熊本県一帯で4月14日から断続的に大地震が続いている。震度7の大きな前震のあとにさらに大きな本震があり、被災者の方々も、被災地に家族友人がおられる方々も眠れぬ夜が続いていることだろうが、少なくとも東日本大震災のような津波や原発事故の類は18日現在起こっておらず、どうかこのまま、余震が収束し、犠牲者に静かに哀悼が捧げられ、残された方々に少しでも安寧がもたらされ、そして一刻も早く復興にとりかかれるようにと、祈り続けている。
東日本大震災を揶揄した中国人、熊本地震では…
ところで今回の大地震に関しては、中国人がずいぶんと心を寄せてくれているようだ。台湾人が日本の地震災害に毎回、ものすごい額の義援金(普通のビジネスマンでも、平気で1カ月分の給料などを寄付してくれる!)や関心を寄せてくれるのは、よく承知しているが、今回は多くの中国人が、インターネットの微博などのSNSで熊本への心配と応援を文章やイラストで表現しているのを見て、失礼ながらちょっと意外な気がした。
というのも、2011年の東日本大地震のときは、中国でこういった被災地応援のネットブームは、すぐさまは起きなかったと記憶しているからだ。あの時は、むしろ先に「ざまあみろ」式の揶揄がネットの話題となり、良識のある中国人記者や中国人知識のそれを諌めるコメントが散見された。これに対して台湾が外国の中で最高額の義援金を寄せてくれたことが、いかにも中国人と台湾人の違い、と言う形で日本人に印象づけられたのだった。
熊本地震に関しては、中国で「小日本が大地震に襲われたので宴会を開いた」といった意地悪なSNS投降もないわけではないが、それを上回る勢いで、傷ついた熊本県の“ゆるキャラ”くまモンを慰めるイラストやメッセージが流れたのである。
なぜ、今回の熊本地震に関して、中国人がここまで同情と関心をよせてくれるのか。
一つの背景は、2011年春と2016年春の日中関係の状況がかなり違うからだ。
2011年春は、2010年秋に、尖閣諸島海域で中国漁船衝突事件が起き、中国人船長が逮捕されるという事態に引きずられて、中国人の国民感情の表現が極めて“反日的”であった。この“反日感情”は、2012年秋の中国政権交代を控えた習近平サイドと現役政権の胡錦濤サイドの政争に利用される形で煽られ、中国各地で日系企業やショッピングセンターが打ち壊しや焼き討ちに遭う反日デモ暴動に発展するわけで、その詳細については拙著『権力闘争がわかれば中国がわかる』(さくら舎)などをお読みいただければと思う。
反中の台湾、香港から、日本へ流れる観光客
一方、2016年春は、2014年から続く中国の訪日旅行ブームが最高潮に達し、もともと中国人の日本への関心が高くなっていた。中国の旅行代理店関係者に聞くと、台湾、香港での反中意識の高まりや、韓国における北朝鮮危機の高まりから、昨年まで台湾、香港、韓国に流れていた中国人観光客まで今年の春は日本に流れる傾向にあり、何より日本側のインバウンドの努力もあって訪日ツアーがダントツに種類も多く値段もリーズナブルになったことが訪日旅行ブームの一因だという。
日本は欧米や東南アジアに比べてテロの危険も少なく、反中感情も他国と比べれば表面化しておらず、環境汚染も少なく、お買い物も楽しい。中国人の日本への親近感は2011年当時に比べるとぐっと高くなっている。
別に中国人だけをターゲットにしているわけではないが、外国人観光客誘致で大活躍しているのが、各地の“ゆるキャラ”であることは疑いないだろう。中でも熊本県のくまモンは、中国語で“熊本熊”“熊萌”と呼ばれ、ダントツの人気である。実際、くまモンは、中国や香港でも“営業”しているし、それが熊本のキャラだと知らなくても、あの“ほっぺの赤い熊”といえば、見たことがあると答える人は多い。
もともと、中国語の“熊”には、おバカな人、無能、といったニュアンスがある。北海道の道路標識の「熊出没注意」などは、中国語では「おバカな人に気づきません」といった意味に取れ、このステッカーを北海道土産に買って帰ると大ウケする。車に貼れば、「注意力が足りない無能な運転手」という意味になり、若葉マークのない中国では、運転初心者が周囲への注意喚起で貼ることもあるとか。
