
私は、長野県松本市にある浄土宗玄向寺の副住職を務めている。
荻須家は、愛知県稲沢市の出身で、一族からはパリの街並みを描き続け、文化勲章を受賞した荻須高徳(1901-1986)を輩出している。私は幼い頃から、「荻須家にはパリで活躍した絵描きがいる」と聞かされて育ったので、フランスという国やパリに対しては、とても良い印象を持ち続けていた。
私が京都で修行を終えて、自坊に戻ってから2年後のこと。寺の近くの大学に、フランスから女子学生が留学してきた。私の寺は、「牡丹の寺」として知られており、毎年5月には見事な花を咲かせる。このフランス人学生が牡丹を見に、私の寺へやってきた。
「フランスからやってきた人に、おもてなしをしないと」
かつて、画家荻須高徳がお世話になった恩返しのつもりで、精一杯の英語を使って、仏教や寺のこと、日本文化のことについて説明した。彼女はどういうわけか、私のことを気に入ってくれ、嫁にやってくることになった。フランスは「仏国」と書くが、まさに「仏(ほとけ)の国」からやってきてくれたんだと、私は舞い上がってしまった。
キリスト教から仏教に改宗

1975年、松本市生まれ。茨城大学人文学部在学中に浄土宗・伝宗伝戒道場を満行。1998年から京都・黒谷金戒光明寺にて修練道場に入行、翌99年に満行。その後、京都大学、仏教大学等で仏教学を学ぶ。現在、浄土宗玄向寺副住職。雅楽の普及・促進を目的とした「松本富貴雅楽会」を主宰し、地元松本を中心に演奏活動を行う。
しかし、保守的な寺の世界である。将来の住職の妻が外国人でいいのか。思い悩んだ私に父である住職は、「私たちは仏教徒だ。仏教をお開きになられたお釈迦様は、その者の行いによって、その人の将来が決まる、自業自得を説かれている。生まれや人種で決まるものではない。おまえと妻がどう行動していくかが大切だ」と言ってくれた。
檀信徒の総代様も、「私たちは、お寺を一生懸命護っていってくれる人ならば、喜んで歓迎しよう」と応援してくれた。
妻は、結婚を機にキリスト教から仏教に改宗。日本文化に親しもうと、茶道・華道・着物の着付けを習い、最近は仏前の花を活け、お茶席では茶を点て、機会あるごとに着物をきて、寺務に努めている。
そんな家族をもった、田舎の僧侶である。
ショックを受けた妻
妻は、私と結婚する前は、パリの中心部にある凱旋門から延びるシャンゼリゼ通り沿いの、ルイ・ヴィトン本店に勤務していた。パリは、家族や友人が多くいる場所であり、思い出がたくさん詰まった場所である。
私も妻と一緒に、荻須高徳画伯の絵を思い浮かべながらあちこち歩いた、思い出深い街だ。
その花の都パリが、今年2度目のテロ攻撃を受けたのである。
今年1月に発生し、12人が亡くなった新聞社「シャルリー・エブド」への襲撃事件は記憶に新しい。にもかかわらず、惨劇が再び起きてしまった。
今回のテロ事件はオランド大統領が観戦に訪れた、サッカースタジアムやコンサートホール、カフェなどが狙われた。多くの犠牲者が出た。
我が寺では、ちょっとした騒ぎになった。日本とは時差の関係で、妻はすぐに家族や友人らと連絡がとることができない。
妻は、インターネットやテレビを通じて、事件発生当時の映像や事件現場の様子を見て、「とても悲しい。気持ちが悪くなる」と嘆き、涙を流した。
妻にとっては、馴染みのある場所でもあり、また友人が通勤に使う地下鉄の路線沿いにテロ現場が位置していたので、ショックが大きかったようだ。
報復の連鎖
今回のテロ事件について、IS(イスラム国)が犯行声明を出した。テロ攻撃はフランスによる空爆の報復だと言う。
オランド大統領とバルス首相はともに、「われわれは戦争状態にある」と話し、特にバルス首相は「敵を攻撃して全滅させなければならない。この戦争に必ず勝つ」と、地元テレビで話した。
報復が報復を招く。悪い連鎖に入ったように思う。
1991年1月に始まった湾岸戦争が、私の中で強烈な印象を残している。
それは、テレビで生中継された初めての戦争だった。テレビゲームのように、多国籍軍の攻撃によって放たれたミサイルが、次々とイラクへと放たれていく。2001年9月11日にはアメリカを襲った同時多発テロが勃発。アフガニスタンやイラクが戦火に包まれた。中東での一連の戦乱が、イスラム国を生んだ遠因とも言われている。
今回のテロを受けて、「フランスの9・11」と表現する報道もある。しかしフランスには、かつてのアメリカのようになって欲しくない。
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