大切なお知らせがございます――。TBSラジオのPodcastには最近、1分30秒にわたる告知が挿入されるようになった。6月30日で配信を終了するというアナウンスと、その理由が語られている。

同社は月間5000万件のダウンロードを誇るPodcast大手。アナウンスは理由をこう説明する。「企業努力を重ねてきましたが、費用的負担が大きかった」。今後はあらかじめ音声データ全体をダウンロードするのではなく、聴取しながら逐次データを取り込んで聞くストリーミング配信サービス「TBSラジオクラウド」に移行する。
配信番組の数は大きく変わらない見通しだが、リスナーにはこれまで慣れ親しんだ聴取方法の変更を迫ることになる。これを機に、TBSラジオの番組配信から離れるリスナーも出てくるかもしれない。この決断が「苦渋の選択」であることが、アナウンサーの神妙な口ぶりから伝わってきた。
05年の配信開始から「黒字1度もない」
「反発や批判は覚悟のうえでした」。インターネット事業推進室の萩原慶太郎氏は語る。萩原氏はタレントの深夜トーク番組などを担当したこともあるプロデューサーで「ラジオ局の『コンテンツ力』には絶対の自信がある」。それでも事業会社である以上、収益化が存続の前提条件になることはやむをえない。「黒字が出たことは1度もない」というPodcastの配信は放置できなかった。
米アップルの音楽プレーヤー「iPod」で、放送(Broadcast)を聞く。これがPodcastの語源だ。名付け親は明確ではない。愛好者が自然発生的にそう呼ぶようになったとされる。
限られたユーザーのあいだで親しまれていたPodcastが、一般に知られるようになったのは2005年6月。きっかけは、アップルが音楽ソフト「iTunes」に公式のPodcast機能を用意したことだった。お気に入りの番組を登録しておけば、ほぼ自動でダウンロードが完了する。これで普及に火がついた。TBSラジオがPodcast配信を始めたのも、この年の10月だった。
それから10年あまり。TBSラジオが現在配信するのは約40番組にのぼる。情報番組「安住紳一郎の日曜天国」は、ラジオ番組のオープニングトークやゲストコーナーなど30分程度を抜粋してPodcastに配信。深夜番組「JUNK山里亮太の不毛な議論」は、番組終了後にタレントの山里氏が「アフタートーク」を収録し、20分程度のPodcast専用コンテンツとして配信している。iTunesのランキングをみると、いまもトップ20番組のうちの約半数はTBSラジオが占めている。
もともとTBSラジオのPodcast配信の狙いは「ラジオの受信機を持っていない人にも、ラジオの面白さにふれてもらう」ことにあった。ラジオ局の稼ぎ頭はあくまでラジオ放送であり、Podcastは本放送への誘導役。必ずしも稼ぐことが目的ではなかった。
「ダウンロードして聞く」の弱さ
とはいっても、番組をPodcast向けに再編集する手間や、年間数千万円というサーバー代は馬鹿にならない。どうするか。
本命は広告だった。広告料に支えてもらい、無料で配信する。ラジオの本放送と同じビジネスモデルだ。当初はうまくいくかに思えた。実際、2006年頃から一貫して小学館や中外製薬といったスポンサーが現れてくれてはいた。ただそれ以上の広がりは見せない。理由は「ダウンロードして聞く」という配信スタイルにあった。
ネット業界では、ユーザーの属性にあわせて広告を配信するターゲット型広告が当たり前になっている。Podcastではダウンロード数はわかっても、どんな人がダウンロードしたのかはわからない。またダウンロード数がどんなに多くても、実際にどれだけのひとが聞いているのか、いつ、どんなシチュエーションで聞いているかの把握も難しい。「月間5000万件のダウンロード数」とアピールされても、これでは広告主が出稿をためらうのも不思議ではない。
萩原氏は「有料課金制度の導入も検討したことがある」と明かす。ただ制作費やゲストの出演料をまかなうには1つの番組につき数万人単位の有料リスナーが必要で、全員に月額数百円を払ってもらってやっと採算ラインに乗る計算だという。萩原氏は「有料でも聞くよと言ってくれるリスナーもいる。本当にありがたいのだが、それが数万人にのぼるかというと、そうは考えにくい」と話す。
