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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/22(木) 12:12:49 ID:Qi0RuNSd0
張飛
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E9%A3%9B

史実では剛勇の英傑、
演義ではそれに加えて粗暴だが愛すべき人物に描かれているが、意外に分からないことも多い、この男について語れ。









3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/22(木) 18:01:22 ID:O2zcgcbS0
酒を飲まなくても部下に暴力をふるった
とくゆうを殴ったのは張飛ではなく劉備

ぐらいは皆知ってることか

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/24(土) 00:40:27 ID:PXRUtAr50
張飛も三国演義の被害者の一人だな。
主人公劉備を聖人君子にするために、馬鹿キャラにされている面がある。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/24(土) 02:18:56 ID:KHzoIZeZ0
関羽は実像以上に高められ張飛は実像以下に貶められてるというのが俺のイメージ
関羽も張飛も実際どっこいどっこいの能力だっただろ

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/24(土) 18:59:01 ID:rhfRP2YY0
名士層に媚売るのが大好きだった
夏侯家の少女を拉致って孕ませた

10: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/03/24(土) 21:23:47 ID:LA4NqZB70
夏侯覇を縁戚として迎え入れられるという副産物付き。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/24(土) 23:36:30 ID:vpw6ixpb0
夏侯氏との結婚って、実際はどうだったんだろうな?
やっぱり山賊まがいにさらってきたのかな。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/26(月) 23:12:35 ID:HsrId1qa0
張飛は実はイケメンだったという説をどこかで読んだ記憶が
娘たちが美人揃いだったのだと
演義に出て来る呂布のイメージこそ張飛の実像に近いのでは、という意見も載っていた

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/28(水) 13:53:14 ID:/Q3AEqMq0
どっかの名士に面会を断られた話があったけど、もし益徳がイケメンだったら会ってくれたんじゃないか?

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 01:32:32 ID:LvDLWeDk0
>>17
>どっかの名士に面会を断られた話

多分、劉巴のことかな?。
張飛が劉巴の家に泊まったとき、一言も口をきかなかったらしい
諸葛亮が、「いくら何でもそれはどうでしょうか?」と言ったら、劉巴が「軍人なんぞ話し合う気はないね」
とか言ったらしい。
当然、張飛と劉備はカンカンでした。

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 23:50:29 ID:ln4/YqHZO
ある百科事典で三国志を調べたら張飛が中国では登場人物で一番人気だそうです。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/16(月) 23:30:46 ID:0nlyQ7GH0
中国だと、水滸伝の李逵も大人気だそうだから、演義での張飛も合わせて、ああいうタイプの豪傑が好まれるのだろうかね。

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/22(日) 11:45:14 ID:PUJBkvJ00
>>21
演義での張飛が、史実よりかなりがさつで乱暴者に描かれているのが、聖人君子としての劉備像を強調すると同時に、物語的にもそういうキャラが欲しかったという事情があったのかな?

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/16(水) 08:19:01 ID:aRGPZl+4O
明代か宋代だったか忘れたけど張飛の書というのが珍重された事があったらしい。
歴史上の人物だからというのでなく名筆だったからだとか。
これだと張飛、文武両道の人物になっちまうな。

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/16(水) 12:57:28 ID:DeXooos50
史実だと、どちらかと言えば、その文武両道の方に近かったんじゃないかな。

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/16(水) 22:48:59 ID:B0/ZBaIu0
矛を使って岩に詩を彫ったって話があるから、読み書き以上の教養はあったんだろう。
劉表の世話になってた時に関羽は歴史、張飛は詩の勉強をしたんじゃない?

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/17(木) 21:27:47 ID:mLHOfhjQ0
張飛は名族にあこがれてたから実は結構教養の勉強してた可能性があるよな
最終的には車騎将軍になってるしそれなりの礼儀作法はありそうだ

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/20(日) 10:25:01 ID:1AZpvvTM0
張飛が治めてた土地も栄えたらしいしな。

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/30(水) 22:02:49 ID:hj4Syijb0
>>31
ただ、しばしば死刑を適用したというのは事実らしい。
まあそれぐらいの厳しい姿勢でないとら乱世は戦えないだろうけどね。

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/12(火) 19:52:27 ID:JJxV70KE0
>>34
諸葛亮や法正のやり方に倣ったんだろ

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/20(日) 11:14:17 ID:lXDPciQV0
張飛の書は八濛山の銘ってやつだな
※漢將張飛大破賊首張郃於八濛


37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/12(火) 20:35:27 ID:SNol6qw+0
娘が皇后になっているし、蜀での立場はかなり有力と言うか、名門みたいな扱いだったのかな、子孫たちは?

