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そもそもね、書き始めたのが11月だったんですよ、去年の。 で、あーだこだーと調べてるとね、中々もうあれも読まなきゃこれも読まなきゃとなって。 ついに平成ぎりぎりになって出すことになりましたこの文章。 結局ポジショナルプレーってなによってことを自分なりに考えました。 まぁそれだけです。 特に新しいことは書いてません。古いことが多いですね。 まぁ温故知新ということです。 例によって長いです。 それでも勇気のある方は…… いってらっしゃい! そもそも、サッカーの戦術に"イノベーション(革新)”など存在しないからだ。可能なのは、過去を模倣し発展させることに限られる。当然、今日に見る戦術にも新しいものは1つとしてない。あくまでも過去に見た形の模倣であり、それにいくつかのアレンジを加えたものに過ぎない。 私の時代にはヨハン・クライフが存在し、彼を中心とするオランダサッカーはのちに「トータル・フットボー
さて、ハリルホジッチの話をしたい。 彼がどういうフットボールを志向し、何をしたいと言ったのか、そういう部分をこれから見ていこうと思う。 そして同時に、ハリルホジッチを語る際に同時に使われる「自分たちのサッカー」についても考えていかなければならない。 つまり、ザッケローニが何を言い、どういうことを目指したかということも探しに行かなければならない。 まずは、ザッケローニが選手たちに語ったものを見ていこう。 次に、ではハリルホジッチは何をしようとしたのか、というものを見ていこう。 ザッケローニ時代との違い、縦に速いサッカーと言われたハリルホジッチの、実際のやりたかったことは何か。 日本に合わなかったというのならば、ではなぜ日本に合わなかったのか。 そのことを考えるには、まずはハリルホジッチのサッカーを定義しなければならないだろう。 ●2-1 自分たちのサッカー #とは さて、時は遡り2002年、
前回の記事は多数の反響をいただくこととなった。 いくつもの感想をいただき、また一部では恥ずかしながら詳細な解説もしていただくなど、自身でも想定外の広がりを見せたことに驚いたとともに、今回の問題への関心の高さも感じた。 拙い文ではあったが、多くの方にお読みいただいたこと、また様々な感想をお寄せいただいたことに御礼申し上げたい。 ありがとうございました。 さて、楽しみにしていたハリルホジッチ氏の記者会見もリアルタイムで見ることができた。 その会見を受けて新しい感想もまた生まれた。 そこで、可能ならばまた半年から1年ほど何も書かない生活をしようかと考えていたのだが、新しい何かを書こうと考えた。 それだけ僕自身この問題が何かをひっかけるものになるという気持ちが強いというのはある。 もう一つ。僕の上の世代の人たちがトルシエ後やオシム氏から岡田氏への交代の際に発信をしていたことを、今回の件を調べる際に
ハリルホジッチ日本代表監督の電撃解任が発表されて1週間ほどがたった。 あまりにも唐突で、理由も不明瞭な決断に多くの憶測が巻き起こっている。 かくいう僕もいくつもの想像が思い浮かんだ。 しかし、多くの想像がどこかしっくりこない。 田嶋会長は選手と話し合った結果と繰り返している。 しかし、選手のコメントを拾っていく限りでは、召集された選手についてはハリルホジッチの要求を満たそうと苦心していたように見える。 不満というものもそこまで表立って見えてきていたわけではない。 求心力がなくなったとは。 信頼関係とは。 なぜ、解任をすることで勝率が上がると判断したのか。 どういう補助線を引けば田嶋会長の言葉を解釈することができるのか。 様々な仮説を当てはめていく中で、1つだけしっくりくるものがあった。 今回はそのことについてつらつらと書いていこうと思う。 どうしてハリルホジッチは職を追われることになったの
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