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大そうじへの備え
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「人生がつらいなら、ブログを読めばいいじゃない」 私は結構、本気でこう思っています。 これ、読書で人生が変わる、という考えと本質的に似ています。 何故か。 それは、他者の思考を汲み取ることができるからです。 本は、もちろん種類が様々で、そこに書かれた知識を吸収することがひとつの売りではありますが。 それだけではなかなか、人生は変わりません。 本が、人生を変える理由は、 著者の思いや思考に触れることによって、自分の幅を広げることが可能だからです。 つまり、ブログも一緒なんです。 むしろ、小綺麗に磨き上げられた「本」よりも、感情そのままに書かれているブログの方が効果は大きいかもしれません。 だから私は、人生がつらかったら、ひとつの方法としてブログをおすすめします。 もちろん、読むだけでなく、書くことも大事かなと。 今日は、そんなことをお伝えしたいと思いました。 よかったら、ぜひ。 一緒にやりま
人体にとって、重要な器官、「脳」と「腸」。 それらが相互に関係しあっている、という考え方があります。 それが、「腸脳相関」です。 ストレスが溜まると、消化器の調子が悪くなり。 腸内環境が悪くなることでストレスが溜まりやすくなる。 逆に、腸内環境が改善されれば、ストレスも軽減し、 ストレスが減れば、消化器の調子も良くなる。 それぞれの器官が双方向に関係しあっていることを「腸脳相関」と呼びます。 だから、ストレスが溜まった時は、食事内容に気を遣うことをオススメします。 その際は、食物繊維や発酵食品を摂るとよいでしょう。 腸内環境が良くなれば、ストレスも減ります。 ストレスをストレスとだけ捉え、改善できずに苦しむよりも。 できることから始めてみましょう。 食事の改善はすぐにでも、誰にでもできますから。 なにがし。
大リーガーの大谷選手が、ア・リーグMVPに決定しました。 誇らしいです。 本当に、おめでとうございます。 シーズン終盤。 ホームラン王争いの真っ只中。 大量の敬遠とフォアボールに苦しみました。 投手においては、失点を抑えても、打者の援護がもらえずに負けてしまったこともあります。 四年前にはケガと手術も乗り越えました。 それでも、シビアな実力主義のアメリカにおいて、結果を残し。 その優しさとストイックな人柄でとんでもない数の人の心を魅了。 とにかく人に愛された。 その結果だと思います。 もっともっと、活躍してほしい。 心の底から、そう思います。 たくさんの勇気をもらいました。 私も、もっともっと、頑張らねば。 なにがし。
人とのコミュニケーションがうまくいかなかったとき。 自分が我慢すればいい、と思ったことはありませんか? 私は、何度もありました。 上手に思いを伝えられず。 他者とわかり合おうともせず。 諦めたようにして。 他者のいいなりになるのです。 「自分が大人だから」 そう自分に言い聞かせて。 本当ならもっともっと言いたいことがあるのにもかかわらず。 ただひたすら、波が過ぎ去るのを待つのです。 確かに、波風は立たないかもしれません。 楽かもしれません。 しかし、自分を ないがしろにしてしまった後ろめたさは、いつまでもついて回ります。 そして、最後。 自尊心を失い、他者の価値も下がり。 コミュニケーション不全となってしまいます。 言いたいことを言えばいいってものでもなく。 言わなければ苦しい。 要するに、塩梅が大事です。 自分を大切に。 他者もそれなりに、大切に。 自分を犠牲にせず、かつ。 可能なかぎり
