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土地勘がまったくないので,どのような大学があるのかもわからずに,Googleさんのお世話になりました。記事の見落としがあったらごめんなさい。 【熊本県の大学】 HOME - 熊本大学 http://www.kumamoto-u.ac.jp/ 学生の皆様 安否確認について Confirmation of your safety - 熊本大学 http://www.kumamoto-u.ac.jp/daigakuseikatsu/kyoumu/news/280415-2.html 「平成28年熊本地震」に関する被害状況について(お知らせ) Damage Report regarding the Earthquake(4月16日17時00分現在)- 熊本大学 http://www.kumamoto-u.ac.jp/daigakuseikatsu/kyoumu/news/280415-5.html
ご無沙汰をしております。久しぶりの,今年第1回めの更新は, あまちゃんとゴジラ、作曲家を取り巻く環境の変化について - 夜の庭から http://meerkat00.hatenadiary.jp/entry/20140211/1392066126 に対して, “今や電子楽器や録音技術が一般に普及し、商業音楽と芸術音楽の違いが明確になりました。”このあたりに意識のズレがありそう。むしろ一時期は明確だった違いが現在は溶解してるんじゃないかしら。 http://b.hatena.ne.jp/wackunnpapa/20140211#bookmark-181754326 とはてなブックマークでコメントしたところ,blogの著者のmeerkat00さんから id:wackunnpapa すみません。よろしければ具体例を教えてもらえますか?現代音楽の作曲家で、商業音楽に関与してなおかつクラ界でも評判の
公共図書館は「金太郎飴」であるべきか : 今を読む:文化 : Biz活 : ジョブサーチ : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnculture/20130718-OYT8T00851.htm 公共図書館をめぐっての「金太郎飴」という表現は,しばらくぶりで見たような気がします。 「公共図書館金太郎飴論」というのは,記憶に間違いがなければ,僕が学生の頃には既にありましたね。それは確か, 「公共図書館が『市民の図書館』に基づく“貸出し業務偏重”に陥ったため,どこの公共図書館に行っても売れ筋の本(予約が多い本)ばかりが書架に並んでいるじゃないか」 という類のものだったかと。最近はさすがに(一部の頑強な信者を除けば)『市民の図書館』信仰も希薄になりつつあり(『市民の図書館』はその役目を終えて歴史的文書になった,とい
「キッチュが何故支持されるのか」というテーマにおいて,「群衆」を考えることは重要な要素であろう。以下,『群衆-モンスターの誕生』(今村仁司著/筑摩書房/1996年1月発行/ちくま新書56)を補助線に据えながら,思ったことどもをつらつらと。 乱暴に要約してしまうと,「群衆とは集団や組織の類型ではなく,ひとつの“傾向”なのである」という。その傾向はいくつもの集団を横断する「情念の均質化」を伴い,均質化に同調しない他者の排除や差別がそこに起こる。 また,均質化された群衆は指導者を群集の中から生み出す。今村は 「指導者という第三項をおのれの内部からたたきだして,それを媒介にしないでは「自己」同一性を確認できないのが情念の共同体なのである」(前掲書p188) と述べているが,ここで僕は,今村が指摘していないもうひとつの指導者への傾倒の理由を持ちだしてもいいのではないかと考えている。平井正が『ゲッペル
というわけで,しばらくの間,折りを見て「キッチュ」についてぐだぐだ書いていきます。文献を読みながら同時並行的に綴っていきますので,まとまりを欠くものになりますがご容赦ください。 今回は「キッチュとは何か」「何がキッチュなのか」よりも,「何故キッチュは影響力を持ちうるのか」「何故キッチュが支持されるのか」に重点を置いてお勉強していきます。「何がキッチュなのか」は,ブルーノ・タウトにおける桂離宮と日光東照宮の扱いを見るまでもなく,いささか恣意的なものが介入する余地があると考えているので(ドイツにおけるモダニズム建築の雄タウトにはキッチュに見えた日光東照宮は,僕の思うにキッチュではなく)(参考:『つくられた桂離宮神話』井上章一著)。 「キッチュ」を日本語にすると「まがいもの」または「げてもの」という意味になるようです。「げてもの」としてのキッチュについては,石子順造以来,この国では民俗学(文化人
