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nagaisan00.hatenablog.com
こんにちは、長井です。 「60歳からはじめる個人事業」についてあれこれ書いてきましたが、とうとうネタが枯渇しました。はっきり言うと書くことがなくなったのです。 ですのでブログを当分お休みします。何か別に書くテーマが見つかればまたこのブログで書きますが、その時はまったく違うテーマになるでしょう。実は本ブログは一度、長期休んでいます。書くことがなくなり、その後、「60歳からはじめる個人事業」というテーマが見つかったので書き続けていましたが、鉱脈も尽きてしまいました。別の鉱脈が見つかれば書くことができるかもしれませんが、今はなかなか難しいです。ただし、50代から60代のなかでどう生きるかについて自分なりの考えをまとめたつもりです。 私は50代の現役のサラリーマンがいろいろと不安を抱えて生きていく中で、応援歌みたいなものを書いたつもりです。 私は50歳からの大きなテーマは、「下りる」ことでした。ま
私はもともと友達をつくるタイプではありません。そもそも友達自体がサラリーマン時代にもおりませんでした。仕事上で仲良くなったり、だべったり、愚痴の言い合いなどはしていました。ただそれを友情で育まれた友達であるかといえば、まったく違い、単なる話が合う知り合いという感じでした。 サラリーマンは共通した仕事内容でお互いにチームを組んで協力し、その間、雑談したり、飲んだり、いろいろとします。そうすると知り合いでも親近感がわくものです。 共通の仕事も多いというのも大きいですね。でも友達ではないです。 友達といえるのは、妻くらいなものです。今年も、前職の知り合いのサラリーマンから、「焼肉食べたい」と書かれた年賀状が届きましたが、残念ですが、今この人と話をすることってなにもないのです。 サラリーマンの三大不満も「給料」「長時間労働」「人間関係」であることも理解していますので、こちらが愚痴を聞くだけになりま
沖縄旅行から少したってからある日の頃、旧知の人から一本の電話がかかってきました。詳しくは話せませんが、現役に戻らないかということでした。現役に戻れば、それはお金も入り、その仕事内容はよく知っていますが、私はその仕事を担うことによって、私自身が幸せになれるとは思わなかったのです。 その人は私が会社を退職していることを知っており、ひょっとしたら今は無職なのではと思ったのかもしれません。しかし、今、私がどんな仕事をして、何をしているかをまったく知らなかったようです。人間は結構、自分以外のことは関心がないものです。 まあ、その仕事を誘ってくれたことは光栄です。何よりも自分の力量をそれなりに評価してくれての誘いですから。とはいえその仕事はもろに政治にからみ、身分的にも副業をすることができません。ということになると今、私がいろいろなところで書いているニュースサイトその他すべて辞めなければなりません。そ
www.nikkei.com 日経新聞を見ていますと、「70歳以上まで働く」が3割で、老後に不安が77%だとのことです。これは日本人が悲観的なのかわかりませんが、お年寄りになることに対して、不安になりすぎです。 それはいつかは足腰が立たなくなり、介護が必要になる時が来ます。認知症の父とも付き合いましたので、老後は大変であることはわかりますが、それは誰もが通る道です。私が父の介護について一切書かないのは、この経験があまりにも辛かったからです。 前にも書きましたが、ある意味、高齢者の問題を解決するためには、高齢の労働だと言っています。「お金」「健康」「孤独」という老人三大問題が解決されます。この日経新聞の記事を見ると仕方がないから働くという意味に捉えますが、楽しく働く起業も将来的に考えてもいいのではないでしょうか。 ただし、定年後で飲食業をやるのは反対です。特に「そば打ち」にあこがれる方もいま
私もオッサンですから、義理チョコバレンタインで一喜一憂する歳でもありません。サラリーマン時代、女性事務員も義理チョコの差配は面倒くさいと思っていたと想像しています。男性、女性いずれかは思い出しませんが、義理チョコをやめようと言って双方がほっとしていたことを思い出します。男性側もホワイトデーで商品券をお返しするので面倒でした。一番面倒だったのは、総務のとりまとめ役でしょう。この点については同情していました。 私も甘いものが好きですから、チョコは好きです。むしょうに食べたい時があります。ブログで結構高価なチョコやケーキを見ると、「これいいな」と食べたいと思います。 義理チョコっていつごろから発生したかわかりませんが、私の大学生時代にはありました。ですから30年前から確実に義理チョコの概念はあり、結構長い習慣です。私は、当時、女性の知り合いが存在したわけでもないので、チョコをもらえる当てがないの
