下敷き越しに太陽を見るのはダメなのだそうだ。

「絶対にやってはいけません」

 と、国立天文台のホームページは、強力に制止している

 もちろん、フィルムの切れ端を通して観察するのもNG、すすをつけたガラス板もアウト。肉眼は論外。アウト・オブ・クエスチョン。このほか、CD盤もサングラスも推奨できないのだそうだ。

 もっとも、欄外の注を読むと、「専門家によって、銀塩の白黒フィルムを適切に露光・現像して作られたネガ」は、OKということになっている。が、実際問題として、この注記が役に立つのかどうかは、少しく疑問だ。

 というのも、若い人々の中には、「銀塩写真」が何を意味しているのかについて、応分の知識を持っていない人々が相当数含まれているからだ。で、その彼らは、当然、「白黒フィルム」というものの存在についても、正確な情報を持っていない。でもって、「露光」や「現像」についても、何を言っているのか意味がわからず、「ネガ」という言葉さえ聞いたことが無い。とすると、この「注記」は、彼らにとって無意味な呪文にしか聞こえないはずなのだ。

 私が知っているある20代の若者(←若者という言葉を使う人間は、若者ではない。犬を犬と呼ぶ犬はいない)は、モノクロームの写真について、つい最近まで、「褪色した写真」だと思いこんでいたのだそうだ。つまり、元々白黒のみで撮影された写真が存在しているということを、彼は知らなかったのだ。

 なるほど。ということは、オダジマの世代の者の小学校時代の写真が、おおむね白黒である件について、キミは戦前の歴史資料ぐらいな感想を抱いていたわけか?

「いえ。っていうか、そもそも色無しで撮影する意味がわからなかっただけで……」

 ……いいかね、T君。わたくしども古い人間たちは、そうすることに意義があると思ってあえて色を抜いた状態の撮影をしていたのではない。ただ、われわれが使っていた時代のフィルムは、光の強弱を感光することしかできなかった。だから、写真に色がついているということ自体、あの当時の私たちにとっては、想定の外の出来事だったのだ。わかるかね? それほどわれわれの世界は貧しく、無彩色で、脱脂粉乳は不味く、にんじんは臭く、ピーマンは苦かったのだ。キミたちが暮らしているこの豊かで鮮やかでグルメな時代と違って。

 このあたりの事情は、たとえばポール・サイモンの「コダクローム」という歌の中で象徴的に歌われている。

If you took all the girls I knew when I was single.
And brought them all together for one night.
I know they'd never match my sweet imagination.
And everything looks worse in black and white.

「もし仮に、独身時代に行き来のあった女の子たちを、ある晩一斉に呼び出してくることができたのだとして、でもその彼女たちの姿は、ぼくの中のイマジネーションとうまく一致しないだろう。だって、あらゆるものは白黒で見ると、見劣りするものだから」

 1940年代生まれのポール・サイモンにとって、独身時代の画像は、おおむねモノクロームで撮影されていた。そういうことなのだと思う。

 その「コダクローム」(コダック社が発売していたカラーフィルムの商品名)も、つい先日、74年間の歴史に訣別して、発売を中止することになった

 トシを取るわけだよ。オレらも。
 トシを取らないのは写真だけだ。

 同じポール・サイモンの「ブックエンドのテーマ」の中に、以下のようなフレーズがある。

Long ago... it must be...I have a photograph.
Preserve your memories, They're all that's left you.

 写真の中に固定された記憶は、いずれもわれわれのもとを過ぎ去ったものばかりで、つまり、誰かが何かを記憶しているということは、彼がそれを喪失したことを意味している……要するに、「あらゆる写真は、撮影された時点で既に遺影なのだ」と、そういう感じの断章だね、これは。およそ気勢の上がらない結論ではあるが。

