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kohanatoharu.hatenablog.com
別名:鯰城・江見城・鳥坂山城 標高205m 比髙70m 主な遺構:土塁・櫓台・石垣・横堀・井戸 アクセス 美作市江見から吉野川沿いの県道5号を北へ2kmほど進むと鯰集落に入る。集落の南側、標高205mの丘陵上に城跡がある。北麓から山道が延びているが、かなり荒れている。 広島県を中心に城跡を歩いてきたが、岡山県東部の美作までやってくると驚くような城に出会うことが多い。この鳥越山城では、丘頂の曲輪が人の背丈ほどの立派な土塁に囲まれていて、感激もひとしおといったところ。 城は大きく湾曲して流れる吉野川に三方を囲まれた丘陵に載る。北麓には鯰集落を見下ろし、南には出雲往来の通る江見方面が視界に入る。 主郭は地形の影響を受けて西辺が入隅となるが、一辺45mほどの規模であり、『東作誌』の記載する本丸の規模「二十五間四方」とピタリ一致する。四周に築かれた土塁は内側で高さ1~1.5m、一部に石垣も見られる。
一年前、春と秋の2回に分けて四国遍路を歩いたばかりだというのに、歩き漏らした遍路道が気になって、また遍路に出掛けることにした。 私の場合、遍路の目的は八十八カ所の由緒あるお寺に参拝して御朱印を頂くことの他に、未舗装の古い遍路道(trail)を歩くことがある。もちろん遍路道のほとんどは舗装された人里の道なのだが、古い街道の家並みや道しるべ・石仏を眺めながら歩くのもまた楽しい。 今回も1番札所の霊山寺から88番までを一度に巡る「通し打ち」が目標ではあるが、さてどこまで歩けるやら。 準備を始めた矢先、膝に針で刺すような痛みが走った。あわてて医者の診察を受けると、 「老人には普通のこと」 「この程度は医療の対象ではない」 などと言われてしまった。愛読しているブログ「OSA日記」で、膝のサポーター「CW-X」を着用して歩いたという記事を思い出し、早速私も購入。 不安を抱えたまま今年10月17日出発。
別名 土井の前遺跡、地頭屋敷 標高340m 比髙2m 主な遺構:土塁・堀切 アクセス 美星町三山の美星郵便局西の交差点から、中世夢が原方面へ300mほど進んだところで左折。覚林寺東側に回り込むと、前方に木立に囲まれた微高地が見える。ここに土井屋敷跡がある。 土井屋敷は尾根先端の微高地に築かれている。尾根に面した西辺に横堀が刻まれるが、南辺に回り込んだところで消滅する。北及び西の水田面との高度差は2m前後。横堀に面した西辺から北辺にかけて高さ1~2mの土塁が残る。 居館跡の南辺は後世の破壊によって不明瞭となっているが、居館の規模は東西40m,南北30mほどであり、土豪の居館としては小規模なものものといえる。 南方には粉米石(結晶質石灰岩)製の五輪塔10基ほどが残る。 遺跡の名称について、『全国遺跡地図』は「迫の土井屋敷」、『岡山県美星町史』は「迫の土井」とする。土井屋敷のある場所が「迫」であ
この春3月6日から30日まで四国遍路の道を歩き、愛媛県最初の札所40番観自在寺で一旦中断していた。歩くに暑くない10月末を待って遍路を再開。今回も同じく昔の遍路道を忠実に歩くこと、まかない付きの宿泊施設に出来るだけ頼らない歩き遍路を目指した。 41番札所龍光寺から88番大窪寺(結願!)までの遍路道歩きの模様を報告する。 10月26日午後2時頃、宇和島市三間町の道の駅みまからスタートし、41番龍光寺・42番仏木寺に参拝して西予市宇和町の民宿兵頭に素泊まり。 三間町の遍路道脇は見渡す限りの秋桜畑だった。花に見入っている二人に近寄ってみれば、何とまあこれが人形! 一面の秋桜畑(宇和島市三間町) この先歯長峠を越えて宇和町に入るのだが、峠は標高480mの難路。峠越えの古道は急坂とならないよう、峠のある鞍部に向けて斜めに取り付けてあった(下図)。峠を越える人や荷物を運ぶ牛馬を考えた工夫のようだ。 歯
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