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今年の「#文学」
parupuntenobu.hatenablog.jp
先日…といっても先月になってしまいましたが、なんばパークス南側、ヤマダ電機LABI1なんば店横のホテル建設予定地から「遺跡」が出てきたという記事を書きました。 parupuntenobu.hatenablog.jp この記事中に、「大阪市パノラマ地図」という地図を出しました。 「大阪市パノラマ地図」とは、大正12年(1923)に作られた大阪市の俯瞰地図で、大阪が「大大阪」に変貌していく黄金期の出発点の時期のもの。大大阪を英語にすると、”The Great Osaka”、略して”TGO”…なんだか無駄に格好いい。 それはさておき、地図の専売局煙草工場の横にある建物に気づいた方はいらしゃるでしょうか? 「煙草専売局」が前回の主役でしたが、その下に 「難波病院」 と書かれている建物があります。 はて?こんなところに病院なんてあったっけ?地元の人であればあるほど、脳みそをフル稼働させて記憶を探って
大阪の難波にある「なんばパークス」の南端、少し前の記憶がある人は大きな平面駐車場として覚えている人がいるかと思います。もっと具体的に言えば、「ヤマダ電機LABI1なんば店」の横、南海電車との間のスペースです。 そこに、タイ資本の「センタラグランドホテル大阪(仮称)」が作られるようです。 出典:難波中二丁目における開発について 建設工事が始まり、基礎固めのために地面を掘ってみたところ、おそらく誰も予想もしなかった意外なものが「発掘」されることに。 画像提供:【速報】再開発しているなんばパークス南端から謎の遺跡が出土……(207様ブログ) なんじゃこりゃ!!! 空の上から松田優作の有名なセリフが聞こえてくるような「遺跡」が。それも町のど真ん中に…。 果たしてこれは何時代のものか、いつのものか…江戸時代?いや平安時代か、いや数万年前の超古代文明…なわけないか。 実は私、こういう「遺跡もん」が大好
たぶん、私が言及するブログとしてはダントツナンバー1のまけもけさんの記事より。 www.gw2.biz ここ数年の外国人観光客の激増の効果か、至る所で外国語表記やアナウンスが目や耳に入ってくるようになりました。個人的には、「国際的引きこもり」の傾向がある日本人をソトに目を向けさせる良いきっかけの一つではないかと思いますが、私の専門である中国語の、 「この表現、おかしいでw」 というアラ探しという街中散歩の楽しみも増え、毎日が充実するようになった性格の悪い私。 ただし、業務上では英語を使うことがほとんどです。アメリカ人やフランス人に中国語でメール書くわけにはいきませんしね(笑) 先々週に大阪に行った時のこと。 大阪から滋賀県に帰るには、素直にJR東海道線を使って帰るのが王道です。Yahoo!の路線案内にお伺いを立てても、そうせいとありがたいご指示を頂戴します。 新快速に乗れば、滋賀県なんて一
車を買ったJKが叩かれる 昨日Twitterで、ある話題がトレンドになっていました。 あるJKが車の免許を取り、バイトをしてお金をためささやかな夢だったマイカーをGETしたというお話。 私のアカウントのTLにも、このツイートが流れてきました。 全くの通りすがりながら、 「小さいながらも自力で夢を一つかなえたか」 よかったなという気持ちでイイネを押させていただいた一人でした。当然、それに対し何の悪感情を持つことはありませんでした。こんなツイートにそんな感情を抱くはずがない。 ところが、これが意外な展開を見せたそうです。 マイカーを持った喜びをTwitterで表現した彼女、 「高校在学中に免許なんか取るな、勉強しろ!」 「高校在学中に免許取って車買うなど頭悪いに違いない」 「薄っぺらい自慢乙」 「どうせ親の金で買ったんだろうが」 「顔見せないのはブスだからだろ」 など、いわゆる糞リプが大量に湧
