
今回はまず、参議院インターネット審議中継にアクセスし、ページ左側の「厚生労働委員会」をクリック、「開会日:2016年5月23日」→「発言者:岡部宏生」と進み、動画をご覧頂きたい(ポイントだけ見たいと言う方は、動画ページ下部「発言者一覧」にある「岡部宏生(参考人 一般社団法人日本ALS協会副会長)」をクリックしてください)。
これはALS(=筋委縮性側索硬化症)の患者で、日本ALS協会副会長の岡部宏生さんが、23日の参議院の厚生労働委員会に参考人として出席したときの様子である。
私はこれほどまでに、コミュニケーションの真髄を教えてくれる映像を見たことがない。岡部さんと介護者の方の間に存在する信頼感、質問する政治家たちの岡部さんへの敬意、そこにいるすべての人が、岡部さんの「内なる声」に必死に耳を傾けている。
いつもはヤジが飛び交い騒がしい委員会が、厳粛な空気に包まれ、温かいというかなんというか、感動した。
ついつい私たちはコミュニケーション不全の原因を、伝える側だけの問題に矮小化させてしまいがちだが、受け手が「この人は何を伝えようとしているのだろうか?」とアンテナを張り巡らし、相手のしぐさ、表情、紡ぎ出された言葉、その一つひとつに込められた相手の“メッセージ”を受け止めようとする姿勢が必要不可欠。
立場を超えた敬意なくして、満足のいく会話も、共通理解も、真のコミュニケーションも、成立しない。それを是非、みなさんに感じて欲しくて、冒頭から映像をご覧頂いた次第だ。
「答弁に時間がかかる」でALS患者を排除
今回の「問題」はご存知の方も多いと思うが、ちょっとばかり振り返っておこう。
5月10日の衆議院厚生労働委員会に、岡部さんは参考人として出席する予定だった。ところが、「答弁に時間がかかる」という理由で、出席を拒否されたと報じられたのだ。
岡部さんの代わりに招かれた、同協会常務理事の金澤公明氏は、冒頭の意見陳述で以下(一部抜粋)の「岡部氏のコメント」を読み上げている。
「国会の場はまさに国民の貴重な時間と費用の極みだと認識しております。
その国民の中には私たち障害者も存在しています。
国会の、それも福祉に関する最も理解をしてくださるはずの厚生労働委員会において、
障害があることで排除されたことは、
深刻なこの国の在り様を示しているのではないでしょうか」
……、実に重い言葉だ。
「(岡部さんの健康状態を配慮し)答弁に耐えられるかどうかをおもんばかった」だの、「いいや、参考人を差し替えたのは民進党」だの、与野党は必死で言いわけをしていたけど情けない話だ。
「ALS」という病名は、一昨年、バケツに入った氷水をかぶる「アイスバケツチャレンジ」がブームになり、広く知られるようになった。ところが、NHKが行った調査で、アイスバケツチャレンジのことは62%が知っているのに対し、ALSという病気について知っている人はわずか22%で、「なんのため」に水をかぶっていたかを知らなかった人もいたそうだ。
ふむ。単なる罰ゲームとでも思っていたのだろうか?
患者数が年々増加している難病ALS
私が、ALS患者さんが独特のコミュニケーション手段で「内なる声」の表出を行い、人工呼吸器が命綱であることを知ったのは、今から10年ほど前。大学院の研究室の同期が、ALS患者の困難さと心の支え、生きる力に関する研究を行っていたのである。
患者は発症後、運動機能を失い、声を出す力も、食べ物を胃に送りこむ力も喪失する。日常の生活、仕事、収入、地位、役割など、それまで築き上げてきた社会的資源も次々と喪失し、精神的にもきつい状況に追い込まれる。
難病ゆえの人間関係の変化や周囲の偏見の“まなざし”に耐え切れず、自己の殻に閉じこもり孤立に陥る人も少なくない。
発症は50歳以上の中年層で多く、男女比は2:1。年々患者数が増加していて、難病情報センターの調べによると2014年度の患者数は約1万人で、1985年度(1714人)の5倍以上になっている。
治療法はまだ確立されていないが、人工呼吸器をつければ命を維持することが可能だ。
※現在は、IPS細胞を利用した治療法や新薬開発も進んでいる
しかしながら、人工呼吸器装着は家族や介護者に膨大な労力や経済力の負担を強いるため、「装着しない」という選択をし、生きるのをあきらめる患者も多いとされているのである。
「合理的配慮」の真の意味
さて、そんなALS患者の代表として出席した岡部さんの「内なる声」は、私たちの問題にも通じるとても貴重なものだった。
ところが残念なことに多くのメディアは、「参議院の委員会に出席した」という事実と、「障害者や難病患者への合理的配慮に取り組んでほしい」と、岡部さんが訴えたことだけを伝え、深く論じることはなかった。
与野党のすったもんだを「差別だ!」と糾弾する以上に、岡部さんが「何を語ったのか?」を知ることが大切なのに、もったいない話だ。
そもそも、「合理的配慮」という言葉の意味を、どこまでわかっているのだろうか。
「合理的配慮(=reasonable accommodation)」は、障害者だけではなく、LGBT 、女性活用、介護離職、ガン患者など、「今おこっている」さまざまな問題を考える上で極めて重要な概念である。
一見、「わかったつもり」になりやすい言葉だけに、この言葉の意味はきちんと理解しなければならない。
「サポートの選択」+「本人の意志」
「(障害者が生きていくには)その人なりのサポートの選択ができることが大事だと考えます。そして、障害者自身も、その能力に合わせた努力が必要です」
