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※ ネタバレは全く気にしていないので、見てから見てね。 天気の子を見てきた。私たちのことを忘れていないと新海誠が言っていたので、10年ぶりに更新されるブログがあっても良いんじゃないかなっておもった。このブログをちゃんと書いていたころ私は学生で、それからこのブログのことを忘れるくらい色んなことがあって、そして天気の子を見て、久しぶりに文章を書きたくなった。 新海誠の作品を見るのはほんとに久しぶりで、たしか雲の向こう約束の場所以来になると思う。Twitterなんかで新海の新しい作品が上映されるというのはなんとなく知っていただんけど、特に見ようとは思っていなかった。けれど誰かがエロゲーみたいだと言い始めて、選択肢が見えたなんていう幻覚の話を聞いて、それが面白くて興味を引いた。 実際に映画館で見てみれば、たしかに僕たちの青春の傍らにあったコンテンツが詰まった映画だったから、色んな人が色んなモノを見
人が楽しんでいることを、なんで楽しいのかも考えずに否定するのって頭がわるくね?ってお話。 いや、エロゲーの批評が楽しいの当たり前じゃんって話か。 論旨は以下 エロゲーは構造的にパラダイムシフトによる楽しさを提供しやすいものだということ。 パラダイムシフトってのは知性の働きで、構造の解体/解析とヒラメキによって成立していること。 構造の解体/解析は批評って行為をふくむこと。 よって、パラダイムシフトを楽しさとして提供するエロゲーは、批評によって楽しくなる。 もうQED、秋田で終わってもいいと思うんだけど、秋田で終わると評判が悪いので続きます。 ご存知のように、エロゲーというのは多く「マルチエンディング」です。いわゆる「○○ルート」という形式。 で、もっとも素朴な作品というのは同一世界観、同一キャラクターを使った短編集といえる形式。 一つのパッケージに複数の作品があるというのと同じ。 この一つ
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090517/1242546021 一つの分野について 知りたければ三冊の本を 語りたければ三十冊の本を 専門家になりたければ三百冊の本を と言っている人がいた。 世界は広い。本で知れる世界も広い。 カリカチュアと重さのバランスとか ディバイデッド・フロント〈1〉隔離戦区の空の下 (角川スニーカー文庫) 作者: 高瀬彼方,山田秀樹出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2003/05メディア: 文庫 クリック: 43回この商品を含むブログ (45件) を見るやたら尖っているとかブラックロッド (電撃文庫) 作者: 古橋秀之,雨宮慶太出版社/メーカー: メディアワークス発売日: 1997/04メディア: 文庫購入: 5人 クリック: 178回この商品を含むブログ (74件) を見る春樹的なラノベとかるーむ! ROOM NO.1
‚Ç‚¤‚É‚©‚±‚¤‚É‚©‚â‚Á‚Ä‚Ü‚·で間もなく刊行される、カラミティ・ナイト オルタナティブの販促企画が発表されていました。 超・要約すると カラミティの1・2巻買って褒めたらCD送るよ! 販促して! CDの内容はアイマスの律子役の声優されている方がボーカル、作曲がねこねこの方。ディレクションは方々のアニメで声優やったり、作詞したり歌手やったりと色々やっている方。 順に若林直美、猫野こめっと、佐藤ひろ美のお三方。音の関連うといので、よくわからんですがかなり豪華? プラスしてシステム音声なども付く様子。 カラミティ・ナイトについてですが、高瀬彼方という作家が書いたライトノベルです。上のリンクけると飛ぶ先が著者サイトですね。 元々、ハルキ文庫から出版されてたカラミティですが、GA文庫から再出発という経緯のある作品です。*1この方の作品、けっこう重たい話が多いので、読んだ人には評
やってること前提。なんつーか、考え方の筋。テーマとか構造とか、そういうんで行くとあまり面白いゲームじゃなかったんで、筋が悪いのかも。作品が悪いかは保留するけど、なんかフックがなかったんでたぶんこれ以上は俺の頭からはでてこないと思う。ので、書いて終わりにする予定。 全部で四ルート。タカシ―渡会、シュウスケ―ひよこ、隼人―鳴、統合人格―妹。*1 前三ルートをクリア後に「俺たちにも翼があったかもしれない」話として、統合人格の話がでてくる。 すべてのルートでコメディとして一級のシナリオとテキストだった。ひたすら笑える。んじゃ、物語としてどうなのよ、というともにょる。 前三ルートは、それぞれの人格が居場所をみつけることでアイデンティティを発見する話になっている。空間に対するアイデンティファイというのは結構おもしろい。*2 当然、統合後の人格の話では、それぞれがアイデンティファイした空間が重なっていく