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/12(火) 21:21:13 ID:hF1Q+ZSNO
蜀滅亡時、族滅されたという関羽一族と違い張飛一門の運命は全く判らない。
族滅されてなければ現代でも居るかもしらんね。
族滅された筈の関羽の末裔が洛陽や解州に住んでいた位だから。

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/15(金) 06:00:32 ID:Q5K633G60
関羽はホウ会が皆殺しにしたんじゃなかったっけ
唐の時代に自称子孫がでてくるけど
張飛は張昭が劉禅に洛陽まで随行してるいぐらいだから家は残ったかも
でも蜀漢の成り上がりにすぎない張氏は晋から冷遇されて没落したのかも

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/23(土) 13:41:03 ID:135Wv/f4O
だね。よほどその時の当主が有能か、一門からそれなりの人物が出てたならまだ個人の才覚という事で用いられたかもしらんけど。
多分その頃の張氏には偶々そこまでの人材は払底してたのかも。
恐らくは劉禅とその一族のお付き程度に止まったかと。
後はいよいよ判らない。
自称関羽の末裔は清代に官職を賜るけど、張飛は演義での個人の人気はともかく、神としてはそこまで祭り上げてもらってないから、子孫の顕彰はしてもらってないんで清代での動静すら判らんのよな。
どっか居ないかなぁ、張飛の子孫。

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/25(月) 21:07:12 ID:2yk8g9/3O
よく考えたら劉備と曹操の末裔も聞かないぞ。
曹操は近代まで人気ズダボロだから仕方ないけど、劉備はやはり位負けすると考えられたからだろうか?

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/15(月) 00:54:52 ID:Y+8NDdmq0
>>43
曹植の一族が移り住んだ曹家村ってのが長江だかの近くにあってな。

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/25(月) 23:19:14 ID:5PmCOScW0
劉備の末裔ということは劉禅の末裔という可能性もある訳で、そう考えると表に出にくいのかも。

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/30(土) 23:40:57 ID:6j9Zt43F0
>>44
ワロタ

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/26(火) 03:26:50 ID:3I1JmcWb0
本当かどうかは別にして劉備の末裔の村も曹操の末裔の村も孫権の末裔の村も諸葛八卦村もあるぞ


抜粋

劉備の子孫は、永嘉年間の八王の乱により劉禅の子孫は根絶やしにされたが、劉永の孫である劉玄のみ生き残った。
彼はチベット系?族の一派である巴?の酋長の李雄が蜀で建国した成蜀に頼ったという。
現在、劉備の子孫が中国の漁山郷という村にいるとされている。
他にも曹操、孫権、諸葛亮の子孫が残った村が現在の中国各地に現存し、観光地となっている。

ちなみに孫権の子孫は今現在、中国杭州の富陽市南部の龍門古鎮という村に住んでいるとされ、この村では9割の人間の姓が「孫」である。

子孫は今現在、中国杭州の東図上村に住んでいるとされ、住民1,600人のうち1,500人の名字が「曹」である


ウィキペディアだからどこまで本当かわからないけどこれらの子孫の村は昔世界丸見えかなんかで見たことがある

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/26(火) 14:46:40 ID:6SeD+rUIO
諸葛亮の末裔村は結構紹介されてるし、道蔵輯要にある諸葛亮集の八陣図の文は末裔が誌した、とあるんで諸葛亮のは居てるだろと思ってたが、ちゃんと劉備の村も曹操の村もあったのか。
流石中国はしぶといわ、子孫絶やさない為に貴賤を問わず必死で子作りに全力を傾注してきたからなあ。   
さて張飛の村はどこだろう…

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/18(土) 14:03:23 ID:0RGD5CKM0
曹操の子孫達って自分の祖先が曹操だと知られないようにひっそりと生きてきたと聞いたけど・・・
時代が変わったんだな~中国でも。

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/16(火) 22:45:22 ID:7VsfgxEt0
張飛が禁酒したら歴史そのものが大きく変わってただろうな。

66: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/22(月) 22:18:36 ID:8N8CoiZX0
正史の張飛は酒乱じゃないぞ。

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/24(水) 00:26:56 ID:nOx637BcO
やっぱ横山光輝の張飛が一番かっこいいな。
ゲームのだと呂布があまりに強すぎてかっこよくて納得できなくて嫉妬する。
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73: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/12(月) 03:44:04 ID:7FcdAXdkO
>>67
あの張飛はたしかにかっこいい
あと古いパチモン三国志だけど「天地を喰らう」の張飛が一番好き
最初に触れた張飛だからでもあるけどね

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でも無双の張飛は泣けてくる…

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/24(水) 07:07:50 ID:hElPX4Q/0
ゲームの呂布はあれで弱い方だろ。
演義では張飛を子ども扱いできるレベルだし、正史では人中の呂布と言うものの人外の強さ。

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/29(木) 20:16:53 ID:NR4gq6Wv0
>>68
でもないよ。不利な状況で張飛を避けて逃げたこともある

