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大そうじへの備え
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男の権力、成功、金は、男の弱さを覆い隠すものだ。その弱さは、孤独が深まることに由来すると僕は思う。友だちが努力をせずに簡単に得られなくなったときが、トラブルの始まりだ。女性はこの変化にうまく対応できるようで、それは女性の「孤独感センサー」が、男性のセンサーよりもずっと敏感であることが一因だ。男性は通常、お金や地位の獲得に心を砕き、それを達成した後は、その間ずっと友人関係をおろそかにしてきたせいで、虚しさ寂しさを感じてしまうのが常だ。この問題の始まりと特徴、結果、そして適応させやすいものとそれほどでないものの両方の改善策が、本書の重要な課題だ。 (トーマス・ジョイナー『男はなぜ孤独死するのか』晶文社、2024) こんにちは。先日、組織開発の専門家として知られる勅使川原真衣さんに、勅使川原さんが編著者を務めている『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』を献本していただきました。ケンポンっ
そして、人間はコミュニティの中でヒエラルキーを構築していくわけだが、ここでは腕力ではなく駆け引きがうまい人が上にいく。まさに、人を蹴落としていけるような人たちがうまくいく。デュマの書いた小説『モンテ・クリスト伯』の前半のように、うまく立ち回った人たちが権力を持つようになっていくわけだ。 そう考えると、諸悪の根源は「定住」と考えてもおかしくない気もしてくる。 (長倉顕太『移動する人はうまくいく』すばる舎、2024) こんばんは。教員になってから約20年。メンバーシップ型ではなく、すなわち「定住」型の働き方ではなく、駆け引きの苦手な自称ジョブ型の教員として、A県、B県、そしてC県と「移動」してきました。だからでしょうか。先々週の誕生日のときに、職場の同僚が長倉顕太さんの『移動する人はうまくいく』をプレゼントしてくれて、曰く「先生にピッタリだと思いました!」云々。 うん、ピッタリです。 長倉顕太
今井 なんでももっと書いたほうがいいですよ。書いたり話したりして、アウトプットすることは、選択肢から回答を選ぶことよりずっと大事なことだと思います。 それに英語学習などでも、インプットだけだとなかなか定着しないんです。やはりアウトプットしないと。ですから、読書ももちろん大事ですが、読んだことを、自分の問題意識と関係づけて文章に書くなどして発信していかないと、読んだだけで終わってしまう。為末さんはSNSやブログで書かれているので、それはとても大きいと思います。 (為末大、今井むつみ『ことば、身体、学び』扶桑社新書、2023) こんばんは。そんなわけで、ブログを書き続けています。本も読み続けています。先週、通知表の所見に追われてブログはほとんど書けませんでしたが、通勤電車の中などで本は読み続けていて、一昨日の金曜日は、 宇沢弘文を読む。 代官山にて(2024.12.13) 一昨日の夜に、代官山
ファラデーは、そのクリスマス講義をとても念入りに準備した。それらは素晴らしい講義で、そのいくつかは後に出版された。かれは子どもたちに自分のアイデアをできるだけ簡単なやり方で語った。かれは自分のアイデアのすべてを説明することはできなかったが、それは子どもたちが科学について十分な知識をもっていなかったからだ。 しかしかれはできるだけ簡単に話そうとした。こうして、かれは科学のために偉大な貢献をした。なぜならファラデーの時代以降、科学の進歩を望むならば、子どもたちにどのようにしたら科学的になれるのかとか、開かれた精神をもつことができるようになれるのかを教えなければならない、と多くの人々が気づくようになったからだ。 (ヨセフ・アガシ『父が子に語る科学の話』講談社、2024) こんばんは。先日、国内某所で食事をしていたところ、背後の席に大物が現れてびっくりしました。ホリエモンこと、実業家の堀江貴文さん
