『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)の著者として知られる覆面ベストセラー作家の橘玲さんは、お金をテーマにした著書が多い。最近では『専業主婦は2億円損をする』(マガジンハウス)や『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)といった著書を上梓。こうした著書を通して世に問う鋭い指摘は、いつも世間で反響を呼ぶ。
ビジネスパーソンはお金とどう向き合うべきか。かつての自身の会社員生活や、1年間のうち数カ月を過ごす海外各国で起きている世界的なトレンドも踏まえて、自説を披露する。
(まとめ=呉 承鎬)
「定年後は退職金と年金で悠々自適」は過去の話

作家、59歳。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部を超えるベストセラーになる。2016年の著書『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)は50万部を超え、「新書大賞2017」に選ばれる。昨年11月には女性読者に向けた『専業主婦は2億円損をする』(マガジンハウス)が話題を呼ぶ。近著に『80's エイティーズ』(太田出版)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)。
世の中には、老後を見据えた退職時の必要貯蓄残高にまつわる俗説が多く出回っています。誰もが関心を持つのでしょうが、一番大事な視点が欠けています。
そもそもなぜ、仕事を「60歳で卒業」しなければならないのでしょうか。「老後資金は60歳までに貯めないといけない」などというルールはありません。世界に先駆けて超高齢社会に突入した日本では、「定年退職まで頑張って働き、退職金と年金を元手にして夫婦で悠々自適の老後を送る」という人生設計は確実に過去のものに。いつまでもそんな夢にしがみついていると、「老後破産」の運命が待っているだけです。
私が厳しいことをお伝えするのは、相応の根拠があるからです。今、世界では大きなパラダイムシフトが起きていて、生き方・働き方の劇的な転換を迫られていますが、この状況を本当に理解しているビジネスパーソンは少ない。
「大変化」の原因の1つは、先進国で進む長寿化。日本はもちろん、欧米でも100歳まで生きることが珍しくなくなりました。すると当然、仕事を辞めた後の「長すぎる老後」が問題になります。60歳で退職すると、老後は40年間も残されているわけですから。現役時代に働いて貯めたお金で、残りの40年間、夫婦が安心して暮らしていくことが可能かどうかは、少し考えれば誰でも分かるはずです。
「人生100年時代」が突きつける現実に、欧米はもう気づき始めています。米国では1990年代まで、どのライフプランニング本にも「マイホームを買い、地方なら50万ドル、都市部なら100万ドル貯めてアーリーリタイアメントしよう」と書いてありました。しかし今では、早期リタイアを勧める本はありません。
一生働かないと“差別”される
世界が「生涯現役」に向かっていくのは、高齢化とは別の視点からも説明できます。欧米のリベラルな社会では、「人はそれぞれ自分だけの可能性を持って生まれてきた」という前提に立ち、「自分の可能性を100%生かして働ける社会が理想」と見なされるようになりました。ジェンダーギャップ(男女の社会的性差)が問題になるのも、「女性として生まれたことで自分の可能性をあきらめなくてはならないのは理不尽だ」と思うようになったからです。
スウェーデンやデンマークはあらゆる指標で「世界で最も幸福な国」とされていますが、「社会に何らかの貢献をしている市民だけが社会から恩恵を受けられる」という発想が徹底された国でもあります。「社会への貢献」で最も分かりやすいのが「働いて税金を納めること」で、裏返せば「働かないと“差別”される社会」でもあります。80歳になって「さすがに現役を引退」となっても、「今後は福祉施設でボランティアしたい」と説明しないと皆が納得しない雰囲気ですから。
「自由と自己責任」という北欧発の価値観は、近隣の欧州諸国や米国にじわじわと浸透しています。趣味嗜好や考え方が多様な「豊かな社会」では、これ以外に誰もが納得できる最大公約数的な社会通念はないからでしょう。日本は例によって世界のトレンドから半周以上遅れていますが、今後、欧米に倣う形で価値観が変化していくのは間違いありません。
国に「家1軒分」を納税する現実
今後、「生涯現役」が当たり前の社会がやってくるのですが、その必然性をお金の面からも説明しておきます。「老後資金には最低でも3000万円必要。豊かな暮らしを望むなら5000万円、1億円が目標」と言われますが、普通の会社員が家を買い、子供を育てながら、60歳までにそんな金額を貯められるはずはありません。
私もかつては会社勤めをしていて、その後、独立して個人事業主になって分かったことがあります。税負担を合法的に大きく軽減できる自営業者や中小企業のオーナー社長と違って、税と社会保障費を給与から天引きされる会社員が老後資金を効率的に貯めるのはものすごく難しい。大卒会社員の生涯収入は一般に3億円から4億円とされていますが、税・社会保障費の実質負担率は2割にも上り、国にトータルで6000万円から8000万円も納めているのですから。
株式や不動産に投資して資金を増やす方法があるものの、こうした投資は「若いうちから長期でコツコツ増やしていく」のが鉄則。始める時期が遅くなるほど、元金を減らすリスクを取らざるを得なくなります。

