米リーマン・ブラザーズの破綻から2カ月。金融危機は金融市場の機能不全から実体経済へ影響を及ぼし、「100年に一度」「大恐慌の再来」といった言葉が聞かれる。

 1929年の株価大暴落に始まった大恐慌が、今再び目の前で現実のものとなるのか――。世界中は不安におびえ、縮こまっている。

 先の見えない危機に瀕したわれわれにできることがあるとすれば、それは歴史に学ぶことだ。

 この2回のシリーズでは、慶応義塾大学の竹森俊平教授と早稲田大学の若田部昌澄教授による対談を通し、世界を覆う金融危機について経済史をひもときながら考えてみる。

 1回目では金融危機について改めて解説。最近の研究に基づいた大恐慌の解釈と、われわれが大恐慌から学ぶべき点とは何かについて語っていただいた。


 ―― 米国発の金融危機は世界を駆け巡り、欧州、日本、そして高成長を続けてきた新興国の実体経済にまで影響が及んでいます。「1929年の大恐慌に匹敵する」と言われたり、米連邦準備理事会(FRB)の前議長アラン・グリーンスパン氏が「100年に一度の津波」と言ったりしていますが、今われわれが直面している“危機”とは経済史の視点から見ると、どのように位置づけられるのか、そこからお話しいただけないでしょうか。

「大恐慌」以来の危機というのは本当なのか?

竹森 俊平(たけもり・しゅんぺい)氏

竹森 俊平(たけもり・しゅんぺい)氏
1956年東京生まれ。慶応義塾大学経済学部教授。81年同大学経済学部卒業、86年同大学院経済学研究科修了。89年米国ロチェスター大学経済学博士号取得。主な著書に『経済論戦は甦る』(第4回読売・吉野作造賞)、『世界デフレは三度来る』(上・下)、『1997年―世界を変えた金融危機』『資本主義は嫌いですか』ほか(写真:大槻純一、以下同)

 竹森 ハロルド・ジェームズ(プリンストン大学教授。著書に『グローバリゼーションの終焉』)が最近、フィナンシャル・タイムズに書いていたことだけれども、今、起きている規模の金融危機というのは、歴史上なかったと考えた方がいいと思います。1930年代よりも金融危機としては深刻だというのは確かです。

 ジェームズは、大恐慌の欧州では、産業に対する貸し出しの7割を持っていたというオーストリアのクレジットアンシュタルト銀行はじめ、非常に大きな金融機関が破綻した。その一方、米国では中小の金融機関は破綻したが、大きなところは破綻しなかったと言っています。

 若田部 あの大恐慌でも、大きな銀行が破綻したのはごく一部の国で、米国でも大きな金融機関は生き残っていたというわけですね。

 竹森 それに対して、今回はいきなり中心部分がばたばたと倒れた。9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻からの1週間というのは、メリルリンチがバンク・オブ・アメリカに買収されることになって、次の日にAIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)が救済されて、その翌週末にワシントン・ミューチュアルが救済合併された。金融システムの真ん中から問題が起こったというこの危機は、本当に新しい出来事と言っていいと思います。

 若田部 そうですね。実は大恐慌の時は、英国やカナダでは金融危機が起きていないんです。

 竹森 せいぜい預金の引き出しはあったけど、完全に潰れるまでにはいかなかった。

 若田部 例えば英国は、大恐慌の時にはかなり素早く金本位制を停止して離脱するということが可能でした。

 今回の危機はやはり史上最大級の金融危機であるのは事実で、竹森先生がおっしゃったように、いきなり心臓が止まるようなことが起きたという感じですね。

短期の借金がロール・オーバーできなくなった

 ―― 史上最大級と言っていい金融危機に世界中の人たちが直面しているわけですが、その原因としてサブプライムローン問題が第一に挙げられています。そもそもなぜ、これほどの危機が起きたのか、その原因について改めて先生方に解説していただけないでしょうか。

 竹森 今の危機というのは、証券会社の投資行動の脆弱性が出たということです。証券会社、あるいは金融機関でも証券会社と同じような行動を取っていたところに発生した。資金集めの際、銀行の場合は預金があります。取り付け騒ぎがあれば大変だけれども、預金保険があるので小口の場合は一応安定しています。

 ところが証券会社の場合は短期の証券を発行して資金集めをしなければならない。それを長期の証券で運用をして、その間の利ざやを取ってくるわけです。

 最近、証券会社がやっていることは、長期の投資と同じ条件を担保にして短期で借りること。もう売った次の日は買い戻すというようなことをするわけです。しかしこんなことをしていると短期の借金がロール・オーバー(借り換えによる債務の実質的な先延ばし)できない、繰り延べできなければ危ない。

 このように転がしている証券が、少し前まではAAAという格付けを与えられていた。その信頼があり、マーケットでも転がっていた。

 ところがある時、一気に信用がなくなって、まず証拠金が上がった。それでロール・オーバーしようにも、証拠金を積まなきゃいけない。その証拠金が100%になる、要するに借りられないという状態になった。それでみんな資金繰りに詰まった。

格付け会社の「腕を締め上げた」運用側

 ―― なぜそのような危ないことをしたのでしょう。

 竹森 私はやっぱり利潤追求と競争ということがあると思うんです。金融機関のフィーの構造が根底にある。資金の運用を頼む年金基金などのインセンティブから考えても、収益を上げれば上げるほどそのファンドの人気が上がる。ただし、あんまり危ないものでは誰もお金を預けるわけにはいかないから高い格付けを付けたい。そのために格付け機関に“AAAにしてくれ”と言った。