単語を一つ書きとめるたび、不思議に胸がさわいだ。この本を必ず完成させたい。これを書く時間の中で、何かを変えることができそうだと思った。傷口に塗る白い軟膏と、そこにかぶせる白いガーゼのようなものが私には必要だったのだと。 (ハン・ガン『すべての、白いものたちの』河出文庫、2023) こんばんは。尹錫悦大統領による突然の戒厳令の宣布に、ハン・ガンさんも驚いたのではないでしょうか。今年、アジア人女性として初めてノーベル文学賞を受賞した、韓国人のハン・ガンさんの地元は「光州事件」で知られる光州です。彼女の代表作である『少年が来る』は、その光州事件を題材としたもの。またあのときのように多くの犠牲者が出るのではないか。抗争に巻き込まれる学生や家族が出るのではないか。せっかく私が『少年が来る』を書いたのに。ノーベル文学賞までとったのに。あのとき犠牲になった死者たちに、 祖国は、なぜ報いようとしないのか。
「これからどうすればいいんでしょう? 本はぼくらを助けてくれるんでしょうか?」 「必要なものの三つめが手にはいりさえすれば。ひとつめは、最前いったとおり、情報の本質だ。二つめは、それを消化するための時間。そして三つめは、最初の二つの相互作用から学んだことにもとづいて行動を起こすための正当な理由だ。しかしながら、この老いぼれと、物事に幻滅した昇火士が、ゲームも終盤におよんだいま、なにほどのことができるのか、はなはだ疑問だな……」 「ぼくは本を手にいれることができます」 「そのような危険を冒すつもりとは」 (レイ・ブラッドベリ『華氏451度』ハヤカワ文庫、2014) こんばんは。前回のブログ記事にたくさんのブックマークがついて、なんと、1日のアクセス数が1万を超えました。今週のはてなブログランキング〔2024年11月第5週〕では、なんとなんと、第4位。第12位だった先週〔2024年11月第4週
低学年くらいのときは、たいした思い出がない。たまたま一緒にいる子と遊んでいるという感じかな。自閉スペクトラム症的なエピソードはちょこちょこあって、場の空気を凍らせたりとかは、ありました。人の心がないっていうか。道徳の授業で、車に撥ねられた人を目撃した場合に関するお話が出てきて、あなたがその立場になったら、どういうふうに感じるか、まわりの子と話しあってみましょうという課題。みんなは「かわいそう」とか、「大丈夫? って声をかけます」とかと言ってるなか、私ははっきり手を挙げて、「じぶんじゃなくて良かった」って言いました。クラスが凍ったのがわかって、「あ、しまった。それが正解なのか」って思いました。二年生くらいのことです。 (横道誠『「心のない人」は、どうやって人の心を理解しているか』AKISHOBO、2024) こんばんは。クラスが凍るような発言をした児童がいたときに、担任がそれをどう受け止め、
学生に好かれるために教師をしているのではない。これは、幼稚園や小学校の先生でも同じである。子供に好かれることを動機や目的としていたら、先生として失格だ、と僕は考える。親も同じである。子供に好かれるために子育てをしているのではない。もちろん、嫌われると、ますますアドバイスを聞いてもらえなくなるから、適度に好かれた方がやりやすいということはあるけれど、それが主目的ではない、ということ。 (森博嗣『妻のオンパレード』講談社文庫、2023) こんばんは。では、何が主目的なのかといえば、それはもちろん《教えることで、社会にとって有意義な人材が育つことが主たる目的》です。妻のオンパレードだなんて、読み方によってはちょっと不道徳な匂いのするタイトルをつけながらも、さすがは名古屋大学の元教授です。大学の教授だろうが、小学校の先生だろうが、 目的は同じ。 森博嗣さんの『妻のオンパレード』読了。学生にはテスト
