サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
iPad Air
kuroneko356.hatenablog.com
フミの提案で、初詣は伏見稲荷へ行くことに。 京阪で行ったので、伏見稲荷へはJRの踏切を渡ります。 日本の電車が珍しいのか、外国からの方々が踏切待ちに写真撮っておられます。おっ、221系だ。 正面から入ります。 JRから来た人も合流して、ますますすごい人です。 外拝殿は、お供えの献酒の山。 ビールもあります。 調味料も。 階段がなかなか進まず。 千本鳥居へ。 伏見稲荷のおみくじは、バンバン凶が出るらしいけど、恐る恐る引いたおみくじは幸い大吉。 穏やかな元旦を過ごせて感謝です。 今年もどうぞよい一年になりますように。 みなさま、本年もどうぞよろしくお願いします。
何度か行こうとして行けなかった近つ飛鳥博物館に、ようやく行く機会に恵まれました。 自転車でなければ、なかなか行けそうにないところ。 建物全体が階段になっていて異様を誇っていました。 65歳以上は割引をしてもらえました。 展示はすごかったー。 実物大の石棺や埴輪は迫力があります。 鏡や装身具、武器や馬具もすごいんだけど、それらが出土した古墳が行ったことのある古墳が多かったのも興味を引き立ててくれました。 水鳥型埴輪、なぜか好きです。 表情がかわいいです。 仁徳天皇陵の模型がすごかった。 これ(修羅)を見た後、天下御免の曲が頭に浮かんできて鳴り止みませんでした。 船出だぞ、船出だぞ このうら船に帆をあげて 自由の風をつかまえろ しゅしゅしゅららのしゅらしゅしゅしゅ〜 この日、2度ほど道路でペシャンコになったカマキリくんを見てたので、生きてるこの子を見れてうれしかった。 帰り道、蘇我馬子創建とい
あー、面白かった。 本川達雄さん作。 作者はナマコの研究をしてきた生物学者。 3章に分かれていて、3つ目は道元さんの正法眼蔵を読み解いていて、興味深かった。 なんだか長い長い講演を聞いているようだなと思ったら、永平寺で道元フォーラムの時に講演された話だった。 時間の話はなかなか理解できなくて、自分の理解力の無さに呆れてしまったが、次の部分を読んでそう考えればいいのかー、とスッキリした。 「ベルトコンベア的なものと、時間をみなしてしまえば、時間の奴隷になるしかありませんし、老人は若者のなれの果てでしかないでしょう。のように道元のように前後裁断、時間を区切ってしまい、老人の時間は老人の時間で質の違うものだ、だから若い時とは違う時間を生きてやるぞ!と決意すれば、自ら積極的に時間に関わることができ、元気が出る気がするのです。老人が元気になれる時間觀、世界観が今こそ必要なんですね。道元は大いに参考に
かき氷が食べたいというおばあちゃんに、娘に教えてもらったファミマのフラッペを昨日持って行きました。 その時にふと見つけた北海道の絵葉書集。 開けてみたら一枚目がたぶん青函連絡船。 説明の文字が小さくて読めないので、嫁さんに読んでもらいました。 「国鉄の連絡船」と買いてありました。 おじいちゃんと若いころに行った時のものらしい。 他のも読んでもらったら、北海道の地名はほんとに難しい。 首をひねりながら「どうじい湖?」と読むので「あ、洞爺湖ね」とかやってたら、「もこの半島」と言いました。 「え? もこの半島?」 嫁さんもう一度よく見て大笑い。 「ソーラン節もこの半島の・・・」と書いてあったのでした。
ひたすらジグザグの海岸線を行くのかと思っていたら、室津の標識が出てきた。 こんなところにあったのかー。 自然の良港で、平清盛や法然上人にも縁がある。 朝鮮通信使や琉球使節、シーボルトも行き交ったそうだ。 室津海駅館は、ざんねんながら月曜日でお休み。 大阪城築城の時、運んできた大石が室津で落ちてしまっていたのを、昭和47年に引き上げたのだそうだ。 大阪に行けなくて残念だったね。
