2004年、ニューカッスル大学地理学教室の講師(当時)に採用された中川毅さんは、その翌年、水月湖(福井県三方郡若狭町)の「年縞」をボーリングするためのグラント(科学研究費補助金)、およそ1000万円(当時)を獲得した。

2006年(平成18年)7月1日、後に世界の歴史を書き換えるほどの成果を得ることになる、水月湖の第2次調査が始まった。完璧な「年縞」を得ることを目指す。
作業は、まず水月湖上に巨大な発泡スチロールをベースにした「フロート台船」を浮かせ、その上にヤグラを組むことから開始した。この作業は、西部試錐工業(本社、長崎県)の社長、北村篤実さんの指揮のもとで進められた。


「コア引き抜き」の難も克服
このボーリング作業では、一気に湖底から基盤層までのコアを得るわけではない。1回目、2回目と、少しずつ深い部分の堆積土を得ていくのである。1回目と2回目の貫入の深さは重なる部分があるように進める。たとえば、「1.0~2.0メートル」の次は「1.5~2.5メートル」というように。後にこれらオーバーラップ部分を重ねていくことで、年代の途切れがない長い「連続」したコア、「年縞」を得ようというのだ。
1993年(平成5年)の第1次調査では、1回のボーリングには1メートルのパイプを使っていたが、効率が悪いため今回は2メートルのパイプを併用することにした。だが、堆積層に入れた泥の引き抜きがうまくいかなかったため、技術的な改良が必要だった。
2013年7月、若狭町で会った中川さんは鞄の中から真ちゅう製の手回し式の小型遠心分離器を出して見せてくれたが、これは「自作」したのだという。少年時代から工作が得意だった中川さんならではの技だが、ボーリングのコア引き抜きの技術課題も西部試錐工業とともに解決を見いだしていたのだ。
ボーリング作業は1カ月以上かかることが予想されたので、宿泊施設の確保は大きな課題だった。
湖畔では、今年の7月、「水月湖年縞世界標準決定祝賀会」が開催された「観光ホテル水月花」という近代的なホテルもあるが、ここに1カ月以上投宿する資金などなかった。三方五湖には民宿も多いが、手持ち資金はもはや30万~40万円のみで、その利用も不可能だ。
となると空き家を借りるしかない。ここは梅干の有数の産地で、梅干で有名な和歌山へもここの梅の一部が供給されているという。三方五湖畔はぐるりとその梅の木がとりまいているばかりで、数軒の観光土産物店のほかには農家のみだ。観光ホテル水月花からは一番近いコンビニエンスストアまで往復20キロというほど、人家もまばらだ。

家賃1万5000円の「水月ヒルトン」
「そこで、ボーリング開始半年前の1月、日本に一時帰国した時に若狭町の若狭三方縄文博物館を訪ね、当時の副館長、田辺常博さんに空き家を探してもらったんです。紹介してもらったのは2軒。1軒はタダでいいというんですが、窓ガラスは割れているし蔦が家の中に入り込んでいる廃屋でした。もう1軒は家賃が月1万5000円でした」
水月湖畔の「もう1軒」の小さな木造住宅はかつて交番だったが、当時は地元の中小企業の新人研修所だった。水月湖の氾濫で水浸しになったこともあり傷みもひどかったが、ここを宿泊場所に借りることにした。
寝具は、若狭三方縄文博物館の倉庫に縄文遺跡の学術発掘隊が残していったものがあるというのでこれも借りることにした。クーラーがあったのは幸いだったが、風呂はシャワーのみ。風呂場にはときおりナメクジがはっていて、トイレはくみ取り式の「ぽっちゃん」だ(糞尿だまりを見下ろしながら用便するトイレはかつて「日本標準」だった)。炊飯器、掃除機、テレビなどは、友人たちに「貸してほしい」というメールを送り確保した。
中川さんは、ここを世界60カ国、2400以上に店舗をもつホテルチェーン「ヒルトン」の名をとって「水月ヒルトン」と命名した。ボーリング調査が始まって3週間目に若狭町が慰労会をしてくれた際、町長から「どこに泊まっているんですか」と聞かれ、元の交番のあった家だと答えると、「あんな所に人が住めるのか!」と、びっくりされたというエピソードが残っている。


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