覚からでてきた言葉でしょう。


ところが保木氏は、「 60年というのはかなりのものですよ。20年でものすごく技術は発展すると思います」と(かなりやんわりとですが)、コンピュータの進化を考える時間単位としては、60年は長すぎると指摘されます。

その言葉を受けて渡辺竜王は、「確かに 20年、30年後ならどうなっているんでしょうね」と言われてますが・・・おそらく20年、30年という時間単位でさえ、コンピュータ側にいる人たちにとっては、長すぎる時間なのだと思います。


誤解のないように。私は渡辺竜王がコンピュータ将棋の進化の速度を読めていないなどと指摘したいわけではありません。

そうではなく「人間の時間感覚が、何に規定されているのか」ということに興味があるんです。


私たちは、今まで生きてきた中で「何かが根本的に変わる」のには、最低でも 10年単位の期間が必要だった、という経験をしてきています。

私自身、自分の性格が子供の頃と今では大きく異なっていると感じますが、その変化には 20年以上の歳月がかかっています。

自分の故郷の風景が、昔には想像できなかったほど変貌したという人もいるでしょうが、それも数十年単位で起こったというケースが多いでしょう。

「この間まで赤ちゃんだったのに、すでに俺の言うことを聞かなくなった娘」も、その成長には 20年近い歳月がかかっています。

人間を含め、アナログなものの変化は(毎年少しずつ変化はするけれど)、結果として「想像できないほど変わる」には、数十年がかかるんです。


ところがコンピュータの進化は、それよりは相当に短い単位で画期的な変化が起こってきています。

だからそういう世界に身を置く人にとっては、数年後は予測できても 10年後ともなれば、今はとても想像できないことが可能になっていてもまったく不思議ではないのです。

むしろ 30年後とか「自分の目の黒いうちに」なんて単位では、あまりに先過ぎて、何が起こるかなんて考えるのも無駄、くらいの感じなのでしょう。


言うまでもなくこの「時代変化の早さの体感速度」が、アナログ時代とデジタル時代の大きな違いです。

私たちは(=今までの人間は)「世の中は変化しつつあるけど、結局のところ、大きな変化が実際に起こるには、それなりの期間がかかる」と考えています。

今の時点で、大企業に就職したい学生やそれを勧める親も、そういう感覚です。

「大企業が永久に安泰だとは言わないけど、あと数十年は・・」とか、「自分の目の黒いうちは」みたいな感じ。


私が今回学んだのは、人間とコンピュータでは大きく時間感覚が違うってことです。

そして、プログラム開発を自分でやっている山本氏や保木氏に関していえば、彼らの常識はコンピュータ側の経験に基づく常識(デジタル世界の時間感覚)です。

将棋ソフトに限っても、箸にも棒にもかからない状態が長く続いた後、ここ数年でトッププロに対抗できるほど強くなりました。

“まだまだ先の話”がある時点から突如、現実的になるという事態は、コンピュータの世界では頻繁に起こっているのです。


生物は、ものすごく長い期間をかけて環境適合できた者だけが生き残ってきました。生物が変化に要した時間は、めっちゃ長い。

でもコンピュータの世界は、それとはまったく異なるスピードで進化してきました。


だとするとデジタル革命の起こる今後、今の私たちが想像でもできない社会が出現するのは、30年後でも“自分の目の黒いうちに”でもなく、たった 10年ほど先なのかもしれない。

そして、この「変化の速度が根本的に変わる可能性」を意識しているかどうかが、次の時代をどう生きるべきかという個々人の判断にも、大きく影響してくるはず。


みなさんは、“今の時点ではあり得ないとさえ思えるほど、今とは異なる社会”がやってくるのは、いったい何年後だと思ってますか?



そんじゃーね

<コンピュータ将棋 関連エントリの一覧>


1) 『われ敗れたり』 米長邦雄
2) 盤上の勝負 盤外の勝負
3) お互い、大衝撃!
4) 人間ドラマを惹き出したプログラム
5) お互いがお手本? 人間とコンピュータの思考について
6) 暗記なんかで勝てたりしません
7) 4段階の思考スキルレベル
8) なにで(機械に)負けたら悔しい?
9) 「ありえないと思える未来」は何年後? ←当エントリはこれです
10) 大局観のある人ってほんとスゴイ
11) 日本将棋連盟の“大局観”が楽しみ 
12) インプット & アウトプット 
13) コンピュータ将棋まとめその2