1996年に「貯蓄から投資へ」のスローガンが生まれてから、今年で20年。節目の年にNISAの投資額上限は引き上げられ、口座数は1000万に達した。上場企業や金融機関にとり、個人投資家をいかに増やすかが重要になっている。

(写真=左:朝日新聞社、右:時事)
(写真=左:朝日新聞社、右:時事)
[画像のクリックで拡大表示]

 株価は上がり過ぎても下がり過ぎても上場企業のIR(投資家向け広報)担当者の悩みの種になる。

 チェーンソーや刈り払い機といった屋外作業機械を手掛ける東京証券取引所第1部上場企業、やまびこ。2008年に、共立と新ダイワ工業という半世紀以上の歴史を持つメーカーが経営統合して誕生した。同社の株主構成は、この数年で大きく変化している。

 設立直後の2009年3月は個人と機関投資家の比率は34~35%ずつで拮抗し、9000人を超える個人株主がいた。アベノミクスの影響で円安が進み、海外売上高比率6割を超えるグローバルニッチ銘柄として脚光を浴びたことなどで、株価は2012年12月の200円台から2015年3月には1500円台へ跳ね上がった。投資家は次々に利益確定に動き、個人株主は2015年3月に5000人近くに減り、比率は21%まで落ちた。

個人投資家の掘り起こしが急務
●株式保有比率の推移
個人投資家の掘り起こしが急務<br/>●株式保有比率の推移
出所:東京証券取引所

 個人投資家をつなぎ留めようと、同社は2015年9月に株式の4分の1への分割に踏み切った。背景には、長期投資による資産形成を促すために2014年1月に誕生したNISA(少額投資非課税制度)の存在があった。当時の株価水準では、最低投資金額はおよそ50万円。それに対し、NISAの投資上限が年間100万円だった。

 株式分割を決めたのは、「当社だけでNISAの枠の半分を使ってもらうのは難しい」(神田哲朗株式・IR課長)と考えたため。加えて、それまで個人投資家はおろか機関投資家にもアピールしてこなかったという反省から、積極的なIRを仕掛けるようになった。

 投資家からの問い合わせには総務部が対応していたが、新たにIR専任担当者を配置。個人向け投資情報誌に積極的に広告を出し、社長が登壇する投資家向けの説明会を開くようになった。結果的に、個人株主数は今年3月末時点で8000人強まで回復している。

ジュニアNISAで未成年株主も

 「貯蓄から投資へ」というスローガンが生まれたのは1996年。当時の橋本龍太郎内閣が提唱した一連の金融制度改革、いわゆる「金融ビッグバン」において、「個人資産1200兆円(当時)を預金から投資へ振り向けていく」という期待を込めて生まれた言葉だ。

 それから20年。この間、株式の売買委託手数料自由化、銀行による投資信託の窓口販売解禁、ネット証券の新規参入などが進められてきた。そしてNISAによって、「貯蓄から投資へ」という流れが加速している。

 証券会社や銀行で開く一般の口座では、株や投信への投資の利益には約2割の税金がかかる。NISAは当初5年間はこの税が免除される。日本国内に住む20歳以上であれば外国人でも利用可能で、今年から投資上限額が年間100万円から120万円に引き上げられた。「毎月10万円」という目安を示すことで、積み立て投資を促すのが狙いだ。

 今年4月には上限80万円で未成年向けの「ジュニアNISA」も始まった。長期投資による教育資金づくりを広めることが目的で、口座開設者が3月末に18歳を迎える年の元日まで、資金は原則引き出せない。銘柄の選択などは親権者が代行することが多いとみられるが、少なからぬ「未成年株主」が誕生したことになる。

 NISA口座の開設数は既に1000万を超えた。年間120万円×1000万口座。単純計算では、毎年最大で12兆円を市場に送り込むルートが存在していることになる。IR支援会社の大和インベスター・リレーションズ(IR)の中村聡・業務推進部長は「企業からの依頼件数は前年比2桁増が続いている。個人向けIRの依頼が特に多い」と話す。

60歳以上で6割を占める
●NISA口座買付総額の世代別内訳
60歳以上で6割を占める<br/>●NISA口座買付総額の世代別内訳
注:2015年9月時点
出所:金融庁