―― では、職員室での人間関係を除けば、教員生活も必ずしも不満ではなかったのですね? ―― そうですね。 (平野啓一郎『富士山』新潮社、2024) こんばんは。おそらくは学芸会の後に飲み会を開いて、そこにいない職員の噂話や悪口で盛り上がるような《職員室での人間関係》だったのではないでしょうか。台本にすると「A先生とB先生、できてるんじゃない?」「やっぱりそうなの?」「一緒に富士山に登ったらしいよ」みたいな。噂話や悪口でつながろうとするのは子どもと一緒です。 大人げない。 泡盛珈琲(2024.11.22) 華金(死語)だった昨日、実踏の帰りに珈琲屋に立ち寄りました。たまたま目に入ったお店です。開いていたのもたまたまで、マスター曰く「夜まで営業しているのは金曜日だけ」とのこと。 ラッキーでした。 お客さん「お酒の入った珈琲、まだある?」 マスター「あるよ」 田舎教師「僕にもそれをください!」
他者に認められたい、という承認欲求が、このネット社会ではやや加熱しているように観察される。現代の子供たちは、相対的に大勢の大人に保護されている。しかも、褒めて育てる教育法が主流となっているから、幼い頃から、とにかく褒められるだろう。なにをしても、周囲の大人が即座に反応してくれる。オーバに手を叩いてくれるし、可愛いね、上手だね、凄いねとべた褒めされる。結果的に、そんな好意的な反応をもらえるものが「社会」だ、と思い込む人間を育てているのである。 大人になって一人暮らしを始めると、これが一転することになる。仕事場では、誰も褒めてくれない。多くの仕事は、相手を褒める側に立つものである。頭を下げ、相手の機嫌を取らなければならない。子供の頃とのギャップが甚だしい。 (森博嗣『お金の減らし方』SB新書、2020) こんばんは。上記の《オーバに手を叩いてくれる》というところは「オーバーに」の間違いではない
ある一つの職業の偉大さは、もしかすると、まず第一に、それが人と人を親和させる点にあるのかもしれない。真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。 (サン=テグジュペリ『人間の土地』新潮文庫、1955) こんばんは。上記の引用の訳者は、フランス文学者の堀口大學(1892-1981) です。芥川龍之介(1892-1927)と同い年。90年代に一世を風靡したきんさんぎんさん(成田きん、蟹江ぎん)とも同い年。要するに、 かなり昔の人です。 同じ文章を1968年生まれのフランス文学者・渋谷豊さんが訳すと次のようになります。 職業というものの尊さは、何よりもまず、人と人を結びつけることにある。この世に当然の贅沢は一つしかない。人間の関係という贅沢がそれだ。 サン=テグジュペリ『人間の大地』(光文社古典新訳文庫、2015)より。タイトルも変わっていることに気がついたでしょうか。土地か
約6年後の1976年、日本の対中外交に背中を押される形で、米国もついに中国との国交正常化に踏み切るのです。 日中国交正常化以降、日中間の貿易額は7年間で6倍に増加していました。これに強い危機感を抱いたのが、米国の経済界でした。将来的に大きな成長が期待できる中国市場で日本に先を越されている現実に焦りを募らせ、米国も早く中国と国交を結ぶよう政府を突き上げたのです。 (布施祐仁『従属の代償』講談社現代新書、2024) こんばんは。1972年9月、田中角栄(1918-1993)が自主外交によって日中国交正常化に成功した際、アメリカの国家安全保障担当大統領補佐官を務めていたキッシンジャー(1923-2023)は「あらゆる裏切り者の中でも、ジャップが最悪だ」と怒りをぶちまけたそうです。つまり、 当時の日本は対米従属ではなかった。 小学校の目指す児童像でいうところの「自ら考え、判断し、行動する」ことがで
