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今年の「#文学」
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〈スペシャル対談 伊藤昌亮×雨宮処凛〉生きづらさを抱えた現代人が「リベラル」を嫌う理由 〜ひろゆき人気に見る冷笑系ブームと弱者争いがもたらしたもの(後編) (前編)からの続き 「貧困」と向き合ってこなかったリベラル 雨宮 ここからは、いわゆる「冷笑系」が支持を集める一方で、「リベラル」が嫌われるのはなぜなのかについて、もう少し詳しくお聞きしていきたいと思います。さきほど(前編)も触れましたが、貧困など社会的に苦しい状況にある人たちに、その人たちを助けようとしているはずのリベラルの声が届かない、むしろ反発を生むことが多いのは、どうしてなのでしょうか。 伊藤 その背景にはまず、リベラルがいつも「再分配の強化が必要だ」と言いながら、その原資を生むはずの「経済成長」について何も言ってこなかったということがあると思います。 「リベラル」という言葉にもいろんな定義がありますが、基本的には日本のリベラル
かつて「生きづらさ」をこじらせ、サブカル趣味を通じて「冷笑系」にハマった経験のある雨宮処凛が最近気になっていること。それは2010年ごろからSNS等で冷笑系的な発言を繰り返すインフルエンサーが続々と登場し、若年層を中心に支持を集めている風潮だ。今回は現代人の思考パターンの変容について、「ひろゆき論」で知られる伊藤昌亮氏に聞いてみた。 「投資家目線」と「冷笑系」 雨宮 伊藤さんが2023年、雑誌『世界』(岩波書店)3月号に発表された「ひろゆき論 なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか」を読んで、とても感銘を受けました。私も、ひろゆき氏や「ホリエモン」こと堀江貴文氏、あるいは成田悠輔氏といった、「上から目線」で相手をからかうような態度を取る、いわゆる「冷笑系」の人物がオピニオンリーダーとして支持を集めるのはどうしてなのかということを以前からずっと考えていて、自分の経験を交えてコラム
「授業中は姿勢よく座る」「掃除は黙って行う」「廊下は静かに右側を歩く」……今、日本の小学校に広がっている「スタンダード」というルールについて聞いたことはあるだろうか。インターネットで検索すると、「○○市スタンダード」「○○小学校スタンダード」などという名称で、持ち物の規定や授業を受けるときに望ましい姿勢など、主に生徒児童に対する「きまり」が数多く掲載されている。 しかし、厳密にいえば「スタンダード」は児童のみを対象としたものではなく、教員向け、保護者向けも含む、もう少し広範な「きまり」であるという。若手教員の指導力や生徒児童の学力の向上を名目に導入されているようだが、その内容や運用の仕方は自治体や学校によって様々で、「そこまで細かく決める必要があるのか」と首をかしげてしまうものも少なくない。 そもそも「スタンダード」とは何を指すのか、また「スタンダード」は日本の教育現場にどのような影響をも
「心の病」を表す言葉がない世界 ~「ありがとう」「教わる」という言葉もなく、川や山に人格があり、氷河は音を聴けるという世界線 今の日本に住む人で、「心身ともに絶好調!」という人はどれくらい存在するだろうか? 3歳児とかだったらいるかもしれない。大人でも「昨日、恋愛が成就」とか「宝くじで5億円当たった」とかの人はそれにあたるかもしれない。 しかし、この国で生きている人の大半は、身体は健康だとしても鬱々とした気持ちをどこかに抱えているのではないだろうか。それほどに、この国では「心の病」が近くにある。 しかし、もし「心の病」という概念がそもそもなかったら? 「鬱」という、見るからに気が滅入りそうな漢字やそれを表す言葉が最初からない世界で生きていたらどうなのだろう? そういえば、ある国には「肩こり」という言葉がなく、しかし、日本でその言葉を知った外国人は、それまでまったくなかった肩こりに悩まされる
