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大そうじへの備え
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ポール・マッカートニーの新ポッドキャスト「McCartney:A Life in Lyrics」が10月4日にスタートし(10月5日MLCニュース)、ポールは10月11日に配信されたエピソード3「Let It Be」の中で、「ビートルズ最後のレコーディング・セッションに立ち会ったオノ・ヨーコの存在が不快だった」と語りました。 この番組は、各エピソードでポールの楽曲1曲に焦点をあて、マッカートニーが詩人のポール・マルドゥーンと、自身のソングライティングに影響を与えた人々、経験、アートについて対談するというもので、エピソード3「Let It Be」では、ポールがジョン・レノンとオノ・ヨーコの関係について振り返りました。 「ジョンとヨーコの関係がバンドに影響を与えるようになったんだ。ジョンが、ビートルズ最後のレコーディング・セッションにヨーコを立ち会わせたいと言い出し、僕らはそれに対処しなければ
クイーンのブライアン・メイが、ベーシストのジョン・ディーコンが脱退した理由について、『ザ・ガーディアン』紙のインタヴューに答えました。 メイのコメントは、同紙の読者から寄せられた「フレディの死後、ジョン・ディーコンが脱退し、その後バンド活動に参加しない予感はありましたか? 彼が去った理由は何だと思いますか?」という質問に答えたものです。 「僕が言えるのは、歴史的に見て、ジョンはストレスにとても敏感だったということだけなんだ。僕ら全員がフレディを失って大変だったけど、ジョンは特に辛かったんだと思う。1996年には、ジョンと一緒にいくつかのことをやったんだ。そのうちの一つが “No One But You” のレコーディングで、この曲はスイスのモントルーにフレディを追悼する像を建てていた時、僕がフレディについて書いた曲だった。パリでも1回公演を行なってね。この公演は、モーツァルトとクイーンをテ
答えは、意外かもしれませんが、エマーソン・レイク&パーマー(以下 ELP)なんです。1975年の人気投票グループ部門では、2位がレッド・ツェッペリン、3位がクイーン、4位がイエスと続き、10位以内にはピンク・フロイド、フォーカスがランクインするなど、当時、プログレッシヴ・ロックの人気が高かったことを窺い知ることができます。特にELPの人気はすさまじく、キーボーディスト部門ではキース・エマーソンがぶっちぎりで1位でした。前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。 契約の調整で、日本語版の発売が遅れていた『グレッグ・レイク自伝 ラッキー・マン』が遂に発売されます。キング・クリムゾン、ELP、エイジア、リンゴ・スター・バンドとロック・シーンのメイン・ストリートを歩み続け、残念ながら2016年、69歳で逝去。ベーシストとしても素晴らしいのですが、その憂いを帯びた歌声に魅了された方も多いことでし
アラン・ホールズワース アート・ブレイキー エルヴィン・ジョーンズ 新刊情報 シンコー・ミュージック ジョン・リー・フッカー B.B.キング プリンス マディ・ウォーターズ リー・リトナー ロバート・クレイ 新型コロナがまたじわじわ感染拡大中。旅行に里帰りにとご予定の方も多いかと思いますが、「やはりまだ自宅でおとなしく」という方も多いはず。そんなみなさんに、2022年に発売された本の中からテーマ別に、年末・年始にオススメの本をご案内します! テーマは7項目、ご興味のあるものにはこちらから一気にリンクでジャンプしてご覧ください。 *ビートルズ編 *クイーン、デヴィッド・ボウイ編 *ブリティッシュ・ロック編 (エリック・クラプトン、レッド・ツェッペリン、浅沼ワタル写真集、ヒプノシス、ジョン・ウェットン、60〜80年代インディーズ・ディスクガイド) *アメリカン・ロック編 (テッド・テンプルマン