ある音楽評論家が書いていたことのパクリで,カール・ミュンヒンガーをネタに「デビュー当時は清新の気にあふれている,と評されていたものが50年以上経って,いまの評価はどうですか?」とやろうかと思ったのだけど,評価も何もミュンヒンガーはすでに忘れ去られている指揮者なのでありました・・・・・・。 ちなみに,こんな演奏をする指揮者でした。四角四面で融通の利かないテンポと表情,というところ。 ただ,僕もクラヲタなので気をつけなきゃいけないと思ってるけど,どうしたって「記録」を追いかけていると,好みが保守的,と言うか若い頃に聴いて圧倒的な印象を受けたものに引きずられてしまうのですね。僕の場合は,中学生の時に聴いたカラヤン/BPOのチャイコフスキー/「悲愴」(DG,1976年盤)がその典型(^^;)。誰の演奏を聴いても,「悲愴」を評価する時の物差しがカラヤンのこの演奏になってしまっているのですね。 自分で
前回は「図書館」に関する勉強と情報収集について書きましたが,言うまでもなく「図書館」はどの館種にせよ,図書館単立ですべてが成り立っている存在ではありません(このあたりを貸出至上主義者は間違える)。図書館についてのみ勉強していても,残念ながら「社会」はわからないのですよね。 と言うわけで,では図書館を成り立たせる社会の仕組みを知るため,僕が実践している勉強と情報収集法を紹介してみましょう。これも前回同様,「僕はこうしています」という話で,誰もが「こうであらねばならぬ」という話ではありませんので(^^;)。それと,根っからの日本ドメスティックな文系人間が組み立てている話ですので,情報学関係の内容は他の方にお任せしますね。 「自由」であるとか「公共性」「公共圏」であるとか,これは「図書館の自由」という狭い教条主義を越えて,社会を成り立たせている重要な要素です。この主題で,僕が座右に置いているのは
「図書館に勤めているひとは,いつ,どんな方法で勉強しているのですか?」という質問を,ある方からいただきました。そこで,参考になるかどうかわかりませんが,僕の勉強法,というより情報収集法を整理してみようと思います。基本的に座学の人間で,正直なところ自分が変な奴だというのはわかっているので,自分のやり方に普遍性があるかどうか,多大な不安があるわけですが(^^;)。 なお,僕は日本ドメスティックで仕事しているので,外国語の文献については詳しい誰かが回答してくれることを期待します。 日々仕事をこなしていくための基礎知識をおさえるには,常に次の書籍を座右に置いておくのがいいでしょう。 『図書館ハンドブック』 『図書館用語集』 『日本目録規則』 『日本十進分類法』 加えて 『知っておきたい図書館の仕事』 『知っておきたい大学図書館の仕事』 『インターネットで文献探索』 も持っていると役に立ちます。 日
以下の文章は知人の課題に応えるために5月中に書き上げて,提出したものです。このところ,ある運動家から僕に向けられている馬鹿馬鹿しい誹謗への返事に替えて,文章がこなれていなかった幾つかの箇所を手直しして(論旨に変化はない)ここに載せます。お時間のある方に読んでいただければ幸いです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2012年5月4日に佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長は記者会見し,武雄市立図書館の今後の運営についてカルチュア・コンビニエンス・クラブ(以下「CCC」とする)を指定管理者とする旨を発表した1)2)3)。指定管理者を導入することなどは特に目新しいアイディアではないが,注2)で8番目に挙げられている「Tカード」及び「Tポイント」の導入は,残念ながら武雄市立図書館のみならず,公共図書館の今後の存立をも左右することにな
「導入に伴うメリットを見る中で、私は、良くなる部分がけっこうあるんだな、ということを実感しています。図書館に必要な司書が75%以上確保ということが条件ということで、ここは良くなるなと思います」(協議会委員) 総合職をよしとする日本の公務員制度の下では,政治家(≒市長,議員)が発想を変えない限り図書館司書が専門職として自立するのは不可能.司書の側には,司書を専門職として確立できるだけの学説も実績も政治力も無い.「専門職」確立の失敗は,ここ30年余りにわたって日図研と図問研が牛耳ってきた図書館業界における専門職政策と戦略・戦術の失敗であり,失敗の責任を両団体の政策立案部門もしくはイデオロギー部門が負うべきもの. 「私としては大賛成で是非やっていただきたいと思いますし、我々図書館協議会の委員というのは図書館の管理運営に関して意見を言うのであって、この制度に関して、立場上良い悪いを言うのではないと