まあ、そりゃ学校では推しの語り方、なんて授業はありませんよね。当然です。 でも、考えてみてください。読書感想文の宿題はありましたよね。 なんでもいいから一冊本を選んで、感想を夏休み中に書いてきてね、と学校の先生から言われたことがあるはずです。でも、どうやって読書感想文を書いたらいいのか、その方法論は学校ではほとんど教えてくれません。 (三宅香帆『「好き」を言語化する技術』ディスカヴァー携書、2024) こんにちは。4年、5年、6年と持ち上がっているうちのクラスには「推し活」という係があります。推し活係です。 先生、推しについて語る係をつくりたいです! 1年前か2年前にそう言われたときには、推しかぁ、今どきだなぁと思ったものです。そして、推し活係の子どもたちが推しにまつわるエトセトラを Google スライドにまとめて熱く語る姿に、これぞまさに「好きこそものの上手なれ」だなぁと思ったものです
共通項を抽象化すると、大人は「言葉、法、損得」へと閉ざされていて、子どもは「言外、法外、損得外」に開かれています。個体発生は系統発生を模倣するというヘッケルの法則は出生後にも拡張できます。これら子どもの特性は、数十万年オーダーで続いた遊動段階や初期定住段階の大人の特性です。だから今の大人は不自然で、子どもは自然です。 ならば、シュタイナーや吉本がそうだったように、子どもが大人になることを素朴に「成長=一人前になること」と捉えず、「疎外=不自然になること」と捉える視座が必要です。その点、森に放っても指示がないと動けない子どもが増える昨今は、まずい展開です。子どもから内発性=内から湧く力 intrinsic power が失われていることを意味しているからです。 (宮台真司、おおたとしまさ『子どもを森へ帰せ』集英社、2024) こんばんは。上記の引用に出てくるエルンスト・ヘッケルの法則を拡張す
宮台 90年代の僕は一貫して、日教組的な言説に対抗してきました。日教組の「万人に無限の力がある」に対し、僕は「人ごとに違う凸と凹が噛み合って尊敬できるコラボがいい」と強調。「勝つ喜びよりも分かる喜びが大切だ」に対し、「感染動機さえあれば、すべて暗記して競争に勝つ喜びも問題ない」と強調。他でもない、僕がそうしてきたからなのです。 近田 確かに、ずっとそうだったよね。 宮台 僕が東大を目指したのは革命家になるため。高2で父と論争した時、父が「革命家になるにも東大だぞ」と宮本顕治を持ち出してきたこともありました。高2からはグラシム主義者(構造改革派)松田政男氏の本『薔薇と無名者』(70年)を通じて圧倒的に感染したブント(都市革命主義者)廣松渉氏が、東大で東大教授だったこともありました。 (宮台真司、近田春夫『聖と俗』KKベストセラーズ、2024) こんばんは。宮台真司さんの自伝(1960年代の幼
行き場のない気持ちを抱えながら、家業の全てを否定するしか進む道はなかった。そこから一つ一つを変えていく。たとえ、どんなに辛い作業だったとしても、彼は信念を貫き通す。 なんと強靱な精神なんだろうと、私は圧倒された。 「父と母、そして従業員の全部を否定しないと自分たちが精神的に立っていられなかったんですよ。全てが悪くなかったかもしれないけど、” お前らの考えは間違っているんだ!”と言わないとモチベーションが保てなかったし、とてもじゃないけれどやり切ることはできませんでした」 (山内聖子『蔵を継ぐ』双葉文庫、2021) こんばんは。まるでアップルのスティーブ・ジョブズ(1955-2011)の「Think different!」のよう。そう思いました。社会学者の宮台真司さんは、ジョブズのこの言葉を次のように意訳しています。 皆は間違っている! 業界は異なれど、高嶋酒造の高嶋一孝さんの「お前らの考え
そんな彼らの発信するニュースや写真を目にするたびに、私は彼らに対する尊敬の念と同時にある種の安堵感のようなものを覚えた。 自分は決して一人ではない――。 サン=テグジュペリが砂漠で墜落し、一滴の水も飲めずに砂の大地をさまよい歩き続けていたときに、遭難しても生きることを諦めなかった僚友のことを考え続けることで自らをつなぎとどめていたように。 私はいつしか所属する組織に寄りかかるのではなく、それぞれの個と個をつなぐ友情という名の命綱を頼りに、この先の人生を切り拓いていけないかと夢想するようになって・・・・・・。 (三浦英之『沸騰大陸』集英社、2024) こんばんは。彼らというのは、新聞記者である三浦英之さんの仲間や同業者のことです。同業者には、社内(所属する組織)の人たちだけでなく、社外の人たちも含まれます。含まれるというか、おそらくは社外の人たちの方が多いのでしょう。 同僚とは飲むな、友だち