大学時代、オタク生活を満喫している中で、存在感を示していたのが、コミック高岡でした。当時は週に一回くらいは、神田神保町に行っていた気がします。 それだけ、本好き、マンガ好きでした。しかし、最近、街の本屋が次々と閉店しています。ちなみに大阪出張の時にお世話になっていた本屋も破産しました。 www.tsr-net.co.jp そんな中、神田神保町のコミック高岡が3月31日に閉店するニュースが飛び込んできました。 news.livedoor.com 当時、Amazonもネットもなかった時代に漫画本を探すとなると、コミック高岡に行くのが一番効率が良かったのです。当時のマンガ好きは、必ずこの書店に立ち寄り、書店は人であふれていました。その反面、立ち読みには厳しかったです。ここでなかったら、多少高くてもいいのであれば、中野の「まんだらけ」で探すパターンです。 コミケが今のビックサイトではなく、晴海の国
60歳以降の労働について様々な意見が新聞やネット上で議論されていますが、割に悲観的な意見が多く感じられます。ネットでは、「65歳過ぎたら働きたくない」「体がもたない」「国は我々を殺す気か」などの辛辣な意見です。 それはサラリーマンを60歳以上もを続けると辛いです。特に私は中小零細企業を渡り歩いてきましたが、55歳から給料が減り、60歳以降ですと給料が半減し、責任は変わらず、正直これを60歳以降も続けられるかといえば、なかなか厳しいです。 実はマスコミが報じる高齢者の労働の在り方は大企業のことで世の中のほとんどのサラリーマンが働く中小零細企業の再雇用についてはあまり関心がもたれません。だからこそ、悲観的な観点で論じる人が多いのかもしれません。 そこで私は、60歳以降の働き方は雇われであること辞めて、労働も趣味も一緒に楽しむ人生をグラウンドデザインとして描いてみてはいかがでしょうかと提案してい
沖縄旅行記の最終回です。食べ物も美味しかったですし、海もきれいでとても満足に行く旅行でした。私は旅行はそれなりにしてきましたが、この沖縄旅行は一番楽しかった旅かもしれません。これは妻も同意見です。 最後は沖縄のそばで締めました。 会社もタバコも辞めて、ライターという仕事をしていますが、世間から見ると、社会からの落伍者と言われるかもしれません。一般的な常識や視点からするとそうかもしれません。 ただ、サラリーマンをやめても、社会とのかかわりは失っていません。取材をし、人と話しています。 実際、私はあんまり稼いでいません。稼いでいないのに、台湾や沖縄旅行に行っていることに不思議に思われるかもしれませんが、これは私たち夫婦のライフスタイルにとてもおおきく関わってきます。 私はサラリーマンや出世から下りた人間ですのでもう見栄を張ることはありません。 冠婚葬祭の出席も限定しています。疲れたからタクシー
私はタバコを完全にやめています。はじめてかかる医者に問診票を出すとき、禁煙に成功したことも書いていますが、医者からは、「30年間吸い続けたタバコをよくやめられたね」と感心されます。私もよく頑張ったと思います。 今回の沖縄旅行ですが、割と那覇市内はタバコを吸う場所は結構あったように思います。ただし、観光バスツアーでは当然はじめていく地域ですから、たばこを吸う場所を見つけるのが大変です。当然、タバコを吸えなくなるといらいらも募りますから、せっかくの観光も楽しめなくなります。 それにガイドさんと一緒に行動しますから、タバコを吸っている時間はありません。 私が禁煙に踏み切った理由として都心に出るときにタバコを吸えるスペースをみつけることに手間をかけすぎていたことです。そして東京都の条例や改正健康増進法を受けて、これは都心でタバコを吸うところがなくなると予測し、禁煙しました。 だいたいタバコを吸いた