前後関係と相関関係と因果関係 - REV's blogに向けて。 ふぁぼが赤くなったから、きょうは転載。 前後関係と相関関係を混同すると「ジンクス」。 前後関係と因果関係を混同すると「おまじない」。 相関関係と因果関係を混同すると「疑似科学」かな。 つまり、このエントリは「おまじない」。
落下傘ナース 1 (ヤングジャンプコミックス) 作者: 厘のミキ出版社/メーカー: 集英社発売日: 2009/01/19メディア: コミック購入: 6人 クリック: 80回この商品を含むブログ (25件) を見る『落下傘ナース』厘のミキ 病理服従救済冒涜…共依存ヤンデレサイケデリック。「落下傘ナース」 - たまごまごごはんで紹介されていてたので、購入・読了。まったく正反対の読み方をするだろうなと思い、読む前からレビューの内容を考えていたのですが、大体そのとおりのお話でした。 全体の感想としては、もうちょっとキャラの内面に踏み込めばイイのにもったいないな、と思った。 お話 幼なじみのチトセと文子、二人の間には約束がある。チトセが困っていたら文子が助ける。二人は子供のころからずっと、そうやってきた。チトセが電話をすれば、文子はどんな時でも駆けつけて、チトセを守ってくれる。文子の生きがいはチトセ
作り手に媚びる必要はないが、あえて反発したり挑発したりする理由も、またない。批判的な意見であっても、的確なものであるならば、作り手の心に届くのではないだろうか? ――作者さまはみてる。 - Something Orangeより 僕が常々疑問に思うのは「作者ってどこまで自分が描いたモノのことを理解しているの?」ということだ。もしかしたら僕の作品への愛は、他のどの読者よりも、作者よりも深いかもしれない。僕の作品への理解は、他のどの読者よりも、作者よりも深いかもしれない。 もしそれが真実だったら、作品の価値や意味を伝えることをできるのは僕だろう。もしそうなら、いくら作者がそれは違うと言ったところで意味はない。 こんな小話がある。 ある作家の息子が、父親の作品について「この時の作者の気持ちについて述べよ」という設問のある宿題をもらった。息子は父親に、その時の気持ちを聞いて答えとして提出した。 そし
なんかマーケティング所感を書こうとしたら、ネギまの話になった(笑。 マーケティング 最近の日本人の消費行動には傾向があるそうです。 近くの人が密集している方へ向かう 近くの人たちと同じタイミングと方向性を合わせようとする 近くの人たちと似すぎないようにする この様な消費行動なわけですが、鳥に喩えるとわかりやすいです。 近くの鳥が密集しているほうへ向かう 近くの鳥たちと同じ方向、同じ速度で飛ぼうとする 近くの鳥や物体に近づきすぎたら、ぶつからないように離れようとする こういった行動形態は自然界の動物の群れによく見られる行動で、CGなどの作成に動物の行動アルゴリズムを上記のようにしてやると「らしく」見えるそうです。 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書) 作者: 東浩紀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2001/11/20メディア: 新書購入: 42人 クリック:
きのこっている先生について考えた。 Fate/stay nightに対して、もにょもにょした感想を抱えている。 というのも「俺の脳内Fateは面白いが、きのこの書いたFateは面白くないだろ、っていうかツマンナイだろ」と思っている。まぁ、正直すぎる感想というのは大概アレだっていう良いケース。 さて、この脳内Fateってのは滅茶苦茶面白い作品である。じゃあ、俺の頭の中のFateだけが面白い作品かというとそうでもなくて、友人の脳内Fateも面白いのである。 そして脳内Fateは人それぞれということもなく、そんなに差がない。だいたい一致している。不思議である。 ということは奈須きのこに表現力があるのか? というと、これはかなり疑問なのだ。だって、キャラクターもカッコいいとは言えないし、長いしだるいし、言葉の使い方も変だし。ケレン味や華がある文章だったら風太郎みたいな文章がかっこいいよねー、と思う
