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hanna-and-art.hatenablog.com
2015年11月に書いた記事をこちらに移しました。 果たして、ミルクは飲むものか、使うものなのかというハナシです。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 ミルク風呂 古代エジプト 古代ローマ 古代のレシピ イシスの乳 アピキウスのレシピ ミルク風呂 古代エジプト 古代エジプトにおいて、クレオパトラはその美を保つために、ロバの乳のお風呂に入っていました。 『ネフェルティティもパックしていた』(原書房)によると、クレオパトラひとりが1回入浴するのに、500頭ものロバのミルクが必要だったそうです。 お風呂にはミルク以外にも、サンダルウッドのオイルやバニラ・エッセンスなどが入っていました。 新王国時代の第18王朝のファラオ・アクエンアテン
2020年3月に別ブログに投稿、加筆した記事です。 物語性も感じさせる『パラス・アテナ』ですが、この絵は『アレクサンダー大王』を描いたものとされることもあります。今回はレンブラントの傑作『アリストテレス』『ホメロス』他、『甲冑の男』、『聖マタイと天使』と一緒にご紹介します。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 『パラス・アテナ』 1664-1665年 レンブラント ニケ コリント式兜 レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn、1606年7月15日 - 1669年10月4日) 『ホメロスの胸像を眺めるアリストテレス』 1653年 『ホメロス』 1663年 『甲冑の男
今回は「色」の美しさを愛でたいと思います。別のブログに書いた記事をこちらに持って来て加筆しました。 それでは、16世紀後半ヴェネツィア派を代表するパオロ・ヴェロネーゼの絵画を楽しみましょう。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 『ナイル川から救われるモーセ』 『ヴィーナスの着物を脱がすマルス』(1570年頃) 『キューピッドによって結ばれるマルスとヴィーナス』(1570年代) 『レダと白鳥』(1585年頃) 『女性の肖像(ラ・ヴェッラ・ナーニ)』(1552年) 『カナの婚礼』(1562年~1563年) パオロ・ヴェロネーゼ(Paolo Veronese、1528年 - 1588年4月19日) 『ルクレティア』(1580年頃) 『
美しいバストが自慢だった、フランス王シャルル7世の公式寵姫アニェス・ソレル。宮廷で彼女が着ていたドレスとは。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 ジャン・フーケの『ムランの聖母子』 画家ジャン・フーケ(Jean Fouquet, 1415年 / 1420年頃 - 1478年 / 1481年頃) フランス王シャルル7世 アニェス・ソレル 16世紀に描かれたアニェス・ソレル フランチェスコ・ラウラーナに帰属するデスマスク ジャン・フーケの『ムランの聖母子』 『ムランの聖母子』 1450年代前半 ジャン・フーケ ベルギー、アントワープ王立美術館蔵 頭部拡大 頭部 _ Photographs by User:Sailko _ CC
1500年代の首飾りと、その持ち主たち。 後半はこの時代の各王家の人々の婚姻関係の状況をまとめてみました。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 1500年代の男性の装飾品「カラー」 アーサー・テューダー イングランド王ヘンリー8世 ヘンリー・ギルフォード卿 フランス王アンリ3世 1500年代の女性の装身具 キャサリン・オブ・アラゴン レオノール・デ・アウストリア イサベル・デ・ポルトゥガル イングランド女王メアリー1世( Mary I of England, 1516年2月18日 - 1558年11月17日) 「ラ・ペレグリーナ」(La Peregrina) スペイン王家(カトリック両王以降) フェリペ2世の妻 ポルトガル王家(
19世紀の歴史画に描かれたカスティーリャ女王フアナ。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 カスティーリャ女王フアナ(Juana, 1479年11月6日 - 1555年4月12日) マルグリット・ドートリッシュ(Marguerite d'Autriche, 1480年1月10日 - 1530年12月1日) マルグリットの結婚 フィリップと対面 カスティーリャ王位 カスティーリャに残される 『イサベルの母の狂気』(1855年) フランドルへ戻る 『イサベル女王の遺言』(1864年) 夫と父の思惑 フィリップの死 歴史画 『狂女王フアナ』 シャルル・ド・スチューベン 1836年 『ドニャ・フアナの精神錯乱』 ロレンソ・バリェス 186