 NISA利用者に占める投資未経験者や20~40代の若年層の比率は右肩上がりだ。日本証券業協会の調べでは、2014年3月末に10.8%だった未経験者の比率は2015年12月末には22.9%へと倍増。同じく20~40代の利用者は22.8%から28.0%まで伸びている。

 これまで株式投資とは縁遠かった層が拡大していることで、上場企業は機関投資家や富裕層に偏重した姿勢を改める必要がある。野村インベスター・リレーションズ(IR)の高田明取締役は「一般的に個人は逆張り、機関投資家は順張りで動くので、売買タイミングが逆になりやすい。バランスよく両者を株主に取り込むことが株価の安定につながる」と指摘する。

 企業は個人投資家をどう取り込めばいいのか。知名度が低い中堅企業や、消費者との接点がないBtoB(企業間取引)の企業は頭を悩ませながらも、あの手この手でアピールしている。

投信に資金が集まる
●NISA口座の商品別内訳
投信に資金が集まる<br/>●NISA口座の商品別内訳
注:2015年9月時点
出所:金融庁

 日本アジアグループもその一社。地理情報データの作成、太陽光発電所、証券会社など一見相乗効果がなさそうな事業を抱えている。「外から見れば、何をやりたい会社なのか分かりにくいはず」と経営企画や財務を担当する渡邉和伸取締役も認める。

 同社がIRで重視するのは「共感」。機関投資家向けの資料であれば、ROE(自己資本利益率)などの説得力がある数字をそろえればいい。だが、「個人株主に長期保有してもらうには、定量よりも定性情報が欠かせない」(野村IRの高田取締役)。

 日本アジアは昨年、大手証券会社OBをIR担当部長として招き、個人向けの情報発信を刷新した。新たにまとめた「日本アジアグループのあるきかた」というパンフレットで は、事業ごとの売上高や利益などの数値目標を載せていない。その代わりに「日本とアジアの発展を担いたい」という、創業からの理念と事業の関連性を丁寧に説明した。

 個人投資家向け説明会も回数を増やし、オフィス街で午後6時以降に開催。軽食も用意している。ターゲットを年金受給者から会社員を含む幅広い世代に切り替えたためだ。「IRは短期で成果が出にくい。今後も説明会やIRイベントへの出展を続け、現状7018人の株主数を8000人まで増やしたい」と渡邉取締役は話す。

 企業がNISAで投資する個人を狙うのは別の意味もある。非課税期間は5年に及び、ロールオーバー(投資枠の翌年への持ち越し)を選べば最大10年まで延びる。NISAの利用者は理想的な長期株主の最有力候補と言える。

漫画で企業理念を伝える

 この点でも、企業のIRには工夫の余地がある。というのも、株価や業績をきっかけに株を買う人は、目標の株価に届いたり、想定と異なる値動きを見せたりすると手放しがちだからだ。一方で、企業理念や事業の社会的意義を認め、株を持った投資家は目先の株価に一喜一憂せず、保有し続けてくれる傾向にある。

 企業向け情報システムを開発するテクマトリックスの森脇喜生・執行役員管理本部長は「米アマゾンや米グーグルのように消費者との接点があるIT(情報技術)企業なら理解してもらいやすいが、うちは完全なBtoB企業。分かりやすい情報提供が必須だ」と話す。

 象徴がウェブサイトで公開する漫画だ。同社の由利孝社長を模したキャラクター「由利くん」を登場させ、IT業界における黒子役としての同社の役割をコミカルに解説する。

 日本国内の上場企業の数はおよそ3500社。個人投資家にアピールするためには、まずその存在に気がついてもらう必要がある。そこでテクマトリックスはカタログギフトの株主優待を導入。食品などギフトの中身の選定作業には由利社長も加わっている。

優待銘柄は4割に迫る
●上場企業に占める優待の実施率と企業数
優待銘柄は4割に迫る<br/>●上場企業に占める優待の実施率と企業数
注:実施率は上場企業に占める優待実施銘柄の比率。2016年以外は8月末時点
出所:大和インベスター・リレーションズ

