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morimori68.hatenablog.com
連休の読書―オーウェル『1984年』 ジョージ・オーウェル『1984年』(早川文庫)を久しぶりに新訳で読んだ。 新訳だと、イギリス的な刺すようなユーモア(例えば、「大きな栗の木の下で」の替え歌のくだり!)が明確になっている。 それにしても、主人公ウィンストンの親が国家に粛清されたらしく、しかもそのことを覚えていないというくだりはやばい。全体主義―絞り込んでいえば共産主義―のやばさをみんなもっと知るべきだと思います。
すぐれた時評集である。この中の、加藤直樹論文“「昭和十九年」を生きる”にしぼって紹介する。じっさい、これを読むだけでも元は取れるのではないだろうか? 現在は昭和十九年に酷似していると著者は言う。すなわち、あの戦争の末期だ。 GHQの占領と日米安保体制によって日本は敗戦処理、植民地主義の清算をアウトソーシングできた。そのことは、フクイチの原発事故に対する支配層の無反省にもつながっているのではないか。著者はおおよそそのように指摘している。 著者は近代日本の歩みを次のように整理している。すなわち、立身出世と進歩を軸とした帝国主義。帝国主義というと、右翼や資本主義が思い浮かぶかもしれない。しかし「左」の潮流も例外ではなかった。たとえば中国の革命家に冷淡だった幸徳秋水(これについては、石母田正「幸徳秋水と中国」の参照が求められている)。そして、大阪事件を起こした大井憲太郎。 著者は「日米もし戦わば」
Ian Kershaw の本を読み進めた。 英語のまとめ冊子の索引作りをした。原稿の細かいチェックなどが残っているがほぼ完成だろうか。 久しぶりにストーブをつけている。雨風のせいか涼しいので。
一言で言えば本書は、タイムマシンに乗って、大学二回生だった自分に差し出してあげたい本である。 その頃、社会学の目的とは何かとある先生に聞きに行ったことがある。すると彼は、 「マルクスはですね、人はみな平等であるべきなどとは一言も言っていないのですよ。」 と言った。この人はいったい何を言っているのだろう。 そのあと、社会学の意図するところは要するに社会的資源の最適配分にあり…などと、授業で述べた説明を滔々と繰り返して研究室に戻っていった。その中には彼に忠実な学生たちがいたようだった。私はしばらく立ちつくし、立ち去るしかなかった。今思えば、向こうにとっては、チンピラ学生を煙に巻くなどお茶の子さいさいという感じだったのだろう。(注) 本書は、四半世紀前の私の問いに正面から答えるものである。すなわち社会学の目的は社会の役に立つことである。 本書を要約すると、 (1) まず社会学という概念を始めて作
たとえば電車でペーパーバックを読んでいるとしましょう。調べたい単語がある。でも、わざわざそのためだけに辞書を担いで回るのも…と思うでしょう。 そこでスマートフォンの出番です。 一般に、辞書は大きなものから引けといわれています。なぜかというと、おそらく、本格的な記述に目を通すことで深い理解が得られる、ということなのでしょう。 ・というわけでまずお薦めなのが、英英辞典 Merriam-Websterです。なんとタダ。米国ではウェブスターは権威ある大辞典という感じのようです。(広告が気になる人はいくらか払って有料版にすれば、広告は出なくなります。) http://www.merriam-webster.com/dictionary-apps/android-ipad-iphone-windows.htm ・手軽で有用な英英辞典として、WordWeb appがあります。これもタダ。 https:/