ベッティーナ・オプレヒト作。 お姉ちゃんはダンスが上手くて花があります。夢はテレビに出ること。 ハンナもお姉ちゃんに負けたくないので、どちらが先にテレビに出るか賭けをします。 勝ったのはやはりお姉ちゃんでしたが、それが元でからかわれることになってしまいます。 ハンナはお姉ちゃんを励まして、テレビに出ることよりもっと大切なことに気づいていきます。
守山駅に戻り、コーヒータイムしてから、琵琶湖大橋をバスで渡ります。 対岸の勾当内侍前まで。 なんて読むのか分からないので焦りましたが、琵琶湖大橋東詰の次だから、それが降車ボタン押す手がかり。 「こうとうのないし」と読むのでした。 琵琶湖大橋は二つの橋が並んでいて、右手は反対車線の橋で琵琶湖が見えませんでした。 左手は琵琶湖の景色がきれいでした。 バス停から歩いて、道の駅琵琶湖大橋米プラザへ。 新米が3種類ほどずらりと並んでいました。 米プラザですもんね。 橋の上を歩いて展望台まで行けるそうですが、今日は自重。 「水止めたろか⁈」は、滋賀県民が近隣からイジられた時の常套句だそうです。 ほんとに止められたら、困るやろなあ。 江若交通バスで堅田へ。 ここから帰りました。
紀伊田辺駅には、もう串本行きが待っていました。自転車畳んでから、ギリギリまでお土産屋さんと観光案内所をウロウロ。 串本行きに乗って降り立ったのは、江住駅。山が迫り駅前は閑散としていましたが、国道に出るとコンビニがあり、テラスが設けられていました。 地図では道の駅はすぐそこでしたが、上り坂なのでちょっと疲れました。 ここで、枯木灘を眺めながら昼ごはん。 ゆっくりしてしまったので、あと1時間しかない。見老津駅まで行けるのか。 童謡の園に寄り道。 道を歩いていくと急に音楽が鳴り出すので、ギクっとしました。 見老津駅到着。 ちょっと早く着きすぎた。 ここも、山と海にはさまれた狭い土地にしがみつくように造られた駅。 駅舎にはカフェがあったようだけど、現在は廃墟のよう。 バイバイ、枯木灘。
かねて温めていた計画を、今日決行。 紀伊田辺行きです。 もうすぐ到着。 駅には田辺ゆかりの人の写真がずらり。 次の串本行きに乗るまでの2時間で、南方熊楠さんの墓と南方熊楠顕彰館に行くつもり。 車が渡れない橋を通って、高山寺を目指します。できるだけ上り坂を避けて。 なんせ、高山寺ですから。 橋を渡ると階段が見えてきました。自転車置いてこれを上がるとお寺に行けそうなんだけど、帰り下り坂を自転車で駆け降りたいので、横の急坂を押してあがります。 どれが熊楠さんのお墓か分からないけど、こんな標識があって、うれしい。 やっと見つけました。 漫画で見たのと同じような古い墓石も並んでたんだけど、文字が読めなくてはっきり分からず。 イメージと違うけど、ここに熊楠さんが眠ってはるんですね、合掌。 お墓は、暮らしていた田辺の町や海の方を向いていました。 共に過ごした喜多幅先生のお墓もすぐ前にありました。 少し離
旧生野鉱山職員宿舎だとのことで寄ってみました。 年配の男性スタッフの方が熱心に説明してくれました。 ぼくでも志村喬さんは知っていますので、ついつい聞き入ってしまいました。 志村喬さんはここ朝来町生野の出身で、お父さんが生野銀山の技師をされていたので職員住宅で幼少期を過ごしたのだそうです。 その職員住宅がいく棟か残されていて見学できました。 ぼくが子どもの頃住んでいたのも、団地の19棟だったので親しみが湧きます。 奥の二棟は宿泊所としても利用でき、外人さんに人気だそうです。 志村喬さんが住んでいた宿舎はもう取り壊されていますが、お父さんが植えた松は見事に大きくなって残されていました。