海外の国や地域を専門にする著述業のなかで、私のような「中国ライター」はちょっと特殊だ。理由は「その国の話題だけ書いていても(ひとまず)専業で生活が成り立つ」からである。仮にこれが、タイやインドの専門ならかなり難しい。それどころか、物価の差を考えればアメリカやEUが専門の場合ですら大変かもしれない。 日本で専業中国ライターの暮らしがひとまず成り立つ理由は、世間における中国の話題の需要が圧倒的に高いからである(同じ中華圏の台湾や香港も含めるとさらに増える)。現在、メディアで中国の話題が出ない日はほぼない。すくなくとも今世紀に入って以降、中国は日本人にとっていちばん強い関心を持たれている外国なのだ。 ただ、関心の強さが「理解」につながっているかというと別問題だ。中国の体制に問題が多いことは確かにせよ、メディアの報道はステレオタイプに流れがちである。特に週刊誌や民放の政治ワイドショーなどの商業色が
「自分のお葬式を見ているようでした」 この言葉に、深く深く、胸を打たれた。 この言葉を口にしたのは小山田圭吾氏。 言わずとしれた有名ミュージシャンであり、そして3年前の夏、炎上した人だ。 あの炎上を、あなたはどんな思いで見ていただろう。 小山田氏への怒りが抑えられなかったという人もいるだろうし、ファンであれば引き裂かれるような思いをしたかもしれない。いじめられた記憶がフラッシュバックした人もいるかもしれない一方、「もし、自分も過去の不都合なことを晒されたら」と心底怖くなったという声も何人かから聞いた。 私はといえば、SNSでの炎上が日々激しくなっていくのを見ながら、なんとも言えない思いを抱えていた。 なぜなら私自身、炎上の遥か以前にネット上のサイトで小山田氏の「いじめ」についてのもろもろを見ていたからだ(そのサイトは「炎上」の最中、決まって引用されていた)。 本当にたまたま偶然、見つけたの
選挙を通して煽動される、女性への暴力と差別 2024年7月7日に投開票された東京都知事選挙は過去最多の56人が立候補し、周知の通り現職の小池百合子氏が3選を果たした。様々な話題をふりまいた選挙だったが、特に選挙掲示板に卑猥なポスターが貼られたことは大きな問題となった。 例えば女性が裸でM字開脚をし、乳首と陰部に候補者の男性の写真が貼られたポスターだ。他にも、女性がしゃがんでお尻をこちらに向けている写真に「売春合法化」「性産業で経済活性化」「堂々と事業化できて税収もアップ」と書かれたポスターや、候補者の男性を3人の女性が囲んで肩に手を回したり膝に手を置いたりする写真に「一夫多妻制を導入します」と書かれたポスターなどがあり、候補者の男性はSNSに「こちらのセクシーポスターが東京中に貼り出され、東京の街は地獄と化します」と投稿した(現在は削除)。 このポスターを掲示したのは、前・埼玉県草加市議の
重度の障害を持つ主人公を描いた小説『ハンチバック』(文藝春秋)。この作品は2023年、芥川賞を受賞し、主人公と同じ障害を持つ、作者の市川沙央さんが問題提起した「読書バリアフリー」という言葉も話題になった。 この作品を読んで、「ハンチバックの私達」という体験記を書き第43回「全国高校生読書体験記コンクール」(公益財団法人 一ツ橋文芸教育振興会主催)に入賞した佐野夢果さん。体験記には、車椅子で生活を送る当事者の視点から『ハンチバック』を読んだ衝撃が綴られている。そんな2人の対話がオンライン上で行われた。 障害者は常に健気でいなければならないのか? 「読書バリアフリー」が社会に必要な理由とは―― 社会、そして自身に深く問いをぶつけるような2人の対話を載録する。 第43回「全国高校生読書体験記コンクール」表彰式での佐野夢果さん 〝健気な障害者像〟を演じていたかもしれない 佐野 はじめまして、静岡県