前編である前回の記事の続きです。 parupuntenobu.hatenablog.jp 久しぶりに書いた記事がまさかの大花火、死に体だったうちのブログに息を吹き返してくれたのは、ひとえに読んでいただいた読者さんのおかげです。 で、かんたんな御礼はこれくらいにして、本編に入っていきます。 韓国はなぜ半狂乱になっているのか-プロローグ しばらくブログを書かないうちに、日韓関係は急速に展開していきました。ついには、日米とも(おそらく) 「これはないだろう」 と思っていたGSOMIA*1まで破棄してくる始末。 日本「頭がついていけない」 アメリカ「わけわからん」 と政府高官が頭を抱えるほどの斜め上の行為でした。まことにあちらさんらしいと言えばそうですが。 私は最初、 「我が国をホワイト国再復帰させたらGSOMIA破棄を考えてやってもいい」 という向こうの公式の言葉に、 「アメリカさん、日本が言う
先月は全くブログを更新しなかったのですが、それには深い…でもないけれどそれなりの理由があります。 Twitterを見てくれている人はもうおわかりですが、わたくしBEのぶ、ついに「島流し」の期間満了につき本土に戻って参りました。 鉄道がない場所から一気に新快速停車駅へ。それだけでも生活の根本が変わった気がします。京都大阪まで電車一本で行けるぞヒャッハー!!という感じで(笑) これについてはほんの挨拶代わり。じきに地元関連の記事が増えて行くと思うので、馴染んでるなと温かい目で見守ってあげて下さい。 で、今回のメインディッシュは当然こんな近況報告ではありません。近況報告くらいならTwitterでとっくに済ませています。 日本と韓国の関係が、史上最悪というほど険悪になっています。 そんな中、先月7月に経済産業省が、 「安全保障上の理由で韓国を『ホワイト国』から外します!目処は8月」 と通告しました
当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。 当記事は yonezawakoji.com に移転致しました。 来ていただいて恐縮ではありますが、上記ブログ記事をご覧いただければと思いますので、宜しくお願い致しますm(__)m
現在、関西空港へのアクセスラインとして大車輪の遅延騒ぎを起こし・・・は今や昔、JR西日本のドル箱路線として活躍している阪和線。昔は「阪和電気鉄道」、略して阪和電鉄という私鉄であった。 当時の経営陣は、ネタを残すために経営していたわけではないのだが、阪和電鉄がこの世から姿を消して75年、こうして後世によって愉しくネタにされている。そういう意味では、その努力は決して無駄ではなかったと心から思う。 阪和電鉄の伝説といえば、暴走「超特急」が有名である。が、そんなの飾りです偉い人にはそれがわからんのです…ではなく、阪和電鉄伝説の真骨頂は、多角的な、あまりに多角的すぎた経営。 当時の私鉄では常識となった住宅地設営はもちろんのこと、 夏真っ盛りの海水浴場に人気漫才師を呼び、 冬には兎狩りツアーを行い、 「いも掘り」やら「松茸狩り」やら、果てには「高射砲実弾射撃大会」まで。 阪和電鉄は旅行代理店かイベント
和歌山県和歌山市。かつてここには、「和歌山駅」があった… いや今でもあるやんかという声が聞こえてきそうだが、現在のJR和歌山駅のことではない。 南海電鉄和歌山市駅からJR和歌山駅まで、東西に走る一本の線路が走っている。 地元住民か鉄道好きのお友達以外、使う機会はほとんどないというほど存在感が薄いが、ここは紀勢本線。 亀山から紀伊半島を縫うように和歌山に至るあの紀勢本線、常識的に考えれば終着駅は和歌山だと思うことだろう。だが、紀勢本線はまだ先へ続き、和歌山市駅が本来の起点終点なのである。 現在の和歌山市駅は、和歌山との間を2両の電車がのんびり往復するローカル線の起点と化している。 が、かつては新宮や白浜などへの普通列車がここから発車していた。昭和50年代の和歌山駅で、 「和歌山市-新宮」 というサボ(行先標)を掲げた旧型客車を阪和線の電車から見たことがある。 (和歌山県立博物館ブログ様より)
太平洋戦争が終わってから、74年が経とうとしています。 「あの戦争をまた繰り返す気か!」 と鼻息の荒い人の横で、 「え?アメリカと戦争していたの?知らなかった!」 と驚く若者も現れ、やれ平和ボケだと目くじらを立てる人もいます。が、70年以上も経てば人間の記憶なんてそんなもの。 日本の都市という都市が空襲で廃墟となり、イチどころかゼロからのスタートとなった日本復興。その時代に生きた人たちの頑張りで高度経済成長を遂げ、町並みも戦前とは違った形に変化しました。 戦争抜きでも建物の新陳代謝が激しい日本、74年も経った戦争の遺構も年々少なくなってきています。都市部になると、それは顕著なほど消え去り、それこそ戦争なんてあったの?ということになってしまうのは、時代の流れだもの、仕方ない。 しかしその分、ビルの間にぽっかりと空いた穴のように、意外なところに意外なほどくっきり残っている戦争遺産もあります。そ