 年間数千万円の費用は、自社を知ってもらうきっかけとして必要なコストだと割り切っている。森脇管理本部長は「機関投資家と個人株主の適切な比率は模索中だが、十分な株式の流動性は生まれている」と手応えを口にする。

 このように、上場企業の間では個人投資家を呼び込むために、株主優待を充実させる傾向が強まっている。大和IRによると、今年4月末時点で株主優待を実施する企業は1281社。全上場企業の約35%で、過去最高を更新した。

コマツが3年以上保有の株主に贈る模型(上)。<br/>リコーでは抽選でラグビー観戦券も(下)
コマツが3年以上保有の株主に贈る模型(上)。
リコーでは抽選でラグビー観戦券も(下)

 かつては消費財や飲食関連の中小型銘柄で株主優待を強化する動きが目立ったが、NISA開始後はコマツ、リコー、オリックスなど大手企業による導入が相次いでいる。オリックスの今年3月末の個人株主数は約17万6600人で、1年前と比べて9割も増えた。

 上場企業の4割に迫るほど株主優待の導入が進んでいるのは、日本市場ぐらいだ。「一定以上の株数を持つ株主しか受け取れないのは『株主平等の原則』に反する」「その費用を配当や設備投資に回すべきだ」「機関投資家にコメや特産品を送っても仕方ない」といった批判は付きまとう。

 それでも、NISAと同様に個人投資家の関心を喚起する方法として効果的なのは間違いない。

投信低コスト化でNISA対応

 現在、NISA口座での総買い付け額は約7兆円。そのうち、投信分が約4兆5000億円を占めるとみられる。上場企業の行動に変化が表れたように、投信業界も投資初心者や若年層など新たな投資家の開拓に動いている。

4年前から急速に減少
●新規設定に占める毎月分配型投信の比率
4年前から急速に減少<br/>●新規設定に占める毎月分配型投信の比率
注:2016年は4月末まで
出所:格付投資情報センター

 その象徴が、「脱・毎月分配型投信」の動きだ。2011年頃には、月間に設定される投信の7割以上が毎月分配型という時期もあった。分配金を年金の足しにしたいという高齢者のニーズに合っていたためだ。しかし、2012年からその比率が落ち始め、今年は10%を切っている(グラフ「●新規設定に占める毎月分配型投信の比率」参照)。

 理由の一つは、商品特性がNISAに合わないからだ。毎月分配型には元本を取り崩して「特別分配金」として出す投信が少なくないが、この分はもともと非課税なのでNISAの恩恵を享受できない。分配金を払い出すと複利効果を得られず長期投資に向かないため、NISAとも相性が良くない。

 その代わりに新たに生まれているのが低コストの投信だ。購入時に手数料がかからない「ノーロード」と呼ばれる投信が3年前から増え始め、その資金がNISAに向かっている(グラフ「●ノーロード投信の残高と新規設定のインデックス型投信の平均信託報酬」参照)。

低コストの投資信託が増え始めた
●ノーロード投信の残高と新規設定のインデックス型投信の平均信託報酬
低コストの投資信託が増え始めた<br/>●ノーロード投信の残高と新規設定のインデックス型投信の平均信託報酬
注:ノーロード投信の残高は12月末時点、ETFは除く
出所:格付投資情報センター(新規設定のインデックス型投信の平均信託報酬)、イボットソン・アソシエイツ・ジャパン(ノーロード投信の残高)
[画像のクリックで拡大表示]

 保有コストである信託報酬は全投信の平均値で見ると横ばいが続いている。だが、日経平均株価やTOPIXなどの市場平均への連動を目指すインデックス型投信に限ると劇的に下がった(左下グラフ)。特に昨年秋からは格安の新商品を発売したり、既存商品の信託報酬を下げたりといった運用会社間の価格競争が激化している。

 その結果、国内外の株、債券、REIT(不動産投資信託)などの分野で信託報酬の最安値が更新された。投信を保有する限り日々かかる信託報酬は、長期投資のリターンを左右する。NISAでの投信選びでは重要な項目だ。

 こうした低コスト投信は、30~50代の資産形成層からの支持を集めている。いくつかの商品は価格を下げるために販路をネットに限定したためだ。だが、投信市場全体での売れ筋は相変わらず毎月分配型が上位を占める。