約250年前に江戸幕府公認で設置され、借金に苦しむ女性たちを閉じ込めて性売買が行われてきた吉原遊郭。そうした歴史を「文化」として、絵画等で華々しく紹介する美術展「大吉原展」(主催 : 東京藝術大学、東京新聞、テレビ朝日)が開催前から大きな批判を浴びている。前編では、遊女らを人形のように扱い、男目線で描いた展示に著者が疑問と憤りをぶつけた。 「文化」を支える男たちによって維持され続ける性売買 この「大吉原展」の開催にあたり、学術顧問の田中優子氏(江戸文化研究者、法政大学名誉教授)は記者会見で「吉原はさまざまな芸能や出版を含めた日本文化の集積地、発信地としての性格と、それが売春を基盤としていたという事実の、その両方を同時に理解しなければならない」「そのどちらか一方の理由によって、もう一方の事実が覆い隠されてはならない」「本展覧会は、その両方を直視するための展覧会」などと考えを述べている。しかし
「吉原遊郭」を美化しカルチャー化する内容に批判殺到 先日、東京・上野で開催されていた「大吉原展」(主催 : 東京藝術大学、東京新聞、テレビ朝日)に行き、私は吉原(現在の東京都台東区千束の一角。江戸時代に遊郭が設けられた)に閉じ込められて体を売らざるをえなかった女性たちが、男たちに美しく描かれたり写真に残されたりして、現代においても消費されていることに胸が痛んだ。 吉原遊郭は江戸幕府公認で設置され、約250年にわたり性売買が行われていた。遊女とされた女性たちは借金のカタとして売られ、性を売るしかない状況に追いやられていた。「大吉原展」は、東京藝術大学大学美術館が企画した美術展である。しかしその展示は、そうした搾取や女性に対する暴力の歴史に目を向けるのではなく、吉原を「文化発信の中心地」として美しく語る内容であった。さらには「江戸アメイヂング」「最新のエンタメもここから生まれた!」「イケてる人
現代的なモチーフを積極的に小説に取りこんできた芥川賞作家の上田岳弘さん。新作『K+ICO(ケープラスイコ)』(文藝春秋)ではウーバーイーツの配達員とTikTokerの主人公たちが現代の複雑なシステムに翻弄される様を活写した。 23年、資本と癒着せざるを得ない現代を生きる女性の表現者たちを批評した初の単著『女は見えない』(筑摩書房)を上梓した西村紗知さん。 気鋭の小説家と批評家のふたりが〝いま〟を描く理由とは? YouTuber という生き方の新しさ、松本人志とテレビ文化、「推し活」が流行るなかで「批評」の役割とは……。多岐に渡る現代的なトピックについてお話しいただいた。 西村紗知氏(左)上田岳弘氏(右) YouTuberという不思議な存在に惹かれる 上田 僕は西村さんのデビューのきっかけになった「2021すばるクリティーク賞」のゲスト選考委員をしていました。西村さんのデビュー作「椎名林檎に
TBS系テレビの金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(主演・阿部サダヲ)が2024年3月、最終回を迎えた。 1975年生まれで来年50歳、脚本を書いたクドカン(宮藤官九郎)の5歳下である私にとって、ツボることばかりのドラマだった。というか、昭和って本当にひどい時代だということに、改めて驚愕した。 なにしろ、体育の授業でも部活でも水を飲むことは禁止。誰かのミスが全員の「連帯責任」とされ、その罰が今や膝などに悪いことで有名な「うさぎ跳び」。本当に何から何まで無法地帯だったわけだが、昭和の元暴力教師はあのドラマをどんな思いで観たのだろう? そんな「昭和の苦痛」を引きずっている人たちは私の周りにも多くいる。 例えば給食で「完食」を命じられ(当時はアレルギーなどという発想すらなかったのだから恐ろしい)、嘔吐したトラウマから会食恐怖症になり、現在も誰かと食事するなどもってのほかという人もいるし、壮絶な