私がよく通る道の、その道端に。 一軒の畜産農家があります。 道路を眺める、黒毛の牛たち。 …ちょっと昔を思い出しました。 私の実家も、昔。 同じように畜産をしていたのです。 じいちゃんの手伝いをして。 牛の出産に立ち会って。 仔牛の頃からお世話をして。 たしか、「ハナ」という名前をつけたことを今でも覚えています。 小さかった私は、ハナがどうなるかなんて深く考えもせず。 一生懸命に面倒を見ていました。 学校から帰ってきて、成長を見るのが楽しくて。 ランドセルを下さずにそのまま牛舎に向かうこともあったように思います。 ある日。 私がたまたま体調不良で学校を休んだ日、だったと思います。 トラックが家に来て、 牛舎で、牛たちが騒いでいる。 気になって外を見たら、ハナが引っ張られて、トラックに入れられるところでした。 その後のことはよく覚えていませんが、 泣きながら「連れていかないで!」と叫んでいた
最近私は、本当にこんなことを思います。 「やらなかったことは後から返ってくる」 因果というやつのせいなのか、難しいことはわかりません。 しかしながら。 サボったらサボっただけ後で苦しいし、 楽したら楽した分だけ、後で苦しい。 そんなことは往々にして言えるのかなぁと思うのです。 ただ。 物事の本質は簡単には見えないもので。 例えばどの程度返ってくるかはわかりませんし、サボった、楽をしたと言ってもその基準はあいまい。 結局のところ、自分がどう感じるかと言うところもあるのかなぁと思います。 私の知り合いで。 よく、昔の悪さ自慢をする人がいます。 「勉強なんてしなかった」 「ダチとつるんで悪いことばかりしていた」 「自分は強い」 「誰も歯向かわなかった」 「あの頃は良かった」 酔うとそんなことをよく言います。 しかし、だんだんと。 「それが今じゃ」 「みんな楽しそうで」 「優等生だったあいつは大手
忙しい毎日を送る社会人へ。 正直、8時間労働って多くない?なんて思ったりします。 今日は、「楽しかったことリストのススメ」と題しました。 何の本で情報を得たのかは忘れてしまったのですが、 このリストを作っておくと苦しい時に自分を助けてくれます。 なので、かなりおすすめです。 楽しかったことリストとは なぜ楽しかったことリストをお勧めするのか リストの活用例 生き方は、技術で変わる 楽しかったことリストとは 楽しかったことリストとは読んで字のごとく、楽しかったことをリスト化したものです。 自分が楽しいと感じたことは、日記や写真、メモでもいいので、いつでも確認できるような状態で残しておきます。 これを上手に活用すると、メンタルの支えになることがあるわけです。 なぜ楽しかったことリストをお勧めするのか あなたは、おとといの晩御飯のメニューを覚えていますか? もちろん、覚えている人もいるでしょう。
「なぜ、社会はこんなにも苦しいのか」 最近、こんなことをふと考えたのです。 もちろん世の中にはすごい人もいっぱいいます。 当然ながら全てがこうではないという前提の上で書くことをご了承ください。 仕事、という存在のあり方についての考察記事(まがい)です。 私の結論は、仕事や職場は人生の全てじゃない。 現状への不満が噴出する昨今 極論、嫌な仕事は辞めればいい なかなか変わらない、現状 大人とは、会社とは おわりに 現状への不満が噴出する昨今 なぜいきなりこんなわけの分からないことを書き始めたのかというと。 本当に、社会に不満を抱えている人が増えたと肌で感じるからです。 コロナ禍という特殊な状況も関係していないとは言えませんが、本当に増えました。 その理由は私が言わずとも、SNS、ニュース、新聞、あらゆる情報媒体が証明してくれると思います。 その中で、特に身近なものが。 仕事辞めたい 給料が低い