アメリカと中国の貿易戦争が加熱していますが、その中で少し忘れられがちであったファーウェイ(華為技術)も新たな動きが出てきました。 アメリカの、事実上の華為製品全面禁輸に対し中国がこんな声明を出しました。 中国外相、米は「ファーウェイいじめ」(時事通信) - Yahoo!ニュース 中国外相いわく。民間企業に対して制裁なんていじめじゃないかと世界に向けて訴えているわけです。 まあ、言葉尻だけを取ると、ごもっともかもしれません。ネットをやっていないと、おそらく 「中国様のおっしゃるとおり!」 テレビの前でシュプレヒコールを発していることでしょう。 そんな中、この中国の言葉対し、世界の様々な分野からの心の中の声が聞こえてきます… Google「なんだって?」 Twitter「なんだって?」 Youtube「なんだって?」 WSJ/NYT*1「なんだって?」 欧米企業だけではありません。 FC2「な
「坊っちゃん」の降り立った地-三津浜 三津浜の遊郭-稲荷新地 電柱に残る稲荷新地の跡 おまけ 「坊っちゃん」の降り立った地-三津浜 三津浜(みつはま)は、愛媛県松山市街の北西にある港町です。 古くから伊予水軍の本拠地であり、江戸時代から明治後期にかけて全国から船が寄港し、ヒト・モノが行き交った盛り場でした。 その後は北部に建設された高浜港に「松山港」としての地位を譲りますが、現在でも漁港・近海旅客船の拠点、そして松山市内のベッドタウンとなっています。大阪に例えたら堺のようなところかなと。 かつての三津浜が隆盛ぶりを示す、間接的な証拠があります。 大正時代の「三津浜Walker」的な案内書、『みつが浜』(大正12年刊)*1内に掲載された銀行の広告です。 銀行から融資してもらうためには担保が必要ですが、昔の担保は不動産だけではなく、米や海産物など現物も多々有りました。その現物を保管する倉庫、担
淡路島の飛行場 現在、淡路島には民間飛行場を含めた空港は存在していません。 が、現在は関西空港を発着する航空機の主要ルートになっており、管制塔の交信をネットで聞いていた時も、「アワジ」という声が頻発していました。 空を見上げると時折、我が家の真上を飛行機が飛んでいることもあります。 そもそも、関西空港は淡路島に作る計画もあったという話を聞いたことがあります。 が、淡路島に関空ができたらできたで、市街地から遠すぎて利用者は不便極まりなかったろう。 実際に島に住むと感じます。 そんな淡路島にかつて、空港が存在していた…知っている人は島民でもあまりいません。 さもありなん、存在した期間は戦争中、それも1年にも満たなかったから。 軍事機密-その名は○○ 戦争一色となり日常生活も緊迫の度を増した昭和18年(1943)、陸軍より、阪神地区防空用に淡路島に飛行場を建設せよという命令が下されました。 翌年
元号が平成から令和になって初めてのブログ更新です。 元号が変わっても平性の生活が変わるわけではないのですが、やはり時代が変わったのだから自分も心機一転しないとな、という気分にさせるのが元号のパワーかもしれません。明治に入り一世一元の制となる前は、おそらく 「なんかイヤな感じじゃね?元号変えようか?」 という気分で変更していたんだろうなーと。当然賛否両論ありますが、個人的にはこういう変わり方、ええんちゃう?と。 それはさておき、令和最初のブログ、書かせていただきます。 我々が海外で異文化と出会いカルチャーショックを受けるのと同様、日本を訪れる外国人も日本に来て驚くことは、枚挙にいとまがありません。 「なんやそんなもんか」 と我々が見向きもしない事物でも彼らには衝撃的なことがあり、やれCrazyだCoolだと派手に驚かれます。 その中の一つに、自動販売機があります。 先に誤解なきよう言っておく