 ネガ・フィルムや銀塩写真みたいな、失われつつある技術や時代の産物について、その意味を一から説明するのはとても困難なことだ。

 で、現代には便利な言葉がある。
 ググれ、と。

 そう。若い連中に、われわれの時代についてくどくどと説明してみたところで、どうにもなりゃしないのである。どう言っても、彼らには、わかりっこないからだ。

 彼らが知りたいことは、彼らがググるに任せるべきだ。

 もちろん、検索可能な知識には限界がある。また、検索エンジン経由の情報は、捏造と誇張に毒されており、グーグルのそこここには漏れがある。のみならず、偏見と宣伝とドグマが溢れ、その記述は常に先入見と無知と誤解にさらされている。どうせ本当のことは伝わらない。でも、どうしようもないのだ。われわれでさえ、細かいところはよく覚えていないのだし、それに、大まかなところについては、適当に記憶を捏造していたりするわけだから。
 
 話を元に戻す。
 日食の観察法について、私がこの何十年かの間保持していた知識は無効だった。
 無効なだけではない。単に無効だったというだけなら、たいした問題ではない。
 私の知識は、危険かつ致命的な誤謬で、それを記憶してきた私の人生はどうにも愚かしい失敗の足跡だったのである。

 小学校の3年生か4年生の理科の授業に、太陽の観測というのがあった。
 その授業で、私たちは、太陽を観測する方法として、ガラス板をろうそくで炙ってすすをつける方法と、色の濃い下敷きを利用する観察法を習った。で、実験の時間に、それらを使って実際に太陽を見た。

「まるいぞ」
「ほんとだ。まんまるだ」

 と、その屋上での特別授業を、小学生だったわれわれは、大いに楽しんだ。
 それが、現在では

「絶対にやってはいけません」

 と強くたしなめられる対象になっている。

「場合によっては失明の危険があります」

 と。冗談ではない。じゃあ、オレらの勉強は何だったのだ? 失明に至る道程か?

 しかも、アナウンサーさんの言うことには、最近のろうそくは品質が安定していて、ほとんどススが出ないのだそうだ。

 なるほど。了解した。
 要するに、われわれは、すっかり旧式の人間になっていたわけだ。いつの間にやら。
 やたらとススが出る昔のダメなろうそくみたいな調子の。

 こういうめぐりあわせは、実は、決してめずらしくない。
 むしろ、とてもよくあることだ。

 昔学校で習った知識が間違いだったとか、NHK経由で得た情報が真逆だったとか、あるいは、ベルトクイズQ&Qで見た正解が、10年後には不正解に化けていたとか、その種の手のひら返しを、この二十年ほどの間に、いったいいくつ発見したことだろう。

 事実、ウィキペディアを渉猟していると

「かつて、○○は××に良いとされていたが、現在では無効であることが判明している」
 みたいな、がっかりする記事に度々ぶつかる。
 その記述も、もしかしたら、5年後には、書き換えられているのかもしれない。
 勝手にしろ、だ。

 科学が進歩したといえばそれまでの話ではある。
 でなくても、最先端の知識は、日々更新されるものだ。むしろ、日々無効になって行く方が自然でさえある。その意味で、古い知識が期限切れになること自体は、悪いことではない。不当なことでもない。
 
 が、知識に悪意が無くても、情報には悪質な背景があずかっている。
 たとえば、健康関連情報や、ダイエットまわりの知識が、5年ごとに覆されている裏には、単なる無知や認識不足とは違う、詐偽に似た何かかかわっている。私はそう思っている。

 つまり、「新事実」として、喧伝されていた情報自体が、あやふやであったり、検証されていない仮説だったというだけではなくて、それらの未確定な情報を流布することで儲けた人間がいたということだ。

 誰かが、逆転済みの常識について、きちんとした正誤表を作って、それを各家庭に強制配布すべきだ。
 でないと、われわれは、間違ったことを信じたまま、棺桶に残りの片方の足を格納することになる。

「マイナスイオンでリラックスとか真っ赤なウソだぞ」
「コラーゲンを食べても肌がきれいになったりなんかしないぞ」

 と、どこかの公的機関が、この種の訂正情報を積極的に流布喧伝告知報道しなければいけない。

 でも、どうせできやしないのだな。
 マイナスイオン商品は既に市場にあふれているし、コラーゲン化粧品やコンドロイチン食品のメーカーはマスメディアの有力なスポンサーになっている。とすれば、このタイミングであえてネガティブな情報を流すのは、リスクが大き過ぎる、と、当事者は、そういうふうにものを考える。当事者というのは、つまり、同じ穴のムジナということだが。

