
2016年4月14日午後9時26分。熊本県を震源とする最大震度7、マグニチュード(M)6.5の地震が起こった。しかも、これはその後に連なる大規模震災の予兆。午後10時7分には最大震度6弱、M5.8の地震が発生。熊本県益城町などに甚大な被害をもたらした。テレビ・ラジオではさかんに「余震に注意してください」とのアナウンスが流れた。しかし、さらに次に襲ったのは余震ではなかった。16日午前1時25分。最大震度7、M7.3が熊本県嘉島町を直撃したのだ。気象庁はこちらが本震であることを発表した。最初の震度7を上回る地震が起きたことからこれが「本震」になり最初の本震が「前震」となる。さらに観測史上はじめて震度7の地震が続いて起きた。これはまさに想定外の現象だったのである。
今回の熊本の地震に関して、“防災の鬼”渡辺実の動きは早かった。15日の午前には羽田空港に向かい、同日の午後2時半過ぎには熊本空港に降り立っていた。
「14日最初の震度7が起きた直後に熊本県民テレビ(KKT)の報道の知り合いへ電話をいれました。KKT報道は大混乱だったので、15日以降の航空券もホテルもこちらで手配するから熊本入りスケジュールが決まったら再度連絡する、と電話を切りました。そしてネットキー局の日本テレビ報道へ熊本入りする旨を連絡し、日本テレビからもKKTへ連絡を入れてもらい、KKTの拘束で支援することになったのです。
実は、3年前の2013年8月にKKT防災報道特番を一緒に制作した縁があり、まっさきにKKT報道へ電話をいれたのです。支援体制が決まった後に、この特番を制作した当時のKKT報道局長と電話がつながり、彼もこの特番が生きていればいいのだが、ぜひ支援をお願いしたい、と大変に心配していました」
15日の熊本空港は離発着が可能で、羽田~熊本便は全便満席、臨時便も満席状態。熊本空港につくと報道陣やキャンセル待ちの人々でてんやわんやの状態だった。その後、16日の本震で熊本空港は空港ビルの被害や管制システムの障害が生じ、閉鎖になっている。
「まず困ったのが、移動ですね。熊本空港からKKTが指示した被災現場の中継ポイントまで行けない。移動はタクシーに頼るしかないんだけど、空港のタクシー乗り場は長蛇の列。がなかなかタクシーが来ない、どこのタクシー会社も手一杯。どうも全国の報道関係者が押さえている状態です。それでも1時間待ってなんとかタクシーを確保して、まずは日本テレビの夕方のニュースに出演するために、益城町近くの中継現場に向かったわけです」

ところが道はどこも大渋滞。被災地が近づくほど、車の流れは滞るようになった。
「我々のような報道クルー。救急車、消防車、パトカーなどの緊急自動車。さらにダークグリーンの自衛隊車両。もちろん避難しようとする地元の方々の車も多い。これらが一緒くたになって大渋滞を起こしているわけです。結局夕方のニュースには間に合いませんでした」

移動の途中も、“防災の鬼”渡辺実は自分の役目を忘れない。被害が大きかった益城町のなかを車で移動中に被害状況を確認していった。
「常々言っているんですけど、“防災は文化”です。九州の人たちは地震慣れしていません。九州の災害といえば雨と風。だから防災文化もそっちが中心なんです。テレビなどで現場の様子が流れていますが、崩壊しているものの多くが立派な屋根と瓦を持ち、土で固めた壁の古い家屋ですね。大きな屋根と重い瓦というのは風の災害に対しては有効なのですが、地震には弱い。熊本城の中にある熊本神社などはその典型です。今回はこうした九州の“防災文化”が仇となって被害を広げたという側面があります」
番組の進め方にモノ申す
15日、夕方のニュースのための中継ポイントに間に合わなかった“防災の鬼”渡辺実は、その足でKKTの本社に向かった。