他者 ―― 意味の他者 ―― は、固定された論理空間のもとでは姿を現さない。たとえ他者との出会いによって新たな論理空間が私のもとに開けたとしても、そこに位置づけられ理解された他者はもはや他者性を失った残滓でしかない。他者の他者性は論理空間の変化の内にのみ、現れてくる。それゆえそれは固定された論理空間の内部で語りきれるものではない。では、『論考』がそう結論したように、私は沈黙せねばならないのだろうか。 いや、そうではない。 沈黙は何も示しはしない。私は語るだろう。ひとつの論理空間のもとで語り、他者に促され、新たな論理空間のもとでまた新たに語る。この語りの変化こそが、他者の姿を示すに違いない。 (野矢茂樹 『他者の声 実在の声』産業図書、2005) おはようございます。先日、同僚の結婚式がありました。4年生、5年生、6年生と、持ち上がりで同じ学年(2クラス)を組んでいる同僚です。結婚、おめでと
渡船は野生種だからこそ、のびのび育つのだと言います。 「野生種は、人に育ててもらおうと思って生まれた米ではないために、自分で子孫を残そうするちからがあるので、もう、言うことを聞かないんです(笑)。でも、そこがかわいい。甘やかすと、どんどん伸びて手に負えなくなり、倒伏(稲が倒れること)の原因になるのですが、田んぼの水やりや肥料の量を注意しながら、うまくコントロールしてあげると、抜群にいい酒米に育ってくれます」 (山内聖子『いつも、日本酒のことばかり。』イースト・プレス、2020) こんばんは。いつも、クラスのことばかり考えている担任は、子どもと同じだなぁって、そう思ったのではないでしょうか。 クラスの中には、野生種のような子もいるんです。でも、そこがかわいい。甘やかすと、どんどん荒れて手に負えなくなり、学級崩壊の原因になるのですが、教室の雰囲気や子どもたちの関係性に注意を払いながら、うまくコ
私にとって日本酒とは、飲むとホッとして肩の力が抜け、ゆっくりと日が沈むように、酔いが下へ下へと降りていくお酒です。 ところが、「AKABU 純米吟醸」を飲むと、一瞬、上半身がふっと5ミリ浮く、気がします。 もちろん、この酒も日本酒特有の肩の力が抜ける飲み心地はありますが、いつまでもフワフワと浮遊しているみたいな酔い加減が続き、小さな羽が背中に生えたのではないかと錯覚してしまいます。 (山内聖子『夜ふけの酒評』イースト・プレス、2022) こんばんは。夜ふけの書評です。これ、本当なんです。小さな羽が生えて、一瞬、上半身がふっと5ミリ浮くんです。直前に山内聖子さんにサインをもらって舞い上がっていたので、もしかしたら気のせいかもしれないって、そんなふうにも思いましたが、何度も「おかわり」して確かめたので間違いありません。ちょっとした空中浮遊の感覚が続き、思わずかぷかぷ笑いそうになるんです。さすが
文部科学省に関しても、科学部門は残す必要がありますが、教育部門は要りません。教育は地方自治の根幹ですから、江戸時代の諸藩の藩校のような形で、300の圏域に教育の権限を付与すればよいと思います。これは昔話ではなく、世界を見ても、現在ほとんどの国がそのようにしています。総務省と文科省については、その大半の権限を、地方の圏域に付与することで、中央省庁のスリム化のモデルとなります。 次に、民間にできることは民間に任せますが、その代表が経済産業省です。これはもう要りません。 (泉房穂『わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇』集英社新書、2024) こんばんは。圏域というのは、今ある47の都道府県と約1700ある市町村を、300ぐらいの「圏域」(首都圏、阪神圏、神戸圏、等々)に再編するという、元明石市長・泉房穂さんの「廃県置圏」のアイデアから出てきている言葉です。地方行政は「廃県置圏」によ
