成熟するデジタルカメラ市場において、本格的な写真を撮りたい女性一眼レフユーザーの増加や、「ミラーレス」と呼ばれる軽量・コンパクトなカメラの登場によって、レンズ交換式のデジタルカメラが出荷台数を大きく伸ばす一方で、低価格なコンパクトデジタルカメラの衰退は目を覆うばかり。需要の一巡はもとより、高性能カメラを搭載したケータイ、スマートフォンの台頭を考えれば、専用機としての使い勝手の良さはあるものの、コンパクトデジタルカメラの将来はお世辞にも明るいとは言えない。
それなら、いっそ思いっきり自由な発想でデジカメを作ったらどうだろう?――そんな答えを出したのが、キヤノン イメージコミュニケーション事業本部ICP第三開発センターの佐藤麻美さんだ。今年1月の米国の家電見本市「CES」で公開され、来場者の間で話題となった「PowerShot N」の開発チームのキーパーソンである。「シャッターボタンがない」「自分が意図しない写真が撮れる」そのカメラは、頭の固いユーザーから「なにこれ?」と拒否反応が出るかもしれない。いや、逆に「チョー面白い!」と拍手喝采される可能性も秘めている。いずれにしろ、すっかり存在感の薄れたコンデジに、人々の目を向けさせるだけの“何か”があるのは確かだ。PowerShot N開発の舞台裏について佐藤さんと、商品企画担当としてチームに参加した同事業本部ICP第三事業部の石井亮儀氏に話を聞いた。
(聞き手は酒井康治)
デジタルカメラ市場の縮小が続いています。カメラ映像機器工業会の統計では、2012年の国内総出荷台数が920万台で、前年比96.3%です。内訳を見ると、レンズ交換式が対前年比で124%と大きく伸ばした半面、コンパクトデジカメ中心のレンズ一体型が同91.1%と足を引っ張っています。2013年の見通しでは、この傾向に拍車がかかります。コンパクトデジカメの置かれている状況は、かなり厳しいですね。
石井:確かにコンパクトデジカメの市場が縮小しているのは事実です。2008年のリーマンショック以降、2011年の東日本大震災やタイの洪水の影響などもあり、減少傾向が数字としてはっきり見えてきました。震災からの復興が始まり、タイの問題も終息しているのですが、販売数は持ち直していないのが現実です。
減少の理由としてスマートフォンの影響はもちろんありますが、本当にそれだけなのかと聞かれれば、そうとも言い切れません。先進国では需要が一巡したというのもあります。また、より良い物をということで、高級コンパクトのように範囲を絞れば、対前年で伸びているジャンルもあります。ですからまだ結論は出さず、現在、真相を探っているところです。
本当にネットと相性のいいカメラとは?
ただ、コンパクト市場に活を入れられるような製品や、新しい切り口、決め手に欠ける印象は否めません。その一方で、ケータイやスマートフォンに高機能カメラが搭載されたこともあり、人々が写真を撮る機会は飛躍的に増えています。FacebookのようなSNSを見れば、ネット上には実に多くの画像があふれていますよね。

2002年キヤノン入社。本社の開発部門で機械技術者として要素開発を担当。07年ICP第三開発センターに異動し、コンパクトデジタルカメラの開発企画を担当。11年「PowerShot N」のコンセプトチームの立ち上げに携わる
佐藤:キヤノンでも2012年の春製品からWi-Fi機能の搭載を始めましたが、そこからさらに「本当にネットワークと親和性のいいカメラって何なんだろう?」という疑問を突き詰めたことが、今回の「PowerShot N」開発の出発点です。大切なのはカメラ自体にネットワーク機能を付けて、ユーザーがどういう使い方をしたいのかですよね。それを検討するため、コンセプトチームを立ち上げました。
昨年から各社Wi-Fi機能をコンパクトデジカメの1つのウリにしていますが、ネットにつなげるなら、やはりケータイやスマートフォンの方がずっとラクで便利じゃないかと思います。Wi-Fiがなくてもケータイの電波が届いていればいいですし……。
佐藤:ええ、そういう方もいらっしゃいます。ですから、カメラならでは、というのが問われることになります。そこで、普段からSNSや写真コミュニティをすごく活用している人間にもメンバーに加わってもらいました。カメラがネットにつながるとして、どういうカメラなら喜んで使うのか。カメラがネットとつながったその先で、ユーザーは一体どうしたいのか、といった話し合いを始めたのです。
どんな写真がアップされているのか、ハマっている人たちはどういう人たちか――ミーティングを進めていく中で、今のSNSが写真を中心に広がっている点に着目しました。ほとんどのSNSが写真をアップできますし、写真に特化したSNSも活況です。そこにアップされている写真やフォローされている写真は、やはりひと味違いますよね。
具体的にどう違うのですか?
佐藤:かつては知り合いや親戚など、身近な人たちのつながりの中で価値を共有できるような写真が中心でした。一緒に旅行した写真を、その仲間で楽しむとかですね。しかし、今では写真愛好家だけでなく、一般の方でも不特定多数の人に画像を公開するというのが、新しい写真の楽しみ、写真文化として定着しています。
しかもネットを通じてそれが簡単にできるようになりました。これまでそれほど写真を撮っていなかった人たちが、公開することによって他人に評価され、「いいね!」がもらえると、もっといい写真をアップしたくなる。そうなれば、さらにたくさん、これまでと違った写真を撮りたくなる、そんな循環やニーズが出てきていると思います。
企画、開発、デザインが集うコンセプトチーム
素人の方でも、本当に素敵な写真を撮る人って多いですよね。
佐藤:公開によって、一般の方たちの間でもセンスのいい写真への欲求がとても高まっています。ですが、ひとくちに“いい写真”と言っても、なかなか撮り方が分かりません。今回はチームのメンバーに写真系のSNSですごいフォロワー数を獲得して、「神」と崇められているような人間もいたので(笑)、ネット上で評価の高い写真はどういう風に撮られているのか、といったことについて徹底的に検証しました。
神ですか……それは心強いですね。そのコンセプトチームというのは、キヤノンの内部ではよく立ち上がるものなのですか。
佐藤:部署の内部では以前からあることはあったのですが、そこから商品化まで至ったのはあまり聞いたことがありません。
石井:企画の人間が集まってアイデアを固めたり、開発の人間が集まってある機能の提案をするといった形で結成されることはあります。今回、組織的な面でPowerShot Nがユニークだったのは、企画、開発、デザインの人間が集まり、本体のデザインから中身の機能まで全体を1つのチームでまとめ上げ、そのチームがそのまま商品化の開発チームと合流した点にあります。
佐藤:コンセプトチームのメンバーは、商品企画と開発企画がそれぞれ1人ずつで、デザインが4人の合計6人でスタートしました。立ち上がったは2011年なので、結構、足の長いプロジェクトです。既にそのころからコンパクトデジカメは厳しかったのですが、何か新しい切り口をという機運がありましたね。製品のラインアップを考えている中で、「新しいものを提案したい」という話をしたところ、それならもっとしっかりしたチームを作ろうとなりました。
石井:佐藤の上司からも「しっかりやりなさい」というバックアップをもらったので、デザインの部署からも人を集めることができました。その際、プロダクトデザインだけでなく、SNSや写真コミュニティに造詣の深い人間も加わってもらえるようお願いしました。2012年上期に向けてコンパクトデジカメへのWi-Fi搭載を推し進めていた時期でもあり、さらに次の手を考えるということでしたから、PowerShot Nでは相当ネットワークついての議論をやりましたね。

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