そろそろ沖縄の旅も終わります。沖縄での旅行は大自然を楽しむことも大切ですが、もう一方、平和への祈念や戦争での犠牲者の慰霊も忘れてはならないことだと思います。 「平成」という年号に意味があるとしたら、日本においては戦争がまったくなく平和であったことは良かったです。何しろ、明治政府が誕生して以来、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦後と年中戦争しているイメージがありました。そして満州事変から太平洋戦争まで15年(数えでの計算)間も戦争が続くという世界歴史史上珍しい時代でした。 実はガイドさんはこの説明の折、「15年戦争」という用語を使っておりました。実は、「15年戦争論」は歴史学会では正式に認められていない用語なのですが、それでもガイドさんの沖縄戦に対する思いも強かったのでしょう。そこで15年戦争論に触れないことはやや不親切であり、ここで少し解説します。 満州事変勃発の1931年から起算すると1
首里城を後にして、今度沖縄ワールドに向かいます。時間があれば、ここでじっくりとするのもいいのですが、時間的に玉泉洞という洞窟とエイサーを見ることしかできませんでした。ただいずれも素晴らしいです。ただ、エイサーは写真撮影は禁じられていましたのでこちらのシリーズに掲載することはできません。申し訳ないです。 洞窟も私の文章よりも写真をご覧いただいた方が良いと考えます。 私はライターの仕事をしていますが自然に関する表現力はあまりないんです。インタビューして相手が主張したいことをまとめるスキルはあっても小説家のように大自然に対する表現能力は期待できません。 この洞窟結構長くていつまで続くのかなと思いました。40分ほどで地上に上がりましたが。沖縄の大自然は海のイメージもありますが洞窟もかなり見るべきところがたくさんあります。沖縄の魅力って一回行っただけではなかなかすべてを網羅することはできないと思うの
観光バスツアーでガイドさんは、様々な沖縄に関するエピソードを伝え、我々を飽きさせないようにしています。はじめて聞く話も多く、我々も退屈はしませんでした。その中で、首里高校の話は心に打つものがありました。かつての沖縄野球の名門は、首里高校ですが、1958年に戦後初の夏の甲子園に出場しました。当時は、日本復帰前で、アメリカ統治下でした。 実は、首里は、太平洋戦争の沖縄戦で、日本軍は防衛線を敷いたところで激しい戦闘が繰り広げられたところです。ただし1945年5月末で首里防衛線が崩壊し、一部は糸満市に陣を引きます。最終的に同年6月23日をもって、沖縄県での日本軍の組織的戦闘が終焉を迎えます。ちなみに後に書きますが沖縄県民にとって6月23日は重要な意味を持つ日です。 首里城から見る城下は当日あいにくの曇りでした。 首里城下の街並み その首里高校ですが、初の甲子園出場を果たしますが、単なるスポーツの枠
3日目は、沖縄南部の旅です。本日で沖縄を離れます。バス観光ツアーの旅は、首里城→おきなわワールド→平和公園→道の駅の買い物→那覇空港のルートです。 首里城の守礼門をくぐった時、ふと大昔の大河ドラマ『琉球の風』の冒頭シーンを思い出しました。本来、官職は朝廷が武家に授けるものですが、戦国時代になると権力のある戦国武将が遊び心で家臣に官職を与えることがよくありました。 守礼門 豊臣姓を賜る前の羽柴秀吉が家来の亀井 茲矩に恩賞にどこの国が欲しいかと聞いたところ、「琉球国」を賜りたいと亀井は答え、それに対して秀吉は、「亀井琉球守」と書いて扇子を渡した話があります。このエピソードは、『琉球の風』の冒頭に登場します。実は戦国時代のよくできたエピソードは後世のつくり話が多いのです。大河ドラマでは、よく登場する明智光秀の「敵は本能寺にあり」と叫ぶシーンは、初出が江戸中期の史料『明智軍記』に登場しますが、おそ
沖縄北部から南へ移動し、異国情緒を感じられる「美浜アメリカンビレッジ」に到着しました。このあたりになると、そろそろ疲れてきますので、妻とアイスを食べました。 「冬なのにアイス?」 そう思われたかもしれませんが、結構この時期の沖縄も暖かいです。それに疲れると糖分が欲しくなるものです。「美浜アメリカンビレッジ」に着いた後、アイス屋に入り、二人で休みました。 「美浜アメリカンビレッジ」の近くには嘉手納基地もありますので、アメリカ人もとても多いのです。 もともと「美浜アメリカンビレッジ」は基地でしたがその跡地をうまく有効活用した事例として知られています。実際、メインは買い物する場所でしょう。沖縄の名物、アメリカらしい服などを販売しています。若者の来場もとても多く、年間800万人と言われています。この時、私は、「ハブ酒買いたい」と言いましたが妻からにべもなく却下されました。 亡父は沖縄問題について、
