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クライオニクス(cryonics 人体冷凍保存)ってやつがありますわな。自分が死んだあとにも遺体を冷凍保存しておいて、遠い未来の科学技術で復活させてもらおうというやつだ。現代の医学では治療できない病気に冒された人を冷凍保存しておいて、未来の進んだ医学で治療してもらおうという試みも含む。『ブラック・ジャック』にもそんな話がありましたよね。「未来への贈り物」だっけか。 このクライオニクス、アメリカなどでは歴とした商売にもなっている。お金持ちは遺体をまるごと冷凍保存するわけだが、貧乏人(?)のためには、脳だけ冷凍保存するコースなどがあったりする。なにしろ未来のことだ。脳だけでも保存してあれば、記憶や人格を再構成して、なんらかの媒体にロードして“走らせる”ことが可能になっているにちがいない――と、ナイーヴに信じることができる人たちが、こういう会社と契約するのだろう。有名どころでは、SF評論家・作家
すべての本を電子書籍で読むというところまでは、まだ環境は整っていないし、紙の本を読まなくなるのは寂しいのだけれども、amazon と Kindle のおかげで、少なくとも洋書・洋雑誌・洋新聞に関しては、ほとんど電子媒体で読めるようにはなった。 Kindle で買った本(まあ、最近だと、スティーブ・ジョブズの伝記とかだ)を、おれは Kindle 端末が使えるほどに空間的余裕がある場所では、Kindle 端末で読む。電子インクのディスプレイは画面そのものが光らないので、長時間の読書でも老眼に負担をかけない。だが、満員電車などで、Kindle でさえ持ちにくい、あるいは、鞄の中から取り出しにくい条件下であれば、おれは同じ本を Android 端末(GALAXY S)で読む。Kindle for Android がインストールしてあるから、Kindle 端末でどこまで読んだかはちゃんとシンクロされ
「命を奪う」という表現がある。べつになにがどうまちがっているわけでもなく、じつに頻繁に使われているし、おれも使う。だが、ちょびっと頭の隅でいつも気になっていることがある。 たとえば、「財布を奪う」などの場合、財布は奪った者の手に移るわけである。だが、「命を奪う」場合、奪われる者は財布と同じように命を失うのだが、奪ったほうの手に命が移るわけではない。命はただ消えてなくなるだけである。これを果たして、「奪う」と能動的に表現してしまっていいものなのだろうか――と、いつも悩むのだ。もしかしたら、命などは、「奪われる」ことだけが可能であって、「奪う」ことはできないのではなかろうか? 幸福なんかもそうだ。「あの男が私たちの幸福を奪ったのよ」と言う場合、私たちが幸福を失ったことは事実かもしれないが、じゃあ、私たちの占有を離脱した当該の幸福を「あの男」が横領することによって、「あの男」がそのぶんの幸福を享
こいつはいったいなにか、おわかりになるだろうか? いまの若い人なら、実物を見たことがある人はもはや少数派だろう。知らない人には大きさすら見当もつかないかもしれない。およそ二、三センチの小さな昆虫だ。 「斑猫」である。なに、読めませんか? いかんなあ、筒井康隆はちゃんと読んでおかなくちゃ。「ハンミョウ」だ。おれも今日、山でひさびさに見たのである。 ふと、子供のころに住んでいたあたりに無性に行きたくなり(と言っても、地下鉄で数駅だが)、ただただそのあたりを散歩して、四十年以上の時の流れを感じてきた。むかしハンミョウがたくさんいた山道をおれは知っており、そのそばの寺に行ってみると、なんと、こいつがいたのだ。人間、五十も近くなると、「むかし、このへんにはこんな虫がいたなあ」などと懐かしく思い出す場所は、たいてい見る影もなく様変わりしているものだが、またこのへんでハンミョウにめぐりあえるとは、うれし
五十年近くこの国で生きてきておれが学んだことのひとつに、「理解」という言葉を主にどのように用いるかで、日本人はおおまかに二種類に分類できるということがある。 たとえば、「ご理解いただきたい」と口にする場合、日本人の多数派は、「私はこんなにがんばっていて、私にもいろいろ事情があるのだから、事実関係は二の次にして、私の立場に身を置き、あたかも私になったかのように、私の気持ちをわかって私を許してほしい」という意味で言っている。とくに日本の政治家は、十中八九、こういう意味で「理解」を使う。 だが、日本人の少数派(おれ自身はこちらに属するようだ)が「ご理解いただきたい」と言う場合、「2足す2は4であり、三角形の内角の和は180度であり、エネルギーは質量と光速の自乗との積で表され、虚数単位と円周率の積を指数としネイピア数を底とした冪乗に1を足すと0に等しくなる云々……という事実を把握してほしい」という
