金環日食の日が近づいている。
 徐々に緊張が高まってきている。

 わがことながら不思議なのだが、私はどうやら日食を心待ちにしているようなのだ。
 当日は、晴れてほしいと思っている。
 もし東京が晴れない予報だったら、前日泊で、どこか太陽が出そうな場所に宿を確保すべきだろうか、と、真剣にそう考えはじめてもいる。
 とはいえ、予報は直前にならないとわからない。私は、どうすれば良いのだろう。やはりダメ元で宿泊先を押さえておくべきなのだろうか。

 書店の店頭に日食グラスの販売コーナーが設置されはじめたのは、2カ月ほど前からのことだ。
 この段階では、あまり心を動かされなかった。
「日食とか、どうせ電通が仕掛けたステマだよ」
 その種のデマをツイッターに流すことこそしなかったが、基本的には冷淡に構えていた。

 無論、このたびの日食が、歴史上稀有なジャストミートであることは知っていた。生きている間に見る、おそらく最後の日食であろうことも自覚している。それでもなお、私はそんなにわくわくしなかった。

 去年の夏、日食の情報をもたらしたM島が、必要以上に興奮していたからかもしれない。

「おい、金環食が来るぞ」
「なんだそれ?」
「だから、日食だよ。それのど真ん中の一番すごいところが東京の真上を通るんだ。こんな機会は千年に一度だぞ。わかってるのか?」

 私は、たいしてときめかなかった。

「10分かそこら太陽が隠れるってだけの話だろ」

 おまえは何を騒いでいるんだ?
 私は冷静に対応した。

 M島は天文部の出身だ。中学生の時にジャコビニ流星群を観測をするために白馬岳に登って遭難しかけている。そういう男だ。前回の日食(2009年)でも、息子を連れて上海まで見物に行っている。で、曇っていて何も見えなかったらしい。
 一事が万事このとおりだ。
 流星群だとか、彗星だとか、月食だとか、こいつが折にふれて持ち込んでくる天文ネタは、いつも空振りに終わる。

「雲しか見えなかったぞ」
「流星群っていうからどんだけ星が降るのかと思ったら、15分も見上げててたったの3つじゃないか」

 そんなわけで、M島発の天文情報に対しては、一蹴するクセがついていたのかもしれない。
 でなくても、天文部は、われわれの世代の感覚では、どちらかといえば恥に属する出自だ。

「ははは。つまりM島君は星を追う少年だったわけだな」

 天文部は、文学散歩同好会やフォーク研究会に近い。そういう扱いを受ける。報われぬロマンチスト。ティピカルな人格標本としては、「愛と誠」に出てきた岩清水君だろうか。マッチョ志向の高校生の間では一番バカにされるタイプのキャラクター設定だ。
「あ、天文部のローピン、ロンね。トイトイドラ3。マンガン」

 その私が、21日が近づくにつれて、なんだか落ち着かない気持ちになっている。
 メディアに煽られている部分もあるのだろうが、やはり、この種の自然科学イベントは、眠っている童心を呼び覚ます。これには抵抗できない。

 思えば、私も小学生までは理科少年だった。
 勘違いと言ってしまえばそれまでだが、わたくしども昭和30年代の子供たちは、理科のできる生徒が一番偉いと思い込んでいた。私の個人的な思い込みだった可能性もある。が、ともあれ、私は真性の理科少年だった。そして、理科のできる子供が最も将来有望なのだと、そういふうに信じこんでいたのである。

 そもそものはじめは、『おおむかしの世界』(←ぐらいな名前だったと思う。正確なところは失念)という少年向けの考古学解説書にさかのぼる。

 私は、この本の表紙に印刷されていたチラノザウルス(最近は、「ティラノサウルス」とか「T.レックス」と呼ぶ人が多いようだが、あの時代は「チラノザウルス」ないしは「タイラノザウルス」という呼称が一般的だった)のペン画に一目惚れした。で、まだ文字が読めなかった幼稚園児の時代に、親にねだって買って貰ったのだ。

 以来、『おおむかしの世界』は、私の偏愛の対象になった。というよりも、私はこの本を繰り返し読むことで文字を覚えたのかもしれない。

 今気づいたが、長じて爬虫類キーパーになったのも、この本が遠因なのかもしれない。

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