なんか匿名ダイアリー方面でブックリストがどうこうという話が盛り上がっているようだ。というわけで、有名な私立学校、麻布学園の発表している推薦図書リスト(2013年版)を見てみた。(PDFファイル) http://www.azabu-jh.ed.jp/syuppan/natsuyasuminiyondeokitai2013.pdf このブック・リストの良さは、それぞれの本にコメントが付いているところ。今わたし自身が読んでみたいなあと思う本もかなりある。 これに関連して、前にid:tari-Gさんの御教示をまとめたブック・リスト(社会科学入門書)もリンクしておこう。 http://d.hatena.ne.jp/morimori_68/20090308 この中の本を読んで、これはこう思ったとか、あれはああだったといったご感想があれば、お気軽にコメントでもください。
台風11号が近づいてきたので通過を待っています。職場のプリンターで来週の計画表テンプレートをプリントアウトしてきました。縦軸に時間帯をとり、横軸に曜日をとったものです。(全く同じというわけではありませんが、こういう感じのもの。→http://excel07.blog114.fc2.com/blog-entry-568.html) これをA3に拡大コピーし、ポスト・イットに予定を描いて、貼り付けていくわけですね。 これをやるようにすると、自分で自分の時間を管理するという実感を持つことができます。 こうして作った予定表を、スマートフォンのアプリに入力するとさらに吉かな。わたしは「スケジュールプランナー」というアプリを使っています。
本はやはり、はじめのページを読んでみないと合うか合わないかがわかりません。合わないと思っても、まだ機が熟していないだけという場合もありますが…。 本には三種類あると思います。第一に仕事の関係の本。第二に気晴らしの本。第三に物事を知る本。 (1) 仕事の関係の本は、大工さんがカンナやノコギリを揃えるのと同様に考えています。例えばフランク・ベトガー著『私はどうして販売によって富と幸福を得たか』(ダイヤモンド社、1955年)は、営業―お客を作り、作ったお客を維持しながら、その数を増やしていくこと―のバイブルです。営業以外でも、時間の使い方について役に立つことが書いてあります。とっくに絶版で、私は図書館で借りて主な所をコピーしました。 (2) 気晴らしの本。具体的には漫画とか、犯人当てミステリとか。最近では、図書館の新刊コーナーでたまたま見つけた今野敏の『果断』(新潮文庫)が面白かったです。 (3
私は靖国神社を全否定するつもりはない。焼き払い、ぶっつぶして駐車場にしてしまえとは言わない。それをたとえば対馬丸で身内を失った人の前で言えるか? 言えないのである。 靖国神社は、形式上は、一宗教法人でしかないので、誰を祀ろうと祀るまいと勝手ということになる。 ただ、そこに首相が参りに行くとなると話は別である。A級戦犯を神として、「昭和殉難者」として祀っているからだ。日本はサンフランシスコ講和条約を受けいれて国際社会に復帰したのだから、国際的には極東軍事裁判の否認という意味を持つことになる。安倍晋三の靖国神社参拝は、パフォーマンスでしかない。本当に崇敬の念なり何なりがあるのならば、極秘裏にお忍びで行くだろう。 靖国神社が国民を戦争に送り込むイデオロギー装置の役割を果たしたことは、歴史的に明白である。靖国神社は、戦争神社である。日本が集団的自衛権を行使することになれば、自衛隊員の犠牲者も出るだ
Ian Kershaw(著)石田勇治(訳)『ヒトラー 権力の本質』白水社、1999年(原著1991年) ヒトラーとは何者だったのか? 彼および彼が作った体制、やらかした事柄、壊した体制などには、様々な謎めいた点がある。有名なヒトラー伝(未訳)も書いている著者イアン・カーショーは、そうした謎のかなりの部分について著者なりの回答を出している。例えば序章で著者は、ヒトラーの権力の鍵を、マックス・ウェーバー由来の概念である「カリスマ的支配」に置いている。面白い。 以下、興味深い部分を見ていきたい。本書からの引用は引用符で明示する。 “ヒトラーの世界観は本質的に次の要素から成り立っていた。 第一は、歴史は人種間闘争であるという信念。 第二は、急進的な反セム主義。 第三は、ドイツの未来はロシアを犠牲とした「生存圏」の獲得によってのみ保障されるとの確信。 第四は、これら全要素を統合する、マルクス主義―具