すべての子どもに力をつけさせる公教育の場は、敗者には何も与えられない弱肉強食のプロスポーツの世界ではないのだ。子どもたちと向き合い続けてきた教師としての豊富な実践経験の中から、警鐘を鳴らした久保の言葉には、普遍的な公教育の意義が感じられる。SNSで拡散されたこの提言書の文章については、「支持します」というリツイートが瞬く間に10万件を超えた。 ところが、2021年8月20日、この提言書を問題視した市教委は久保に「文書訓告」処分を科した。「(久保が)独自の意見に基づいて、現場に混乱が起きていると断じて、懸念を生じさせた」とし、地方公務員法「信用失墜行為」に該当するとしたのである。 学校現場に混乱が起きていたのは紛れもない事実である。それを無かったとし、逆に久保が混乱を起こしたとする市教委の方がエビデンスを示していない。 大阪公立大学の辻野けんま准教授は、この久保の提言書と処分について議論する
現職の公立小学校校長が自ら名乗りを上げて市長を批判した。2021年5月、大阪市立木川南(きかわみなみ)小学校の久保敬(くぼ・たかし)校長(当時。肩書・役職は以下同。また、以下敬称略)が、大阪市長と同市教育長宛てに公教育に関する提言書を郵送したのである。 事実を表した字面だけを見れば、前代未聞の過激な行動に映るかもしれない。しかし、これに至るまでには、大阪の教育行政を巡る長く深い背景があった。久保校長は、海外特派員協会『報道の自由』賞を受賞し、大ヒットしたドキュメンタリー映画『教育と愛国』(斉加尚代監督、2022年)にも出演していることで海外にも知られた存在である。その提言書を巡る闘いは現在もまだ続いている。 日本がコロナ禍にあった2021年4月19日、松井一郎大阪市長が定例記者会見で、「緊急事態宣言が出されたら、大阪市の小中学校は原則オンライン授業にする」ことを突然、宣言した。 それは教育
すごい映画を観た。 それは代島治彦監督『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』(2024年、ノンデライコ配給)。 今から約半世紀前、早稲田大学の文学部キャンパスで20歳の学生が約8時間にわたるリンチの果てに殺されたことを、どれくらいの人が知っているだろう? 私がそれを知ったのは、21年に出版された樋田毅著『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)によってである。映画は、この書籍と監督との出会いによって生まれたそうだ。 事件が起きたのは1972年11月。この年の2月には、かの有名な「あさま山荘事件」が起きている。連合赤軍の若者たちが人質をとってあさま山荘(長野県軽井沢町)に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げた事件だ。この模様は連日テレビ中継され視聴率90%という驚愕の数字を叩き出し、また警察官が極寒の中すするカップめんが注目され、カップヌードルが爆売れするなどした。 この事
「桐島聡を名乗る男が末期ガンで入院している」 2024年1月25日、日本中を衝撃的なニュースが駆け抜けた。 桐島聡。東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバーとして半世紀近く指名手配されていた男。黒縁メガネに長髪という1970年代スタイルで笑顔を見せる、手配書で唯一の陽キャ。あまりにも見つからないことから、多くの人に海外逃亡もしくは他界と思われていた男。令和に突如蘇りし、「政治の季節」の忘れ物。そんな男が約半世紀の潜伏期間を経て、自ら名乗り出たのである。死を目前にして。 結局、桐島は名乗り出た4日後に逝去。死後、「内田洋」という偽名を使い、神奈川県内の土木会社に約40年つとめていたことなどが明らかになった。また、飲み屋で歌い踊るパリピっぽい生前の映像が出回ったりもした。 名前を変え、保険証も身分を証明するものもなく、おそらく銀行口座なども作れず、この半世紀、どう過ごしてきたのだろう。まるで映