かといって年金制度には頼れません。現在の社会保障制度を、団塊世代が後期高齢者になる2025年以降も維持できると考える専門家はいない。65歳の支給開始年齢基準が大きく引き上げられるか、受給額がかなり減額されるか、あるいは「インフレ税」によって国の借金がチャラになるか。「何らかの調整はある」と覚悟しておくべきです。60歳の時点で手元にある金融資産は、「国家破産」による経済的混乱やケガ・病気など不測の事態に備えた“保険”と考えておくべきでしょう。
貯金(金融資本)を保険と割り切るなら、肝心の老後資金は、働いてお金を稼ぐ力(人的資本)を60歳以降も労働市場に投資して獲得するしかありません。老後の暮らしを支える富の源泉を金融資本に頼るのではなく、「いかに長く働いて、老後を短くするか」という発想に切り替えるのです。
当たり前の話ですが、生涯で得る収入は長く働くほど増え、同時に老後が短くなります。これで、「長すぎる老後」問題はシンプルかつ確実に解決します。
「稼げる自分になる」は難しいが、「長く働く」はできる
世帯(家庭)の人的資本を最大化するには、配偶者にも働いてもらうのが最も経済合理的な選択肢です。配偶者が現在働いていない場合、年収100万円、200万円の家計所得増は容易に達成できます。大したことない金額だと思うかもしれませんが、10年間働けば1000万円、2000万円です。「生涯共働き」を超える最強の人生設計はありません。
ところが、日本の会社では子供を育てながら働くのが難しいため、働く女性10人のうち5人は専業主婦になってせっかくの人的資本を放棄している。『専業主婦は2億円損をする』(マガジンハウス)を書いたのは、この状況があまりにももったいないと思ったからです。
人的資本を最大化する戦略には、「長く働く」「世帯内の働き手を増やす」のほかに、「もっと稼げる自分になる」というアプローチもあります。これが自己啓発で、自分に投資して500万円、600万円レベルの年収が1000万円、2000万円になれば素晴らしい。その努力を否定しませんが、「頑張れば誰でも成功できる」わけではないのも確か。
一方、「長く働く」と「世帯内の働き手を増やす」は、誰でもできて確実に収入を増やせる戦略です。余剰資金を年100万円でも株式などで積み立てれば複利で増えていくから、30年後、40年後にはさらに大きな違いが生じます。
クビになる年齢を教えてくれる「定年退職」
「80歳まで現役」という考えにシフトできれば、定年退職以外の選択肢が広がります。例えば40歳のビジネスパーソンなら「3年後に辞めて起業する」「副業をいくつか試してみる」といった未来が開かれるわけです。考えてみれば、終身雇用における定年退職は、「超長期雇用下での“強制解雇”制度」。会社が生涯の面倒を見てくれるわけではない。ならば、対策は早く立てるに越したことはありません。
こうした話をすると、「私はどうすればいいですか」と聞かれるのですが、一人ひとり置かれた状況や価値観が違っているから、誰にでも当てはまる万能のアドバイスはありません。酷な言い方かもしれませんが、それぞれが自分で見つけるしかないのです。
ただ、長く働くためには心と体の健康寿命を伸ばすことが大前提です。うつ病は日本の「風土病」とも言われていますが、その原因は人間関係によることが多い。買い物や食べ物、着る物など何でも自由に選べる現代社会において、人間関係だけは選ぶことが難しい。会社の嫌な上司は典型でしょう。これは米国も同じで、組織に属さず、人間関係を選択できるフリーエージェント化が急速に進んでいます。「好きな人とだけつき合う」贅沢はできなくても、「嫌いな人とは無理につき合う必要はない」というスタンスでいられれば、人生の幸福度は大きく上がります。
今後はますます専門的な知識に高い価値が認められ、知識社会化が進む。だからニッチな領域で構わないので、自分の好きなこと、得意なことにフォーカスして専門性を磨くことが重要です。生涯現役社会では、「仕事は苦役」のマインドではやっていけません。好きなことならばどれだけ頑張っても苦にならないし、人的資本のすべてを投資できる。ただし、一つの会社の中でしか評価されない知識やスキルの習得はムダ。「今の会社を離れても価値を持つ専門性」の習得が重要です。

「何も特技がない」とあきらめることはない
クラシック音楽が趣味だった知人は上司と折り合いが悪くなって50代で退職し、小さな音楽ホールに雑用係として就職しました。そして、わずか数年で都内の大きな音楽ホールのプログラムを組むポジションに就いています。音楽の専門性に加えて、会社勤めの間に培った組織のマネジメント力が評価されたのです。
「何も特技がない」とあきらめることはありません。「人生100年」だと考えれば何歳からでも遅くはないのですから、マネタイズできる「自分探し」をポジティブに始めてみてください。
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