そこでクルーたちに様々なアドバイスを出していった。
「防災・危機管理ジャーナリストとしての僕の役割は、番組に出演することもそうだけど、それ以上に被災ローカル局の被災者との向き合い方、被災者へ向けてはどのような情報が重要になるのか、被災者のための放送に徹することの重要性など、という災害報道の指針を示すことなんです。東日本大震災の時も同じでしたが、最近は特にそうしたところに力を入れるようにしています」
地元の放送局は日ごろ、地元に密着した情報を提供している。これら地元局のほとんどは在京キー局の系列局としての役割をも同時に担っている。渡辺が関わったKKTは日本テレビのNNN系列である。
「だから、ひとたび大きな災害が発生すると、キー局から番組ごとにクルーが乗り込んできて現場を仕切ってしまおうとするんです。そして東京の欲しがる情報を集めようとする。でもこれじゃ被災地の地方局の意味がありません。ローカル局にはローカル局の役割がある。その部分を事あるごとに指摘しながら、放送をサポートするわけです」
渡辺は被災者目線に立って、その人たちがどのような情報を欲しているかを先読みしながら番組を進めていくことを提案し続けた。
「私は『ネコ砂トイレ(Zioトイレ)』について、ローカル特別番組の中でお話ししました。震災が起こって、最初の24時間は飲料水と食べ物の確保に追われます。しかし、断水や停電によって水道がでなくなり水洗トイレが使用不可能になる。この災害時トイレの対策がこの国では最も遅れていて、トイレに行きたくないから水や食事を控える。その結果体力を落として感染症にかかりやすくなる、という悪循環に陥る。
ペットの問題もそうですね。どの災害現場もそうですが、震災の直後は飼い主からはぐれたペットたちが辛い思いをします。またペットと一緒に逃げた家族も多い。しかし避難所にペットと一緒に避難できない、ペットへの支援もうったえました。
さらに余震が続く中、車中避難が多かったので、エコノミークラス症候群への注意勧告も16日から先取り情報として放送していきました」
山間地であれば穴を掘って排泄物を埋めればいいが、熊本市内となるとそうもいかない。“防災の鬼”渡辺実は、すでに大震災になった被災地の現状をふまえ、新聞紙を使った簡易型災害時トイレの作り方を番組で紹介した。
「ダンボール箱の中に細かくちぎった新聞紙を敷き詰めるだけの簡単なものですが、これがけっこう役に立つわけです。被災地の現状に合わせた情報が必要なのです。こうした情報を被災者にニーズに合わせて随時、的確に流すのがローカルの役目なんです。キー局の応援クルーは1週間後には随時撤収していきますからね。でも地元の被災は終わらない。だから被災地の地元局はいかに地域に密着した情報を流し続けるか、キー局の言うことばかりをきいてたらダメなんですよね。そういうことをアドバイスするわけです」
またテレビを見ることから得られる「安心感」も大切だと“防災の鬼”渡辺実は指摘する。
「キー局からレポーターやアナウンサーがどんどん現地入りしますが、地元の人たちはそういう“現場と関係ない人”の顔を見たいとは思っていない。日々放送されている地元発の番組に登場する地元のアナウンサーの口から出る情報を聞きたいし、そのアナウンサーの顔を見たいと潜在的に思っている。だからできるだけ地元アナが顔出ししてニュースを読むようにしてくださいと、アドバイスします」
鬼も驚いた直下の本震
15日はKKTでの番組作りで時間が過ぎ、熊本市中心街のホテルに到着したのは夜中の12時過ぎだった。
「そのホテルは、電気は来ているんだけど水がまだ出ない。さらに余震が続いていますからエレベーターも動かない。水が出ないからコンビニでペットボトル入りの水を買って、非常階段を登る。僕は7階に宿泊したんだけど、まさに『高層難民』に自らなってしまった。いやこれが老体にはけっこうきつかったね(笑い)」