まだ書いていこう、輝先生が前にいるんだもん、と私は素直に思った。輝先生は昔に会ったときよりもうんと強く大きくなっていた。私も大きくなっていたきたい、こんなふうに、大きな木のように、そう思った。 (宮本輝、吉本ばなな『人生の道しるべ』集英社文庫、2024) こんにちは。一昨日の夜、東京は有楽町に行って、呑む文筆家として知られる唎酒師の山内聖子さんにサインをもらってきました。このブログのことを覚えてくれていて、少しお話をすることもできました。盛岡にある赤武酒造の AKABU や沼津の白隠正宗をはじめ、山内さんの『日本酒呑んで旅ゆけば』に登場する日本各地の地酒を味わうこともできました。書縁も酒縁も、 育むもの。 有楽町で呑みましょう(2024.10.11) www.countryteacher.tokyo 縁は育むもの。 宮本輝さん(1947~)と吉本ばななさん(1964~)も縁を育んできたのだ
磯田さんは子どものころ、倉敷市にある弥生時代の墳丘墓、楯築遺跡に、岡山の自宅から何度も通っていた。自転車で10㎞の道のりである。雨の後、土器のかけらを探しに来ていたそうだ。そして、小学生のとき、自分の身長くらいの古墳を作ったそうだ。古墳のモデルを作ってみると、どこが崩れやすいかがわかったのだという。 「著者がもっとも感心したのはこの部分」 (今井むつみ『学力喪失』岩波新書、2024) おはようございます。自転車で10㎞の道のりと聞くと、高校生だったときの登下校を思い出します。小平の自宅から高校まで片道約9㎞。時間にして30分以上。遠かったなぁ。だから実感と共感をもってわかります。換言すると、人工知能や認知科学の領域でいうところの「記号接地」ができているからわかります。10㎞の道のりを自転車で《何度も通っていた》というその小学生は、おそらく、 ただ者ではない。 www.countryteac
共同生活をするスナフキンは、不在のムーミン一家がとても恋しくなります。それはこの一家のメンバーのニューロマイノリティの特性が強く、それぞれの自閉度が高いからです。 はっと急に、スナフキンは一家のことが恋しくて、たまらなくなりました。あのひとたちだって、うるさいことはうるさいんです。おしゃべりだってしたがります。どこへ行っても、出くわします。でもいっしょにいても、ひとりっきりになれるんです。(『十一月』p.117) その自閉性の高さゆえに、一緒にいてもひとりきりの気分にさせてくれるニューロマイノリティたち。ニューロマジョリティはきっと、そんなニューロマイノリティの自閉性にしばしばさみしさや物足りなさを感じるかもしれません。 (横道誠 『なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか』集英社、2024) おはようございます。今日はこれから運動会です。運動会といえば、
プロテスタント系コミューンの信仰者としての森と初代文部大臣としての森をつなぐ一本の線を、園田英弘は「制度」への関心と要約している。園田によれば、『明六雑誌』時代までの前期の森の発言を重視して彼を自由主義の思想家と見る議論も、文部大臣となってからの後期の発言を重視して彼を国家主義者と見る議論も、ともに見過ごしてきたのは、森が国家と個人を結びつけるものとして、「制度」の水準を設定していたことである。森は、彼の同時代の誰よりも、このすぐれて近代西欧的な概念である「制度」の社会的作用を熟知していた。 (吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書、2011) こんにちは。上記の「森」とは、もちろん森有礼(1847-1889)のことです。ユウレイではなくアリノリ。著者の吉見俊哉さん曰く《森有礼の教育に対する関心の芽生えは早く、少なくとも彼が代理公使としてワシントンの日本大使館に赴任した1871年には、教育こそが