「ライトな自己啓発書は、よく「ファスト教養」って馬鹿にされるんですけど、そんなことなくて。こういうビジネス書は、誰が読んでも仕事をするうえでのベースとして役立つと思う。」 (「ホリエモン、見城徹、落合陽一。箕輪厚介が大物たちの懐に入れる理由」本の要約サイト flier 2023年9月26日) 拙著『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)の刊行後、「ファスト教養」という言葉を見聞きする機会が増えたように感じている(以下、本書について触れる場合は『ファスト教養』、現象や概念について説明する場合は「ファスト教養」と表記する)。もちろんこれは著者としてのバイアスがかかった印象だが、「ファスト」と「教養」という一見すると食い合わせの悪い言葉の結びつきは、決して少なくない数の人たちの心をざわつかせたのだと思われる。 『ファスト教養』は「ビジネスシーンで生き抜くためには教養が必要だ」と
警視庁長官の視察報道に感じた疑問と怒り 2023年11月、歌舞伎町(東京都新宿区)のホストクラブが集中するエリアを警察庁長官が視察し、その様子がメディアで大きく報じられた。少女や成人女性たちを性売買に追いやって、とことん食い物にする男たちが牛耳る夜の街――そこへ行政・警察組織上層部の男たちがぞろぞろとやってきて、睨みをきかせる様子が映し出されていた。しかしその実、少女や女性に対する被害は置き去りにされ、単に男社会の権力構図をPR的に見せられたように感じたのは私だけだろうか? 朝日新聞の記事によると23年春、歌舞伎町のホストクラブに勤める男が客の20代女性に「立ちんぼで稼いだら店でも会えるし借金返済もできる」などとそそのかし、新宿区立大久保公園近くで売春の客待ちをさせた疑いで逮捕された。その女性は、男の勤める店に常に20万円ほどの売掛金(ツケ)があったという。記事では「女性に借金を負わせ、売
BUCK−TICK・あっちゃん、X JAPAN・HEATHの死から我がバンギャ人生と90年代を振り返る 2023年10月24日、BUCK−TICKのボーカル・櫻井敦司氏(愛称・あっちゃん)の急死が報じられた。享年57。 あっちゃんの死。それは現在48歳バンギャの私にとって、とてつもなく大きなものだった。 まずここで断っておきたいのは、私はBUCK−TICKは好きだったものの、一筋ではなかったということ。これはBUCK−TICKファンの方々に失礼にならないようにまず言っておきたい。 が、昨年、約30年ぶりにコンサートに行っていた。同世代でヴィジュアル系好きの友人(時々最近のV系ライヴにともに参戦する仲。BUCK−TICKファン歴あり)と、「我々は一度この辺で原点に戻るべきでは?」ということになり、馳せ参じたのだ。 約30年ぶりに生で観たあっちゃんは5億倍くらい「魔王」感が増していて、「我らの
国連が「ジャニーズ問題」に言及した──。2023年8月4日、国連人権理事会「ビジネスと人権」作業部会が訪日調査を終えて東京で開いた記者会見は、国内ではおおむねそんなふうに報道された。作業部会が出した声明に、ジャニーズ事務所における性加害問題について、日本政府に調査や被害者救済への取り組みを求める内容が含まれていたからだ。しかし、それは声明のほんの一部分。実際には女性や障害者、先住民族や LGBTQなど、幅広い分野における人権状況の改善を、強く提言する内容だった。 国連ビジネスと人権の作業部会 訪日調査ミッション終了の記者会見(2023年8月4日 東京にて) 日本政府は今回も、国連の提言には「法的拘束力がない」から従う義務はないとしているが、本当にそうなのだろうか。そもそも、なぜ国連が各国の人権問題に対して意見を述べるのか、他国は国連からの提言に対してどのような対応を取っているのか。国連特別