人体実験日誌【8日目】 実験名: ゼロ秒思考「メモ書き」 目的: 思考を爆速にする。 またはその効果の確認。 実験内容: ①書く内容(タイトル)を決める。 ②60秒のタイマーをセットし、横向きA4用紙にタイトルに関する浮かんだことをひたすら書く。 ①、②を最低10セット以上行う。 文字数の目標は180文字/枚 この実験の結果に関して、嘘や脚色は絶対にしない。 効果や結果を誇張しない。 ステマでもありません。 ただしあくまでも個人の見解です。 純粋に、ただ楽しんでいただけたら幸いです。 結果: 実施日 2021.3.20 (終了予定まで残り82日) 実施枚数 17枚 最高文字数 111 文字(過去最高118文字) 平均文字数 93.9文字(過去最高93.9文字)記録更新 累計枚数 107枚 内容: 今の気持ちは? 自分のやるべきことは? この世をどう思うか? 他14テーマ 感覚的な変化: 違
本日から新しい試み、ガチ人体実験を始めたいと思います。 それは、赤羽雄二さんという方が書いた29万部のベストセラー、「ゼロ秒思考」という本に書かれているメモ書きというトレーニングです。 こちらのYouTubeで紹介されています。 www.youtube.com 何をするか簡単に説明すると。 テーマを決める それについて頭に浮かんだことをひたすらA4用紙に書き出す 1分間でできるだけ多くのことを書く これだけです。 これを毎日10枚書けば、3週間で頭の回転が早くなる感覚が掴める。 ということらしいのです。 1日たったの10分。 面白そうだからやってみようとなりました。 完全に衝動ですが後悔はしていません。 勢いで始めます。アウトプットがてら毎日この記事も更新します。 とりあえずの予定は余裕を持って90日間継続。 効果が感じられたり、有意義だと思えばその後も継続しようと思います。 90日後に思
昔。 あなたの人生は、あなたの望んだ通りにしかなっていない。 という考え方の本を読みました。 自分の環境も、何もかも。 自分の望んだ通りにしかなっていない。 いやいや、現実には自分の力の及ばない範囲ってあるでしょ? と言いたくなるのですが、確かその本ではそういったものを全て否定し、 あくまでも自分の望んだ通りにしかなっていないはずだと主張していたかと思います。 哲学的な本だったと思いますが、不意にこの考え方に納得するタイミングがあるんですよね。 どうせ、自分は頑張っても無理だ。 頑張っていても結果は残せない。何も変わらない。 ふと弱気になった時、私はこの「自分の望んだ通りにしかなっていない」という言葉を思い出すのです。 そうならないとしか思っていないから、何も変わらない。 心のどこかで、ひたすらに変わることを拒む何かがそこにはあって。 きっと、そんな気持ちにはっきりとNOを突き付けなければ
最近、私の身の回りでは本当に喧嘩が絶えません。 悪口を言い合ってみたり。 大声で罵り合ったり。 手が出ることはありませんが、いかんせん気持ちが良くない。 仲裁したり、あまりにもひどい場合はほっといてみたり。 そんなこんなで飛び火して嫌な気持ちになったり。 そして、そのほとんどが。 はっきり言ってしまうと、身勝手な理由のものばかりで。 お互いがお互いに我慢できないということが発端。 環境は努力しなければ変わらないのに、それをしたくないからといって他人をねじ伏せてしまおうといった理由です。 もちろん。 喧嘩は全てが全て悪いものだと私は思っていません。 言いたいことを言いたくなる時もあるでしょう。 雨降って地固まる、という言葉もありますし。 己の意見を通す、思ったことを言うということも人間らしいと言えば人間らしい。 従って、喧嘩そのものも、それをする人も嫌いなわけじゃないんです。 なんていうか、
私は、何も持ってはいません。 大した知識も経験もなく、ほんの少しの、 小脇に抱えられる程度の何かを守って生きているだけです。 世の中には、もっとたくさんの荷物を抱えている人も。 そこまででもない人も、様々いることと思います。 その抱えているものは。 あなたにとってどんな大きさでしょうか。どんな重さでしょうか。 手提げ鞄。 登山用のリュックサック。 大きなキャリーケース。 化粧ポーチ。 東京ドーム何個分。 2kgかな。 5kgかな。 20kgかな。 100kgかな。 もしかしたら1tぐらいあるかな。 不思議なもので、それを他人が推し量ることはできません。 重くなったり軽くなったりするけれど。 こういうものが大きく人の心を揺さぶる。 心を揺さぶるということは、行動にも影響します。 行動に影響するということは。 人生そのものを左右する、ということです。 人の心の内に渦巻く、荷物や持ち物。 なんて