観光バスツアーの良いところは効率性です。当日幸い、集合に遅れる人もなく、予想よりも早く那覇に帰れることができました。日本が今後、観光立国となっていく中、訪日外国人も沖縄を訪問することが増えてくると思われますが、観光バスの整備により、沖縄の魅力が多くの方に知られることは大変望ましいです。 「美ら海水族館」を後にして今度は、「ブセナ海中公園」に向かいます。ここは砂浜がとても美しいことに加え、海中を見ることができるのです。ここも私たち夫婦が大変気に入ったところでした。 私の下手な文章であれこれ言うのもなんですので、写真をご覧ください。 私はもともと現役時代、沖縄に行きたかったのですが、休みがなかなか取れなかったです。確かにサラリーマンを続ければ身分保障もあり、世間体も良かったでしょう。 「A会社で部長をやっています」 それはそれで承認欲求もはかれるでしょう。私はその人生も否定はしません。出世する
私の妻は水族館が好きです。いつかは鴨川シーワールドや八景島に行きたいと言っています。この沖縄プランを立案したのは妻ですので当然のことながら、「美ら海水族館」も組み込まれていました。 まあこちらも私がいろいろ書くよりも妻が撮影した水族館の写真をご覧になる方がわかりやすいです。 とにかくメインの水槽の大きさは段違いです。 段違いの水槽の大きさ ここでは様々な魚を見て楽しむことができますがやはりメインはサメです。 サメ 沖縄の海をそのまま水族館に移管したかのような美しさですが、外も楽しめます。水族館から外を出ると伊江島や海の風景はとても奇麗です。 正面には伊江島が見えます ここの水族館ではイルカショーも必見です。ガイドさんによると以前は、バスツアーでのタイミングが悪くイルカショーを見ることができなかったこともあるので時間を変更したとのことです。それほど好評であります。イルカショーを見るとイルカっ
沖縄旅行ですとバスツアーを利用するのがベストです。もちろん自分でレンタカーを借りて運転することもありですが、運転の良しあし、移動の効率性を考えれば、バスツアーが望ましいです。バスツアーはいろんなコースがあります、是非、様々なルートを検索して、旅行を楽しんでください。 沖縄二日目は北部周遊の観光バスツアーです。那覇→古宇利島→沖縄美ら海水族館→ブセナ海中公園→美浜アメリカンビレッジ→那覇のコースを選択しました。 まず古宇利島です。ここは本当に絶景です。ちなみに、古宇利島は「恋の島」とも呼ばれています。実はこの古宇利島こそが琉球民族発祥地であると示す伝説があります。 ガイドさんの説明によると、古宇利島に空から男女二人の子供が降ってきました。彼らは全くの裸で、毎日天から落ちる餅を食べて幸福に暮らしていました。 最初はそれに疑問を持ちませんでしたが、もし餅が降らなくなったら餓死するのではという不安
国際通りは那覇市内で最もにぎわいのある繁華街です。沖縄県庁や那覇市役所を抜けると国際通りにつきますが、この国際通りはとにかく長いです。食べるところはたくさんあります。 国際通り 私たちが選択したのは、市場です。市場で魚を選択し、上の店で調理してもらいました。 市場 那覇市第一牧志公設市場の中に入りますと、魚の匂いが満載です。とにかく、入って魚屋に行くと彩り鮮やかな南国の魚を見ることができます。ちなみにこの市場は2019年6月から移転します。老朽化していることで7月に仮店舗に移転し、工事を行うとのことです。築地市場も同様ですが、市場の老朽化は全国的な問題のようです。ですから6月~7月に行く際は、注意が必要です。 魚屋で魚を選択 市場の魚屋で魚を選択します。妻は食事をする時に、沖縄の魚を食べたいという考えがあったので、こういう店を最初から探していました。これらの魚を刺身や唐揚げにしてもらいまし
レンタカーのクルマを返した後、ホテルに戻って少し休みました。 その後、那覇市役所を抜けて国際通りに向かいました。実は、この那覇市役所は、まるでダンジョンか要塞のように素晴らしい建築です。この建築自体が私にとっては観光場所です。 意匠・構造設計は地元の設計会社である国建、施工は地元ゼネコン最大手の國場組です。私は地方の工事は地方に任せるべきとの考えであります。国土交通省も地方のゼネコンを育成する方向ですが、那覇市役所のような大きなプロジェクトを地元会社が設計し、施工することはベストであると考えます。 那覇市役所 これだけの自由奔放な設計は、なかなか見られません。合理性と機能性を追求したモダン建築に対して、その異議申し立ての観点からポストモダン建築が生まれましたが、那覇市役所はポストモダン建築の見本です。私は日本でも、東南アジアでもポストモダン建築を見てきましたが、実はわくわく感はなかったです
