



「ゲリラ豪雨注意報です。10分後にこの付近で激しい雨が降ります。急いで避難してください」
スマートフォンに突如通知が入った。見上げると空は晴れ渡っている。首をかしげながら近くの建物に入ると、すぐに積乱雲が立ちこめ、集中豪雨が襲った。間一髪で助かった──。
近い将来、このようなシステムが実現する。これまでの天気予報は、気象衛星や地上のレーダーなどから雨雲の位置を把握し、雨雲の進む方向を地図上に示してきた。予報は細かくても市町村単位で、1時間ごとの天気の変化が分かる程度が主流だった。
しかし、近年増えているゲリラ豪雨は、瞬く間に積乱雲が発生。局地的に大雨を降らし、数十分の間に雲が消滅する。そのため、従来の予想技術では対応し切れていなかった。
2014年8月にはゲリラ豪雨によって広島市で土砂災害が発生、70人を超える死者が出た。急激な増水で河川が氾濫し、地下工事中の作業員が命を落とす事故も毎年のように起きている。
そこで期待を集めるのがスーパーコンピューターによるシミュレーションだ。雨雲の位置データを大量に収集して、数理モデルに基づいて、まだ発生していない巨大雨雲が何分後にどの位置に発生するか、詳細な情報をはじき出す。短時間勝負のゲリラ豪雨予想には、もってこいの手法だ。
2013年度に科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業に採用された。プロジェクトを推進する理化学研究所の三好建正チームリーダーは「避難に間に合うよう、早いタイミングで情報提供できる体制を構築したい」と力を込める。
雨雲の捕捉には「フェーズドアレイ気象レーダ」と呼ぶ最新レーダーを使う。半球形のカバーの内部には板状のアンテナが隠されており、ぐるりと360度回転しながら雨粒の動きを追う。情報通信研究機構や大阪大学などが共同で開発し、2012年に大阪府に日本で初めて設置された。現在も兵庫県や沖縄県など国内4カ所にしか配置されていない「希少品」だ。
観測スピードは素早い。半径60km、高度14kmの範囲をわずか30秒で観測できる。従来型レーダーに比べ観測時間は約10分の1へと大幅に短縮した。
詳細なデータを収集できるのも強みだ。一辺100mの立体空間を1区画とし、それぞれの降雨分布をデータとして集める。気象庁が観測する一辺250m区画のデータに比べ、よりピンポイントに情報を把握できる。
計算結果を実測データで検証
データの送り先は、理研が運用するスーパーコンピューター「京」だ。世界トップレベルの処理速度を誇る京を使い、どのような雲が、どこに、高度何百mに発生するのかをシミュレーションする。その結果、1時間当たり何mmの雨が降るのかも予想する。
ただ、雲の発生から降雨などの自然現象を数式に完全に落とし込むことは非常に難しい。「自然の動きほど複雑なものはない」と三好チームリーダーは頭を悩ます。当初は、実際ではあり得ない高さでの雨雲の発生を予想するなど、失敗を繰り返してきた。
そこで研究チームは、京がはじき出した予想値と、実際の観測値を一定時間ごとに比較し、誤差が少なくなるように計算方法を修正する「データ同化」と呼ぶ手法を採用した。
この取り組みが徐々に功を奏し、上の画像で示した通り、30分先の降水分布を高い精度でシミュレーションできるようになった。100m四方ごとのピンポイント天気予報も現実味が増してきた。
課題はまだ残っている。1回のシミュレーションで解析するデータ量は数百ギガバイトに及ぶ。次の最新データがレーダーから送られてくる30秒間にこれらの処理が終わらなければ、未処理データが積み上がって、システムがパンクしてしまう。
現状では京を用いても処理時間は長過ぎる。プロジェクト開始当初は3000秒(50分)、現在でも700秒(12分弱)を要している。さらに20分の1以下に処理時間を短縮する必要がある。
使用する観測データを絞り込んだり、データの読み書き効率を高めたりするなど改善余地は多いという。30秒という目標達成への道のりはまだまだ遠いが、「実現性はかなり見えてきた」と三好チームリーダーは自信を見せる。
見据える先は2020年。東京オリンピック・パラリンピックでの採用を目指している。ゲリラ豪雨を予想することで、安全に競技ができるかを判断できるようになる。
気象予想では、短期的な天候変化だけでなく、大型台風の進路予想など数日先の分析も重要度が高い。土砂災害や河川の氾濫が見込まれる地域に早いタイミングで警報を出せれば、避難に時間がかかる高齢者の助けにもなる。
●神戸市でのゲリラ豪雨の事例

宇宙から高精度観測
重要な役割を果たすのが気象衛星「ひまわり8号」だ。2014年に打ち上げられ、地上3万6000kmから日本周辺を定点観測する。
米航空宇宙局(NASA)が開発した観測センサーを世界で初めて搭載し、観測できる最小範囲が500m四方とひまわり7号時代の1kmに比べ精細になった。
処理速度も速くなり、従来30分間隔だった観測の頻度は最短2.5分間隔まで短縮。台風の目が渦巻く様子なども捉えられるようになった。データ伝送量は従来の50倍に増え、白黒だった画像もカラーに変わった。「より細やかに台風の進行方向を予測できる」と開発を担当した三菱電機の西山宏・ひまわりプロジェクト部長は胸を張る。
さらにより広く、地球全体での気象状況を観測し、未来をシミュレーションしようとする試みも始まっている。実現すれば、大規模な自然災害から気候変動まで予測できるようになる。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)やNASAが参加する国際プロジェクトの全球降水観測計画(GPM)では、約10基の人工衛星で世界中の降水状況を1時間ごとに観測する。
計画の中心となるJAXAが2014年に打ち上げた「GPM主衛星」。国際宇宙ステーションとほぼ同じ高度400km付近で地球を周回する。
搭載する二周波降水レーダーはJAXAなど日本勢が開発し、2種類の周波数の電波を照射する。どの高さに雨が降っているかという立体観測が可能になり、これまで難しかった弱い雨も捕捉できるようになった。
集めた降水情報は世界に無償提供する。今年3月からは気象庁によるデータ利用が始まったほか、パキスタンやフィリピンなどでは洪水予報に向けた利用準備が始まっている。「地上レーダーの配置が進んでいない途上国などからの需要が今後増えていくだろう」とJAXAの古川欣司プロジェクトマネージャは話す。
ゲリラ豪雨を予想する理研のチームと共同で、GPMプロジェクトのデータを使い世界規模で雲の動きをシミュレーションする研究も始まった。ビッグデータを活用して世界中のあらゆる場所の雨模様を、コンピューターが正確に予想できる時代が、近い将来やってくるかもしれない。
(日経ビジネス2016年6月27日号より転載)
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