ブライアン・メイが7月14日、英国立ハル大学(University Of Hull)から、名誉理学博士号を授与されました。 現在ヨーロッパ・ツアー中のメイは、ビデオリンクを通じて名誉博士号を取得し、大学の学長、副学長、仲間の卒業生や家族らに向けて、5分間のスピーチを行ないました。 「本日はツアーのため、皆様と一緒に卒業のお祝いが出来ず、申し訳ありません。この称号を頂き、大きな喜びを感じています。2020年のハル大学理工学部の皆さんと卒業を迎えるにあたり、ビデオでの参加になってしまいましたが、私が感じる誇りと名誉に変わりはありません。最初に、皆さんが学士号、修士号、博士号を獲得したことを心から祝福いたします。そして言うまでもなく、皆さんは私と同じように、その過程でたくさんの生涯の友を作ったことでしょう。 私が、1965年にインペリアル・カレッジで物理学者として科学的キャリアをスタートさせた時
【ミュージック・ライフ写真館】レッド・ツェッペリン1971年の初来日時に、広島市長・平和記念公園を訪問【ML Imagesライブラリー】 【撮影:長谷部 宏 pix : Koh Hasebe / ML images / Shinko Music】 明日8月6日は、1945年8月、広島に原爆が投下された「原爆の日」です。長崎への原爆投下は9日。広島市などは事前に、開催期間中にあたる東京オリンピックで選手や関係者らにも黙祷を捧げる時間をと働きかけたといいますが、それは見送られることになったそうです。IOCのバッハ会長はその理由の明言を避けつつも、数日後の閉会式ではそうした時間を設けると回答したとか。「原爆の日」その日に実現に至らなかったのには大人の事情があるのでしょうが、平和の祭典の一部として “あるべき1分間” だったようにも思えます。 ──というわけで、本日のミュージック・ライフ写真館は、
水上はるこさんによる書き下ろし原稿でお送りしている「最低で最高のロックンロール・ライフ」。本連載は、水上さんが『ミュージック・ライフ』世代の方たちに向け、主に70〜80年代──編集部/編集長〜フリーランス時代に「じかにその目で見た」「経験した」記憶・体験をお書きいただこうというものですが、第4回の今回取り上げるのは、アインシュツルテンデ・ノイバウテン(ドイツ語で「崩壊する新建築」の意)。水上さんはかつて弊社で『ミュージック・ライフ』編集長を務められた方で、関わった雑誌は『ML』ほか『ぷらすわん』『jam』『ロックショウ』など多数。その後も現在に至るまで国内外でロックに関わり続け数多くのアーティスト/グループの現場に携わってこられましたが、今回は1985年、フリーランスになられてからのお話です。
【追悼】エディ・ヴァン・ヘイレン 1955-2020【再掲ミュージック・ライフ写真館】 【ミュージック・ライフ写真館/ML Imagesライブラリー 撮影:長谷部 宏 pix : Koh Hasebe / ML images / Shinko Music】 昨日10月6日、エドワード・ヴァン・ヘイレンがお亡くなりになりました。速報で伝えられている死因は咽頭がん、享年65。このあと詳しい情報はお伝えしますが、MUSIC LIFE CLUBとしてまずは哀悼の意を捧げたいと思います。愛すべきエディ、どうか安らかにおやすみください。 6月19日MLCニュースで【ミュージック・ライフ写真館】1978年6月、ヴァン・ヘイレン初来日。全開ステージ&特写では昭和のあの大スターも登場!【ML Imagesライブラリー】として公開したMLイメージズのライブラリからの初来日公演の様子を再度掲載いたします。また、
今回で第2回となる新連載「最低で最高のロックンロール・ライフ」は、かつて弊社で『ミュージック・ライフ』編集長を務められた水上はるこさんによる書き下ろしの原稿です。水上さんが弊社で関わった雑誌は『ミュージック・ライフ』『ぷらすわん』『jam』『ロックショウ』など。その後も現在に至るまで国内外でロックに関わり続け、ありとあらゆる数多くのアーティスト/グループの現場に携わってきています。 この連載は、そんな水上さんが『ミュージック・ライフ』世代の方たちに向け、主に70〜80年代──編集部/編集長〜フリーランス時代に「じかにその目で見た」「経験した」記憶・体験をお書きいただこうというもの。水上さんご自身が選んで、その第2回目に取り上げられたのは、ポール・マッカートニーの二度にわたる “来日未遂” その1回目、1975年の真実です。