ハンス・モムゼン(著)、関口宏道(訳)『ヴァイマール共和国史―民主主義の崩壊とナチスの台頭』(水声社、2001年) 本書は、文字通り、ヴァイマール共和国―第一次大戦後からナチスに乗っ取られるまでドイツに存在した、世界で最も進んでいるとされた憲法を持つ国家―の歴史を描いたものである。 そのようなヴァイマール共和国がなぜナチスに乗っ取られたのかという問題に、主として、どの勢力にどんな選択肢があり得たかという点からアプローチした本である。 これは4月初頭のノートブックを元にしてまとめたものだが、昨今のきな臭い政治的情勢を考えるヒントとして資することを考え、新しい日記欄に書くことにする。以下、本書の内容に入っていく。本書からの引用は引用符で明示する。 第一次大戦後、キール軍港の水兵叛乱は、ほとんど全てのドイツの大都市に飛び火した。自然発生的に結成された兵士・労働者評議会〔レーテ〕によって、政治権力
斎藤孝さんに『三色ボールペンで読む日本語』(角川文庫)という本があります。中味を要約すると、 本を読んでいて大事だと思ったところには青線を、非常に大事だと思ったところには赤線を、個人的に面白いと思ったところには緑線を引け。線は重なってもよい。積極的に書き込め。ということになります。(これだけです。) 試してみるとわかるのですが、これはなかなかよい方法です。 ただ、一つ難点があります。自分の本ならいいのですが、図書館などで借りた本の場合には、線を引いたりするわけにはいきません。 そうした場合にお薦めなのが、三色の付箋を使うことです。 具体的には、大事だと思ったところに青の付箋を貼り、とても大事だと思ったところに赤の付箋を貼り、面白いと思ったところに緑の付箋を貼るわけです。付箋の上には書き込みもでますから、必要に応じて要約やコメントを書きます。 あとは付箋をコピーするだけで、自然に読書ノートが
広河隆一『福島 原発と人びと』(岩波新書、2011年)を読んだ。 著者のフットワークはすごい。福島県内の安全基準の問題、分断される住民、避難態勢の不備、政府の(責任を回避するための)「御用学者」というべき人の見解への批判などを、取材とそのフォローアップによって突きつけている。 以下、具体的に引用する。 ”Aさん*1は、年間二〇ミリシーベルトの基準値が示されたことに…保安院のBさん*2と名乗る人に電話で決まった経緯を聞いたところ「即答できない」「明日また必ず電話します」と切られ…翌日の電話で、結局「お答えできません」…「福島県外の人は年間一ミリシーベルトで守られて、福島県民だけは、年間二〇ミリまでは我慢しろってことなんですね」…「まあ、そういうことになりますね」” スリーマイルやチェルノブイリと違い、”日本で妊婦と子どもに対する先行避難を打ち出したのは、一部の自治体だけだった” ”首相官邸ホ
このブログは…たぶん シンプルさを追求した作りなんじゃないかな? なんかゼロベースからのやり直しぽい気もする。これはこれでアリかなあ…
岡田英弘『日本史の誕生』(弓立社、1994年)を読んだ。 古代史はよい。日本というアイデンティティーができたのは白村江の戦い以降のことだとか、邪馬台国の位置の推定だとか。とても面白く読めた。 しかし近現代史には問題がある。それも小学生にもわかるたぐいの。221ページより引用。 ようやく日清戦争の直後から、清は日本型近代化の直輸入に着手したが、その結果は、一九一一年の辛亥革命による清帝国の崩壊であった。〔…中華民国は〕共和国とは名ばかりの軍閥の割拠と内戦の連続で、日本と中国の関係が深くなればなるほど、中国の状況が日本の安全をおびやかす度合いが大きくなる。そこへロシア革命が起こって、共産主義の脅威が加わり、とどのつまり、日本は中国のおかげで国策を誤って、満州事変、支那事変、大東亜戦争と、どんどん深みにはまって、国を亡ぼしたのである。(*太字、〔 〕内は引用者) 満州事変を起こしたのは誰か。石原