史伝では、張飛は戦場での失敗の記録がない人なんだよね
(下ヒで曹豹が張飛と対陣してその間に呂布が襲来して敗れた説を取るなら一敗してるけど)
下ヒ失陥と死因の両方とも性格絡みってのが張飛らしい。
独立して駐屯させる大将としては関羽・魏延に劣ったのだろうけど、劉備にとっては武官No2に相応しく頼もしい将だったと思える。
そんな俺もビジュアルイメージはやはり横光版

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/30(火) 01:45:22 ID:t6vIyirz0
演義でも普通に読んだなら戦に関してはかなりの名将だと判るはず
馬鹿な猪武将なんて、イメージ先行だね

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/21(水) 21:13:28 ID:AbmFP3kb0
張飛ってたいていひげもじゃで熊みたいなずんぐりむっくりのオヤジだよね
横光版はイケメンだ

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/29(木) 20:50:24 ID:GDqb811F0
横光の張飛見ると民の間で人気あるのがわかるな~
蒼天のはただのおっさんだし
cho-hi

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/30(金) 01:46:54 ID:adp03ryOO
蒼天なんてかなり美化されてるだろうに。
あれで戦では負け無しだし、民にも部下にも優しいし

一番好きなキャラクターだけどな。
どう見ても部下に寝首をかかれるようには見えない

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/30(金) 02:18:43 ID:+A8QGAlk0
陳舜臣の張飛は殺しても角が立たないような身寄りのないのを選んで虐めてる。
浅知恵というべきだろう。

95: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/09(日) 10:02:11 ID:J5TvOzGm0
南北朝時代、5世紀初頭の名戦術家・檀道済が、「張飛の再来」と喩えられた。
すくなくとも当時は、張飛といえば戦術を得意とする知将と認識されていたと思えるのだが、いかが?

96: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/09(日) 11:59:32 ID:eudZzkBj0
>>95
檀道済が「張飛の再来」と言われたことは無いよ。
部下の二人が関羽・張飛に喩えられていたと書かれてはいるけど。
その二人は薛彤(せつとう)と高進之(こうしんし)。
以下宋書の記述ね。

<原文>
「薛彤、進之並道済腹心,有勇力,時以比張飛、関羽。(宋書・檀道済伝)」
<超訳>
――薛彤と(高)進之はいずれも(檀)道済の腹心で、衆にすぐれた力が有り、当時の人々はその豪勇を張飛・関羽に比定していた。

ときたまネット上で見かける、檀道済を張飛・関羽に喩えたという意見は、多分田中芳樹氏の誤解から始まったのかな。
それはともかく、少なくとも知将の認識はなかったと思う。
華陽國志の「先主伝」とかにも無かったかと…。
余計な口出しでごめんなさい。

120: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/20(木) 01:35:56 ID:Ngtz7j5L0
張飛って名将?
張コウも総指揮は劉備で張飛はただ戦線が硬直したから別働隊として攻撃しただけっぽいし。
勿論勇敢で忠誠心もあり、まさしく国家の爪牙というべきだとは思うが、知略があるとか名将って評価は違和感がある。
おれは劉備に使える勇敢な男ってイメージだけどみんなはどんなイメージ?

122: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/20(木) 16:30:16 ID:78LzL3Zd0
中原の混乱期を生き抜いて来たから、ただの強い人じゃないだろうな。
天下国家の規模とは違うが、戦場という枠内の戦略面なら優秀だったかと。
野戦のプロであり、色んな局面に対応出来るので重宝したと思うよ。
蜀の屋台骨の一人でもあるから、存在感も大きかったはず。

123: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/21(金) 00:00:37 ID:a/tHJQ180
つまり戦術にはすぐれていたってこと?存在感はあるだろうが戦術についてはなぁ
てか張飛って戦術とか戦略に対してなにか有効な進言したことあるっけ?

125: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/21(金) 17:02:23 ID:QZ6/I6cp0
戦術すぐれてるだろ。

蜀取り援軍の諸葛亮・趙雲・張飛三軍の内にもっともきっつい道中を担当して恐らく期日まできっちり到着してる。

趙雲は道は険しそうだが、南方だから軍地方豪族の私兵程度を「通過」するだけだろう。
孔明は中央をラクラクスイスイ。
だからこの二人は蜀乗っ取り戦の戦闘記述がまったくない。

ところが張飛は漢中に隣接してる巴を通ってる分、もっとも地方軍が備わってると思われる。
だから厳顔(地方軍)と張裔(中央軍)との戦闘が記録されている。

いい加減演義が作った張飛像を捨てるべき。
張飛が美男子で冷静な指揮官とはいわんが、すくなくとも部将、支軍指令としての戦闘能力は秀でている。

引用元: ・【酒】 張飛 【豪】