 それに、コラーゲン化粧品が、化学的な意味で無効であるのだとしても、「夢」を売る商品たる化粧品としては、依然として有効なのだろうからして。

 夢に値段を付けることに違和感を感じるムキもあるかもしれない。が、原価と売値の間を埋めているのは、現実ではない。利益を生むことができるのは、夢だけなのだ。
 ま、ネズミ講も夢といえば夢だし、オレオレ詐偽の悪夢でさえ、夢と言えば夢だが。
 
 もう一度話を元に戻す。
 私が子どもだった頃、紫外線は体に良いということになっていた。

 紫外線の大切さは、「動物園のゾウが日光不足でくる病になった」みたいな古い新聞記事とセットになって伝えられた。
 カルシウムを摂取するだけでは骨は成長しません。きちんと太陽を浴びないと、強いカラダはできないのです、と、先生は確かにそう言っていた。

 先生の発言がウソだったわけではない。
 部分的に正しい情報を含んでいた。というよりも、先生の言葉は、一部分を除いてほぼ正しかった。

 が、部分的に誤っている情報は、全面的に誤っている情報よりもむしろタチが悪かったりする。ウソらしいウソよりも信じられやすいからだ。で、それらを信じた人間は、真っ赤なウソにひっかかった人間と比べて、より確かな足取りで間違った道を進むことになる。

 おかげで私は、長い間勘違いをしていた。口惜しいことだ。

 昭和40年代の子どもであった私たちには、日焼けが大いに推奨されていた。

 夏休み中の登校日には、日焼けコンテスト(「クロ○○コンテスト」という、今では使えなくなっている表現が、当時は、なんということもなく流通していた。誰かが悪意を発見するまで、それは差別用語ではなかったからだ)が開催され、休み明けの最初の朝礼では、校長先生が日焼けした児童たちを名指しで誉めあげていたものだった。

「みなさん、元気いっぱいに日焼けして、真っ黒になっていますね」

 当然、小学生だった私たちは、会う度に自分たちの腕の黒さを比べ合った。
 というのも、日焼けは、東京の子どもたちであったわれわれにとって、「夏休みに家族でレジャーに出かけた」ことについての、若干の自慢を含んでもいたからだ。
 だから、海水浴帰りのクラスメートに黒さで圧倒されると、私は、物干しに立って日差しを求めたりした。

 一方、色白の子どもたちは、明らかに冷遇されていた。
 勉強ができたりすると、さらに悲惨だった。

 たとえば、「モヤシッ子」という言い方は、当時の健康志向の反作用として生まれた無邪気な比喩に過ぎなかったのだが、当てはめられる子どもにとっては、非常に残酷な烙印になった。

 私自身は、黒光りしているタイプの小学生だったので、そのテの無神経なニックネームの犠牲になることはなかったが、同じクラスには、何人かの「もやし」がいて、彼らは、そのことを気に病んでいた。

「もやしとか言うけどさ」

 と、ある同級生は言っていた。

「おまえだって、うちのイナカに行けば、完全なもやしだぞ」

 確かに、海辺の子どもたちの黒さは別格だった。
 で、私はその黒さに憧れていた。
 将来は、海のある街に住もうと、小学校の4年生ぐらいまでは、真面目にそう考えていた。

 バカな話だ。子どもは、昔も今も、時代の影響をモロに受けることになっている。逃れる術はない。
 
 それが、いつの頃からか、日焼けはシミの原因と名指しされる。
 私の印象では、突然に、だ。

この記事は会員登録(無料)で続きをご覧いただけます
残り3439文字 / 全文文字

【お申し込み初月無料】有料会員なら…

  • 専門記者によるオリジナルコンテンツが読み放題
  • 著名経営者や有識者による動画、ウェビナーが見放題
  • 日経ビジネス最新号13年分のバックナンバーが読み放題