『契約―再契約』の物語類型を語るためのインフラ整備みたいなもの。 当然ですが契約と責任はセットで語られるべきですね←前提 。 契約を『ロマン的契約』と『社会的契約』の二つに、 責任を『倫理的無限責任』と『社会的有限責任』に分類します。 それぞれの意味は以下。たいした意味はないんですけどね。 ロマン的契約 ロマン的契約は「騎士と淑女」とかのイメージに行きやすいから、そうしました。元は中二的契約*1だからランサーのゲッシュ*2とかそういうの。破ったら全人格を自身で否定しないといけないような契約です。この契約が原始的で直感的で、本来的と言えるでしょう。 社会的契約 契約の範囲と責任の範囲を限定したもの。この契約が履行されるように国家が契約を担保しますよ。国家とはそういう契約を誕生した瞬間に結んだって前提にしましょうねっていう社会契約論とかんかなー。 倫理的無限責任 こちらも「倫理的無限責任」が本
深読みしすぎなのは当たり前の話。 ゼロ・レクイエムは三つの嘘の複合になっていて、 全ての悪を自身に還元する 贖罪 欺瞞 1は世の中に、2は身近な人に、3は自身にむけられたものです。 1で社会的な、2で倫理的な、3で自身も含め、正当化をはかる嘘です。「世界を壊し、世界を創る」と言ったルルーシュは多大な犠牲のために、それを実行しました。あるいは実行しなければなりませんでした。創りたかった世界は「誰もが優しくなれる世界」です。そこで1が最も重要な機能を果たしています。全ての悪をルルーシュに還元すれば、文字通り「誰もが優しい世界」になり得ます。2でそれを知っている人が、その理想を目指すための指針として機能します。3で「その嘘に騙されてくれる人達」をつくり、優しさを受け取れます。だから死によって「俺は世界を壊し、世界を創る」という嘘をついて死ぬことができる。 さらに言えば「悪」の対になる「ゼロ」を生
雀牌を混ぜる 風の輪が広がる 触れ合った指先の 白い電流 見つめあうだけで 相方の差込に 風牌*1を鳴いている 一局東場*2 白いミルクのように 宙に浮く捨牌 事故だって構わない*3 高めにいきたい ドラッ☆ 特急に跨って あなたを直撃 ah ah 西*4ノミにドラのせて 「わたし和了りみたい」*5 ハネ手があなたを絞りとる 会話などなしに 竹の目みれば 考えが読み取れる 不思議な夜 鳴く声を 呪文みたいに 無限のリピート 握りこみ手をとめて 爪を立てておく ドラッ☆ 場を流し親番に 手はすでに来てる uh uh エレベータ可変待ち 「わたし和了りみたい」 上家の点棒 減っていく ツバメが飛んでいく 配牌急上昇 濃緑の雀卓に あなたたち花火みたい 心が笑顔で 満たされる けし粒の生命でも あなたたち足掻いている 「和了*6、わたしまた 和了ってる」 ハコに魂 トンでいく 作詞:ランカ アン
「10年は泥のように働け」「無理です」――今年も学生と経営者が討論 − @IT http://www.atmarkit.co.jp/news/200805/28/ipa.html 壮絶に前提を共有していない議論は、ここまで空転するのか。 五十代くらいの人には本当にわからないだろうけど、僕たちの世代って「会社を1mmたりとも信用していない」んですよ。 バブル崩壊を九十一年としましょうか。そのころ小学校低学年で、そこから十年を、いわゆる『失われた十年』としてすごすわけですね。そのころに起きた出来事は社会に出ていた大先輩のほうが詳しいでしょう。 そして小学校低学年だった子供は高校生や大学生になっています。そして将来の進路などを考えることになっているわけですが、世間は就職難。さて彼らは将来に希望を抱けるでしょうか? さらに言えば、僕たちの世代はある意味甘やかされて育ったのでしょう。立派な社会観を身
『らき☆すた』が初心者には高度すぎる理由。 - Something Orange http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080525/p1 『らき☆すた』は過去十数年のキャラクタ文化の蓄積の上に成り立っている作品なのだから、その歴史を知らないひとが理解できないのは自然なことかと。 ヲタクたちは一種のコードで会話をしている。例えば「萌え」であるとか「ツンデレ」であるとか。 “code”の検索結果(1389 件):英辞郎 on the Web:スペースアルク より http://eow.alc.co.jp/code/UTF-8/?ref=sa code 【名】 《法律》法体系{ほう たいけい}、法典{ほうてん} ・The Code of Canon Law was revised in 1983. : 教会法典は1983年に改定された。 《法律》〔地方自治体{ちほう じち