人は、人一人分の椅子に座って生きている。 そんな言葉を思い出しました。 Jポップの歌の中にもこんな表現がよく出てきますね。 私たちは、一人分の居場所を当たり前に占有しています。 喫茶店に入れば、一席分。 親にとっての子であれば、一人分。 誰かにとってのパートナーであっても、一人分。 レジ打ちをしてもらう間も一人分。 上司と部下も。 友人、知人も。 読書感想文の最優秀賞も、大会の優勝者も。 数に限りのある椅子に、一人分の誰かが座る。 何かしらの、限定された枠組みを囲ったり、奪われたりしながら生きています。 良いとか悪いとかではなく、これは当たり前の事実だと思います。 情けないかもしれないけれど、私は今、この世界が少しだけ嫌だなぁと思ったりします。 基本的な部分として、この椅子取りゲーム的な弱肉強食は当たり前のことだと思っているので、それはそれで割り切ってはいるのですが。 一人分の椅子では飽き
人間には優しくそこに在る為には権利がいると私は思っています。 優しく在りたいならば、様々なものを持っていなくちゃいけない。 いくつか例を挙げてみます。 いつもニコニコしていて優しい。しかし無職。 無職の方。 いや、無職だから悪いわけではないんですが。 大概の人が、いやいや笑ってないで仕事探せよと思います。 ニコニコしてる場合じゃない。 いつもニコニコしていて優しい。しかしたまに人を殴る。 人を殴るのもいけません。 普段優しくても殴るなら話は別です。 笑顔すら怖く見えますね。 いつもニコニコしていて優しい。しかし仕事が遅い。 これも、微妙です。 職種にもよりますが、仕事のクオリティは大事です。 会社に迷惑をかけている時点で、周りからの目は素直に優しさを感じ取れません。 もちろん、そういう人がいて良かった、という場面も無きにしも非ずですが。 その人が、その人で在り続ける為の権利 優しく在る為の
無力な自分を嘆くことは、きっと恥ずかしいことではなくて。 明日を今日よりちょっとだけ強く生きるための儀式なのだと思ったりします。 無力だと思った時点で、きっと明日も無力です。 なぜなら人は積み重ねなくてはならないから。 勇気を出して状況を打開する方法ももちろんあるけれど。 瞬間の勇気だけでなんとかなるほど、世の中は甘くできてはいません。 不断の努力がモノを言う場合は、とても多いのです。 だから。 簡単なんだ。 理屈じゃなくただ単純に、無力を噛み締めながら努力を積み重ねればいいだけなんです。 己の無力を知った瞬間こそが、出発点。 考えているだけで何もしない時間は、ただただマイナスとなって過ぎ去っていくだけなのです。 私たちは、年齢を重ねるごとに優劣が決まっていきます。 椅子取りゲームのごとく、選べることは少なくなり、衰え追い越され、追い詰められる。 もちろん、何が優なのか、劣なのかは人の感性
代わり映えのない毎日。 いつもと同じ、日常。 明日も、何も変わらない。 そんな風に感じたら。 持っているものに目を向けてみましょう。 今日は、そんなお話です。 この記事のターゲット 人はなぜ、日常に退屈するのか ないものが欲しくなる心理 持っているものを見直してみる おわりに この記事のターゲット 日常に退屈している、つまらないと感じる 代わり映えのない毎日にうんざり 人はなぜ、日常に退屈するのか 日常。 いつもと変わらない日々は、それが崩れた時にどれだけ貴重なものか分かります。 しかし。 それが崩れる瞬間まで、人は日常を当たり前のものだと感じてしまうものです。 当たり前だからこそ、その当たり前に対しての価値が薄れる。 子どもの頃は、食事の際は食べ物に感謝して、いただきますと大きな声で言っていたのに。 多くの人が大人になってそれをしなくなるのと似ています。 食べ物は、常に当たり前にどこかに