やっと部屋にたどり着いて、タオルにペットボトルの水を含ませ、体を拭ってひとごこちつき、ベッドに入ったのが深夜の1時過ぎ。
ウトウトしかけた1時25分。襲ってきたのが最大震度7、M7.3の本震だった。
「体がベッドの上で跳ねたね。冷蔵庫は前に飛び出す。壁の時計は飛んで来る。スタンドライトは倒れる。起き上がって部屋を見たらベッドそのものが横に数十センチほど動いていた。22年前にロサンゼルス地震の取材で大きな直下余震を経験したことがあるけど、国内での直下地震体感はそれ以来だった」
防災の鬼もこれには驚いたという。すぐに起き上がって出入り口のドアの鍵チェックし、いつでも開けられる状態を確保した。
「ホテルの扉は金属製ですから、建物が歪むと開閉できなくなる可能性がある。まずはドアを開けることがが定石です」
すると、すぐに館内放送が流れた。
「安全確保のためにまずは外に出ろというわけです。これは正しい判断ですね。パジャマの上にコートを羽織って靴を履き、備え付けの懐中電灯を持って非常階段を使ってホテルの1階に行った。そしてスタッフの誘導で近くの公園に避難することになりました。1階に降りた宿泊者の中に多くの外国人もいました。またテレビのクルーも何人かいて、すぐにライトを付けて被害の中継リポートが始まっていました」
取材クルーに灯りの確保を依頼
“防災の鬼”渡辺実は自分が防災・危機管理ジャーナリストであることを説明し、テレビクルーたちに「中継車両のヘッドライトや撮影のためのバッテリーライトをなるべく照らしっぱなしにしてくれ」と依頼した。
「このホテル周辺には電気は来ているのですが、熊本市内の夜は街灯も少なく暗い。もし上からモノが落ちてきたら危ない。こんな時の灯りは生命線でもあるんです。幸いテレビクルー達も私の話を理解してくれて、依頼通りに辺りを照らし続けてくれました」

「ホテルは安全の確認が取れないから戻れない。ホテルのそばにある公園で夜明けまで過ごすわけですが、みんな着の身着のままで出てきている。夜は寒いからホテルのスタッフが毛布やバスタオルを提供してくれて、これでなんとかしのぐことができました」

朝になったがホテルはまだ安全確認ができないので立ち入り禁止の状態。それでもKKTへ向かわなければならないから着替えだけは済ませたい。ホテル側に事情を説明し、渡辺はなんとか着替えだけはすませ、KKTへ電話して自分の安否を知らせタクシーを依頼して、再びKKTの本社に向かった。
“防災文化”はどう育てるのか
「その後の気象庁の会見で、14日の揺れではなく16日の午前1時25分に起こった地震が本震であるという発表がなされた。そこからKKTでは午前と午後に特番を組むことになり、この日はその構成とか指示出しのために一日中局詰めになってしまいましたね」
翌日17日も同じように朝から特番のアドバイスで1日があっという間に過ぎたという。
「そして18日にはいったん東京に戻ってきました。ところが本震の揺れで熊本空港の管制システムとターミナルビルが被害を受け、飛行機の発着が止まってしまった。結局タクシーで福岡空港まで行き、そこから羽田に帰ってきたというわけです」
熊本県、大分県などでは余震は続いている。まだまだ予断を許さない状況だ。

「5年前の東日本大震災の経験から、もう二度と想定外はないなんていう人もいるけど、やっぱり想定外のことは起こるわけです。今回だって余震の後に本震がくる、震度7の地震が二度も連続して起きる、余震域が広域に移動する――という想定外のことが起きてしまった。南海トラフがどうだとか、中央構造線がなんだとか、そうした地震発生メカニズムの難しい話も大切だけど、現地の被災者にとってはどうでもいいことだったりもするわけです。トイレはどうすればいいのか、エコノミークラス症候群を防ぐには何を心がければいいのか、お年寄りや子供たちの不安を取り除くにはどんな行動をすればいいのか等々、明日を生きていくための情報、そうした情報や知識・知恵を積み重ねることしか“防災という文化”を育てることはできないのです。地震が襲ってくる前に防災の文化を創り上げることが今、被災地だけではなく全国に求められているのです」
この取材中にも“防災の鬼”渡辺実のスマホには、報道各社からの取材電話やメールが着信している。被災が長期化すれば、“防災の鬼”の役割も長期にわたって必要とされることになる。
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