佐藤まどかさん作。 ネコの名前はポロ。 ポロっていい名前だなあ。 公園でポロを見つけたとき、ダンボール箱の中で着古したポロシャツにくるまってミィミィ鳴いていたからポロ。 飼い始めて2年経ったとき重い病気が見つかって、お医者さんからおうちで死なせてあげなさい、と言われた。 なんとか生きていてほしいと思うけど・・・。
もうちょっと早くに乗りにきたかったんですが、お天気の関係やあれやこれやで結局最終日になってしまいました。 近江今津に早く着いていたので敦賀までは座れましたが、敦賀からは超満員。 自転車持ってこなくてよかったー。 自転車なし、身一つの旅です。楽ちん。 福井駅、東口は「一乗谷口」というのですね。前からそうだったっけ。 トリケラトプスやフクイラプトルたちがお出迎え、です。 ハピラインふくいは、ピンクと黄緑カラーなんですね。 開業を祝うお花でしょうか。 福井駅は恐竜だらけ。 大聖寺駅まで行きます。
やまだ紫さん作。 それぞれが詩のような物語です。 猫の目から見たような不思議な感覚。 ずっと見ていても見飽きないネコの絵。 この人のネコの絵は、ずっと残ってほしい。
眞島めいりさん作。 いやいやならされた図書委員の夏休みの当番で、同じような立場の四人が出会う。 夏休みの課題であるグループ研究をその4人ですることに決めた。 内容は、合奏と合唱。 クラシックに詞をつけて歌うことにした。 なかなか歌詞を作れない主人公は、理科の宿題と歌詞をいっぺんに済ませるために、次のような詞を作った。 水青く変わるのは 酸素が増えたせいじゃない 水青く変わるのは 二酸化炭素が減ったから オオカナダモ 光あてて 光合成の変化観察 葉緑体があるからできる 青はアルカリ性の色 四人がアイデアを出し合って、一つの歌を完成させていくのが面白い。 お互いに相手を否定しないで、尊重してるのがすごいなと思った。 結局「4人で」というのはうまく行かなかったんだけど、これらかも4人の繋がりは続いていきそうな予感がします。
ニキ・コーンウェル作。 渋谷弘子さん訳。 『お話きかせてクリストフ』と『君の話をきかせてアーメル』の続編。 ルワンダのジェノサイドを逃れてイギリスにやって来たクリストフ。 イギリスの小学校に入って、今は中学生になった。 そんな折、ルワンダからソフィーがやって来た。 ソフィーはクリストフのお父さんの妹の娘。 お母さんが亡くなってからベアトリスのところにいた。 ベアトリスは、ツチを憎んでいる。 ルワンダでは、民族の違いでフツとツチが憎しみ合い殺し合っていた。 イギリスに来てようやくその憎しみ合いから逃れたと思っていたのに、やって来たソフィーはやはりクリストフのことを嫌っていた。 クリストフのお母さんがツチで、クリストフの顔つきもツチに見えるからだ。 ツチはゴキブリだと教えられていたソフィーがクリストフやその友達と関わることで、「過去の毒」からだんだんと解き放たれてゆく。
ジャムが亡くなりました。 一昨日の夜のこと。 1日つきっきりで、鳴いて苦しそうにしたら、すぐにお腹や頭を撫でてやれました。 毛布の上から体をさすってやると、気持ちよさそうにしていました。 ご飯を作る時間に2階で1人にするのはかわいそうだから、ふわふわマットの上に横たえたまま、下に連れて来ました。 テレビもついていて、人の気配もして、寂しくなかったろうと思います。 大きな耳を立てて聞いているような後ろ姿でした。 嫁さんが先にお風呂に入ってしばらくしたら、足をふみふみするみたいに動かして苦しそうにしました。 急いで嫁さんにも知らせに行きました。 抱いてやっても苦しそうで、また横たえるとしゃっくりのような呼吸をしました。 お腹を見ると呼吸していないようでした。 でも、またしゃっくりのような息をしました。 何度か繰り返すので、息を吹き返すのではないかと思いました。 慌てて上がって来た嫁さんが覗き込
