ビール市場が縮小するなか、近年日本で人気が高まっているとされるクラフトビール。若者や女性らを中心に新しいビールの楽しみ方として支持を集め、外食店やコンビニエンスストアでの取り扱いが広がっているとされる。ただ、読者のなかには「身の回りではそれほど流行っているようには見えない」と感じる人も多いのではないだろうか。日経ビジネス4月11日号の特集「ビールM&A最終決戦」に関連して取材した米国とオーストラリアは、クラフトビールが日本よりはるかにビジネスとして成功している「ビール先進国」だ。現地での取材や体験を基に、クラフトビールが本当に普及するための条件を探った。

 米国シカゴ市の郊外にある大型酒類専門店。記者が取材で訪れたのは厳しい寒さが続く2月下旬だったが、店内に入った瞬間に目を奪われる光景が広がっていた。ワインやウイスキーもさることながら、膨大な種類のビールが棚に並んでいたためだ。その品目数はざっと目視しただけでも確実に数百種類以上。これまでビール業界の取材を担当してきたが、ほとんどは一度も見たことのないパッケージだった。

隅に追いやられるバドワイザー

 米国でその名を知られるビールはアンハイザー・ブッシュ・インベブ(ABインベブ)の「バドワイザー」やモルソン・クアーズの「クアーズ」などだ。だが、そうしたメジャーブランドはメーンの広い棚のどこにも見当たらず、散々探し回った挙句、店の隅の方にある1区画でやっと見つけた。案内してくれたサントリーホールディングス子会社、ビームサントリーの女性担当者は「ビール売り場で主役となっているのは完全にクラフトビールね」と笑顔で話した。

 クラフトビールは国ごとに定義が異なるが、一般的には希少な原料を使ったり、こだわりの製法で作られたりしたビールを指すことが多い。米国ではクラフトビールのメーカーは年間生産量が600万バレル以下(1バレルは約160リットル)、麦芽100%の主力品を持つといった複数の基準によって定められている。ちなみに日本はクラフトビールメーカーの明確な基準はなく、酒税法で製造免許に必要な年間最低製造量が60キロリットル以上と定められている。

 冒頭で紹介したような驚きの場面は、その後も、取材で滞在した約1週間に渡り続いた。レストランやバーでは都市ごとの名物であるクラフトビールがあり、例えばシカゴではシカゴの醸造所で作られたクラフトビールが楽しめる。ビームサントリーの取材で訪れたケンタッキー州のホテルでは、ウイスキーの一大産地であるにも関わらずご当地のクラフトビールが何種類もメニューに載っていた。このように書くと飲んでばかりいたように思われるかもしれないが、実際、本当に毎晩違うクラフトビールを飲んでいたのである。

小売店の棚にはクラフトビールが大量に並んでいる(写真:常盤武彦)
小売店の棚にはクラフトビールが大量に並んでいる(写真:常盤武彦)
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「地産地消」が完全に定着

 米国のクラフトビールメーカーが参加する業界団体「ブリュワーズ・アソシエーション」(BA)の公表資料によると、2015年のビール市場の販売量は前年比0.2%減少したのに対し、クラフトビールの販売量は前年比で12.8%増。数量ベースでビール市場全体の12.2%を占め、金額ベースでは21.1%にも達する。これはクラフトビールが比較的高単価で価格競争にも巻き込まれにくいためだ。全米にある醸造所の数は一説には4000以上とも言われる。

 高成長を支えるのが、活発な新規参入と「地産地消」の定着だ。BAによると、米国では年間数百の醸造所が立ち上がっており、千数百が開業を準備しているという。当然すべてがビジネスとして成功するわけではないが、参入が相次ぐことで業界が活性化し、メーカー同士が切磋琢磨することで商品力やマーケティング力に磨きをかけている。

 さらに、前述したように都市ごとにウリとなるクラフトビールのブランドが存在し、観光客だけでなく地元の人々も好んでそうした「自分たちのブランド」を小売店や外食店で購入している。新陳代謝と一定以上の数量がきちんと消費される環境が整っているからこそ、金額ベースで2割を超える規模にまでなったと言える。

危機感強める大手

 こうした状況に対し、大手メーカーの危機感は強い。特集でも触れたが、ABインベブは近年矢継ぎ早に複数のクラフトビールメーカーを傘下に収める一方、卸業者にインセンティブを支払い、競合するクラフトビールを小売店の棚から締め出そうとしているとの観測も広がる。「サミュエル・アダムズ」で知られるボストン・ビールが売上高で年1000億円規模に成長するなど、有力メーカーが存在感を高めているためだ。

 一方、クラフトビールの成長力を大手が積極的に取り込み、収益の柱に育てようとしている動きもある。同じく特集の取材で訪れたオーストラリアのビール業界だ。同国でも、ビール市場は微減が続くなかクラフトビールは金額ベースで市場全体の5~6%を占め、年率20%以上で伸びている。

 「我々は常に顧客のニーズを探り、新しい挑戦を続けているんだ」。シドニー市内の小型醸造所を誇らしげに案内しながらこう強調したのが、オーストラリアのビール業界で名醸造家として知られるチャック・ハーン氏。1970年代には米大手のクアーズ(現モルソン・クアーズ)に勤務し、1980年代からオーストラリアに移っていち早くクラフトビールの製造を始めた人物だ。