中学の英語の検定教科書(ニュークラウン2年)をめくっていたらカンボジアの地雷の話が出てきた。 こうした題材を扱うことは基本的には良いことである。 ただし教科書にはその歴史的背景の解説はほぼ皆無に等しい。当然といえば当然かもしれないが…。 さて、このあたりの事情を駆け足で説明してみよう。 シアヌークの王政がベトナム戦争の拡大とともにクーデターで倒され、その結果成立したロン・ノル政権下ではクメール・ルージュが地下で勢力を伸ばし、1975年、170万人の犠牲者を出すことになるポル・ポト政権が成立し、4年後、ベトナム軍の介入とともにヘン・サムリン政権が成立した。地雷は、その後に引き続いた内戦の中で使われたのである。 教育の現場で何をどこまで踏み込むかという問題は簡単ではないように思われる。とはいえ、関連書を紹介するなり調べ方を助言するなりといったことはできるだろう。簡便な文献として、例えば吉田寛『
35年ぶりに「フランダースの犬」ラスト2回を観た。アニマックスで。 クライマックスに向けて場面場面が緊密に組み立てられている。 で、後日談も何もないんだよね…そこがまたすごい。 なおルーベンスの絵は盛り上がった肉体がよく描けている…のだろうな。今度じっくり観てみよう。
以下は、はてなブックマークのほうで話題になったやねごんさんの日記(http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20100622#p1)です。やねごんさんは仮名表記を旨とする方です。有用な情報を含んだ日記が表記ゆえに広く読まれにくいのはもったいないのではないかと思いましたので、今回、その内容を漢字仮名交じりになおした上でネット上に置いておきたいと思います。なお、リンク先についてはやねごんさんの日記(http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20100622#p1)を御覧ください。 2010年06月22日(火) 「入管の人権侵害に反対するデモ」の報告 一つ前の記事でお知らせした集会とデモについて、ごくごく簡単に報告などしてみます。 この催しのささやかながらお手伝いをさせてもらった一人として、集会・デモに参加された方、賛同人・賛同団体
本を読んでいて、原文ではどうなっているかを調べたら行き当たったウェブサイト。 http://www.archive.org/details/texts (たぶん英語圏メイン。) テキストの数は約2百万とひじょうに充実している。感動した。良い時代になったものである。 本の一つ一つのページをまとめた画像がDjVuファイル(PDFファイルに似ているが、圧縮率が高い)だったりするので、閲覧用プラグインを使った。具体的にはこれ。 http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se298006.html?ds インストールした後に読みこませたら文字化けした。こういう時は落ち着いてってことで、再起動させたらバッチリうまくいった。
ツイッターでも話題の、小熊英二×高橋源一郎「1968から2010へ」(『文學界』2010年5月号、所収)を読んだ。感想がふつふつと湧いてきたので書きつけておく。 冒頭、小熊英二は『1968』を「現在の二十歳ぐらいの人たちに読んでもらいたい」と言うが本当にそうだろうか?(若い人向けにしては値段が張るような気が。ほんとのほんとにそうだったら、『日本という国』(理論社)並みの値段とは言わないまでも、例えばソフトカバーにするなどして極力値段を抑えそうなものだが。) 文字資料について。当時書かれたものは「当時のメンタリティーをそのまま表現していますから、かえって当事者にとって意外なものが出てきたりなんかする」それはそうだ。要参照:田中美津さんによる書評。 以下、流れに沿ってコメントを交えつつ紹介していこう。 - 高橋源一郎「たとえば1968年について、これだけのボリュームであの時代を再現した当事者が
