毎月11日はベンゾ啓発デー 金納雅彦
7月11日は世界ベンゾ注意喚起の日
七夕ではあるまいし年一回では少なすぎます。
毎月11日をベンゾ啓発デーにしましょう。
睡眠薬や抗不安薬に使われるベンゾジアゼピン通称ベンゾを一か月以上長期服用する人の半数近くに悪い症状が現れ重篤な場合死亡します。
少なくともロシアンルーレットより危険な薬です。これはイギリスで行われた長期にわたる真面目な臨床試験の結果です。
薬の安全性のために長期的な臨床試験が行われることはほとんどありません。西洋医学では臨床試験を漢方と同じ経験に頼ることとして軽視しているのです。
理論的に正しければ実際にやってみて、うまくいかなくても気にしないということであり、これでは共産主義と同じです。
ベンゾの臨床試験は死亡者が出ることは確実なので何度も行うことができないのです。
ベンゾは日本とアメリカ以外の海外では一か月以上の使用を規制しています。ベンゾによって起こる離脱症状は地獄の苦しみであり多くの心不全や自殺あるいは事件事故の原因になっているのです。
学者の言うことを鵜呑みにしてはいけません。学者の多くは自信過剰で怖いもの知らずの馬謖であり思考力がありません。しばしば科学万能を唱え正気を失ってしまいます。
仮に科学万能であっても全ての人間は万能ではないのです。間違ったり騙されたりするのが人間です。優秀な神様気分の人間ほど警戒をしないので騙されるものです。
錯覚や見落としをしない人間はいません。優れている人ほど詐欺の被害にあいやすく、美男美女ほどハニートラップにかかりやすい。
かつて優秀な学者によって危険な血液製剤は使われ続け、優秀な学者によって脚気の原因は白米ではないと断定され甚大な人命が失われたのです。
ベンゾを肯定する恐れを知らない一方的理論の学者を我々は非難しなければなりません。
99%危険が証明されても100%危険が証明されなければ安全だと言い切るのが、デジタルでしかものを考えない権威主義の学者なのです。
学者も厚労省も多くのベンゾ被害者の声を黙殺しています。患者の声を聞くことは漢方と同じ経験に頼ることであり、迷信だと思っているのです。明治時代の脚気患者も神である学者の理論を疑ってはならないと言われながら、次々に死んでいったのです。
人は誰でも自らの無知無力を認めたがりません。そして自らの常識だけで何でも考え判断します。しかしそれでは自らの無知無力はいつまでもそのままです。明治政府のように自らの無知無力を素直に認め、そうでなくなるように最善を尽くさなければなりません。
命に関わる危険性が少しでもあるのなら動かなくてはなりません。もちろんベンゾの危険性は少しではないのです。
ベンゾの被害は脚気と同じように50年以上にわたって続いており、その犠牲者数は脚気をはるかに上回っている可能性があります。
明治時代の脚気による死亡者は毎年数万人でしたが、ベンゾによる死亡者はその十倍かもしれません。
何もしなければ現在の学者達は後世において決して輝くことはありません。
全ての可能性を考えて判断するのが本当の合理主義であり、他の可能性を否定した一方的理論であってはなりません。学者は予断や思い込みの骨頂なのです。現状はまさに予断を許しません。
一方的理論を絶対に正しい理論と断定し、それで失敗をしても絶対に反省をしない。学者は思考力ゼロなのです。
学者はプライドが高いので、わからないものを素直にわからないと認めず、既成の常識で無理に断定をします。そんなことをすれば間違いやすく騙されやすいので、戦争においては馬謖のように餌食になってしまうのです。
学者の何が問題かと言うと、神様気分になって危険を危険だと思わないことです。記憶力は思考力ではありません。まして超能力ではないのです。
学者のようによくよく考えず、全ての可能性を考えず、一方的理論で突き進むことをファシズムと言い換えることができます。
学者は合理的に考えたことは絶対に正しいと信じ込んでしまいますが、間違いを犯す人間がどんなに合理的に考えても正しいとは限りません。
手品に騙されるように、全ての人が錯覚をしたり見落としをしたりして、間違った答えを出すことは多々あることです。
合理的理論的立証とともに十分な経験的立証がなければ正しいと判断してはいけないのです。
孫子の兵法で己を知れと言うように、自らの考えが本当に正しいのか常に自問自答する謙虚さがなければ、我々は最善を尽くすことはできないのです。それどころか最悪の事態を招いてしまいます。
思考力のある優秀な戦略家はたとえ取り越し苦労でも危険性があれば避けるものです。
記憶力や学力の競走をやるなとは言いませんが、少なくとも記憶力が優れているだけの人に人命人権に関わることを任せてはいけません。
学者は自信過剰で怖いもの知らずの馬謖なので危険を危険だと思いません。赤信号を赤信号だと思わず落とし穴を落とし穴だと思いません。初めは良くともいつかは馬謖のように大失敗をしてしまいます。
科挙がそうだったように学歴主義は国を滅ぼし人類をも滅ぼしてしまいます。記憶力より思考力のほうが大事なのです。だからこそ吉田松陰は明倫館のほかに松下村塾を作ったのです。
吉田松陰が言いたかったことは、学者になるな。学者は理論ばかりで実践がない。理論ばかりだと一方的理論や机上の空論になり、大きな間違いをした上にそれを改めない。
記憶力があるからと言って間違いを犯さない神様にはなれない。全ての人間は錯覚をし間違ったり騙されたりする。謙虚になって己を知らなければならない。
己を知らなければ、森鴎外のように脚気を起こす細菌がいると最後まで主張しながら死ぬことになる。
学者はバカの壁である。考えを改めない壁のようなバカなのだ。諸葛孔明のように学者をやめて優秀な戦略家にならなければならない。
学歴主義は現代の封建制度である。現在の教育制度は国を滅ぼす馬謖を養成しているのだ。少なくとも明治の元勲のように、優れた戦略家を養成しているのではない。
思考力とは一方的理論にならないことです。あらゆる方向からよくよく考え、わからないことを素直にわからなと認めなければなりません。そして怖いものをしっかりと怖がり、怖くないものを怖がってはならないのです。
さらに多くの知識で難しく考えるほど間違ったり騙されたりする可能性が高くなります。できるだけ必要な知識だけに絞り、できるだけわかりやすく簡単に考える。これが正しい答えを出す最善の方法であり思考力というものです。
ベンゾの一か月以上の使用を規制ではなく、手術以外の処方薬としては禁止しなければなりません。そうでなければ殺人と言うよりは大虐殺なのです。
なお非ベンゾ系睡眠薬が存在しますが、西洋でベンゾの危険性が問題になった時に製薬会社がベンゾに少し手を加えベンゾではないとして売り出したものです。危険性はベンゾと同じであり、金もうけのための詭弁なのです。
日本も金もうけのためなら銃を売るアメリカと同類です。いやベンゾの危険性は銃をはるかに上回るものです。
中世ヨーロッパではペストのために人口の3分の1が死亡しても原因不明にされ何もできませんでした。おそらく日本でもベンゾによって人口の10分の1が死亡しても原因不明にされ何もできないのかもしれません。
ベンゾケースジャパンとウィキペディアのベンゾジアゼピン離脱症候群、同じくウィキペディアの睡眠薬を検索し熟考して下さい。
孔子曰く過ちては改むるにはばかることなかれ 過ちて改めざるこれを過ちという
孫子曰く己を知れ 自らの無知無力を素直に認めろ