成田空港に到着しますと向かうのは、第三ターミナルです。これはLCC専用のターミナルです。第一や第二ターミナルからやや離れており、若干歩きます。ちなみに、バニラエアは、東京からですと、北海道の千歳、函館、九州の奄美大島、沖縄の石垣島、台湾の台北、高雄などに行くことが可能です。もちろんLCCはバニラエアだけではありません。あらゆるLCCを使うことでみなさんの世界は格段に広がります。昔、スペインやポルトガルが世界の覇権を競い、大航海時代がありましたが、それに匹敵します。大げさかもしれませんがLCCはそれほどの可能性があります。 そして那覇空港に到着しました。こちらもLCC専用のターミナルです。本体のターミナルと若干離れているので、バスで移動します。しかし、バスに乗るまで若干時間がかかるのです。LCCは人気もありますのでバス乗車までは待たされます。LCCは安い反面、利便性については若干我慢すること
12月の台湾、1月の沖縄とそれぞれの旅行を提案したのは妻ですが、その真意というのはやはり、人生で一度きりであるということで楽しまなければならないというものです。 バニラエアの飛行機から空を眺める ここであまり書いていませんが私たち夫婦には子供がいません。本ブログに子供が登場しませんので気が付いた方も多いでしょう。私たちはいつかは墓じまいをし、自分の家が断絶するというのは悲しいことではありますが、これも運命だと受け止めています。子はかすがいといいますが、その子供がいないとなると夫婦が仲良く愉しんで生きていく道を選択したのです。ですから私たち夫婦は、自分でいうのもなんですが、仲が良いです。もちろん、ここまで割り切るまで心の葛藤がありました。そのことについて詳細はつらいこともたくさんあったので書きたくありません。 世の中の人にいろいろ言いたいことはありますが、周囲の人々が「子供はまだか」というこ
帰ってきました。この3日間、沖縄に妻と二人で旅行していました。台湾に続いて、沖縄旅行と景気が良いと思われがちですが、旅費はLCCのキャンペンーンで激安でしたし、宿泊も簡易式ホテルです。ですからみなさんが考える以上に旅行費は安く抑えられます。これが正規の料金で行くと、さすがに厳しいです。私は個人事業主になり、思いついたらいつでも休日を確保できることと、LCCにより、世界が大きく広がりました。 沖縄旅行記について後日、写真や行った先々のことを整理して執筆したいと思いますので、ごゆるりとお待ちください。ということで、本題に入ります。 私はサラリーマンから降りた人間で、今は取材を通じて社会を見ています。その意味で、勝ち組や負け組にも関心はありません。 いろいろな経営者を見てきましたが、有能な経営者は社員を低賃金でこきつかうことはありません。逆に無能な経営者が社員を低賃金でこきつかいます。社員に長く
www.youtube.com 本日から、私はオフであります。ですからそっとしておいてください。 南野陽子さんの歌は本当にいいですね。旅のおともにグリコのポッキー。 www.youtube.com www.youtube.com
私たち夫婦は、つくづくお金に縁がありません。もともと、サラリーマン時代も上昇志向もなく、給料も出世も運だと割り切っていました。実際たいしたことがない役職でサラリーマン時代の幕を閉じました。 そして個人事業主を開始しましたが、お金を儲けたいからという動機ではなく、自分の裁量で仕事をしたいという意向のほうが強かったです。そうなると当然、給料もガクンと落ちましたが、満足度が高いのが個人事業の仕事です。 いろんなライターが昨年はこれだけ稼いだとアピールする人もいますが、わたしはとてもとても無理ですね。個人事業の会計年は1月~12月で計算しますから、年末にはツイッターで今年稼いだ金額を明示されている方が多かったです。 それを見て私はなんとも思いません。私たちはとりあえず食べるのに困っていないので今のライフスタイルを変えることはしません。 人それぞれ考え方が違いますが、普通に食べていければそんなに深刻