「【追悼企画】『志村けんが愛したブラック・ミュージック』レコード評原稿・再掲載」は全10回で、前回のチャカ・カーン作品評で折り返し。そこで今回は予告通り特別編として、志村さんに原稿を執筆していただいていた雑誌『jam』1980年6月号に掲載された「志村けんインタヴュー」を再掲載! 他のメディアでも音楽ファンであることを語るインタヴューはいくつかあったようですが。1980年という、文字通り飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃のものは、これ以外にもあるのでしょうか? いずれにせよ、非常にレアなものだと思われますので、どうぞごゆっくりお楽しみください。 :志村けん/(志村けん) 【音楽雑誌『jam』】 『jam』は、1978〜1981年に弊社が刊行した音楽を中心としたカルチャー雑誌です。『ミュージック・ライフ』『ロック・ショウ』と編集長を歴任した水上はる子氏が立ち上げ、最後まで編集顧問として関わっていまし
5月1日の第1回・プリンス『愛のペガサス』からスタートしたこの「【追悼企画】『志村けんが愛したブラック・ミュージック』レコード評原稿・再掲載」は、おかげさまで大好評! 原稿のリクエストも続々といただいており、公開後さらに増加しているほど。引き続きお読みになりたい原稿のリクエストを募集しておりますので、詳しくは4月27日MLCニュースをご覧ください。締め切りは5/31(日)23:59まで。どしどしご応募お待ちしております。 【音楽雑誌『jam』】 『jam』は、1978〜1981年に弊社が刊行した音楽を中心としたカルチャー雑誌。『ミュージック・ライフ』『ロック・ショウ』と編集長を歴任した水上はる子氏が立ち上げ、ティーンを主な対象読者としたそれら2誌に対し、もう一段階上の年齢層、言わば “その2誌を卒業した読者” に向けたものでした。 【『jam』1980年12月号】 今回の原稿が掲載されたの
いよいよ本日から始まりました「【追悼企画】『志村けんが愛したブラック・ミュージック』レコード評原稿・再掲載」。今回の企画は、志村けん氏が弊社刊行の雑誌に書き残した原稿を今一度掲載することで、あまり語られることのない側面にスポットを当て、同じ「いち音楽ファンとしての志村けん」に、我々なりに追悼の意を捧げたいという気持ちを所属事務所にもご理解いただき、実現しました。 そしてお読みになりたい原稿のリクエストを募集しております。詳しくは4月27日MLCニュースをご覧ください。締め切りは5/31(日)23:59まで、それまでどしどしご応募お待ちしております。 【音楽雑誌『jam』】 『jam』は、1978〜1981年に弊社が刊行した音楽を中心としたカルチャー雑誌。『ミュージック・ライフ』『ロック・ショウ』と編集長を歴任した水上はる子氏が立ち上げ、ティーンを主な対象読者としたそれら2誌に対し、もう一段
追悼・志村けん 去る3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎で突然の他界をした志村けん氏。1974年にドリフターズに加入して以後のキャリアは、老若男女を通じて「知らぬ者などない」という言葉がそのまま当てはまります。ですが、コメディアンとして半世紀近くにもわたって第一線で活躍し続ける一方で、音楽通としての横顔も持ち合わせていた、しかもそれがかなりのマニアックなものだった、というのはご存知でしょうか。なんと彼は、商業誌で専門家の一人として、洋楽の新作アルバムのレヴュー原稿を執筆していたのです! 執筆された原稿を読んでみると、確かな知識によって裏付けされた分析/評価は、40年を経た今もあまり変わらないことがわかります。文章ではお笑いタレントとしてのキャラクターを保ちつつ、プレイや録音に関して記述する部分などは、専門家の文章とほとんど遜色がありません。当時の担当者も、実際に届いた原稿を読んでそのク
今から45年前、クイーンを日本で初めて紹介した音楽雑誌ミュージック・ライフ。同誌の元編集長、東郷かおる子氏と増田勇一氏がクイーンと映画『ボヘミアン・ラプソディ』を語るトークイベントが、2018年12月15日開催されました。ここでは当日の模様を全3回に分けてお届けしていきます。 PART.2はこちら 増田:そしてこの後もお話は尽きない所なんですけど、2000年代に入ってから、今現在でいうとクイーン+アダム・ランバートのアメリカン・ツアーが決まってますけども、その前にポール・ロジャースとやったりとかがありました。ああいったフレディ不在のクイーンに関して東郷さんはどんなご意見をお持ちですか? 東郷:これはさっき控え室でも話してたんだけど、アダム・ランバートいいっすよ、考えうるパズルがハマったなって感じはしました。でもポール・ロジャースが意外と良かった。フリーの頃からヴォーカリストとして最高に上手