私は、とにかく怠け者だと思っています。 仕事に関しては、それなりにちゃっちゃとやってしまうタイプだと思っていますが、プライベートに関してはてんでダメで。 いつも、面倒臭がり、締め切りぎりぎりになってやっと体が動きます。 どれだけ、何を祈ろうと自分がやらなきゃ何も終わらないのに。 分かっているのに、やる気が出ません。 代わりにやってくれる人もいるわけでもなし。 非常にシンプルなのに、シンプルにやりたくない。やろうとしない。 困ったものです。 人間、自分を奮い立たせて、今日という日を生きるしかないのです。 気合いでなんとかしよう。 それでダメなら理屈を考えよう。 どれだけの人が、こんな風に思うかは分からないけれど。 そんなことを思います。 そして、プライベートがしっかりしている人は本当に尊敬します。 先日、知り合いの男性と喫茶店でばったり会ったんですが。 家族(娘さんと奥様)と一緒にいらっしゃ
突然ですが、あなたにとって恐怖を感じるものとは何ですか? 今日は、私の心の中にいる熊の話を書きたいと思います。 主観的この上ないただの身の上話ですが、良かったら読んでやってください。 www.youtube.com ついでに宇多田ヒカルさんの名曲のリンクも貼っておきます。 夢には、自分の心の中が反映されるという研究があります。 www.nanigashimental.work 私は前々から、よく熊に追い詰められてメタメタにぶっ殺される夢を見ます。 で、先日気づいたのです。いつも私をボロ雑巾にするこの熊の正体に。 それを語るには、少しだけ昔話が必要です。 私は。 限界集落、真っ只中の地域で生まれ育った筋金入りの田舎育ちです。 実家の周辺の衛星写真なんて、某番組に出せるんじゃないかってくらい田舎です。 なので当然、野生動物がたくさんいます。 その中に、当然熊もいます。 全国的にやっているかはわ
もの凄い偏見かもしれないけれど。 今日ははっきり書いてやろうと思いました。 真面目に生きるって、なんなのか。 チラシの裏に書きなぐるような、なんて事のない話です。 私は、お金って大事だなぁと思うのです。 そして、そんな大事なお金はその辺には落ちていません。 どこにあるかというと、お金が集まる価値のあるところにあるのだと思います。 故に、価値のないところにはお金は集まっていかない。 もちろん、お金が全てではないことは承知の上です。 お金に変えられないものはいくらでもあるけれど。 社会というものを撫でるように見た時に。 少なくとも、価値のないところにお金はなくて、それなりの価値のあるところにお金がある。 そこに関しては多分、間違っていないんじゃないかなと思います。 それぐらいのイメージで捉えています。 で。 ここから生き方の話をします。 人を気遣って生きてきた。 声を荒らげることなく生きてきた
二兎を追う者は一兎をも得ず。 そんな言葉があります。 しかし。 二兎を追うものだけが、二兎を得る権利があったりします。 漁夫の利だったり、棚から牡丹餅という言葉もあるけれど。 それはまぁそれで、一時の運を掴むかどうかという話で。 真剣に、死に物狂いで二兎を追った人は。 それなりに大きいものを得ることもあるのだと私は思います。 二兎を追う者は一兎をも得ず、ということわざは。 ハイリスクハイリターンなんて狙うもんじゃないよ、みたいな感覚があったりしますよね。 もちろん、それが正しいと思うことも山ほどあったけれど。 守りに入ったな、ということの後悔はそれなりに記憶に残り、いつまでもちくちくと心を削る。 そんな風に思うんです。 焦ることが良いわけでもなく、考えれば良いわけではないけれど。 この瞬間しかない!と。 意を決して飛び込むことはたまには必要だなぁ、なんて思いました。 二兎を追って何も得られ
