
1: 世界@名無史さん 2017/04/08(土) 17:28:51.89 0
コンスタンティノープルとかウィーンとかモスクワとかについて語ろう!
最強はどこか!
最強はどこか!
2: 世界@名無史さん 2017/04/08(土) 18:11:19.89 0
ジブラルタル要塞

ジブラルタル包囲戦
ジブラルタル包囲戦は、アメリカ独立戦争の期間に、ジブラルタルのイギリスからの奪取を目的としてスペインとフランスによって起こされた戦い。奪取は不成功に終わった。4年近い包囲を耐え抜いたジブラルタルは難攻不落の要塞としてその名をとどろかせることになった。
4: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2017/04/08(土) 19:51:04.04 0
ふぅむ、とりあえずあたり障りないところで
ベネチアとティルスをあげてみる
ベネチアとティルスをあげてみる
8: 世界@名無史さん 2017/04/08(土) 23:47:55.09 0
>>4
で、その二つは防衛の歴史があったか?
詳しく頼む
で、その二つは防衛の歴史があったか?
詳しく頼む
10: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2017/04/09(日) 04:09:50.33 0
>>8
どんな感じのスタイルがいいのかな?
防衛機能を淡々と書いていく感じ
それとも攻防戦を熱く語るのか
どんな感じのスタイルがいいのかな?
防衛機能を淡々と書いていく感じ
それとも攻防戦を熱く語るのか
12: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2017/04/11(火) 00:03:11.94 0
>>8
前者的には
・普段は船が通れる水道を杭で標示しているが非常時にはその杭を抜くことで海上封鎖
・都市が多数の島からできており橋を落とすことで、それぞれを隔離することができる
・狭いところに密集して建造物が建ってるので、そもそも街自体が迷路
でもベネチアはジェノバに攻め込まれたかと思ってたがキオッジャの戦いは都市の攻防戦じゃなかったのですまんとです
しかも後2つはテロリスト向きですね、、、
後者的には
アレクサンドロス戦記③ - ティルス攻防戦 BC332年 -
https://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/49722624.html
写真は現在の物ですが、当時のティルスは海岸から2km離れた完全な島でした。
巨大な海軍力をもっているので、ろくな海軍を持たないマケドニアに対抗できると踏んだのでしょう。
たしかに海からでなければ接近できないティルスは難攻不落と言えました。
アレキサンダーさん力技ですww
前者的には
・普段は船が通れる水道を杭で標示しているが非常時にはその杭を抜くことで海上封鎖
・都市が多数の島からできており橋を落とすことで、それぞれを隔離することができる
・狭いところに密集して建造物が建ってるので、そもそも街自体が迷路
でもベネチアはジェノバに攻め込まれたかと思ってたがキオッジャの戦いは都市の攻防戦じゃなかったのですまんとです
しかも後2つはテロリスト向きですね、、、
後者的には
アレクサンドロス戦記③ - ティルス攻防戦 BC332年 -
https://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/49722624.html
写真は現在の物ですが、当時のティルスは海岸から2km離れた完全な島でした。
巨大な海軍力をもっているので、ろくな海軍を持たないマケドニアに対抗できると踏んだのでしょう。
たしかに海からでなければ接近できないティルスは難攻不落と言えました。
アレキサンダーさん力技ですww