1、鬼畜系とネットの切断線 90年代サブカルチャーに「鬼畜系」と呼ばれるサブジャンルがある。鬼畜系は反道徳的、非常識と批判を受けかねない表現をあえて提示した。扱う対象は合法/非合法を含めたあらゆる薬物(ドラッグ)、ロリコンやスカトロなどアブノーマルな性癖、盗聴や盗撮といった犯罪行為の手口、新左翼セクトの内ゲバ、ゲテモノ食、カルト的人気を持つ映画や音楽の紹介など「ヤバいもの」全般であり多岐にわたる。命名者は村崎百郎(むらさき・ひゃくろう)だ。 村崎は90年代半ばから2000年代にかけて活躍したライターであり、2010年に自宅を訪れた自称読者の男性に刺され48歳で亡くなった。村崎は常に頭の中に「電波」が聞こえる特殊体質の持ち主であり、夜ごとゴミあさりを行い他人のプライバシーを暴き、女性の下着や使用済みの生理用品の写真を雑誌連載で晒しつづけた。それと同時にゴミに宿る細部の物語を偏愛し、センチメン
キム・ドンリョン監督が語る韓国ドキュメンタリー映画界の闇と光(前編)~ヤンヨンヒ作品の剽窃事件から見えてくる「386世代」の政治と映画の関係 20年前の剽窃問題 最新作『スープとイデオロギー』は2023年毎日映画コンクールでドキュメンタリー映画賞を受賞。現在も『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』『かぞくのくに』など過去作品とあわせた特集上映が各地の劇場で続いているが、その作り手、ヤンヨンヒ監督を長きにわたって苦しめてきた事件がある。 ヤンヨンヒ監督 韓国映画界で起きた前代未聞の不祥事をまず時系列で記す。それは1998年に起きた。当時、ニューヨークに留学中であったヤンヨンヒ監督は、韓国在住のホン・ヒョンスク監督の作品『本名宣言』が釜山国際映画祭でウンパ賞(最優秀ドキュメンタリー賞)を受賞したことを報道で知る。ヤンはこのホンの日本での撮影に協力し、市立尼崎高校の故・藤原史郎教諭の通訳などを請わ
ロシアのウクライナ侵攻により、「核戦争」や「原発へのミサイル攻撃」が徐々に現実味を帯びはじめています。いざ緊急事態となれば、私たちも放射性物質に対処しなければならなくなるでしょう。 日本では、2011年の福島第一原発事故後に広く知られるようになった放射線の「被曝線量」や「避難指示基準」は、ICRP(国際放射線防護委員会)という組織の勧告に沿って定められています。しかし、日本の行政にそれほどの影響を与えているICRPは、IAEA(国際原子力機関)のような国連関係の国際組織ではありません。いったいどのような団体で、何を目的としているのか……? 原発事故後の福島を注視し続けるジャーナリストの黒川祥子さんが明らかにします。 福島第一原発事故後の除染作業(福島県伊達郡川俣町山木屋地区、2014年) 事故後の福島で聞いた耳慣れない言葉、「放射能防護」 「放射線防護」という言葉を初めて聞いたのは2012
「僕だけが不幸で、割を食っている。貧乏くじを引いたみたいな。それが歪んで世の中への憎しみへと変わっていった」「あらゆる人が幸せそうに見えた。僕だけが薄皮一枚隔てている感じ、世の中が灰色に見えた」 この言葉は、2021年8月、東京の小田急線車内で乗客3人を包丁で襲ったなどとして逮捕された37歳(当時36歳)の男が裁判で口にしたものだ。 「幸せそうな女性を殺したかった」 事件後に男が口にした言葉は、社会を、特に女性たちを震撼させた。ただ電車に乗っていただけで、勝手に誰かに「幸せそう」に見られただけで殺害の対象になりうるということ。 事件後には、「フェミサイド(女性を標的にした殺人)」という声もあちこちから上がった。最初に刺された20歳の女性は幸い命に別状はなかったものの、男は執拗だった。刺された女性が逃げる後を追い、さらに背中を刺しているのだ。 小さな頃は真面目で優しい性格だったという男。しか