マズローの使い勝手(私信?) - シロクマの屑籠(汎適所属) http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080522/p2 マズローの欲求五段階説は、直感的に正しく、直感的にわかりやすく、直感的にカテゴライズしやすく、直感的に説明しやすい。よって、マズローモデルは使わないほうが良い。また使っているのをみたら信用すべきではない。*1論理的検証をせず、直感の正しさのみに基づくなら、宗教と同じだ。*2 マズローモデルを始めとして、概念には必ず簡便さや使いやすさがある。汎用性の高いものには気をつけるべきで、如何なる時に使うのが適切かをセットで考えるべきだ。ブレインストーミングがアイディアだしの時に使うもので、深堀する議論に向かないように。 直感的に分りやすい概念を、論理的検証をせずに発言の論理的基盤におくのなら、それはやはりイデオロギーの亜種である。 『学のある』とい
1、脆弱性 非リア充とかコンプレックスとか自意識過剰とか非モテとか道程とか、特定の言葉に対する、ぱんつはいてない自意識の脆弱性は有名である。よって保護するためにも自意識にぱんつはくべきだ。PCに対するふぁいあーをーるのように、貴方を保護してくれるだろう。 2、拡張性 ぱんつはいてない自意識は肥大しやすく、拡張しすぎると重くなるは、複雑になりすぎて制御がめんどうだは、運用に支障がでる。よって自意識にぱんつはくことで、過剰な自動拡張を防ぐべきだ。 3、感染防止 ぱんつはいてない自意識は感染することでも有名である。もちろん適度な自意識はシステムの快適な動作に必要であるが、肥大した自意識を他のシステムに感染することは望ましくない。感染防止の観点からもぱんつは重要である。 4、依存防止 ぱんつはいてない自意識を持つのシステムが他のシステムに接触すると、同一化を図ろうとすることもまた有名である。システ
僕のblogは、です・ます調もあれば、だ・である調もある。書いている事によって滅茶苦茶に文体が変わるのだ。だ・である調の時は、自分に向けて書く割合が大きく*1、です・ます調の時は人に向ける割合が大きい。同一記事内で色々な文体が混じるのは、きっとそのせいなのだろう。 だが人の文章を読んでいて、文体が急に変わったりすれば混乱する。そうすると、人が読むことを踏まえて文体を統一したほうがよいのかもしれない。ただそうすると、気分が乗らなくなって記事の内容が制限されてしまうかもしれない。自分を制限せずに、人も読みやすい、そんなスタイルをしっかりと見つけることが文体を身に着けることなのかもしれない。そんなん見つかるかなぁという話であるが、書いている内に道筋が見つかるかも。ひらめく瞬間が来ればよい。 *1:後は少し畏まった記事を書くときくらい
オンリーワンかナンバーワンか、そういった議論が一昔前に起こっていた気がする。 オンリーワンは『たった一つの』を意味する。つまり、かけがえのない存在である。オンリーワンであろうとすることは『代替不可能な存在になる』ことである。当然、代替不可能とは誰にとってか? が問われる。 このとき、人は私人としては容易に『代替不可能』な存在になれる*1が、公人としては大体不可能である。 私人としてオンリーワンになることに満足すればよい、という話もあるだろう。 だが「人は一人では生きていけない」という話があるが、全くその通りである。高度化した社会では、必然的に分業が行われるし、分業が選択される以上一人で生きていくことはできない。*2 そして社会生活を営む以上、ある程度にかけがえがないと思われなければ、替えがきく存在になってしまう。そうすると私人としての存在も脅かされる可能性がある。 すると公人としても願わく