以前、「いわゆる五大紙なんぞは、あってもなくても同じだ。というより、あんなものを読んでいたのではアホが移る」と、日本の新聞をやめた話を書いた。やっぱり、日本の大新聞なんぞ読まなくてもなんの差し支えもない(というか、ヘンな洗脳をされなくてよい)。とくに要らないのは、日本の新聞の“オピニオン”である。事実だけ伝えてくれりゃよい。おまえら記者クラブ媒体の横並びのつまらん意見など要らん。だいたい、意見じゃないじゃん、それ。談合の申し合わせ事項じゃん。ネットとラジオと週刊誌のほうが、よほどおれの脳にはためになる。 で、日本の新聞をやめてとてもハッピーなんだが、日常生活上、やや不便なことがある。チラシが入らないのだ。ピザ屋のチラシとかは独立して入るんだが、専ら新聞に折り込んでいるチラシは入手できない。 しかし、さすが二十一世紀、うまくしたもので、チラシポータルサービスの「Shufoo!(シュフー)」っ
ある日、あなたはテレビを観ていて仰天する。家電メーカーが緊急告知をしているのだ。なんと、あなたの家で使っているのと同型の冷蔵庫に欠陥があり、最悪、火を噴いて炎上する可能性があるという。むこう一年のあいだに、100台のうち約6.6台が確実に火を噴く計算になるらしい。 これはたいへんだ。あなたは家族を集めて宣言する――「すぐに冷蔵庫を停めるぞ」 できれば停めたほうがよいということには家族の誰もが賛成なのだが、妻がまず不服を言う――なにぶんにも現在の経済状態では、すぐに冷蔵庫を買い換えるわけにはいかない。とてもじゃないが、冷蔵庫がなくては、現代家庭の食生活は成り立たない。冷凍食品が利用できない。ガリガリ君も食えない。むこう一年のうちに100台に6、7台程度が火を噴くくらいであれば、なにもよりによってウチのが火を噴くと決まったわけではないのだから、せめて冷蔵庫を買い換えられる程度の貯金ができるまで
大震災の一発めの大きな地震から一か月(まだ、あと何発も来るかもしれんからね)、今回の震災で思ったことをいろいろな人々が、メディアで口にしはじめている。 面白いのは――という言葉遣いはちょっとどうかとも思うので、そうだなあ、興味深いのは、少なからぬ人たちが、津波で壊滅した現場などを見て、「超自然的な力」とか「人知を超えたなにか」とか「大きなものの意志」とか、とにかくなにやらわからんけど、そんなふうな“神”の力のようなものを感じた、あるいは、そういうものがあるのではないかと改めて考えたといった感想を述べていることである。 これがじつにおれには不可解だ。おれはそのように感じる能力をまったく欠いている。いかにものすごいことが起ころうとも、この宇宙の物理法則を超えたことが起こっているわけがなく、超自然など感じようがない。むしろ、自然現象は、おれたちの現時点での知識や能力など一顧だにせず、いかにただた
おれは一九六二年生まれの四十八歳だが、だいたいおれくらいの歳の人間というのは、いま日本に起こっていることを、それほど意外なことだとは思っていないはずだ。七十年代くらいには、人類は二、三十年のうちには絶対滅びると思っていたんじゃないか? それこそその、東西陣営の核戦争がなかったとしても、地震とか公害とか原発事故とかその他諸々なんらかの要因で、自分たちのいまの社会、いまの文明がぐちゃぐちゃになるはずだと思って育ってきているはずだ。 だもんだから、おれたちの世代は、いまのこの状況を、なんとなく懐かしいものだとすら思っている。自分たちが、子供のころから、さんざん想像してきたことが、ただ単に現実になっているだけなのだ。「ああ、やっぱり、キターーーーーーーー!」みたいな感じなんである。 だから、おれたちはいいんだよ、べつに。覚悟のうえのことだから。おれ個人は反原発派で、徐々に脱原発ができればいいなあと