書店には資本論の早わかり本もずいぶん出ているけれども、まずは原典だよなあと思ったので。 ちゃんと第一巻が一冊にまとめられているところも良い。文庫だと分冊でしょう? バラバラなのはどうもね。 資本論の第一巻は、第二巻以下と違って、マルクスが生きていたときに出版されたもの。そういう意味でのまとまりがある。第二巻、第三巻、剰余価値学説史といったものはマルクス生前にまとめきれなかったもので、完結性を見いだすのはなかなか…信奉者はどうぞって感じかな。 読んでみてどうだったかというと、別にどうということはない。なんだか高い山に登った気分で、登ったら登っただけのことはあるかなー。 本書は思った以上に読みやすい。というか必要なのは根気だけ。(訳文や組版も良い。) 内容は…ファンキー。ビッグネームDISりまくり。一つの勧善懲悪エンターテインメント作品。 後世に与えた影響もたいへんなもので、たとえば「機械と大
植村和秀さんの『丸山眞男と平泉澄』(柏書房)を読んだ。 植村さんによる丸山の位置づけはたいへん面白い。彼によれば、丸山には三つの側面があって、それは、 (1)筆で世の中を動かそうとする政論記者 (2)日本思想史の研究家 (3)政治にコミットする一市民 ということになる。この観点からたとえば吉本隆明による「批判」への応答(応答しないという応答)の理由について興味深い解が与えられる。 一方で平泉澄の皇国史観は歴史神学と位置づけられる。これは、忠臣の系譜に連なって万邦無比の國體を守るべくコミットせよと要求する宗教的世界観であるから、人はこれを受け入れるか拒否するかの二つに一つであり、中間はあり得ないのである。かくて平泉は戦後野に下り歴史学の主流から見事に消えることになる。 植村さんは立論にあたり「われわれ」という言葉を使う。こうした修辞に接すると、私は「われわれ」の中に含まれているだろうか、と思
はてなブックマークニュースにジンジャーティーの作り方が載っていたので試してみた。生姜をおろして紅茶に入れた。砂糖は多めに。飲んでみた。辛い。生姜はこんなに辛かったかな…と思ったら、砂糖の代わりに塩を入れたことに気がついた。そりゃ辛いはずだよ!
外から帰ってイソジンを多めにしてうがいをしたらかなり効くというか… 規定量下限にしておくべきだったな。
スリランカの偉いお坊さんが街に来るというので話を聞きに行った。 独特の節をつけて偈を唱えるのね。 文化のギャップ、言葉のギャップをうまく笑いに持っていく術はさすが。 一番印象に残ったのは質疑応答。霊能者に先祖の因縁がどうこうと言われたが…という質問をした人がいた。それに対し、輪廻というのは瞬間瞬間に生命の発生と消滅が繰り返されている宇宙の法則ともいうべきもので、先祖うんぬんは仏説と関係のない塵のようなものだ、という意味の答だった。 講演の後は瞑想会だったらしい。 [追記] 著作も多数ある。私が読んだことがあるのはこれ(アルマット刊、2000年)。 読んだ時は動作と瞑想を結びつけるやり方にずいぶん感心したものだった。禅寺などで掃き掃除が即修行になっているような体系があるが、あれはひょっとしてこういうことなのかと思った。
太宰府の九州国立博物館に行き、阿修羅展を観た。 阿修羅像。横の顔を見るのは初めてで、その表情のすごさに驚いた。 そのとき、顔が三つ、手が六本ついている阿修羅像の造形の異様さをあらためて感じた。 写真撮影はできなかった。もしできていたら、土門拳ではないが、仏像が突如走り出すところを撮れていたかもしれない。
エレコムのキーボードカバーが届いたのでここ数日使っていた。 どうもキーとずれていておかしいなーと思っていたら上下逆だった。 ずれてて当たり前じゃないか。にんともかんとも。
小熊英二『1968 上巻』(新曜社、2009年)を書店に注文した。 いまのところ氏の本はすべて「当たり」。 武勲譚や党派の争いの記述に終始するたぐいの議論とは一線を画し、あの時代の「叛乱」の意味を全体の文脈の中に位置づけ、現在の目の前の現実と結びつく展望を開くものになるだろうことを大いに期待している。
他人様に意見するということは簡単ではありません。 押しつけになってしまっては逆効果ですし。 相手の話をきちんと聞いて、相手の事情というものをよーく考える必要があります。
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