ご無沙汰をしております。 2月末から4月末にかけて,10000字の依頼原稿を書いていたため,更新が滞っておりました。原稿執筆にご協力いただいたみなさまには御礼申し上げます。依頼原稿は落とさず無事に提出したわけですが,これが無事に原型のまま掲載されるかどうかはまた別の話かも(^^;)。どうなりますやら。 少し休んだら,次の草稿にとりかかります。 閑話休題。 今年の1月にこんなことを書きましたが,上記の依頼原稿を書いているうちに少々問題意識が変化しまして,現在は「公」と「官」と「私」の関係と「図書館」,なかでも公共図書館と「公」「官」「私」をめぐる意識とか制度とか,について少し考えています。これは,このところ立て続けに建築関係の書籍を読んでいるからでもありますが,「公」と「私」が重層的に融合する「場所」について,であるとか,「公=官」ではないことと公立図書館が公共図書館に優越すると考えることの
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「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」の前文には図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。 という文言が掲げられている。ここでは「知る権利」ではなく「知る自由」が「基本的人権のひとつ」として挙げられている。この「知る自由」は,とある図書館業界人によれば「知る権利」よりも優越している概念なのだそうである。ところが如何なる理由か,図書館業界内で称揚されている「知る自由」は,取り敢えず僕がわかる範囲で他の分野をあたってみても,ほとんどその使われている例を探し出せない。例えばCiNii Articlesで「知る権利」「知る自由」それぞれについて検索をかけてみたところ,「知る権利」が590件あったのに対し,「知る自由」は26件にとどまる。しかも「知る自由」の検索結果26件のうち,19件までが図書館関係なのだった(^^;)。ほかは2
本を送りません宣言 - saveMLAK http://savemlak.jp/wiki/SendNoBooks 僕個人は,被災地に住んでいることもあるので,この宣言に対して賛同者に名を連ねることは遠慮しておきますが,これまでの経験と知識から,この宣言が言わんとしていることは充分に理解できます。 そもそも「本を選ぶ」「本を贈る」という行為は,少なくとも僕にとっては,実に「個人的な」行為なので,少なくとも特定の「誰か」ではない相手に対して(新古の別なく)本を選ぼうか,本を贈ろうか,という気持ちには,なかなかならないわけですよ。喜んでもらえる「本を待つ」誰かの顔が浮かばないと,本を選ぶこと自体が難しいから。 だから,先日ある機会に景品として僕が本を選んだら,上手くいかなかったわけですね。誰に当たるかわからなかったから,結果的に誰にもウケなかった,という。 古本を集めだすとコントロールが難しくな
「みすず」に2ヶ月の1回の頻度で連載されている宮田昇氏の「図書館に通う」,2011年9月号(597号)の第8回は「『ドクトル・ジバゴ』とアメリカ文化センター」というタイトルで,前半の3分の1がボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』の日本語訳をめぐる話,残りがGHQが設置したCIE(民間情報教育局)図書館およびその後身のUSIS(文化交換局)のアメリカ文化センターに関する話である。 宮田氏によれば,CIEの功績の中には「図書館制度を近代的にしたこと,アメリカの著作物を普及させたこと」があり,「しかもこの両者は,けっこう密接な関係があった」のだという。CIE図書館については,少し前に業界でも誰かが話題にしていたような記憶があるが,文中で宮田氏は『アメリカン・センター』(渡辺靖著/岩波書店)に依ってその仔細を紹介している(僕は『アメリカン・センター』は未見)。またCIEは「好ましくない著作
(承前) 勤務先には僕以外に3人の職員(総勢4名)がいます。この日は僕と職員Aが不在で,職員Bと職員Cが留守をあずかっています。駅前の駐車場からクルマを出す前に職員Cのケータイにメールを送ってみたところ,たどり着く前に「館内はめちゃめちゃ,みんな避難します」という内容の返事が来たので,いやこれはどうしたものかと足早に構内を抜けたところ,正門で職員Bと職員Cと学生数名が集まっているところに出くわします。無事でよかったよかった・・・・・・。 挨拶もそこそこに誰かの「こちらに集まってください」という声を聞いて,構内でもっとも新しい建物の1階に集まります。もっとも頑丈,という触れ込みでしたが,確かにびくともしていないようです(壁に若干の亀裂は入ったものの,本当に頑丈でした)。教職員と学生と何人くらいいたでしょうね。大学は既に春休みでしたが,学生宿舎からも学生が避難してきていたので,結構な数の学生が