今から45年前、クイーンを日本で初めて紹介した音楽雑誌ミュージック・ライフ。同誌の元編集長、東郷かおる子氏と増田勇一氏がクイーンと映画『ボヘミアン・ラプソディ』を語るトークイベントが、2018年12月15日開催されました。今回はクイーン来日秘話を披露したPART.2をお届けします! PART.1はこちら 増田:さっき来場された方から質問を募ったんですけど、メンバーの人となりや、実際会うとどんな人なのかを知りたいと言う方が多いんですよ。映画の中での描かれ方はメンバーの人間像という部分での違和感というのはありました? 東郷:全然ないですね、特にロジャーなんか本当にああいうことはやってないと思うけど、フレディの妹に「この後空いてる?」って手を出す場面があるでしょ、あれはやりそう。 増田:実際はあったかどうかは分からないけど、やりそうなこと言いそうなことが描かれて。 東郷:だからロジャーはあの場面
今から45年前、クイーンを日本で初めて紹介した音楽雑誌ミュージック・ライフ。同誌の元編集長、東郷かおる子氏と増田勇一氏がクイーンと映画『ボヘミアン・ラプソディ』を語るトークイベントが、2018年12月15日開催されました。ここでは当日の模様を全3回に分けてお届けしていきます。 増田勇一(以下増田):増田勇一です、よろしくお願いします。 東郷かおる子(以下東郷):東郷かおる子です、よろしくお願いします。 (場内拍手) 増田:寒い中お集りいただいてありがとうございます。このイベント即完というか瞬間であっという間に定員になってしまったようで。来られなかった方がたくさんいらっしゃるらしいんですよ。今、クイーンの話をしたい、聞きたいって人がすごくたくさんいらっしゃるようで。 東郷:ね〜、どうしちゃったんでしょうね。 増田:どうしちゃったんでしょうねって、東郷さん最近テレビとかでお話される機会が多いと
フレディ・マーキュリーの死後も活動を続けているブライアン・メイとロジャー・テイラーとは対照的に、表舞台から姿を消したジョン・ディーコンですが、クイーンの広報担当者が『Daily Mail』紙に語ったところによると、バンドが運営する事業の平等な株主でもあるディーコンには、推定で約1億3500万ドル(約152億1,300万円)の資産があり、引退後はひっそりと暮らしているそう。〈Ultimate Classic Rock〉がここ最近のジョン・ディーコンの動向を伝えています。 ブライアン・メイは、「今の生活は彼が選んだことだし、僕らにも連絡はないんだ。ジョンは最初から繊細な人だったからね」と語り、ロジャー・テイラーも、「一切、音沙汰はない」と語っています。 テイラーによると、何度もオーディションを行った末にディーコンを選んだのは、彼の物腰が気に入ったからだと言います。「当時の僕らは度を越していたか
フレディ・マーキュリーのセクシャリティ、ましてや彼を死に至らしめたエイズについて、クイーンが多くを語ったことは一度もありませんでした。 ドラマーのロジャー・テイラーは、1991年にマーキュリーがエイズで亡くなった直後、次のように語っていました。 「グループとしては非常に親密な関係だったけど、僕らでさえフレディについては多くのことを知らなかったよ」 しかし、彼らが一つだけ確信していたのは、マーキュリーが単に男か女かという表面的な部分だけで定義づけられるような人物ではなかったということです。 彼のセクシャリティが話題になるずっと前から、彼がバイセクシャルだったと言う人もいますが、ブライアン・メイはかつて「Daily Express」に次のように語っていました。 「彼自身、最初は認識していなかったと思うよ。僕は最初の頃に何度かツアーでフレッドと同じ部屋に泊まったから、彼のことはよく知っていたけど
来日熱望! ポール・マッカートニーの写真展が大阪で開催、ウイングスの映画も全国公開。そしてマル・エヴァンズの評伝本が発売! S.M.R.S.はポストカード2枚付で販売開始! 神保町がハード・ロックとヘヴィ・メタルの聖地に!?──BURRN! 40th Anniversary Gallery & Bar限定オープン!
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