これは岡部さんが意見陳述で述べた言葉だが、合理的配慮はまさしくこういうことだ。
「育児と仕事を両立させるには、その人なりのサポートの選択ができること。そして、ワーキングマザーも、その能力に合わせた努力が必要である」
「がん患者が治療と仕事を両立させるには、その人なりのサポートの選択ができること。そして、がん患者も、その能力に合わせた努力が必要である」
「介護と仕事を両立させるには、その人なりのサポートの選択ができること。そして、介護に関わる当人も、その能力に合わせた努力が必要である」
「女性リーダーが組織で活躍するには、その人なりのサポートの選択ができること。そして、当人も、その能力に合わせた努力が必要である」
こんな具合に、「障害者」の部分を他の言葉に置き換えれば、この概念が私たちの身の回りの問題を解決するために欠かせないものであることがわかる。
つまり、合理的配慮とは、「『ここ』に配慮してくれれば、元気に働けるよ」という考え方を基準にしている。
意見陳述は、「障害のない人」となんら変わりがなかった
「個人の能力が発揮できる環境」を、社会が配慮する。本人はその環境の中で最大限に努力する。
例えば、今回の委員会は、岡部さんの『ここ』に配慮し、岡部さんは最大限に努力し、その結果、答弁は「障害のない人」となんら変わりなかった。
委員会後の記者会見で、「突然の質問には焦りましたが、介護者の方たちのおかげできちんと答えることができました」と語っていたけど、岡部さん自身が、配慮された環境の中で最大限に努力し、能力を発揮したのだ。
おそらくあの場にいた人たちのALS患者への“まなざし”は、180度変わったに違いない。もちろんいい意味での変化。
「なんら問題ないじゃないか。なんで衆議院では拒否したんだよ」
そんな思いに至った人が多かったのではないだろうか。
合理的配慮は「障害者のため」だけの概念ではない
合理的配慮が社会に広がれば、多様な働き方が可能になる。
育児休暇、時短勤務、介護休暇など、制度だけを作るのではなく、フルタイム勤務のときと同等の能力を発揮するのに必要なサポートと環境を、「本人と話し合い」のうえで提供する。
ワーキングマザーAさんが、子供の送迎のため「出社時間を遅らせること」が必要で、「残業は絶対にできない」というなら、会社側は「それを認める」措置を図る。そして、「持ち帰り残業」が出てしまった場合には、企業側はそれを「残業」と認め、残業手当を払う。
一方、Aさんは、配慮された環境の中で最大限に努力する。言い訳は通用しない。「私には時間がないから、ムダな会議にはアナタが出て」などと、シングルの同僚に身勝手な理由で仕事を押し付けるようなことも、当然許されない。
もし、パフォーマンスが落ちてしまったら、そこで初めて会社は、「配置転換」などの話し合いを提案できる。
合理的配慮の下では、「子供ができた? じゃ、今の部署はムリ」とか、「時短勤務? だったら責任ある仕事は任せられない」と言われることもないので、マタハラは存在しないのだ。
そもそも「reasonable accommodation (合理的配慮)」は、「障害者のため」だけの概念ではない。米国で生まれ、最初に用いられたのは、宗教差別の場面だった。
1964年、米国では、人種、皮膚の色、宗教、性または 出身国を理由とする「雇用の全局面における差別」を、公民権法で禁止。ところが、労働者の宗教上の戒律から(安息日など)、雇用者の方針や基準と衝突する問題が度々おきた。
そこで、1972年の法改正の際に採用されたのが、「合理的配慮」の概念だったのである。
その後、1990年に合理的配慮を中核にする、「障害による差別を禁止する適用範囲の広い公民権法」であるADA(Americans with Disabilities Act)が制定され、欧州に広がりをみせる。2000年にはEU全体で、一般の雇用均等法の中に含むべき問題と認識されるようになり、2006年に国連の障害者権利条約にも組み込まれた。
社会モデルであれば、その人の強さを引き出せる
日本では伝統的に、障害を「医学モデル」で捉えてきたが、合理的配慮は「社会モデル」を起源としている。
医学モデルでは、弱者のために「特別枠」を作るが、社会モデルではそれをしない。前者では問題を「個人」に、後者はそれを「社会」に向けるのである。
医学モデルでは、どんなに本人が「こういった配慮があれば、きちんと働けます!」と意志を示しても、「キミのために会社はあるわけじゃない」と拒絶することが可能で、その代わりに「この枠の中で、やってね」と、区別する。
岡部さんは委員会での答弁の冒頭、
「私のような重度の障害者が、こうやって生きていることができる国は、世界のどこを探しても日本以外ありません。そのことを誇りに思っています」
と語っていたけど、それは日本が障害者問題を医学モデルで取り組んできた結果なのだ。
一方、社会モデルには特別枠が存在しないため、「差別ではない、区別だ」という言い訳が通用しない。
前者は弱さをいたわり、後者は強さを引き出すモデルなのだ。
どちらがやさしい社会なのか? それを即答するのは難しいかもしれない。
だが、社会モデルのほうが、生きる力が強まる社会だと私は思っている。
「深刻なこの国の在り様」――。それは配慮を拒絶し、生きる力を萎えさせる在り様なのかもしれません。
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