ネットでラジオが聴けるサービス「radiko」の登場も追い打ちをかけた。こちらはPodcastのような番組の抜粋や派生版ではなく、ラジオの生放送をそのままネットで聴けるサービスだ。パソコン版の開始は2010年3月。2ヶ月後にはiPhoneアプリの提供も始めている。Podcastは収益化のめどが立たなかっただけでなく「ラジオ受信機がなくてもラジオを」という本来の狙いも、radikoが担うことになったのだ。
Podcastの巨人、TBSラジオがついに決断した撤退。惜しむ声は業界関係者のあいだに広がった。
TBSラジオより2ヶ月早い2005年8月、放送局として日本で初めてPodcast配信を始めたIBC岩手放送(岩手県盛岡市)。当時、同社メディア企画部でインターネット事業を担当していた上路健介氏(現ジョリーグッド代表取締役)は「2005年は、ラジオはラジオ、ネットはネットと分かれていた時代だった」と振り返る。「業界ではネットは敵という認識すらあった。Podcastの黎明期から業界をリードしてきたTBSラジオの撤退は、率直に言って寂しい」
文化放送で新規ビジネス開発を担当する片寄好之取締役も「時代の趨勢だな、と感じた」と話す。文化放送にPodcast配信終了の予定はないが、少なくとも今後ネット配信で力を入れる分野とは認識していないという。
新サービスの狙いは「ラジオ版ターゲット広告」
「ユーザーに聴き続けてもらうためには、ネット業界の文脈にあうメディアに生まれ変わる必要がある」。萩原氏は強調する。では、TBSラジオがPodcastの代わりに始める「TBSラジオクラウド」とはどんなサービスなのか。

最大の特徴は、ダウンロード型ではなく、ストリーミング型の配信サービスであること。音声ファイルを聴きたいリスナーはTBSラジオクラウドのウェブサイトにアクセスし、聴きたいタイミングでサイト上の再生ボタンを押す。これで聴取される時間帯がわかる。これだけでも広告主にとっては貴重な情報だ。「夜に聞かれる番組なのでアルコールのCMが効果的」といったことがわかるからだ。
また、過去の放送分を聞くためにはユーザー登録が必要だ。いまのところ記入する属性情報は誕生年と性別だけだが、これだけでも、ユーザー像が見えなかったダウンロード型からは大きな前進だ。
これでも、まだまだ序章にすぎない。TBSラジオが期待が寄せるのが、かつて実現できなかった新しいタイプの音声広告だ。
わかりやすくいえば「音声版のターゲット型広告」というところだろうか。ストリーミングならデータを配信するたびにリアルタイムで内容を編集できる。リスナーの属性や番組の聴取履歴をもとに広告を自動で流し分ける仕組みが可能になる。
音楽番組を例にとってみよう。音声版ターゲット広告なら、番組部分で流れる曲は一緒でも、そのあいだに流れるCMはリスナーの嗜好に応じて変えられる。具体的には、投資情報番組をよく聞くリスナーには不動産のCM、バラエティ番組をよく聞くリスナーにはレジャー情報、などとリアルタイムで選択して配信できる。
広告業界でも、こうした新型の広告商品の取り扱いを加速させている。電通は今年4月、「プログラマティック・オーディオアド」と名付けて営業を開始。博報堂系のネット広告会社DACも今月、音声広告に対応したサーバー「FlexOne APE」の提供を始めた。
地上波でのラジオ放送では難しかった形式の広告でも、ネットを使えば実現できる。今後は「TBSラジオクラウド」だけでなく、radikoを通じた放送でも応用できる可能性が高いといえるだろう。
ラジオ復活の起爆剤となるか
TBSラジオの売上高は2006年3月期に156億円あったが、2016年3月期には106億円まで減った。ビデオリサーチによると、この間にラジオ全局の平均聴取率の合計も約7%から1~2ポイント低下している。苦境が続くラジオ業界だけに、ネット時代にも通用する新型の広告に寄せられる期待の大きさは計り知れない。
「ながら聞き」ができる、出演者とリスナーとの距離が近い――。音声メディアには、音声メディア独特の良さがある。無料だからこそリラックスして聴けるという側面もあるだろう。インターネットの浸透でラジオ業界はいよいよ生まれ変わりを迫られている。TBSラジオによるPodcast撤退も、いずれは「音声メディア復活の狼煙が上がった瞬間」として振り返られるようになるかもしれない。リスナーの1人として、新しい取り組みの成功を祈りたい。
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