14: 世界@名無史さん 2017/04/11(火) 00:43:45.88 0
>>12とか読んでて思ったけど古代の包囲戦って普通に地形変更とかえげつない事さらっとやってたりするよね
マサダ要塞時のローマとか
マサダ要塞時のローマとか

マサダ
マサダは第一次ユダヤ戦争の遺跡で、イスラエル東部、死海西岸近くにある城址。
66年、ローマ帝国に対してユダヤ人が決起しユダヤ戦争が勃発した。1万5千のローマ軍団が周囲を包囲したが、さすがのローマ軍も攻撃軍を寄せ付けないマサダの峻厳な地形に攻めあぐねる。やがてローマ軍はユダヤの捕虜と奴隷を大量動員して土を運び、山の西側の崖をそっくり埋めて突入口の建設を開始する。
ユダヤ側は執拗に防戦したが、二年がかりで山腹は着実に埋められ、やがて陥落は目前となった。73年5月2日、ローマ軍部隊は完成した侵入路を通り城内に突入する。ローマ兵は死にもの狂いの抵抗を予想していたが、意外にも防戦する者は1人もいなかった。奴隷となるより死をと、突入の前夜に籠城ユダヤ人は全員が集団自決していたのであった。ユダヤ戦記は穴に隠れていた2人の女と5人の子供だけが生きのびたと伝える。
23: 世界@名無史さん 2017/04/12(水) 23:03:37.19 0
>>12
>ティルス市の中心にマケドニア軍が達した時戦いは終わりました。ティルス軍の戦死者は市民も含めて8千人、市民3万人が奴隷として売られたそうです。
さすがにこれは誇張だと言われてる
というのもローマ時代になってヨセフスがティルスの文書館でソロモン王時代の手紙を見つけてるから
もし滅亡してたならそんなもの残ってるわけないよね
そもそもティルスは何万人も住める面積ないし
>ティルス市の中心にマケドニア軍が達した時戦いは終わりました。ティルス軍の戦死者は市民も含めて8千人、市民3万人が奴隷として売られたそうです。
さすがにこれは誇張だと言われてる
というのもローマ時代になってヨセフスがティルスの文書館でソロモン王時代の手紙を見つけてるから
もし滅亡してたならそんなもの残ってるわけないよね
そもそもティルスは何万人も住める面積ないし
30: 世界@名無史さん 2017/04/13(木) 23:10:37.51 0
マサダ要塞の集団自決も証拠とされる発掘された名前が書かれた陶器のかけらには同じ名前が何度も現れることから最近では配給の割り当ての際のものでヨセフスの伝えるような事件はなかったと言われている
36: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2017/04/30(日) 00:57:55.14 0
ちなみにティルスは
名将サラディンさんを数度にわたり撃退してるのでこのスレ的にはけっこうポイント高いと思うのだが、、、
熱い攻防戦のかかれたサイトどころかそもそも記述してるところがあんまりないような
コンラート1世
コンラート1世(1146年 - 1192年4月28日)は、モンフェラート侯。エルサレム王即位直前に暗殺教団の凶刃に倒れた第3回十字軍側の英雄の一人。
ティルス防御
彼はかねがね東ローマ帝国内の反ラテン感情を息苦しく感じており、またブラナスの一族による復讐も心配となった。彼はコンスタンティノープルを去り、1187年の7月にエルサレム王国に移って港湾都市ティルス(ティール)の守りを任された。おりしも、アイユーブ朝のサラディンによる地中海沿岸諸都市の陥落と、ハッティンの戦いでのエルサレム王国軍の大敗によって、首都エルサレム陥落は時間の問題であり王国は滅亡に瀕していた。
彼はティルスに迫るサラディンの軍に対し市民を鼓舞し陣形を整えイタリアの商船団の助けも借りて待ち構え、地形を利用してサラディンの大軍を少人数で撃退した。エルサレム陥落後の同年11月、ティルスはエルサレムからの避難民で溢れ返っていたが、サラディンは再度陸と海からティルスを攻撃した。コンラドは城をよく守り、弱点ともいえる海岸線でもエジプト船による攻撃に対し焼き討ちで撃退して緒戦の数週間を守り抜いた。