この世は残酷です。 はっきり言って、努力なしでは何にもならない。 だからこそ、苦しんでもがいて、人は頑張るのだけれど。 肝心なその努力の答えは。 いわゆる、発送をもって代えさせていただきます、というやつでしかくて。 だから。 めちゃくちゃ頑張ったからとかどうとかではない部分も、無きにしも非ず。 報われたら、頑張ったと言えるし。 報われなきゃ、報われるまで頑張るしかない。 そんなことが言えるんじゃないかと私は思います。 で。 私はそれなりに、挫折して心が折れかけている人、折れた人を見てきたつもりです。 こんなに頑張ってるのに。 こんなに苦しい思いをしてるのに。 なぜ自分は報われないのか。 そういう思いを抱え、諦める人を目の当たりにして。 私はもう、頑張るという前提そのものに疑問を抱くようになりました。 自分は頑張っているんだ、という気持ちが強いほど、その気持ちが折れた時に人は思いっきりつまづ
地方には、毎年冬に渡り鳥がやってきます。 ガンだったり、白鳥だったり。 私にとっては見慣れた光景ですが、特に白鳥は外から来た人は結構びっくりするようで。 関東圏に住んでいる友人が野生の白鳥を見てものすごい興奮していたのを覚えています。 今年もたくさんの鳥たちがやってきています。 餌場である田んぼに集まるんですが、今年は雪が多く。 田んぼの雪も溶けていたり溶けていなかったりで、雪が溶けた田んぼに殺到しています。 で。 夕日をバックに飛び立つ鳥たちはとても美しいのですが。 毎年悩まされるのが、鳥のフンです。 運転中、駐車場、歩いている時。 頭の上を鳥たちが通るときは、気が抜けません。 と言っても、とんでもない速さで落ちてくるので避けようがないんですけれども。 鳥たちが去ったら、洗車に行くまでが風物詩なのかもしれません。 すぐに黄砂と花粉で真っ黄色になるんですけどね。 なんて。 なにがし。
コンプレックス。 聞いたことがある人は多いと思います。 今日は、コンプレックスについて理解を深められるように書いていきます。 劣等コンプレックスに苦しむなら まとめ おわりに この記事のターゲット コンプレックスについて知りたい方 コンプレックスについて悩んでいる方 コンプレックスとは コンプレックス - Wikipedia 一応ウィキペディア先生の記事リンクも貼っておきます。 コンプレックスという言葉だけ見ると。 自分の容姿や身体的特徴で気に入らない部分、劣等感みたいな意味合いで捉えている人が多いと思います。 もちろんこれは間違いではありません。 ただ。 それはあくまでもコンプレックスと呼ばれるものの一部分である劣等コンプレックスというものです。 その証拠に。 マザコン、ファザコンという言葉を聞いたことがある人も多いと思います。 これは母親、もしくは父親に対しての甘えというか、大切に思う
最近、時間の流れの力をものすごく実感します。 というのも。 元気だった知り合いが、病気になっていたり。 はたまた優しかった知り合いが、犯罪者になっていたり。 やんちゃだった同級生や後輩が、社長になっていたり。 良くも悪くも、人は変わっていくということを実感せざるを得ない出来事が多いからです。 変わったことが悪いのか、変わらないことが悪いのか。 良いとか、正解とか間違いとか、過ちとか。 生きている以上、世間体という観点からそういうものとは常に隣り合わせで。 自分自身に問いかけて、焦ったり、苦しんだり、現実逃避したりして。 その中でなんとか生きているような状態です。 あぁ。 当たり前ってなんだろう、なんて思うのです。 人間、本当に。 貰い事故みたいに、嘘みたいに簡単にいろんなものを失います。 大きな視点から見れば本当に、簡単で。 例えば。 毎年起きる、交通事故件数とか。 毎年の、病気の数とか。