 投信アナリストの吉井崇裕イデア・ファンド・コンサルティング社長は「運用会社は低コストのインデックス型や低リスクのバランス型投信を多数投入した。売れ筋が変わらないのは、新商品を紹介する金融機関の努力が足りないのではないか」と指摘する。長期投資向きの商品がそろっても、その意義を知る人が増えないと市場は変わらない。

金融教育を学校へ

 上場企業は個人を以前より重視し、金融機関は低コスト・低リスク投信を充実させた。個人を取り巻く投資環境は改善が進んでいる。だが、手つかずで放置されてきた重要な課題が金融教育だ。

 「株主同士が他の株主の支持を求めて争うことは何と呼ぶでしょうか?」「プロキシーファイト」。

 今年2月末、高校生による金融知識の日本一を決める「エコノミクス甲子園」が東京都内で開かれた。地方予選を勝ち抜いた44校の生徒が、大人顔負けの知識を次々に披露した。

「エコノミクス甲子園」の賞品は証券取引所を含むニューヨーク旅行
「エコノミクス甲子園」の賞品は証券取引所を含むニューヨーク旅行

 学校関係者は金融教育を長らくタブー視してきた。エコノミクス甲子園を支援するのは金融機関。内閣府や文部科学省、金融庁まで後援に名を連ねるのは危機感の表れだろう。昨秋、金融広報中央委員会は、学習指導要領に金融教育を盛り込むように提言。ジュニアNISAを投資教育の契機と捉える家庭では子供本人に銘柄を選ばせることも考えられる。長年の悲願である「貯蓄から投資へ」を根付かせるためには、金融リテラシーの向上が欠かせない。

若年層を開拓する「ロボアド」

 ITによって進化する新しい金融サービス「フィンテック」の分野では「ロボアドバイザー(ロボアド)」が注目を集めている。最近になって大手金融機関やベンチャーが次々にサービス提供を始めた。

 投資の未経験者がまず悩むのは「何をどれだけ買えばいいのか」。この問いに対し、個人の属性に応じた最適なポートフォリオ(資産構成)を独自のアルゴリズムで導き出すのがロボアドだ。年齢や運用期間、「どの程度の下落に耐えられるのか」というリスク許容度などの質問に答えると、株や債券などの最適な比率を教えてくれる。

 ロボアドのサービスは大きく2つに分かれる。みずほ銀行や三菱UFJ国際投信などは、ロボアドが示したポートフォリオに従い、自社の投信を推奨する。ロボアドを金融商品の販売促進に使うというビジネスモデルだ。

みずほ銀行が提供する「SMART FOLIO」のウェブサイトの画面
みずほ銀行が提供する「SMART FOLIO」のウェブサイトの画面

 一方、お金のデザイン(東京都港区)やウェルスナビ(東京都千代田区)などは、ロボアドを使った海外ETF(上場投資信託)による資産運用サービスを報酬1%(年率)程度で提供している。

 大手金融機関が手掛けるラップ口座の手数料は約2~3%で、最低投資金額は通常300万円を超える。ベンチャー企業のロボアドは1万~100万円の資金で投資を始められ、手数料は1%で済む。

利用者の大半は若年層
●お金のデザイン「THEO」利用者の内訳
利用者の大半は若年層<br/>●お金のデザイン「THEO」利用者の内訳
[画像のクリックで拡大表示]

 新規参入組は多額の資金を持たない若年層がターゲットだ。お金のデザインによるロボアド「THEO」利用者は半数以上が20~30代。金融機関が軽視してきた層を取り込む。

 有料のロボアドが広まるかどうかは未知数だ。吉井崇裕イデア・ファンド・コンサルティング社長は「米国では資産運用サービスが普及しており、その一部がロボアドに置き換わった。有料の資産相談が一般的ではない日本で需要を掘り起こすのは難しい」と話す。

 ラップ口座と比べると割安に映るが、複数資産に投資してリバランス(再調整)まで行うバランス型投信の信託報酬は0.2~0.8%が主流だ。積み立て投資やNISAに対応していない点もネックだ。ポートフォリオの提案という価値をどこまで訴求できるのかがカギになる。

(日経ビジネス2016年5月30日号より転載)

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。