織元は、ダム建設に純粋に命を懸けている。なぜそれほど命懸けになるかは詳しく描かれていない。しかし、この小説が、足掛け8年に及ぶ補償交渉が1956年(昭和31年)に妥結した福島県只見川田子倉ダム補償事件をモデルにしていることを考えると彼の立場は理解できる。この頃の日本人は、戦争の痛手から必死に回復しようとしていた。織元も日本の復興のためには電力が必要であるとの信念でダム開発に取り組んでいる。言わば「公」の価値を体現する男だ。 (城山三郎『黄金峡』講談社文庫、2010) おはようございます。福島県は只見町にある只見駅から歩いて5分くらいのところに「ふるさと館田子倉」があります。田子倉ダム建設に伴い、湖底に沈んだ田子倉集落の記憶を後世に残すことを目的とした資料館です。ちょうど1週間前の日曜日に、只見町の町議会議員さんであったり、只見町に興味を持っている人たちだったりと共に、そこに足を運びました。
「あのころの太宰は、あなたに相当あこがれていましたね。実際、そうでした。」 桃子さんは、びっくりした風で、見る見る顔を赤らめて、 「あら初耳だわ。」 と独りごとのように云った。 「おや、御存じなかったんですか。これは失礼。」 「いいえ、ちっとも。――でも、あたしだったら、太宰さんを死なせなかったでしょうよ。」 この才媛は、まだ顔を赤らめていた。 ひとくちに「おんなごころ」といっても、人によって現れかたが違っている。 (井伏鱒二『太宰治』中公文庫、2018) こんばんは。前回のブログに「縁あって福島県は只見町に行ってきました」という話を書きました。前々回のブログには「酒縁にせよ書縁にせよ、縁は育むもの」という話を書きました。今回のブログは「実際に縁を育んでみました」という話から始めます。縁を育むべく、 いざ、東京へ! www.countryteacher.tokyo 昨夜、只見町で知り合った
清水 僕もいくらか農村調査はやってきましたけど、確かに今はもう日本の農村に行っても、戦前の暮らしが垣間見えればいい方で、とても前近代は体感できないんですよね。だから、これから前近代史研究を志す人は世界の辺境に行ってみた方がいいのかもしれません。学ぶところがきっと多いんじゃないかと思います。 高野 辺境を知ろうとするときに歴史が役に立つみたいに、歴史を考えるときに辺境での見聞が役に立つということですか。 清水 中世史の研究者も、古文書だけから理論を立ち上げているわけではまったくなくて。そうでもしないと、想像もつかない世界のことを叙述するのはたぶん無理なんで。(高野秀行、清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』集英社文庫、2019) こんばんは。農村調査でも世界の辺境でもないですが、先日、縁あって福島県の西南にある只見町に行ってきました。豊かな森林資源や田子倉ダムで知られる、人口3500
私はじっくり飲んで酒をわかりたい亀タイプ。唎き酒に近いちょっと口をつけた(喉を通した)程度の酒は、ただ上澄みをかすったようなもので、知っている銘柄にはカウントしていない。名前を聞いたことはある、てな具合。20年かけてようやく知っている銘柄のほうが増えてきたぐらいだ。 日本酒を書く人間としては、ずいぶんのんびりしすぎだと言われることもあるが、それでいい。知らない銘柄があるとは、これからも新しい酒の縁があるということ。「日本酒で知らない銘柄はない」と無理して大きく構えるよりも、何年経っても知らない酒があるとわくわくしていたい。しかも今までの経験上、そんな呑気なスタンスでいたほうが素直によい酒縁を引き寄せるのだ。 (山内聖子『日本酒呑んで旅ゆけば』イースト・プレス、2024) こんばんは。母親の傘寿祝いに日本酒をプレゼントしようと思って近所の酒販店に足を運んだところ『Beginnig Nihon
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