2、3週間前に海燕(id:kaien)さんのチャットで話してたこと=感想と批評とレビューの違いについて。 これらの違いをわざわざ言う意味って、それぞれが「目的が違う」から。では何が違うのか。 感想 :読書の体験を書く = 表現 批評 :作品を明らかにする = 説明 レビュー:作品を紹介する = 販促 実際に書いていく上で重なる領域があるので、分かちがたいものでもあるが、どこを書いているかは明確にした方がよい。書き上げたものの視点が散漫になり、人それぞれの読み方を限りなく許すことになるからだ。それをネット上でやると、とても無意味な議論が発生する可能性を生むからだ。 また、それぞれにおいて、必要とされるものが違ってくるというのもある。 感想では感性と表現力が必要とされる。感想という名前の作品を生み出す作業に他ならないからだ。一人称の小説を書くという作業に近しい。この点を踏まえると、他
多摩坂さんと絡む機会があったので、前々から考えていたことをちょぼちょぼ。 http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20071104/1194188419 一つ。 評を公にすることによって裁かれるのは、対象となる作品よりは評者の趣味と見識だということ。 この話は批評に限る話ではない。何か行動すること、話すこと、全て誰かに評価されるのだ。 さらに重要なのは、その評価は人に影響を与えることだ。誰かが書いた評価を、一人の作家が深刻に評価することで潰れることもあるかもしれない。誰かが扇いだ団扇の風で、桶屋が儲かるかもしれない。 僕達の一挙手一投足、一呼吸はどこかの誰かにプラスであれマイナスであれ、影響を与える。どんな行為であれ、影響が一切ないとするのは非現実的だろう。そして他者に与える影響に、僕達の責任は発生する。 (1)自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。 「
おわ。。。 - Nobody tells the storyの反響が予想外に大きいので、レスをば。僕としては大したことを言ったつもりが無かったのと、アップして一時間くらいでやっちゃった感があったので、レスするのがつらいです。自分語りしなきゃいけないし。 ネギまに求める話じゃないよね、というのは記事をあげた時点で自覚的で、でも読みたいという内容でした。 しかし、そこでネギがあらためて責任に目覚め、彼女たちをたたかいに巻き込んだことを後悔する、ということはありえない、と断言してもいい。いままで『ネギま!』の物語は、一貫して、その反対の方向へ進んでいるからです。 『魔法先生ネギま!』のリーダー論。 - Something Orangeより これは正しいと思います。というのも、記事をあげたあと考えたんですね。「じゃぁ、どんな物語ならツボなんだよ?」と。 それは、ユエとノドカのどちらかを殺してしまえ
ネギま! が好きな人は不快になると思う記事です。読んでも構いませんが責任はとらないことにしているので罵倒などは歓迎いたしますが、リアクションはとりかねます。 ただ、人がいっぱい死ぬマンガや、イタ物が好きな方は普通に読めると思われます。 その上で続きを読んでください。 僕はイズミノさん(id:izumino)の赤松論を読んでから赤松作品を読むようになったので、かなり粗雑な内容に星をいただいて恥ずかしいやら嬉しいやら、ちょっと不思議な気分を味わっております。ところで今までの経験上、イズミノさんに僕が誰だか気づかれていない気がするので、sですと一応自己紹介しておきます。 さて、イズミノさんに星をいただいたので赤松論やネギま! 関連記事を再読しました。結果ネギま! を好きになる日は来ないだろうから、次の作品を早く書かないかな、という悲しい結論がでました。 というのもユエやノドカを殺せないでしょ?
焦点喪失 http://d.hatena.ne.jp/araignet/20071020/1192811893を読んだけど、タイトルと論旨が一貫していないので、意味がわからない。この後に書かれた記事を読んで、やっと意味がわかるようにできている。 初音ミクの意義はどこにあるのか - 萌え理論ブログでの反論は、視点がマクロでちょっと行き違っているように思えます。ミクロな意見を返すのが適切だとおもう。 論点が二つあるので、記事の主旨を二つにわけて考えてみる。一つは初音ミクの魅力について。もう一つはCGMについて。 まず論点の整理 ごっちゃにするべきではない事をごっちゃにしているので、そこを切り分けるところから。 A)初音ミクの魅力 B)CGM これは前述の通り。肝心なのは(A)の中でごっちゃにされていることだ。 1)なぜミクはツールとして重宝されるか 2)なぜミクは広まったか 3)技術として革新
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