おれには妹の娘である姪が二人いるのだが、この下のほうの今年高校を卒業したばかりの姪というのが、とにかくむかしから、おっそろしく、くじ運がいい。なんでもかんでも、面白いように当ててくる。めちゃくちゃにくじ運が悪い(“くじ運がない”といったニュートラルなものではない。積極的に“悪い”のだ)伯父のおれから、くじ運を全部吸い取って生まれてきたんじゃないかと思うほどの驚異の姪である。 その姪がこのたび当てたのは、なんと、『探偵!ナイトスクープ』のスタジオ観覧。一組二名で参加できるということで、おれがこの番組のファンであることを知っている姪が、行けるのなら一緒に行ってほしいと誘ってくれた。持つべきものはくじ運のよい姪である。行かいでか。午後半休を取って、いそいそと姪と待ち合わせ、朝日放送へ向かった。移転前の朝日放送(ってのは、あの“大阪タワー”で知られたやつね)には、むかししばしば仕事で行っていた時期
二、三日前、近所を歩いていて、キャピキャピと談笑しながら歩いている女子中学生らしき四、五人とすれちがったとき、自分でもわけのわからない激しい感情が突然襲ってきて、思わず嗚咽を漏らしそうになってびっくりした。なんか、この子たちが不憫だ、この子たちに申しわけないという気持ちが突然襲ってきたように思う。 おれ個人はずっと原発には反対だが、原発をやめさせるためになにができたわけでもない。いったいこの廃棄物をどうするつもりだ、いつか事故が起こったらこの小さな島国はどうなるのだ、と心の隅で思いつつ、平気で電気を大量に使いまくり、“原発中毒”にさせられた生活から脱却することができなかった。田代まさしや清水健太郎や酒井法子をエラそうに責められん。おれたちは、原発中毒なんだ。 まあ、そうだな、いま三十歳以上くらいの日本人は、充分に原発中毒社会を楽しんできたろう。賛成派だろうが反対派だろうが、そうだろう。反対
さっきの『探偵!ナイトスクープ』、「立ち幅跳びができない妻」に驚愕した。なんと、いくらがんばって跳ぼうとしても5センチしか跳べない主婦が登場。5センチて……。ふつう、なにげなく前に倒れていって、ぴょんと跳んでも20センチや30センチは跳んで“しまう”と思うんだが、なんとも不思議な人だ。わざと跳べない演技をするにしたって、これほどの運動音痴のふりは難しいにちがいない。なにかこう、ロボットに、まったくプログラミングされていない動作を無理やりさせているかのような感じなのである。 その運動音痴ぶりがあまりに滑稽なので大爆笑しながら観ていたのだが、それがなにやら徐々に戯画のように見えてきて、しまいにはうすら寒い恐怖を覚えた。人間というものは、本能でなにかができるということがほとんどなくなってしまっていて、適切な学習をし損ねると、信じ難いばかりに能力を欠くことがあるのだということを、まざまざと見せつけ
昨日、といっても、ほんの数時間前なのだが、近所のお好み焼き屋でお好み焼きを食っていると、BGMに渡り廊下走り隊7の「バレンタイン・キッス」が流れはじめた。 おれはけっこう焼酎も入っていたので、バイトの兄ちゃんをちょっとからかってやろうと、「懐かしいなあ。これ、国生さゆりが唄ってたの知ってる?」と訊いてみたが、案の定、引き攣った笑顔で首を傾げていた。そりゃあそうだろう。まるで二次元アイドルを無理やり三次元映像で観ているかのような渡辺麻友と、魔王・杉田かおるとやりあう国生さゆりおばさんとが、同列に思えるはずがない。けけけけけ。 それはともかく、この「バレンタイン・キッス」は、なかなかの名曲だと思う。渡り廊下走り隊7のPVを観ていて、つくづくそう思う。古びてない。というか、古びてないのは道理であって、これは元々“わざと古びたふりをしている”曲なんだから、かえって古びないのは当然なのだ。 国生さゆ
昨日のエントリー「もう小学生から英語を教える必要はなくなった」にどえらいアクセスがあって仰天している。みんなけっこう英語教育に興味あるんだなあ。 で、SFファンの常としてですな、まず逆を考えてみるという条件反射が発動した。みんな、たとえば、いまの政府が“英語禁止令”を出したとすれば、素直に従いますかい? 従わねーよなー、絶対。もしそんなおふれが出たとすれば、「これはきっと、アホ国民どもにニューヨーク・タイムズやらガーディアンやらを読まれては困るという政府と官僚と記者クラブメディアの陰謀にちがいない」と疑って、みんなこっそり必死で英語を勉強しはじめるはずだ。 だから、日本国民に国際競争力をつけさせようと政府が思うのであれば、政府はなにはともあれ“英語禁止令”を出すべきなのである。そうすれば、「これはいよいよ、英語ができなければほんとうにヤバいにちがいない。いまの日本政府や日本のアホマスコミの