人のためになりたい。 困っている人を、なんとかしてあげたい。 人に寄り添いたい。 こういう考えは。 カウンセラーや、その辺りの職業を目指す人がなんとなく心に抱いています。 ぱっと見、素敵な言葉だと思います。 しかし、これは時と場合によっては毒である。 はっきり言ってしまうと、カウンセラーなどの心理職、聞き上手としての適性に関わる話です。 そんな話を書きたいと思います。 この記事のターゲット 人に寄り添う仕事に興味がある人 聞き上手に興味がある人 この記事のターゲット 話を聴くのは、誰のため? 冒頭の言葉を噛み砕いてみましょう。 ありがちな毒の効果 まとめ おわりに 話を聴くのは、誰のため? 人に寄り添う。 そんな仕事において。 冒頭に書いたような考えはもちろん、あって然るべきだと思います。 奉仕の心、慈愛の心。 言い換えればそういう気持ちがこもっていると言えるでしょう。 しかし。 私はこれ
最近、テレビを見ていて思うんですが。 新型コロナ対策として出演者がアクリル板越しの番組もあれば。 さも当たり前のように、パッと見、何の対策も何もしていないような番組もあります。 合成しているわけでもなく、当たり前にスタジオでマスクもアクリル板もなし、ソーシャルディスタンスも取っていない。 私のような素人が見ても分からないような、高度な対策が取られていることを願います。 昨今のコロナ事情として。 変異したウイルスが日本に入ってきた、との報道もありましたね。 まだまだ、しっかりとした感染対策が必要だと感じます。 個々人のしっかりとした感染対策と、経済に対しての活動。 シンプルでありながら一方で複雑な局面でもあるなぁと、思ったりします。 で。 私の身の回りで耳に入るだけでも、色んな主張をする方がいたり、実際に起こったことがありました。 感染対策、感染対策と人には言いながら、何時間も小さな部屋で無
本というものには、書いた誰かの思いが残る。 絵というものには、描いた誰かの思いが残る。 音楽というものには、歌声や、楽器を弾いた人、構成を考えた人の思いがこもる。 誰かが作った手料理は、素材選びから味付けまで、食べる人のことを考えて作られているかも知れない。 さっき使った箸や器も、職人が1つ1つ丁寧に作ったものかも知れないし。 今日着た服も、履いた靴も、誰かが一生懸命に考えてデザインしたものかも知れない。 昨日食べたレトルト食品は、食品会社の人が頑張ってプレゼンして勝ち取った商品かも知れないし、 おととい食べたコンビニのスイーツも上司にダメ出しされながら開発した人がいると思う。 みんなが当たり前に使うスマホだって、ものすごいたくさんの人の手や知識を持って出来上がっているのだし。 それを徹夜で運ぶトラックの運転手も、工場の生産ラインも。 いろんな人のたくさんの手の中から生み出されたもので。
前に音楽の話で、こんな記事を書きました。 www.nanigashimental.work 私の大好きなシェリーズさんの、彩雲ままならぬ という曲を紹介したんですが。 この曲のタイトルを見て、彩雲って何?と調べたことがあったんです。 ja.wikipedia.org Wikipediaにはこんな感じで載っています。 空気中の水蒸気ではなく雲そのものが虹色になる、と言えば良いのでしょうか。 で。 私が撮った写真がこちらです。 写真では切れていますが向かって右側に朝日が昇り、左の方にちょこっと。 最初は虹かと思いましたが、 太陽の方向にあるし、電線で見えにくいですが手前の雲の形に沿って不自然にぶちっと切れています。 これはちょっと違うなと思い撮影に至りました。 似たような現象は多々あるようで、本当に彩雲か真偽はわかりません。色うっすいし。 まぁ。 だからなんだ、と思う方もいらっしゃるでしょう。
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