大阪の大和川河口、現在の南港口周辺に「第ゼロ代関西国際空港」建設計画があったことを、先日書きました。 parupuntenobu.hatenablog.jp 「戦前、南港に空港を作る予定だったらしい」 この話は地元に伝わる伝説として小耳程度にはさんでいたものの、おばちゃんのゴシップだろうと本気にしていませんでした。 これが事実とわかり早速調べ上げたのですが、資料を追っていくいくうちに「阪神飛行学校」という謎のワードに引っかかりました。 1.「阪神飛行学校」をめぐって 2.八尾空港の謎 3.盾津飛行場 4.盾津飛行場はどこに? 5.盾津飛行場最後の謎 1.「阪神飛行学校」をめぐって きっかけは、前回紹介した当時の新聞記事から。 この中に、 大正村(阪神飛行学校)も候補、それも将来の拡張も可能な有望株として名前が挙がっています。「阪神」と名がつくので、西宮くらいかなと勝手に推定してググってみる
現在、大阪には 関西国際空港(関空) 大阪国際空港(伊丹空港) 八尾空港 の3つが存在しています。広義の点では神戸空港も含めてもいいでしょう。 現在はそれぞれの空港で仲良く(?)棲み分けが出来ていますが、かつて戦前の大阪で熾烈な空港誘致競争があったのをご存知でしょうか。それも、市や府、お隣兵庫県も絡んだ仁義無用のバトルを。今日はそんな熱い熱い空港の歴史を。 くどくど書くとまた「公開無期延期」となりかねないので、鉄は熱いうちに打っておきます。追加事項はこっそりリライトすればいいし(笑) 1.元祖大阪空港、木津川飛行場 2.大阪市の新空港計画 3.空港の下剋上 4.そして伝説へ… 1.元祖大阪空港、木津川飛行場 突然ですが問題です。 Q:大阪初の空港を答えよ 知っている人は「木津川飛行場」と答えるでしょう。しかし、大阪初の空港は大阪は大阪でも、堺にあった「大浜飛行場」でした。 大浜飛行場につい
本日2019年4月11日、台湾で歴史を塗り替える大発見がありました。 www.nippon.com 後藤新平のデスマスクが台湾で発見されたというニュースです。 (写真:Wikipediaより) 後藤新平(1857-1929)といえば、医者にして政治家、東京市長や満鉄総裁などを歴任し、関東大震災で崩壊した東京を復興させた責任者として、現在の東京の骨格を作った人物として非常に有名な人物です。 後藤の経歴と残したお仕事の数々は、書き出すとWikipedia先生の項目一つ分になってしまうので、気になる方は、Wikipedia先生の記事をどうぞ。 この記事を読む半分以上の人は、こんな疑問が浮かぶことでしょう。 「後藤新平と台湾って何か関係あるの?」 そう思った人は、台湾の歴史、特に後藤が現在の台湾にも影響を与えていることを知らないということ。 台湾に興味がない人はさておき、なんで後藤のデスマスクが台
時間が空いてしまいましたが、以前、大阪市西区の川口に戦前、「中華街」があったことを記事にまとめました。 parupuntenobu.hatenablog.jp 前編はその歴史の概要を書きましたが、今回はフィールドワークと実際に川口を歩いてみました。その繁栄は空襲で灰と化したと言われていますが、もしかして、カケラでも残っているかもしれない、そんなわずかな期待を込めて。 周辺の中華料理屋 川口を歩く 唯一の行桟の遺構? 隠れた川口の生き証人? 周辺の中華料理屋 川口を南側から歩いてみると、何軒かの中華料理屋が目に入りました。 川口周辺には、中華料理屋がいくつか存在しているのですが、そろって川口華商たちの故郷である北京(華北)料理…。 訪問したのが正月で閉店していたため話は聞けなかったですが、「大阪DEEP案内」さんによると、中華街にあったという中華料理屋の子孫とのこと。 前編では、 「川口中華
2019年3月21日、日本が生んだ野球界のスター、イチロー選手が引退を発表しました。深夜だったとは言え、見ていた人も多かったと思います。 私もリアルタイムで引退会見を見ていましたが、野球哲学者のような表面とは裏腹に、本人ははっちゃけてすらいた気がします。 我々が描いていた「哲学者」はあくまで「ハレ」の面、会見の姿が普段着、我々一般人が知らない「ケ」のイチローなのでしょう。 実は、というか実を言わなくてもイチローと同世代(同い年とは言ってない)な私、同世代という親近感もあり言動には常に注目していました。 イチローが日本球界で無敵を大暴れしていた当時、私は中国に留学中でした。 ネットもない当時では、日本の情報は意識的に取りに行かないと入手できません。ましてや情報統制が利いている中国のこと、流れてくる日本の情報は限定的なものでした。 世界中どこでも情報が入手できる世の中では死語になりそうですが、