このブログでは、「英語を教えナイト?」、「英語を教えナイト? 2」、「『危うし! 小学校英語』(鳥飼玖美子/文春新書)」、「カテゴリーの新設」、「英語教育のハコモノ行政」ほかで、さんざん日本の英語教育行政、とくに小学校での英語必修化を茶化してきたが、あれから五年、問題はひとりでに解決してしまった。 もう、素人の小学校教諭に、むちゃくちゃな英語を建前だけで教えさせるような愚かなことなどしなくてよい。ALTだって、まともなALTは全然足りてないだろう? 心配ない。案ずるより産むが易しだった。問題は、教育行政なんかじゃなく、経済がすっかり解決してしまったのだ。もう、公教育で小学校からあわてて英語を教える必要はない。なぜなら、放っておいても、国民のほうで自主的に勝手に必死にやるからである。 日本人は、英語は必要だ必要だと表向きは言いながら、そこいらのふつうの人たちがほんとうに英語が必要だなどとは誰
去年は、いろいろと悪いものを三つもやめることができた。流行りの“断捨離”が実践できた。 まず、煙草をやめた。身体に悪いものを“断”ったわけだ。値上がりするのは前からわかっていたから、徐々に量を減らすようにしていたのだが、実際に値上がりした十月にすっぱりとやめた。最後に煙草を吸ったのは十月三日である。 次に、日本の新聞をやめた。頭に悪いものを“捨”てたわけだ。日本に存在する新聞がことごとく頭に悪いと言うつもりはないが、いわゆる五大紙なんぞは、あってもなくても同じだ。というより、あんなものを読んでいたのではアホが移る。 さらに、紙の新聞をやめた。環境に悪いものから“離”れたわけだ。日本の新聞をやめるにあたって、背中を押してくれたのは、amazon の電子書籍リーダーの kindle だ。海外の新聞や雑誌の電子版が紙版よりもはるかに安く定期購読できるので、便利なこと、この上ない。惚れちゃったね。
先日の『小島慶子 キラ☆キラ』で、映画評論家の町山智浩氏がアメリカで上映中の Fair Game という映画を紹介していた。(映画公式サイトはこちら) この原作本は、元CIAの女性秘密工作員が書いたもので、CIAの検閲によって「むかしの日本の終戦直後の教科書みたい」((C)町山智浩)なありさまになっており、あちこち黒塗りだらけというすさまじいものらしい。裏返すと、「書いてもいい」とCIAが許してくれた部分だけが堂々と出版されているわけで、CIA公認の暴露本と考えてもよいのだ。 面白そうなので、先日 kindle を買ったのをよいことに、さっそく原作の kindle 版を買ってみた。安いなあ。個人の消費者にとっては、円高万々歳である。 紙版は墨塗り教科書みたいだということだが、電子書籍はどうなのかとパラパラ見てみると、こんな感じ―― [Text has been redacted here.
▼「内部告発はマスコミ使って」 朝日記者ツイートに異論続々 (J-CASTニュース) http://www.j-cast.com/2010/11/12080758.html 尖閣ビデオのネット流出に危機感を持ったという朝日新聞の記者が、ツイッターで、内部告発のマスコミ利用を呼びかけている。「ネットを使うと足が付いてしまう」と主張する一方で、マスコミはネタ元保護にノウハウがある、などのメリットを挙げている。しかし、ネット上では、異論が相次いでいる。 いやもう、このところ、どんなお笑い番組以上に、この記事には大爆笑してしまったよ。朝日新聞の記者ってのは、どこまでおめでたいんだろうね。お坊ちゃんとしか、言いようがないよね。いわゆる“記者クラブメディア”が、国民にそこまで信用されているとでも思っているんだろうか? 先日、古舘伊知郎が、尖閣映像がまずネットに流れたことに「くやしい」とか言ってたときに
▼ビデオ流出 「逮捕しないで」海保に電話やメール相次ぐ (asahi.com) http://www.asahi.com/national/update/1110/OSK201011100082.html ビデオ映像の流出問題をめぐり、第5管区海上保安本部には10日、午後2時までに約300件の電話やメールが届いた。神戸海上保安部にも同日午後7時までに約120件の電話と約240通のメールがあったという。 5管と神戸海保の関係者によると、「(流出への関与を告白した海上保安官は)間違ったことはしていない」「逮捕はしないでほしい」「(流出行為の)犯人捜しをやめてほしい」といった保安官を激励する内容がほとんどで、批判や抗議は少ないという。 おれもいままでこのブログで、自分のことを棚にあげてずいぶんと世の嘆かわしきことどもについてぼやいてきたが、これはもう、近来稀に見る嘆かわしさである。というか、この