中国人は“稼げる熊”がお好き
このちょっと愛すべきおバカなイメージは、くまモンのキャラと完全に重なり中国人の琴線に触れたようでもある。だが、くまモンは無能そうな見た目と違い、2012年には周辺グッズの売り上げ300億円近くある“稼げる男”であり、こういうギャップも、中国人がくまモンが好きな理由かもしれない。
中国人は基本、無能者よりは“有能で稼げる男”が好きである。なので、今回の大地震の被災地が熊本というと、くまモンの故郷だ、くまモンが被災した、と中国人にとっても非常に身近に感じることになった。実際、くまモンブームの影響もあって、中国人には阿蘇山ツアーなども大人気で、今回も南阿蘇の温泉地で中国人団体客20人が孤立し、ヘリコプターで救出された事態があった。
日本、そして熊本に対するこうした中国人の親近感は、SNS上に、傷ついたくまモンや悲しんでいるくまモンを、パンダが慰めたり励ましたりするイラストや、くまモン頑張れ、といったメッセージの形であふれるようになった。イラストの中には、パンダが「私たち、みんな熊だもの」とキャプションがついていた。この慰めの言葉を素直に受け取りたい。
中国の現政権が反日志向であることは、2011年も今も基本的に変化はない。だが中国の国民感情には変化がある。こう考えると、観光旅行という民間の商業活動・交流が、政府の外交を上回る効果を発揮したのだと解釈できる。
日本の場合、商業活動は、本来は政治と無関係だが、ときに政治的にも大きな意味や効果をもつこともあるのだ。中国の場合、すべてが「党の指導」の名のもとに行われるので、観光のような商業活動といえども政治の影響を受け、たとえば台湾への中国人旅行の激減は政治のせいだ。だが、中国人の今の訪日旅行ブームは、習近平政権の反日志向に反して起きている。習近平って反日なの?と疑問に思う人は、くどいようだが「権力闘争がわかれば中国がわかる」を読んでほしい。
簡単に説明すれば、習近平は“反日”を権力闘争、権力掌握に利用しようとしてきた。2013年1月の中国海軍が自衛艦に対しレーダーを照射しロックオンした事件は、習近平は無関係の現場の独断、という形で日中ともうやむやにしてしまったが、その後に漏れ伝えられるさまざまな情報を総合すると、やはり習近平が軍の権力掌握を進めるために東シナ海で局地的な准戦闘状態を引き起こそうと日本を挑発したというセンが今のところ一番強い。
だが、この作戦は結果的に日本側の忍耐により失敗し、むしろ米国に中国の海洋覇権に対する強烈な警戒心を生み、尖閣問題が日米安保の対象であるとオバマ大統領が明言する決定的な契機となった。そこで、習近平が軍権掌握のために行う局地戦の場所を、南シナ海に移そうとしたのが今の南シナ海の現状である、と言われている。この場合、中国が具体的に戦火を交えたいターゲットとしているのはフィリピンのもよう。米国は中国の意図に気づいたので、フィリピンとの軍事協力強化に動いた。これに対して、中央軍事委員会副主席(解放軍制服組トップ)の范長竜が南沙諸島を米国牽制のために訪問した。
習近平の反日を、さらっとスルー
習近平政権の反日志向は今にいたるまでぶれていない。習政権が日本の尖閣諸島に対して虎視眈々としていることは変わりなく、中国政府自身は、日本が大地震に見舞われて大変だからといって、気を回して尖閣周辺海域での中国海警船の挑発航行を控えるというわけでもない。熊本地震後も、尖閣諸島沖合の接続水域で中国海警船は挑発航行を続けている。だが、2016年春、いま習近平政権とガチで対立しているのは米国(とフィリピン)であり、だから、習近平政権の“反日志向”をさらっとスルーして、日本の製品を礼賛することも、訪日ツアーの魅力を語ることも、熊本への同情と応援の気持ちをネットのSNSで声高に表明することも、政治的にはセーフと見られている。