 格付け機関が悪いと批判されますけど、運用する側が格付け機関の腕を締め上げて、「AAAを付けてくれなかったら、お前の代わりにフィッチ(レーティングス)に行くぞ」とムーディーズに言ったわけです。ちょっとでも利ざやを稼いで、自分の相対的な業績を良くしようというインセンティブが運用側に強かったことは否めないと思います。

 若田部 竹森先生がおっしゃったように、運用する側が格付け会社の「腕を締め上げる」一方、格付け会社の方も、格付けしないとフィーがもらえない。その結果インセンティブの構造がゆがんでしまった。これは今後の市場経済をどう設計するかを考える時に、非常に重要な論点になってくると思います。

 もう1つはやはりサブプライムローン問題の部分です。この部分をどの程度原因と見なすのか――。つまり単なるきっかけだったのか、それとも、もう少し重要な要因だったのかです。

「新しいもの」を探した時の格好の材料がサブプライムだった

 竹森 サブプライム問題が出てきたのは、住宅バブルの時代と絡んでいます。金融機関が探しているのは、今までは危険だと思われた部分も、こうすれば安全になると言える新しい商品です。そんな時、審査を全然しないローンというのがあった。そして入手できる統計で見る限りは、デフォルトもそれほど出ていない。

 住宅価格が上がっているうちは、家計に所得がなくても、家を売って借金を返した方がいい。また金利が下がっている時は、ローンの借り換えをするから、前のローンは全額返してもらえる。こういった状況では安全性が間違って高く出てくる可能性がある。

若田部 昌澄(わかたべ・まさずみ)氏

若田部 昌澄(わかたべ・まさずみ)氏
1965年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学術院教授。87年同大学政治経済学部卒業、同大学院経済学研究科、トロント大学経済学大学院博士課程単位取得退学。著書に『経済学者たちの闘い』『昭和恐慌の研究』(共著、第47回日経・経済図書文化賞)ほか

 若田部 その意味で言うと金融機関のビヘイビアの変化があって、それと軌を一にするように何か新しいものを探し求め始めた。その過程でたまたまサブプライムみたいなものが格好の材料として選ばれたという感じでしょうか。

 なぜ銀行が証券会社のような行動を取ったのかといえば、大恐慌のさなかに出来た1933年のグラス・スティーガル法が緩和されていったことがあります。これまで分離されていた証券業と銀行業が一緒にできるようになった。

 そこで証券会社がやっていた業務に銀行業が積極的に参入していった。投資銀行はリスクが高くても、よりリターンが高いものに行った。確かに規制緩和の流れが背景にあったというのは否めないと思います。

 一方で住宅市場にフレディマック(米連邦住宅貸付抵当公社)、ファニーメイ(米連邦住宅抵当公社)といった公社が出張っていた。何で公社が出張っているかというと、家を持ちたいという、米国人なら誰もが持つ夢をかなえるのが当然という、政治家の意識です。民主党側も共和党側も、だいぶ前からブッシュに至るまで、持ち家政策というのを一貫して支持してきました。

 竹森 規制緩和論者はファニーメイ、フレディマックという、実際には政府が筆頭株主でもないのにインプリシット(暗黙)に政府の保護が付いているところが、住宅ローンにどんどん出てきて、有利な金利で貸し出しの原資を調達できる。そうすると普通の金融機関は負けるからプライムの市場から押し出され、仕方なしにサブプライムに行った――ということを言います。

 確かに規制論者というか、オバマみたいな立場で言うと、住宅政策をもっと拡大したいから、フレディマック、ファニーメイを拡大させろということになる。果たしてそれが住宅市場を健全にさせる方法なのか。このままファニーメイ、フレディマックは国営会社だというのはいいけど、今度はその国営会社と住宅ローンのマーケットで銀行はどういう競争ができるのか。これはまだ全然解決のつかない問題ですよね。

グリーンスパンの成功と失敗

 若田部 よく言われるグリーンスパン前FRB議長の責任という問題についてはどう思われますか。

 竹森 グリーンスパンの貢献についてはずいぶん書いたこともあって、いろいろ考えました。彼の政策は3つに分けることができます。

 1つは金利の問題です。それは2001年から攻撃的に金利を下げたという判断と、そこで下げた1%台の金利を2005年まで維持したという、この2つがあります。3つ目には金融規制、例えばサブプライムに対する規制の問題です。

 サブプライムのことを非常に強く警告していたエドワード・グラムリッチという元FRB理事がいますが、グリーンスパンは彼らの警告に耳を貸さず、サブプライム規制に乗り出さなかった。

 まず、金利については、今回の危機で米国はとうとう1%まで金利を下げましたが、それを批判する声はほとんどない。やはりバブル崩壊後の景気後退時には、金利をアグレッシブに引き下げなければならないのは、2001年の段階でも事実だったと思います。

 一方、2つ目の2005年まで低金利に据え置いたのが良かったかどうかについては議論の余地があります。例えば米国の財務省にいたジョン・テイラーが、2004年から金利は上げるべきだったと、「テイラールール」(1993年に当時スタンフォード大学教授だったテイラーが提唱した金融政策ルール)からずれていると指摘しています。

 ただ、グリーンスパンとしては、早く上げ過ぎてせっかくの景気が崩れ、デフレでも起こったら大変だという認識があった。グリーンスパンが間違っていたからといって無節操に上げればいいという話ではない。これは非常に高度な難しい判断です。

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