日本語はムズカシイと日本語学習中の外国人を悩ませる理由の一つに、 「人称表現がめちゃくちゃ多い」 というものがあります。 一人称(自称)だけでも、私、僕、小生、我輩、余、我・吾(わ)、はては磨呂に朕など数知れず。 「私」は「わたし」「わたくし」、マイナーチェンジ版「あたし」「あたい」「わて」など派生語があり、私は前職の影響で、ビジネス文書では下名を使っています。 外国人の頭痛のタネは、単語が多いだけではなく、その正しい用法。 日常で「朕」を使ったら 「お前はいつから天皇になったんだww」 と笑いものになるし、女子なのに「僕」を使ったら、 「今流行りのボクっ娘か?」 とオタク扱い。この用法を適切に使うことも、総合的な日本語力の一つと言えますが、外国人にはそれが非常に難しい。 ところが、海外に目を向けると、英語だと" I "、仏語は" je "、中国語だと" 我 "一択。至ってシンプルです。
一兵卒が将軍にまでなった人物として、三国志が誇る知勇兼備の武将、呂蒙がいます。 三国志の故事成語『呉下の阿蒙にあらず』 - 昭和考古学とブログエッセイの旅 が、中国史を紐解くと、皇帝にまでなった男だけでも、漢の劉邦や明の朱元璋など、自称皇帝(太平天国とか)や短命王朝も入れると何人いるのやら。 日本では、立身出世の象徴として 豊臣秀吉がすぐに思いつきます。 幼少期がボカされ不明な部分も多いのですが(たぶん農民出身でしょう)、秀吉だけでなく、当時の戦国大名は3代さかのぼれば経歴が怪しい人ばかり。 狸親父も暴れん坊将軍も、先祖を辿れば住所不定のルンペ…おっと、徳|||美術館から抗議のメールが来たようだ。 「部下として仕えるなら、信長・秀吉・家康の誰がいいか」 昔からよく言われることですが、私は「天下を取るまでの羽柴秀吉」一択。統一後は海外へ船出し、高砂国と貿易しようかしら。 ○○王に、俺はなる!
※注意※ このブログ記事は、2009年に前ブログにて書いた記事をやっつけ仕事で編集したものです。情報が古いのと、文章が拙い場合があるのであしからず。また、予告なしに文章が変わることもあります。 今回は、丹波篠山にあったという遊郭跡を書いてみようと思います。 丹波篠山というと今の篠山市、江戸時代は譜代の青山氏の城下町として栄えました。 今回の話題とは関係ないですが、東京にある地名の「青山」(←青山学院大学の「青山」ね)は、この青山氏の江戸屋敷があったことから名付けられました。 篠山の青山氏は分家筋だった記憶がありますが、まあそんなわけです…どんなわけや。 篠山の遊廓の歴史 今の篠山市は、武家屋敷が現在でも残る観光の町で、今は歓楽街とは無縁のせいか、遊廊とか赤線ってイメージが全く思い浮かばないですが、その昔、確かに遊郭は存在していました。 明治41年(1908)、篠山に歩兵第七十連隊が置かれま
大阪の中華学校 大阪にあった「チャイナタウン」 川口中華街の特徴 行桟 ある輸出品と、ある企業 戦争に消えた川口華商と中国人町 大阪の中華学校 大阪市浪速区大国町。ここにある学校があります。 中華学校です。 中華料理専門学校ではありません。在阪華僑のための学校です。 大阪に中華学校…関西で「中華」だと神戸が真っ先に連想されるせいか、大阪となると少し違和感があるかもしれません。事実、そこには有名な中華街と中華学校が存在するのだから。 しかし、大阪に中華学校がある以上、一定の需要と歴史があるはず。 そんなことを考えながら周囲を散策してみたのですが、チャイナタウンのような雰囲気は微塵も感じません。 では、何故ここに…というかなぜ大阪に中華学校が存在しているのか。 その歴史を掘ってみると、戦禍に消えたある地域の、忘却された歴史が浮かび上がります。 大阪にあった「チャイナタウン」 大阪は、安政五年(
日本人は、いや、日本人男性は三国志が大好き。私もご多分に漏れない三国志好きです。中国留学時も三国志好きな男が多く、日夜三国志トークに花を咲かせていました。 三国志は中国の英雄伝。本場の中国人男性もみんな好きだろう。いや、嫌いなわけがないじゃない。 そんなwktkな気持ちを抱いて、中国人の友達(男)に告白しました。 「俺、おまえのこと…じゃなかった、三国志が好きなんだ」 さあいくらでも食いついてこい!期待値は最高潮。 が、彼の返事は、意外なものでした。 「ええ!あんなの好きなの?」 がっつり食いついてくるかと思っていた私は大ずっこけ。「あんなの」扱いかいな~! 当時(1994年)、中国の中央電視台で長編ドラマ『三国志』が放送されていました。おそらくCSの中国チャンネルでやっているあれです。 三国志好きとしては見逃すわけにはいかず、毎日夜9時以降はテレビに釘付けでした。 しかし、意外なことがわ