後顧のためにも,どこにもない気力を振り絞って,まとめるべきものをまとめてしまいましょう。しばらくの間,お付き合いください。 3月11日(金)は午前中に定期通院の予約を入れていたため,1日休暇をとっていました。本来は土曜日に予約を入れるべきところ,昨年の12月以降入試の関係で予約を入れたい土曜日に出勤しなければならないことが重なり,定期通院日がズレていたのです。あとで考えると,このおかげで罹災後の投薬を1か月分確保できたことになるわけですから,人間の運命なんてわからないものです。 午前中はそんなことで潰れてしまい(我が主治医,予約を入れても1時間待ちはザラという繁盛ぶり),昼食はスーパーで惣菜パンを買っていったん家に戻ります。午後は思い立って駅前のJ書店にクルマで出かけることに。この書店は,駅前の百貨店の9階に昨年新たに開店した全国チェーンの書店で,以前同じ建物に入っていた別の全国チェーンが
さる12月1日の朝日新聞福島版の「記者有論」欄に,岡崎市立中央図書館事件の報道で一躍名を馳せた神田大介記者が「図書館とIT 向き合わねば存亡の危機に」という見出しのもと執筆しています(それにしても,毎日新聞は「記者の目」欄をwebで公開しているのに,朝日は何故「記者有論」をwebで公開しないのか。せっかくの有意義な論考が勿体無いじゃないですか)。これは図書館業界人必読です。 この記事に書かれていることには,ほぼ同意しますが(しかし記事に出てくる「汗をかきます」という話,身につまされます。予算も人手もない図書館にしてみれば「渡りに船」だったんでしょうねえ(sigh)。),外部から指摘されるほどに危機的な現状に至った背景について,図書館の来館者として,また図書館に出仕している者として約30年この業界とつきあってきた人間はいささか説明する必要があると思うので,ひとくさり書き綴ってみようと思います
ここ数日,思った以上に多忙で筆が進みませんで・・・・・・。 図書館史については,いろいろ調べたいことがあるんですよ。森有礼については先日,ようやくの思いで小論をものしたわけですが(「森有礼の「銀座煉瓦街図書館構想」再評価への試み」なお,ここには明確には書かなかったけど,森有礼の「挫折」はあまりに先走りすぎたことと,森自身の経営能力の欠如に原因があったんじゃないでしょうか),この国の図書館活動において大きな足跡を残しているはずなのに顧みられることの少なくなった明治・大正期の「私立図書館」の再評価というのは,首都圏に住んでいたら絶対に手をつけたであろう分野ですよねえ。地方在住だと,一次資料へのアクセスが金銭的にも肉体的にも困難なので,しばらく資料を集めていた南葵文庫と南葵音楽文庫のお勉強も最近はご無沙汰。 『日本の近世』(中央公論社)に載っていた三河国の国学系「前図書館(pre-library
しかし,現場に『市民の図書館』を支持するひとはもういないのではないか,という反論には納得しかねるところがあります。「談論風発」は置くとしても,「図書館界」もまた『市民の図書館』への啓蒙に余念がないではないですか。数年前の誌上討論のことがきれいサッパリ忘れ去られているというのも如何なものかと思いますよ・・・・・・・。 高知県立図書館と高知市民図書館の「合築問題」(参考その1,その2,その3)は,高知県および高知市に固有の問題(例:もともと県立と市立の立地が非常に近いこと)も絡んでおり,外野が高知県や高知市の行政における「認識不足」を言い立てて一刀両断するのは難しく,その是非はひとまずここでは棚上げする。ただし,権威ある図書館業界人のひとりが合築問題に関して,図書館業界に対して後ろ玉を飛ばしていること(参考)については,公共図書館業界の無責任ぶりも含めて繰り返し厳しく指弾しなければならないだろ
2010年という年が,日本の図書館業界において,長く記憶に留められる1年になったことは間違いないでしょう。それは日本図書館協会による「認定司書制度」の正式な発足,岡崎市立中央図書館(あるいは三菱電機インフォメーションシステムズ〈MDIS〉)事件(参考。杉谷智宏さんによる労作です),そして高知県立図書館と高知市立図書館の「合築」問題(参考1,参考2)によってである,と僕は見ます。この3つの「事件」は,1970年代より今日にいたるまで日本の国家レベルにおける図書館政策の不在,そして図書館業界(そのナショナルセンターであるところの日本図書館協会と,その有力な構成要素である公共図書館系団体である日本図書館研究会,図書館問題研究会を中心とする)が推し進めてきた,『市民の図書館』(初版1970年,増補版1976年)というひとつの不磨の大典政策文書に基づく,公共図書館運動の最終的な帰結と破綻を,業界に携
Twitter / 樋渡啓祐: 武雄市図書館の本を電子媒体化し、iPadなどに配信、 ... http://twitter.com/hiwa1118/status/19914018941 佐賀県武雄市の樋渡市長自ら,Twitterでぶちあげています。一言で言って「驚いた」(^^;)。自治体の長が音頭をとって,昨今流行りの「自炊」(個人的にはこの表現好きじゃありませんが,流行り言葉なので一応使います)を公共図書館でやってしまおうという作戦ですから。何がきっかけなのかわかりませんが,なかなかのものではないかと。恐らく,僕も含めて図書館プロパーは「壁」の高さを理解しているが故に,考えついても立案できない企画ですしね・・・・・・(sigh)。 国立国会図書館の長尾真館長による,いわゆる「長尾構想」にすら苛立っている出版業界が,著作権法その他もろもろを盾に一悶着起こすのはほぼ確実と見ますが(著作隣接
