ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

銀行のない世界|「シェア」と「ソーシャルネット」が開く新しい世界

2012å¹´09月16æ—¥ | è²¨å¹£ã€ãƒã‚¤ãƒ³ãƒˆ
「エンデの遺言」を読んだからというわけでもないのだけれど、「金」が「金」を生むというある意味、当たり前となっている世界に対する違和感というものがある。実体経済の20倍とも100倍とも言われる投機マネーが存在し、より多くのお金を目指して世界を闊歩する。必死に商品を製造・販売し稼ぎ出した儲けも、数円の円高で全てが消えてしまう。物やサービスを生み出すことよりもモニター上の数字を追いかけることがより多くの利益を手にしてしまう世界…。

そうはいっても小さな商店から大企業まで「銀行」のような金融機関の存在がなければ成り立たない。商売を始める上でも、拡大していく上でも先行投資は欠かせない。経済を回していく上で「金融機関」は必要不可欠の存在だ。

果てしてそうだろうか?

ちょっとした思考実験。「銀行」がない世界。

銀行が必要なのはそこに多くの人がお金が集まっており、適切な審査と金利を支払えば、必要な資金を貸してもらえるからだ。しかし銀行が貸し出す資金は銀行の所有物ではない。あくまで多くの人から預かっているお金だ。つまり銀行が提供する資金とは、銀行が仲介しているだけでみんなのお金なのだ。

仮に必要としている資金を、銀行を仲介せずに、直接一般の人から集めることができたらどうだろう。しかもそこに「金利」のように「お金がお金を生む」システムではなく、別な形で互恵関係を築けるのだとしたら。

あるお店を立ち上げるのに100万円の資金が必要だったとする。(無事、審査が通ったとして)銀行に借りるとすると、3%の利息がつくとして103万の返済が必要になる。この3万円分が貸し出しに対する「手数料」であったり、「リスク」に対する対価であったりするわけだけれど、いずれにしろお店の経営者は借りたお金以上の金額を返済する必要がある。

この必要な資金を例えば1口=5万円で20人から集めるとするとどうだろう。さらにそこには「金利」ではなく、その店の商品やサービスの「割引」や「付加サービス」として受けられるとしたら。

仮にその店が「居酒屋」だとした場合、あなたは5万円の貸し付けることで、その店で「1500円」分の飲食の割引が受けられる。当然、そのメリットを受けるためにはその店に行かねばならないし、1500円以上の飲食もするだろう。そこで飲食代を落とせばその分、返済未払いになるリスクも減る。

さらに言えば、店主にとっては金利として支払う「3万円」はまさに「3万円」の価値だ。例えばビールで3万円分を割引くとした場合、ビールの定価が500円だとすると60杯分を割り引くことになるわけだが、その原価を200円だとすると、お店側の実質負担は200円×60杯=「1.2万円」分で済む。つまりお店の実質負担ははるかに少ない。

場合によっては、貸し手に対して3万円以上の「メリット」を与えてくれるかもしれない(その2倍の割引を行ったとしても実質負担は2.4万だ)。それを目当てにお店に来てくれるということは「サポーター」になってくれるという一面もある。新しいお客を連れてきてくれるかもしれない。

貸し手にとっても、銀行に預けたところで対して増えるわけではない(下手すると引き落とし手数料方が高いかもしれない)。どうせ飲みに行ってお金を使うのであれば、自分が「支援」しているお店に行った方がいいと考えるかもしれない。そうなれば貸し手と借り手の間で経済が循環する。

こういったP2P型の融資、個人間融資は「ソーシャルレンディング」と呼ばれている。日本では「maneo」あたりが先駆的事業者だろうか。

一般的に「ソーシャルレンディング」事業者の多くは、IT技術・WEBをもちいることで金融流通を効率化しようというものだ。つまりあくまでも金融商品としてどれだけ「手軽」に借りられるか、どれだけ「利回り」がいいかが大事になる。

またこうしたソーシャルレンディングでは、どれだけトラブル(貸し倒れリスクなど)を防ぐかが大きな問題となる。そのためには事業者が、督促・回収、保険等の方法を整備したり、厳格な審査や格付けといった仕組を用意する必要が出てくる。

しかし先の例のように「Share(シェア)」の精神を前提とした場合どうだろうか。それまでとは全く違う「関係性」が作り出せるのではないか。単純に「金」の問題ではなく、「応援」「信頼」「共感」といったものをベースに貸し手と借り手が共にメリットのある関係を結ぶものだ。そこでは督促・回収・審査といった不信感に基づく「管理」を行うわけではない。

当然、貸し手からすると借り手がどのような人物か分からなければ安心できない。そしてそのリスクを肩代わりするために「銀行」やソーシャルレンディングの「運営会社」の存在価値はあるともいえる。しかし今、そうした借り手の「信用」を判断する機能は何もそうした特定の会社が果たさなくてもいい。FacebookやTwitterといったソーシャルメディアやライフログがその人自身の「有り様」や「評判」、「友人関係」を記録してくれる。それも「この時」だけではなく、膨大な過去の歴史(タイムライン)が、その人自身を語ってくれる。

ソーシャルネット上の「有り様」「評判」をもとに判断し、その人の「取組み」や「仕事」を「ソーシャルレンディング」という形で「応援」する。応援を受けた側はそれに応えることで「仕事」や「取組み」が評価され、さらに高い「評判」を得ることになる。「Share」の精神とソーシャルネットが生み出す新しい「ソーシャルレンディング」……果たしてこれは夢想だろうか。

しかしこうした夢想こそが世界を変えることもある。「貧困」を救いたいと考えたムハマド・ユヌスが築いた「グラミン銀行」では貧困層を相手に無担保低金利の融資(マイクロファイナンス)を行った。彼らが提唱する「16の決意」と呼ばれる価値観を通じて、借り手に良い社会習慣・生活環境を受け入れさせ、子供たちに教育を受けさせ、連帯感を養い、女性の自立を支援する。その結果、「無担保」にも関わらず、98%の高い返済率を誇っているという。

既存の価値観に従えばある種無謀だと思えるこうした事業が、現実に社会を変えることもある。「ソーシャル」という新しい波が社会を変えるとき、金融システムの在り方も変わってもいいはずだろう。


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コメ本位制 (Θ)
2015-03-08 23:22:42
お金をただ刷り増し人々に渡してみると銀行や金利のない世界ならおもしことが起こります。
まず、刷り増した分だけ物の価格が上がります。
(お金が増えその価値をさげなければならない為)
では借金は、どうでしょう。
人間の欲により金利を取らないなら借金は、お金の価値が下がった分だけ楽に支払えます。
自然から獲れた米を人々に配ることと
ただ刷り増し人々にお金を渡すことは、
米は、食べて無くなる(エンデの腐るお金の意)
お金は、増やした為に価値が下がる(エンデの腐るお金の意)
同じに考えられます。

人類の考え方や労働や欲に対する精神性が上がれば世の中は、劇的に変えられます。
お金を欲と物にむすびつけず(お金は、裏付けが有ってはならない金品等)
ただ降り注ぐエネルギーや自然の恵みとして扱うこと。
また国は、お金を刷り増した時点で全てのお金から税を徴収したことになる。
そうすれば、結局国に必要なお金や誰かの借金の目減り分は、皆で払うことになる。
それは、お金の価値が落ちた分の総計から。
この考え方の行き着く先は、物の値段を劇的に下げていくことになるだろう。
銀行が無く金利が無くお金さえ必要ない世界。
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