コンラート1世(1146年 - 1192年4月28日)は、モンフェラート侯。エルサレム王即位直前に暗殺教団の凶刃に倒れた第3回十字軍側の英雄の一人。
ティルス防御
彼はかねがね東ローマ帝国内の反ラテン感情を息苦しく感じており、またブラナスの一族による復讐も心配となった。彼はコンスタンティノープルを去り、1187年の7月にエルサレム王国に移って港湾都市ティルス(ティール)の守りを任された。おりしも、アイユーブ朝のサラディンによる地中海沿岸諸都市の陥落と、ハッティンの戦いでのエルサレム王国軍の大敗によって、首都エルサレム陥落は時間の問題であり王国は滅亡に瀕していた。
彼はティルスに迫るサラディンの軍に対し市民を鼓舞し陣形を整えイタリアの商船団の助けも借りて待ち構え、地形を利用してサラディンの大軍を少人数で撃退した。エルサレム陥落後の同年11月、ティルスはエルサレムからの避難民で溢れ返っていたが、サラディンは再度陸と海からティルスを攻撃した。コンラドは城をよく守り、弱点ともいえる海岸線でもエジプト船による攻撃に対し焼き討ちで撃退して緒戦の数週間を守り抜いた。
5: 世界@名無史さん 2017/04/08(土) 19:52:59.47 0
山海関
山海関
山海関(さんかいかん)は、万里の長城の一部を構成する要塞。
軍事要衝として山海関の防備はきわめて厳重であり、1622年には駐屯する守備隊は兵7万9千8百69人、馬匹1万2千7百60頭の記録が残る。明末はヌルハチ、ホンタイジ率いる満洲族の侵入を阻止し、守将であった呉三桂が清朝軍に投降するまで不落の要塞だった。
山海関(さんかいかん)は、万里の長城の一部を構成する要塞。
軍事要衝として山海関の防備はきわめて厳重であり、1622年には駐屯する守備隊は兵7万9千8百69人、馬匹1万2千7百60頭の記録が残る。明末はヌルハチ、ホンタイジ率いる満洲族の侵入を阻止し、守将であった呉三桂が清朝軍に投降するまで不落の要塞だった。
15: 世界@名無史さん 2017/04/11(火) 05:37:59.58 0
>>5
ヌルハチは最初で最期の敗北をしてるよな。
ヌルハチは最初で最期の敗北をしてるよな。
48: 世界@名無史さん 2017/10/06(金) 09:35:59.88 0
>>15
その時のヌルハチの相手は諸葛亮孔明の再来といわれた名将、袁崇煥
袁崇煥が準備した武器もポルトガルから取り寄せた最新鋭の大砲、紅夷砲
ぶっちゃけ相手が悪かった
しかしこの時は後金を大いに苦しめた紅夷砲だが200年後のアヘン戦争の頃には時代遅れとなっていて
イギリスの黒船が積んでいた大砲よりも射程が短くて役に立たなくなっていたという
その時のヌルハチの相手は諸葛亮孔明の再来といわれた名将、袁崇煥
袁崇煥が準備した武器もポルトガルから取り寄せた最新鋭の大砲、紅夷砲
ぶっちゃけ相手が悪かった
しかしこの時は後金を大いに苦しめた紅夷砲だが200年後のアヘン戦争の頃には時代遅れとなっていて
イギリスの黒船が積んでいた大砲よりも射程が短くて役に立たなくなっていたという
16: 世界@名無史さん 2017/04/11(火) 07:36:06.70 0
ヌルハチが負けて死んだのは山海関じゃなくて寧遠城
山海関までは到達していないんじゃないかな
山海関までは到達していないんじゃないかな
17: 世界@名無史さん 2017/04/11(火) 10:26:08.00 0
>>16
袁崇煥は山海関ではなく、外側で迎撃する案を提案したのか。
寧遠城で戦うことになり、ヌルハチ死亡。
袁崇煥は山海関ではなく、外側で迎撃する案を提案したのか。
寧遠城で戦うことになり、ヌルハチ死亡。
7: 世界@名無史さん 2017/04/08(土) 21:03:20.80 0
11: 世界@名無史さん 2017/04/09(日) 15:23:34.99 0
15世紀プスコフ31回防衛に成功。