チャック・ハーン氏は「クラフトビールはきちんと利益を上げられるビジネスであることが重要」と強調する(写真:的野弘路)
チャック・ハーン氏は「クラフトビールはきちんと利益を上げられるビジネスであることが重要」と強調する(写真:的野弘路)
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 当初は自前で醸造所を運営していたが、1993年に現地ビール大手のライオンネイサン(現キリンホールディングス傘下のライオン)が同醸造所を買収。同時にハーン氏はクラフトビールの開発・製造に関して全権を任され、有力な商品を次々に生み出していくことになる。

資金・生産で大手が全面バックアップ

 商品開発などを行う小型醸造所はホップの豊かな香りが漂い、大手のビール工場とは趣が異なる。ここでハーン氏らはラズベリーやワイン酵母など使用する原料にも工夫を凝らし、季節ごとに新商品を投入するなど顧客の開拓も積極的に進めている。現在、クラフトビールの主力ブランドとして展開する「ジェームススクワイア」や「マッドブルワーズ」は大きな人気を集めており、小売店やビアレストランでは定番の商品となっている。

 ここでのポイントは親会社であるライオンが、クラフトビールを重要な収益源として捉え育成しようとしているところだ。ハーン氏の手掛けるクラフトビールではライオンが前面に出ることはなく、商品開発の自由度も非常に高い。一方で資金面でのバックアップはもちろんのこと、生産面でも一定量以上に増えてきた商品についてはライオンの工場に生産を移し、品質などが変わらないよう細心の注意を払いながら安定供給できる体制を築いている。

 ライオンはこのほかにも、2012年には有力クラフトビールメーカーのリトル・ワールド・ビバレッジを買収するなどクラフトビールへの投資を強化してきた。ライオンのスチュアート・アーバインCEO(最高経営責任者)は「クラフトビールは我々にとって極めて重要なカテゴリーであり、我々にはより価値のある商品を提供していく能力と機会がある」と強調。ライオンのグループで扱うクラフトビールはカテゴリーでのシェアが40%に達している。

オーストラリアではクラフトビールの専門店が急増している(写真:的野弘路)
オーストラリアではクラフトビールの専門店が急増している(写真:的野弘路)

 同様の動きは他の大手にも広がる。「フォスターズ」などを持つSABミラーもオーストラリアでクラフトビールの展開に注力してるほか、アサヒグループホールディングスも現地で2015年にクラフトビールメーカーを買収した。「大手の傘下企業がつくるビールを『クラフト』と呼べるのか」との意見もあるだろうが、現状では、商品開発などで独立性を持たせつつ、成長をサポートするという面が強い。クラフトというコンセプトが損なわれてはいないように感じられる。

品質面の努力怠った「地ビール」

 翻って、日本のクラフトビールの状況はどうか。醸造所は2015年時点で約220カ所とされ、ビール全体に占めるシェアは1%程度と推定される。普及の度合いで言えば米国はいうに及ばず、オーストラリアとも相当な差があるのが現状だ。ビール先進国と比較しながらその理由を分析してみると、いくつかの課題が浮かび上がってくる。

 前述したように、日本の酒税法はビールを製造・販売できる製造免許に必要な年間最低製造量を60キロリットル以上と定めている。これは1994年の酒税法改正による規制緩和で年間2000キロリットル以上から引き下げられたもので、これをきっかけに日本でもいわゆる「地ビールブーム」が訪れた。だが、最盛期に300カ所以上あった醸造所はその後減っていくことになる。

 最大の要因は各メーカーがビジネスを確立できるだけの環境を整えられなかったということだ。例えば相次ぎ参入したメーカーの多くは、地ビールを観光客らを集客するための商品と位置付けて物珍しさを訴求。継続して顧客の心を掴むための品質面を磨く努力をしなかった結果、ブームが一段落するとともに客足が遠のいたとの指摘がある。

 加えて、最低製造量のハードル引き下げも、新陳代謝の促進という意味では必ずしも十分ではなかったと言える。実はビールではなく使用する原料やその比率などが異なる「発泡酒」であれば年間最低製造量が6キロリットル以上でビジネスができるのだが、こうした複雑な酒税法上の規定も米国のような活発な新規参入を実現しにくくしてきたのではないだろうか。

大手4社の経営姿勢にも不振の要因

 さらに、日本のビール大手4社の経営姿勢にも要因を求めることはできる。ビールは巨大ブランドを大量生産・大量販売する装置産業としての面が強く、これは万国共通だ。ただ、欧州などでは伝統的に多種多様なビールの在り方を認めて育てる風土があり、オーストラリアでライオンがハーン氏の醸造所を買収して支援したように、大手によるバックアップも時として重要になる。一方で、日本においては一部に技術支援などの取り組みはあったものの、こうした姿勢は不十分だった。

キリンビールはヤッホーブルーイングと提携した(写真:Bloomberg/Getty Images)
キリンビールはヤッホーブルーイングと提携した(写真:Bloomberg/Getty Images)

 近年ではキリンビールがクラフトビールの有力メーカー、ヤッホーブルーイング(長野県軽井沢町)と資本業務提携し、自社でもクラフトビール事業に乗り出すなど米豪などに学びながら同分野を伸ばそうとする動きは目立っている。クラフトビール専門のビアレストランの出店が増えていたり、コンビニでもローソンなどが取り扱いを増やしたりと市場拡大の兆しはある。「以前の『地ビール』の頃に比べ、日本のクラフトビールは確実に味の水準が上がっている」とのも声もある。

 ただ、今後一層の普及が進むかは現時点では未知数の部分も多い。「地産地消」「新陳代謝」「大手との連携」といった課題をクリアし、変わりやすい消費者の心を捉えるべく、関係者による創意工夫や環境整備が不可欠となる。

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