先のエントリーで「ヌートリアだって、ざらにおるくらいだからなあ」などと書いていたが、どれくらいざらにおるものか、天気もいいので、デジカメ持って徒歩二分の山科川へ出かけてみた。堤防をうろつくこと十数分、たちまち見つかった。どんだけ“ざらに”おんねん。ここは日本か? 四枚めのは、上の三枚とは別の個体。探しはじめて三十分もしないうちに、二匹見つけたわけである。もはやこいつも、日本の動物なんだなあ。鴨川にはたくさんいるといった記事を新聞で読んだことがあるが、山科川だってフツーにいるんだよね。すぐそばの川に、ミシシッピアカミミガメやらヌートリアやらが、なーんの違和感もなく生活しているってのは、ちょっと不思議な気持ちだ。 ま、おれが住んでる団地の同じ棟には、中国人もインド人もいるし、近所のスーパーのレジには、中国語と朝鮮語と英語と日本語で「両替お断り」といった意味のことを書いた貼り紙がしてある。ボーダ
おや、あなた、iPad を買いましたか。これで電子書籍の読み放題だって? 今年は電子書籍元年となるだろうって? はっはっは、なにを寝ぼけたことを言っているのだ。そんなことを言っている人は、『死ねばいいのに』。電子書籍など、平成5年(1993年)に、そこいらの書店で売っておったわ。 その名も《新潮電子ライブラリー》、記念すべき第一巻は安部公房「飛ぶ男」である。腰巻にも、「創刊! デジタルブック」などと麗々しく記されている。 おれは、いまでも持っているので、それがいかにハイテクな書籍であったか、さっそくお目にかけよう。 どうだ? いまでも、MS-DOS Ver.2.11 以上が走り、OSが起動した状態でのフリーメモリが550Kバイト以上もあるというハイエンドな PC-9800 シリーズをお持ちの方であれば、いつでもこの電子書籍を楽しむことができる。残念ながら、おれ自身はもはやこの電子書籍を読む
なんか、とても宇宙的なチョコレートを頂戴したので、見せびらかしておこう。 で、宇宙はすでにおれの腹の中。
最近ネットで流行っている“鳥のジョーク”、どんどん鳥の種類が増えてゆき、なかなか面白い。いま最も多種の鳥を網羅していて人口に膾炙しているバージョンは、たぶんこれかな―― 日本には謎の鳥がいる。 正体はよく分からない。 中国から見れば「カモ」に見える。 米国から見れば「チキン」に見える。 欧州から見れば「アホウドリ」に見える。 日本の有権者には「サギ」だと思われている。 オザワから見れば「オウム」のような存在。 でも鳥自身は「ハト」だと言い張っている。 私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う。 おれは続きを考えた―― これは困ったことだと、去年まで鳥がたくさんいた森へ行ってみると、 そこにはほとんど「シジュウカラ」しか残っていなかった。 ひときわ古い青い木の幹には一羽の老いた鳥がしがみつき、下から登ってくる仲間の若鳥をつつき落としていた。
四日の朝に吸った煙草を最後に、休煙期間に入っている。というか、早い話が、禁煙を試みている。なんか“禁煙”という言葉を使うと、まるで喫煙が悪いことででもあるかのような感じになってしまうので、さしあたり“休煙”と言うことにしているのだ。 不思議なことに、三日も煙草を吸わないと、自分の吐く息が煙草臭いことがよくわかる。しばらくは煙草を吸わなくても、自分の体内から出てくる煙草の香りで楽しめそうだ。 これで一週間くらい経ったころに一本吸ってみることにしよう。それはもう、めちゃめちゃうまいにちがいない。頭がクラクラクラ~と痺れるような“あの感覚”を、じっくりと味わえるにちがいない。 で、その次には、二週間くらい我慢してみる。二週間吸わなかったところへ一本吸ってみろ、そりゃもう、ガツーンとくるにちがいない。そのガツーンは、しょっちゅう吸っていたのでは絶対に味わえない類のガツーンなのだ。 これを繰り返して