朝鮮学校を高校授業料無償化の対象からはずした国の判断の是非を問う裁判で、2018年9月27日、大阪高等裁判所は「無償化の対象とするように」と国に命じた前年7月の一審判決を覆した。 高校授業料無償化の動きそのものは広がっており、現在は国公立だけではなく、私立高校や、さらには学校教育基本法の第1条で定められた学校に相当しない、「各種学校」「団体」扱いの高校でも就学支援金が支給されるようになっている。各種学校もしくは団体扱いで支援金が支給されている高校の一覧は文部科学省のサイト(「高等学校等就学支援金制度の対象として指定した外国人学校等の一覧」。外部サイトに接続します)に載っているが、多くはブラジル、韓国、フランスなどの外国人学校である。 この高校授業料無償化は、民主党政権だった2010年4月から導入され、当初は朝鮮学校もその対象となっていた。しかし自民・公明連立政権に交代後、12年12月、当時
ビジネス成功のために必要な知識を身に着ける「教養」がいま必要だ――。 このような文言を目にしたことはないだろうか? しかし、その「教養」の中身を見ると、短時間でざっくり学べる名著の解説、インフルエンサーによる自己啓発セミナーなど……。 はたして、これらから学ぶことが本当に「教養」と言えるのか? かつて「歴史小説」を読むことが、大衆にとっての「教養」となっていた時代があった。そんな時代を代表し、2023年の今年、生誕100年を迎える小説家・司馬遼太郎について社会学者の福間良明さんにご寄稿いただいた。 「余談」の教養 戦後の国民作家と言えば、真っ先に思い起こされるのが司馬遼太郎だろう。日露戦争を扱った『坂の上の雲』の累計発行部数は1970万部、坂本竜馬と幕末期を描いた『竜馬がゆく』に至っては2500万部にものぼる。ちなみに、今年(2023年)は司馬遼太郎生誕100年にあたり、3年後の2026年
まず、全世代型社会保障では、1)子ども・子育て支援、2)働きかたに中立的な社会保障、3)医療・介護の制度改革という3本の大きな柱が立てられている。政策のリストは広範にわたる。だが、令和5年度(2023年度)の改正で、現実に具体的な制度改革に結びついたのは、出産育児一時金の増額やかかりつけ医の法制化支援など、ごく一部だ。 むしろ議論の焦点は、現役世代の受益を大胆に拡大することよりも、高齢者の負担を増大させ、現役世代の不満を和らげることにあった。事実、介護サービスの利用時負担の引きあげ、国民年金の保険料納付期間の延長、75歳以上の後期高齢者医療の保険料の引きあげ等、財源問題は陰に陽に議論の俎上に載せられた。 統一地方選挙前という事情もあって、実現したのは、後期高齢者医療の保険料引きあげだけだった。乏しい財源を高齢者に求め、出産を控えた世帯に現金を配る、現役世代の保険料負担を軽減するというこぢん
自己責任が前提の「勤労国家」 政治の世界で「全世代型社会保障」という言葉を耳にするようになった。政府の説明によれば、人生100年時代の到来を見すえ、高齢者だけでなく、子ども、子育て世代、さらには現役世代全体を射程に収めた、持続可能な制度改革をめざす、とされる。 なぜこうした裾野の広い改革が必要なのか。まずはその背景を探ることから始めよう。 私は日本の福祉国家を「勤労国家(Industrious State)」と定義してきた。勤労国家の前提にあるのは、勤勉に働き、倹約、貯蓄を行うことで将来不安に備えるという「自己責任」である。子育てや教育、病気や老後の備えに関して、日本における政府の保障は十分でなく、とりわけ現役世代への給付は、先進国最低の水準に甘んじてきた。 想像してほしい。大学の授業料、医療費、介護費のいずれも自己負担が求められる。これらのサービスが無償化ないし低負担化されている他の先進
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