令丈ヒロ子さん作。 のっぽで首や手が長いことを気にして、いつも目立たないようにしているちえり。 同じマンションの同じ階に住んでいるムギとは幼なじみ。 ムギは武儀(たけよし)という名だが、呼びにくくてムギと呼んでいる。 ぽっちゃりして大福みたいな顔。 二人並ぶと、園児と保育士みたいと言われる。 高学年になって、付き合ってるの?と聞かれてから、どちらも関わらないように過ごして来た。 ところが、中1でも同じクラスになり、将来なりたい職業という課題が出て、2人がペアで調べることになってしまった。 お互いの母親の仕事をインタビューしてお茶を濁すはずが、それぞれ密かに憧れている職業に目を開いてゆく。 ムギが熱心なのは江戸時代の料理で、「大根百珍」や「蒟蒻百珍」などの書物を初めて知った。
高田郁さん作。 鉄道にまつわる9つの短編集。 やたらに難しい漢字が使われていて、当てずっぽうでだいたいこうかなと推測しながら読んだ。 漢字だけでなく、知らない言葉がいくつかあって、調べてみたけどよく分からないものもあった。 蕎麦ばったや小峯握りなど。 漢字は、次のようなのはひらがなにすればいいのにな。 倹しい 噤んだ 揃って 啜る 漸く 暫く 蹲った 惨い 雁字搦め
保存してある東信貴ケーブルカーを見るために、信貴山下で降りました。 よく見るとドアが開いていて、中に入ることができました。 土日は開放しているらしい。 駅前の三郷町立図書館には、三郷町在住の武鹿悦子さんの文庫がありました。 多聞橋で大和川を向こう岸へ渡り、土手沿いに若草橋まで走りました。 それから船戸公園へ。 近鉄田原本線をくぐって入りました。 ここには、D51がいます。 また田原本線をくぐり、JR和歌山線を渡って、達磨寺へ。 絵馬も聖徳太子の愛犬、雪丸くん。 松永久秀さんのお墓。 王寺駅にも雪丸くん。
文は、宮脇俊三さんです。 たくさんのふしぎの一冊。 車よりも鉄道を大事にして、景観を守っているなあと思いました。
稲科の植物なんだそうです。 スタンプラリーの最後に辿り着きました。 ピンクの絨毯みたいです。
くすりの道修町資料館から歴史博物館へ。 そこから地下鉄に乗って、長田まで行きました。 鴻池新田会所は、リニューアルのため閉館してるので、残るは司馬遼太郎記念館です。 静かな街並みの中に見えてきました。カーブを描いた建物です。 入り口から記念館までのお庭がいい感じでした。 記念館の中は撮影NGだったので残念でしたが、地階から3階くらいまでの高さの本棚は圧巻で、目に焼き付きました。その本棚を見れただけで、行った甲斐があるなーと思いました。 なじみらしい白黒ネコちゃんがのぞいていました。 庭の一画に司馬さんの書斎がありました。
はー、面白かった。 村山由佳さん作、おいしいコーヒーのいれ方Ⅴ。 次のような文章に出会えて、幸せ。 その瞬間ー。 どう言えばいいのだろう。ぱーんと音をたてて、目の前が開けたのだった。大げさに言うと、部屋の中が突然草原になって、一陣の風が吹いていったような感じだ。 言葉の終わりが、 ほんの少しだけ滲んで聞こえたような気がした。 よく考えなくちゃいけない。自分がかれんにしてやりたいことじゃなくて、かれんがして欲しがっていることは何かを考えなくちゃいけない。 してやりたいことだけをして、あれもしてやった、これもしてやったと自己満足して、それでたっぷり愛しているような気になっていたら、いつかきっと終わりがくる。 文庫版のあとがきで、村山さんは戦争についての思いを書いてはる。 ちょうどイラク戦争のころだったよう。 いろいろ述べた後で、 「要するにそれは、どんな大義名分があろうとも、そのために何も知ら