プスコフはロシアの都市。
リヴォニア戦争(1581年から1582年)の最後にはプスコフはポーランド王国の軍勢5万人に包囲されたが持ちこたえている。ポーランド王ステファン・バートリはプスコフへの攻撃を31回も指揮したが防衛する市民に撃退された。市の城壁の一つが崩れた時も、プスコフ市民は素早く崩れた部分を修理して攻撃をしのいだ。大動乱期の1615年にはスウェーデン軍に包囲されたがこれにも持ちこたえた。
13: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2017/04/11(火) 00:14:46.83 0
>>11
ほほぅ
おいら全然知らなかったですが、これは凄いですね
ほほぅ
おいら全然知らなかったですが、これは凄いですね
18: 世界@名無史さん 2017/04/11(火) 12:27:24.93 0
レニングラードかねぇ
21: 世界@名無史さん 2017/04/12(水) 21:17:58.57 0
>>18
史上最大の市街戦に耐えた都市かもなあ
スターリングラードも最終的に陥落しなかった
まあどちらも犠牲者数は凄かったけどなあ
史上最大の市街戦に耐えた都市かもなあ
スターリングラードも最終的に陥落しなかった
まあどちらも犠牲者数は凄かったけどなあ
20: 世界@名無史さん 2017/04/12(水) 01:47:06.33 0
要塞都市セウタ


1694年から1727年にわたる世界最長篭城記録ホルダー(1720年で前後二つに分ける見解もある)
包囲したのがアラウィー朝モロッコというのがややイメージ減だが、アラウィー朝へのイギリス支援はあり


1694年から1727年にわたる世界最長篭城記録ホルダー(1720年で前後二つに分ける見解もある)
包囲したのがアラウィー朝モロッコというのがややイメージ減だが、アラウィー朝へのイギリス支援はあり
27: 世界@名無史さん 2017/04/13(木) 17:05:41.81 0
>>20
>包囲したのがアラウィー朝モロッコというのがややイメージ減だが
アラウィー朝モロッコによる包囲だとなにか問題あるの?
>包囲したのがアラウィー朝モロッコというのがややイメージ減だが
アラウィー朝モロッコによる包囲だとなにか問題あるの?
29: 世界@名無史さん 2017/04/13(木) 20:03:31.20 0
>>27
いや、別に問題はないよ
ただ18世紀になると西欧対イスラムは力関係が一般に前者に偏るから、印象として大したことないように見えるかもという話
いや、別に問題はないよ
ただ18世紀になると西欧対イスラムは力関係が一般に前者に偏るから、印象として大したことないように見えるかもという話
26: 世界@名無史さん 2017/04/13(木) 03:55:20.94 0
コンスタンティノーブル 陥落理由は門が開いていた
28: 世界@名無史さん 2017/04/13(木) 19:54:03.55 0
スリランカのシギリヤロック

シーギリヤは、スリランカの中部州のマータレーにある遺跡である。シーギリヤの遺跡は、5世紀にカッサパ1世(在位477〜495年)によって建造された、要塞化した岩上の王宮跡と、それを取り囲む水路、庭園、貯蔵施設などの都市遺構からなる。岩山の中腹には『シーギリヤ・レディ』として知られるフレスコの女性像が描かれている。
31: 世界@名無史さん 2017/04/15(土) 15:32:44.09 0
>>28
シーギリヤは物理的な隔絶性ばかり気にかけた欠陥要塞って感じだな
もろに巨岩の上だから井戸も作れんだろうし、備蓄の飲料が尽きたら補給もできずでお終いなんじゃね?
実際の歴史においても、初っ端の包囲で白旗あげてそれっきりだ

シーギリヤは物理的な隔絶性ばかり気にかけた欠陥要塞って感じだな
もろに巨岩の上だから井戸も作れんだろうし、備蓄の飲料が尽きたら補給もできずでお終いなんじゃね?