こうして見てみると、政権の反日志向と、中国人個人の対日感情はもともと別物である。政治的風向きに関して敏感な中国人は、政権が反日的なメッセージを発すれば、それに乗って反日的な言動をとる。それは、あくまで独裁的な政権下での保身のために身にしみついた習性といえる。そういう言動をとる人が心底、反日というわけでもないのだ。
では、政権が反日的メッセージを発しているにもかかわらず、あえてネットで日本への親近感を表明する場合はどうだろう。それもむしろ、心底親日というよりも、政権の発するメッセージをあえて無視することに意味があるのかもしれない。非常に消極的な政権への批判を無意識に込めているという意味で。最近、政権サイドが懸命に日本批判メッセージを発しても、国民の方が乗ってこなくなり、中国共産党は日本を北京ダックのように骨から皮までおいしく利用している、といった揶揄がネットで流れるようになったのは、つまりそういうことなのだと、私は感じている。
繰り返しになるが、中国人にとって、愛国心というのは、独裁政権下で平穏無事に暮らしていくための建前であって、本音ではさほど強い共産党政権への忠誠心は持っていない。習近平政権が個人崇拝キャンペーンを仕掛け、庶民的な肉まん屋で行列に並んで肉まんを買ったり、自分自身をゆるキャラ風のアニメキャラクターにして「習大大」(ビッグダディ習)のあだ名を広めるといった若者向け宣伝工作に力を入れたりしているものの、実際のところ「庶民の間で習近平が大人気」という現象は、作られたブームであり、庶民としては無意識の保身の習性からそのブームに乗っているだけだと私はみている。
だから習政権の最近の政策や言動にほころびが出始めると、地方の農村はともかく、都市部の知的なネットを愛好する階層の間では、急激に習近平のやり方に批判的な気持ちが浮上する。もっとも、それを公然と口にすることができないので、習近平のあからさまな反日志向を無視する形で、ネット上で日本の製品が素晴らしいと礼賛したり、日本に旅行に行きたいといってみたり、くまモンカワイイ、と言ってみたりする。日本の熊本で大地震が起きれば、みな哀悼や同情や関心を寄せ、くまモンがんばれ、と声高にメッセージを送るのである。
「くまモンがんばれ」は外交的勝利
だからといって、中国人からネットを通じて寄せられる被災地熊本への応援メッセージに心がこもっていないというつもりは毛頭ない。大地震での苦しみは中国人もたびたび経験しており、この同情と共感は本物だ。そういうものは、私たちが政治的にどのような状況であれ共有できるのだ。だが、それを声にして日本人に伝えるという行動の端に、政治的な中国人の事情というものも垣間見える。
私たち日本人は、この中国人の同情と共感を感謝とともに受け止めつつ、隣の国の複雑な政治状況というものに、少し思いをはせることも必要だと思う。そうすれば、万が一、国家同士が激しい対立状態に陥っても、日頃、人として接する中国人をむやみに憎んだり恐れることもないだろう。そして政権同士の外交が対立のあまり暗礁に乗り上げていても、商業活動や民間交流、SNSでの普通の人々のコミュニケーション能力や発信力がその対立を乗り越えて外交的効果を発揮することが、しばしばあることを改めて認識することだ。
ゆるキャラとして、商業的にプロデュースされたくまモンが、政治的に作られた習大大より中国人の心をとらえたとしたら、これもやはり日本の外交的勝利だ。
そういう政権とは無関係なところでの民間の外交力が、意外にも紛争への歯止めになったり、震災復興での支えになったりするということを今、思い起こしておこうと思う。
『SEALDsと東アジア若者デモってなんだ! 』

日本が安保法制の是非に揺れた2015年秋、注目を集めた学生デモ団体「SEALDs」。巨大な中国共産党権力と闘い、成果をあげた台湾の「ひまわり革命」。“植民地化”に異議を唱える香港の「雨傘革命」――。東アジアの若者たちが繰り広げたデモを現地取材、その深層に迫り、構造問題を浮き彫りにする。イースト新書/2016年2月10日発売。
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