ともんけんウィークリー: みんなの図書館2010年8月号が出ました http://tomonken-weekly.seesaa.net/article/156319144.html まずは「みんなの図書館」400号到達,おめでとうございますm(_ _)m 僕が「みんなの図書館」読むようになって20年ほどたちますが,西村彩枝子さんの「『みんなの図書館』のあゆみ」を読んで「いろいろなことがありましたね」と回想できる程度には年齢を重ねたものであるよ,と柄にもなく感慨にふけってみたり(^^;)。取り敢えず,ここでは過去の個人的なことは蒸し返しません(^^;)。 今号に掲載された「メッセージ」はそれぞれの立場から書かれていて,正直「僕が書いたのか?」と思わせるような文章から,図書館問題研究会の主張に同調し補強するものまで様々でしたが,このやり方は何となく日本共産党が以前出していた(いまでもあるのかな
NDL-OPACで国内刊行アナログレコード全件の書誌データが検索できるようになりました | 国立国会図書館-National Diet Library http://www.ndl.go.jp/jp/news/fy2010/1189294_1531.html おお,久し振りに出番が来た(^^;)。早速,検索をかけてみる。NDL-OPACで「音楽録音・映像」をチェックして「/マーラー/」で検索してみると,598件と結果が出る。NDL-OPACは結果が200件を超えると「絞り込み再検索を行ってください」と出るが,今回は書誌データそのものを確認するのが目的なので,取り敢えずこれでよし。 その検索結果を出版年の古い順に並べ直して,任意の何件かを眺めてみると,これが精粗のばらつきが激しくていったいどうなっているんだか,という(^^;)。例を挙げてみる。 http://opac.ndl.go.jp/r
日本図書館協会は退会します。何故なら,大学図書館員/図書館情報学研究者の端くれとして,日図協の会員を続ける理由がもはや見出し難いからです。直接の引き金は日本図書館協会認定司書制度の実施ですが,斯様な制度を推進する塩見昇理事長体制下の日図協に,自分が会員としている意味はなかろうと(^^;)。 しかしながら今後,認定司書制度に大学図書館員が加えられても,理事長が交代しても,再加入することはないでしょう。会員になってから20年ほど経ちますが,日図協と個人的に関わってよかったことは何一つとしてありませんでしたから。 2010年度の会費は,再来月には支払います。支払った上で2010年度限りでの退会届を提出する予定です。退会届がここに掲載できるようでしたら,またお知らせしますよ(^^;)。
「みんなの図書館」3月号が来たので一読.内容はこちらを参照【ともんけんウィークリー: みんなの図書館2010年3月号が出ました】していただきたい.特集は「図書館イマドキ情報」.前2本が技術的な課題,後半3本が労働争議にまつわる論考. 珍しいな,と思ったのは特集の文章で公共図書館以外の事例が取り上げられていることで,大学図書館での労働争議が主題の論考と,区立保育園での労働争議が幾つかある事例のひとつとして取り上げられている論考が掲載されている.公共図書館にしか興味が無い図問研にしては非常に珍しい.5本目の論考が,広く非常勤職員の問題を取り上げているのは,輪をかけて珍しい.これまで,大学図書館はおろか行政の他部署でさえ歯牙にもかけなかった図問研にして,ついに他部署にも触れざるを得なかったのかと思うと,当方にいささかの感慨がないわけでもない. が,しかし,後半3本の文章の仔細を丹念に点検してみる
こんにちは. これから,「図書館を利用するということ」について,簡単にお話します.入退館の際の諸手続きや,どんな本がどこにあるか,を説明する前に,まずは「図書館を利用するって何をすることなのかな?」ということについて話をします. みなさんにとって「図書館」って,どんなところですか? ・・・・・・と訊ねられて,イメージの湧くひと,何のイメージも湧かないひと,それぞれでしょう.ひょっとすると,これまで人生の中で使ったことが無いひとがいるかもしれません.今日は(日本相撲協会の一門でもあるまいし)「犯人探し」(^^;)をするのが目的ではありませんので,使ったことが無いひとを特定するようなことはしませんが(^^;).これから,どんどん使ってもらえれば,それでいいんです. 図書館というところは,カオスの中にふわふわと浮かんでいる知識を,ある一定の順番(専門用語で「分類」と呼びます)に基づいて並べ直して
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