実際の歴史においても、初っ端の包囲で白旗あげてそれっきりだ

34: 世界@名無史さん 2017/04/15(土) 21:41:43.95 0
東洋一の要塞(旅順・コレヒドール・虎頭除く)と言われたシンガポールも上水供給に弱点あるよな
香港やジブラルタルもそうだし、へたしたら彦島もだけど、イギリスってけっこう厨二臭いよね
「水?強ければどうにでもなる、だからこそ通商や軍事の要衝を押さえるのだ」みたいな
香港やジブラルタルもそうだし、へたしたら彦島もだけど、イギリスってけっこう厨二臭いよね
「水?強ければどうにでもなる、だからこそ通商や軍事の要衝を押さえるのだ」みたいな
35: 世界@名無史さん 2017/04/15(土) 22:25:26.90 0
海戦に絶対の自信がある中、海上封鎖されることを想定しない思想が基本にあったんじゃない
拠点の人口が大きくなってくると、海上輸送による補給でどうこうするレベルじゃなくなるけどね
でも最初に拠点を作り始めた段階ではそこまで考えてなかったと
拠点の人口が大きくなってくると、海上輸送による補給でどうこうするレベルじゃなくなるけどね
でも最初に拠点を作り始めた段階ではそこまで考えてなかったと
43: 世界@名無史さん 2017/09/27(水) 20:44:10.13 0
北京と南京
長さ40KM、高さ20M、巾基部30M頂部20M
の城壁に囲まれていた
長さ40KM、高さ20M、巾基部30M頂部20M
の城壁に囲まれていた
47: 世界@名無史さん 2017/10/06(金) 01:18:22.79 0
二度に渡るオスマンの包囲を切り抜けたウィーン
49: 世界@名無史さん 2017/10/06(金) 17:52:58.57 0
>>47
オスマンの少し前にハンガリー王に占領されてる>ウィーン
オスマンの少し前にハンガリー王に占領されてる>ウィーン
50: 世界@名無史さん 2017/10/15(日) 20:04:17.18 0
やっぱり江戸城かな?
一応は都市機能もあったみたいだし。
最も難攻不落と言うよりは、落城したことがないと言うだけだが。
大田道灌の時代から、落城はしていないだろう?
しかも城主は太田道灌以外は殺されていないのだし。
太田道灌にしても、戦場で殺されたのではなしに、城の外で謀殺されたのだから。
一応は都市機能もあったみたいだし。
最も難攻不落と言うよりは、落城したことがないと言うだけだが。
大田道灌の時代から、落城はしていないだろう?
しかも城主は太田道灌以外は殺されていないのだし。
太田道灌にしても、戦場で殺されたのではなしに、城の外で謀殺されたのだから。
52: 世界@名無史さん 2017/10/20(金) 04:30:15.61 0
>>50
今現代でも城としての防備の役に立ってるという意味では江戸城は希少な存在だろう
江戸城が皇居であることで警備はやりやすいはず
今現代でも城として防備機能を果たしてるのは他にはクレムリンくらいではないかな
今現代でも城としての防備の役に立ってるという意味では江戸城は希少な存在だろう
江戸城が皇居であることで警備はやりやすいはず
今現代でも城として防備機能を果たしてるのは他にはクレムリンくらいではないかな
53: 世界@名無史さん 2017/10/20(金) 21:53:16.25 0
江戸は大火で何度も丸焼けに成ってるよ
人口が過密過ぎて、火攻めを防ぎようが無い
勝海舟も、維新軍が攻めてきた時、町に火を放つ焦土作戦を提案
人口が過密過ぎて、火攻めを防ぎようが無い
勝海舟も、維新軍が攻めてきた時、町に火を放つ焦土作戦を提案
引用元: ・●●世界史上、有名な難攻不落都市●●
襄陽-樊城の双子の要塞とか