指田和さん作。 広島に原爆が落とされるまでたしかに生きていた鈴木六郎さん一家の記録「ヒロシマ消えたかぞく」の絵本をつくった著者が、絵本出版後も一家の取材を続けてできた一冊です。 ぼくはまだその絵本を読んだことはありませんでした。 この本で鈴木六郎さんのことも初めて知りました。 言葉に表せないしんとした気持ちになります。
行きが上りだったということは、帰りは下りなのです。 ヤッホー。 ごっついダンプは怖いけど、ほとんどペダルを漕がずに楽チンです。 風を切って下ってる途中、何かがズボンの裾に当たったなあと感じました。 ヤバ、何か落とした? 首にかけてるスマホケースや鍵などを確かめましたが、ちゃんとあります。 風で裾が膨らんだだけかあ、と納得しました。 どんどん下って駅に着き、直売所のレジのお姉さんに次に行く道の駅のこと聞いたら、私まだ今日で2日目なのでーと隣のお兄さんがかわって教えてくれました。 さっきは気づかなかったけど、 地味にすごい、福井 このキャチフレーズ、いいですね! スノーシェッドやロックシェッドを越えて、どんどん下っていきます。 目を見張る景色が次々現れます。 行けども行けども山また山で、怖いくらいの深山幽谷でした。 後で調べたら、ぼくが走った国道158号は、九頭竜峡というすごいところなのでした
ミヤザーナツさん作。 亡くなったネコが、お盆に帰ってくるお話です。 キュウリの馬に乗って帰ってきて、ナスビの牛に乗って戻っていきます。 うちのみゅうみゅうに似た白黒ハチワレネコです。
ローレン・ターシス作。 最後のオチがなんとも言えず味わい深く、面白かった。 エマ・ジーンは、友だちがいない。 お父さんは数学者だが、2年前に交通事故で亡くなってしまった。 トイレで泣いていたコーリンが「助けて」と言ったので、言葉通りに受け取ってしまうエマ・ジーンは、偽の手紙を書いて問題を解決する。 その後も、良かれと思って相手の気持ちを考えずに、論理的に正しいことをして問題を解決しようとする。 そして、最後にコーリンの家の窓の外の木から落ちてしまう。 エマ・ジーンは、自分のしたことで結局何も解決しなかったことを知る。 その晩、お母さんが優しく語りかける。 「ものごとは、いつもわたしたちの思いどおりにいくとはかぎらない。 努力しても、ときには傷つき、ときには泣くこともある。あり意味、木から落っこちることだってあるのよ。でも、人は立ちあがって、つぎは、同じ木にはのぼらないようにするか、のぼった
こころ旅で映らなかったら、ずっと気づかないままだった信号です。飛鳥寺前にあります。 赤で引っかかった正平さんたちは、4分間を持たすのに苦労してました。 なぜ、こんなに変則的なのかは、謎です。 広い田んぼの道に出ました。 甘樫の丘はもうスグです。 いつも寄るあすか夢の楽市に寄りました。ついでに、隣の埋蔵文化財展示室にも。 いよいよ甘樫の丘へ、ラストスパート。 川原展望台が近い駐車場へ、飛鳥橋を渡ります。 歩いて登って行きました。 例の川原柑橘園の碑は、裏側も見ました。この中に、お手紙の人が出会った犬の飼い主さんのおうちの人もいるのですね。 川原展望台にとうちゃこ。 畝傍山、耳成山がはっきり見えました。 香具山は、やっぱり分かりづらい。 芋峠から来れたのが、うれしい。 帰りは、橿原神宮前駅から電車に乗りました。
高架化工事がもう出来上がってると思ったら、まだなのでした。 いったん羽衣駅の改札を入り、代行バス乗り場に通じる改札をまた通りました。 羽衣から、伽羅橋北、伽羅橋南を通って、高師浜まで。 駅が一つ増えてます。 高師浜は、元の駅の西側200メートル離れた臨海スポーツセンター前にありました。
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『kuroneko356.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く