会社で学ぶスキルは二通りあります。その会社でしか通用しないが出世が可能な仕事とどこでも通用するスキルです。私がサラリーマン時代、機関誌を作成していたときにある人から、「長井さんは独立してもライターとしてやっていけるんじゃないの」と聞かれたことがあります。新聞作りというのはほかでも通用するスキルと思われがちですが落とし穴もありました。 私が機関誌を作成するクライアントはただ一人でしたので、ライターとして汎用性がなかったのです。クライアントが一人というのは特殊な新聞で、政治家や行政官に配布はしていましたが、読まれないと言うことも自覚はありました。まあこのクライアントはオーナーです。ちなみに、オーナーには今でも感謝しています。偏った新聞づくりだったと回想はしつつも、15年もこの業務に携わることができ、いい経験になりました。 人生100年時代は置いておいて、これからは働く期間が長く時代は確実に到来
会社の退職は、それぞれの諸般の事情によりますが、「給料が安い」「労働時間が長い」「人間関係が悪い」が三大理由です。ただしそれとは別に人間関係もよく今後ともこの会社を背負ってほしい人にやめられるケースがあります。こちらの退職理由は会社側からすれば結構深刻です。要するに社員から会社の将来に見切りをつけられたのです。これはなかなか寂しい感情を抱くかもしれません。 ただ、若者からすれば、新たな成長ステージに入るための転職であるため、そう選択しただけです。保守的な会社は退職すると裏切り者と判断するかもしれませんが、社員が成長ステージに入ったと喜んでむしろ楽しく送り出してあげる方がいいのではないでしょうか。加えて「出戻りOK」も検討してもいいのです。あるいは退職者に対して、会社への提言を求めて会社改革に乗り出すいい機会ととらえてもいいのです。 私はここでほとんど意味のない行為は「引き留め」だと思ってい
Windows7を現役で使っていましたがいよいよ、寿命が来ました。もう重くなっていて、ハードディスクドライブのガリガリした音がなり、いつパソコンがクラッシャーを起こすかわからなくなりました。 私はOSではWindows7に惚れ込んでいて、Windows10に移行したくなかったのです。なるべくWindows7が壊れるまでマシンを使おうとしていました。 妻が持っているパソコンはWindows10ですが、これは悪くありませんが、せっかくなので新規パソコンを買うことにしました。昔であればヨドバシやビックカメラに行ってお気に入りのパソコンを選択していましたが、今は妻がネットから適当に選んでいます。 私は難しいソフトは不要でOfficeで十分なのでビジネス用のパソコンならなんでもいいと伝えたところ、ネットで1機種に絞り最も安く販売しているネット店で購買しました。 新しいパソコンを購入した場合、資料の移
本ブログは時に事業者向けに執筆することがあります。事業者の方々も日々の労務管理は大変ご苦労されているかと思います。 今、正社員を雇用するのはなかなか大変です。その理由は社会保障の負担です。ある人を20万円で雇用しようとすると、厚生年金や健康保険は6万円の負担になります。これを労使折半になりますので会社側は3万円の負担になります。 一方、会社はそこまで払っているのでもとをとりたい意向もあるのか、社員を徹底的にこき使います。当然、社員側も納得いきません。ですから労使双方に不満が生じるのです。 私のサラリーマン時代、ふと感じていたことはその仕事は正社員でなければ対応できないものなのかと感じておりました。これはリクルートの取材でも勉強したのですが昔ながらの事務の仕事というのがほぼなくなっているようで、今の事務はなかなか高度で、株主総会にも対応できる能力の人を求めているとのことです。 そこで人事も考
サラリーマンには定年が待ち構えています。1つの目の定年が役職定年でこれは大企業で多く制度として存在し、55歳ほどから、仮に部長か課長であってもラインと役職を外されます。これは中々メンタル面で来るモノがあります。私は大企業勤務の経験はありませんが、仮に役職定年になったら上がる芽がないと諦めるでしょう。ここであがいてもムダです。役職定年を受け入れて定年まで大過なく過ごすか、思い切って退職願を提出して、辞めるかそれぞれの人生がありますが私は残りの5年間は辛抱してもいいと思います。 次に60歳の事実上の定年です。大企業であれば役員以外は、一応雇用関係は続きますが、部長や課長であってもラインから全員外れます。最近、多いのは請負で雇用関係を続けて欲しいという要望が会社側からあります。これは前から書いているのですが、会社側は社員の社会保障の面倒を見切れないのです。その場合、国民健康保険になります。特に中
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