明けましておめでとうございます! …ってもう1月も終わってしまいます(いつの話やねん)。お待たせして申し訳ないですが、遅れながらも新年明け第一号の投稿となります。 今年第一号のブログ記事なので、少しは縁起の良い話題を…といきたかったのですが、初っ端からBad Newsをお送りしなければなりません。 といっても私にとってBadなNewsなだけで、読者の皆さんにとっては、人によってはかすりすらしません。 以前、こんな記事を書いたことがあります。 parupuntenobu.hatenablog.jp 私の知を育んでくれた、大阪は堺市の天牛堺書店津久野店が閉店になっていたという記事です。 これだけでも十分ショッキングなニュースだったのですが、この記事を書いていた当時の私はまだ知りませんでした、これはただの序章に過ぎなかったことを。 本日さらにショッキングなニュースが、Twitterのタイムライン
ブログをご覧いただきありがとうございます。 本記事は、新ブログ yonezawakoji.com にて移転の上、再構成してアップしています。 ご面倒ではございますが、こちらをご覧下さいm(_ _)m 宜しくお願い致します。
みなさんお馴染み、ぐわぐわ団のまけもけさんが、実によくわからな…もとい、意味深なブログを書いておられます。 www.gw2.biz 脱マイナス思考!ときたかと思えば、脱プラス思考?そしてたどり着いたのは「脱思考」。さすがです。そうきたか。実にわけがわから(以下自粛 と私が壊れている場合ではありません。 日本人は、マイナス思考だとよく言われています。ラテン系の「ケ・セ・ラ・セラ」、が代表的ですが、世界中にはまけもけさんの言う「脱思考」のすすめと言うべき言葉が軒を連ねています。 しかし、日本語にはそれがない。それだけでも日本人のネガティブな思考があらわれているのではないかと、言葉に興味がある一人の人間として、切に感じます。 この日本人マイナス思考説、我々も薄々は感じていることだろうと思います。しかし、その根拠となるとわからない。霧の向こうにある、実体はあると思うけれどつかめないなにかに近い存在
以前、「BS歴史館」という歴史番組がNHKで放送されていました。歴史好きとしては見逃せない番組だったのですが、偶然見たときのお題が大塩平八郎でした。 それをボケーっと見ているうちに、 「お?」 と琴線に触れるもんがありました。 大塩平八郎の乱の詳細はWikipedia先生に任せるとして、大塩は乱が失敗した後、40日ほど逃亡していました。が、最後は隠れ家を追っ手に見つかり、持ってた火薬に火を放って壮絶な爆死。 その屍は当然バラバラになったものの、執念の縫合により乱に参加した同志とともに磔になったそうです。 九州は松浦藩の藩主、松浦静山が大塩平八郎の乱に興味を持ち、早馬で仕入れた情報をもとにして作った「甲子夜話」という詳細な記録があります。上の写真はその中に書かれた、鳶田での大塩平八郎以下の磔の図で、赤丸が大塩です。 ここで私のアンテナが反応しました。 「鳶田?」 鳶田、今のJR新今宮駅の南側
日本人は、「一所懸命」「一心不乱」というように、「一」が大好き。一つのことを極めることを美学とします。ただし、それが生理的に合わない人もいます。それが私なのですが。 しかし、あくまで「本妻」は中国語。他の外国語はすべて「愛人」です。実用としての英語は、「愛人以上本妻以下」といったところでしょうか。 「外国語を一つ覚えることは、もう一つの目を作ることだ」 と誰かが言ったそうですが、「浮気」で視野が広がり、回り回って「本妻」の肥やしとなって彼女がより綺麗になる。こんな良い「浮気」はありません。ただし人間世界でやっちゃダメよ。 私の「愛人」の一つに、ロシア語があります。もう年齢が年齢なので、いまさらロシア語ペラペラになろうなんて思いません。読み書きができればそれで良し。それと脳の防腐剤として。外国語の勉強は、上述したとおり「もう一つの目を養う」ためでも、「脳の防腐剤」でも目的な自由。「ペラペラ」
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