今夜はこれにしよう。Sesame Street が生んだ名曲のひとつだと思う。 この映像に出てくるメンバーは、おれが中学生くらいのころのセサミストリートの住人である。白人も黒人もプエルトリコ系も健常者も障碍者も、いったいどこの生物なのか不明の化けもの(失礼)も、みんな仲良くクリスマスを祝うという Sesame Street の世界は、率直に言って夢物語ではあるのだが、その夢物語を子供向け番組の中できちんと掲げるという点に、おれはやっぱりアメリカ人というのはすごいやつらだと思った。現に連中は、じわじわじわじわと、少しずつではあるが、その夢物語に近づいていっているのはたしかだ。 おれはいまでも憶えているのだが、クリスマスの喧騒も一段落、みなが家に帰って家族とクリスマスを過ごそうという静かなときになって、ミスター・フーパーのドラッグストアの前を通りがかったボブが、店じまいをしているミスター・フー
最近ブログがちょっと手薄なのは、Twitter にハマってしまっているからだというのは先日も書いたが、Twitter で関東・関西の電車の運行状況情報というやつをフォローしていると、遅延情報などがほぼリアルタイムでケータイに入ってくる。これを見ていると、なんとまあ、電車というやつは、しょっちゅう人身事故で止まっているものなのだなあと、げんなりする。ほんとの“事故”もあるんだろうが、まあ、たいていは飛び込み自殺であるにちがいない。年末ともなると、この手の自殺はふだんより増えることだろう。 そりゃまあ、なんとかこの歳まで生き続けられているおれごときが無責任に「死ぬな」と言ったところで、あんまり説得力はないかもしれん。「そりゃおまえは、ちりめんじゃこに小さなタコが入っている程度のことでしあわせなめでたいやつなのかもしれんが、おれはそんなしょうもないことで満足する卑小な人間ではない。もうダメだ。こ
さて、問題です。次の言葉に共通することはなんでしょう? 学校の先生、増税、核武装なき「改憲」、権力の不在、自治体格差、金持ちいじめ、「国営=悪」の感情論、歳出削減と増税、今の住宅、後期高齢者医療制度、ゆとり教育、学力低下、英語オンチ、哲学のない政治家、急激な「価格破壊」、「官」の発想、偽りの優しさ、公私混同、悲観主義、誇りなき報道、「勇」なきリーダー、文科系、団塊の世代、郵政民営化、性の乱れ、貿易、時短、行革なき増税、大型間接税、政治への無理解。 正解は、書籍のタイトルで「国を滅ぼす(亡ぼす)」とされている。 日本がとっくに滅びていないのが不思議なくらいである。まあ、数十年から百年くらいのうちには、滅びている可能性はないとは言えないけれどもねぇ……。たしかに、もはや「なにもせんほうがええ……」という気になって滅入ってしまうときがあるが、それにしても、もう少し前向きなタイトルにはできんのか?
おれは暑さにはめっぽう弱いが、寒さにはそこそこ強い。だもんだから、冬なんか下手に厚着をしてしまうと、汗だくになってえらい目に会う。 だが、もう大丈夫だ! ハマってしまった。いまさらながら、ユニクロのヒートテックにハマってしまったのだった。 これはもう、じっつにすばらしい。あまりのすばらしさに、この冬、五枚も買ってしまったよ。いままではインナーというイメージが強かったのだが、この冬のユニクロの売りかたどおり、アウターとしてもなんの差し支えもないのである。テレビCMでやってるように、素肌の上にヒートテック一枚だけ着て、上からジャケット羽織って外に出てもまったく平気だ(とくに寒がりの人は知らんよ)。気持ちいい。軽い。もこもこしてない。こんなペラペラのものを一枚着ているだけで寒くないというのは、かつて体験したことのない新感覚である。魔法のようだが、まあ、理屈を聞けば納得はできる。「ヒートテックって
仕分け人 「あなたに義侠心というものがあるなら、無駄ではないことを示してください」 現役官僚 「なるほど、きみの言わんとする意味が、だいたい見当がつきました。きみは、こう言いたいのでしょう――ムダはどこだ!」 仕分け人 「悪質な冗談はやめてください。国の財政は破綻するかもしれないのですよ。ほら、国民の顔はだんだん蒼ざめていくではないですか」 現役官僚 「ところで、きみたちの党が撲滅すると言っていた、優雅な生活を送っている奇妙な天下り官僚はどこへ行ったのですか?」 仕分け人 「実はまだ日本郵政と人事院にいるのです」
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