世界史には「アンリ」という名前がよく出てきます。今回はフランス王の「アンリ」の恋と、彼の親戚のコンデ公「アンリ」の逃避行のお話です。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 フランス王アンリ4世(1553年12月13日 - 1610年5月14日) マルグリット・ド・ヴァロワ(1553年5月14日 - 1615年5月27日) 1572年8月24日、サン・バルテルミの虐殺 寵姫ガブリエル・デストレ(1571年 - 1599年4月10日) 王妃マリー・ド・メディシス(1575年4月26日 - 1642年7月3日) シャルロット=マルグリット・ド・モンモランシー(Charlotte-Marguerite de Montmorency、159
18世紀後半のローマでサド侯爵が観たベルニーニの作品、『聖テレサの法悦』『聖ビビアーナ』『福女ルドヴィカの法悦』と、ステファノ・マデルノの『聖チェチリア像』。サド侯爵の感想付きでご紹介します。(一部性的な表現を含んでおります。) 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 マルキ・ド・サド(Marquis de Sade, 1740年6月2日 - 1814年12月2日) 『イタリア紀行』 『聖テレサの法悦』 アビラのテレサ 『聖女ビビアーナ像』 聖ビビアーナの薬指の欠損事件 『福女ルドヴィカ・アルベルトーニの法悦』 実際のルドヴィカ 『聖チェチリア』 ステファノ・マデルノ作 建築家カルロ・マデルノ サド家の紋章 マルキ・ド・サド(Mar
今回は、神話に登場するプシュケ―とクピド(アモール)の物語です。主要な絵画作品と、イタリアの巨匠カノ―ヴァの彫刻を観て行きます。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 プシュケとクピドのラヴストーリー 絵画 『クピドとプシュケ』 ヤコボ・ズッキ 1589年 『キューピッドからの贈り物を姉たちに見せるプシュケ』 ジャン・オノレ・フラゴナール 1753年 『アモールとプシュケ―』 ヒュー・ダグラス・ハミルトン 1792年-1793年 『プシュケ―とキューピッド』 フランソワ・ジェラール 1798年 『アムールとプシュケ』 ジャック=ルイ・ダヴィッド 1817年 『アムールとプシュケ』 フランソワ=エドゥアール・ピコ 1817年 『
ローマにあるボルケーゼ美術館には、名門ボルケーゼ一族のひとり、シピオーネ・ボルケーゼが集めた数々のコレクションが収められています。 今回は代表的な絵画と、ベルニーニの彫刻を中心に観て回ります。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼ(Scipione Borghese, 1577年9月1日 – 1633年10月2日) 教皇パウルス5世(1552年9月17日 - 1621年1月28日) 教皇パウルス5世胸像(大理石) 教皇パウルス5世胸像(ブロンズ) ヴィラ・ボルケーゼ ボルゲーゼ美術館のコレクション 『狩りをする女神ディアナ』(『ディアナの狩猟』) ドメニキーノ 1617年 『キリストの埋葬』 ラファエ
今回は前の記事の続きです。 後半でミイラの画像も出てきます。苦手な方は途中でお戻りいただけます。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 古代エジプトでかつらをかぶる。の続き 「ラブレター」と呼ばれるパピルス 医術パピルスに見られる髪の悩み ミイラ作り 髪を残して体毛除去 ミイラの整形 女性のミイラ ネジェメト(またはネジェムト Nodjmet)王妃 パネジェム2世妃ネスコンス(Nesikhons) パネジェム2世王女ネストネブイシュル(Nesitanebetashru) パネジェム1世妃ヘヌウトタウイ(Duathathor-Henuttawy) パネジェム1世 ヘヌウトタウイ パネジェム1世王女マアトカーラー(Maatkare M
「一瞬行った気になる古代エジプト」。まだ身支度中です。 身体も洗い、アイラインもくっきり引き、アイシャドウもキレイに塗りました。 次はかつらを着けます。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 はじめに(「壁画の女性の頭の上のもの」について) ウィッグ(かつら) 古王国時代(紀元前2686年頃 - 紀元前2185年前後) 中王国時代(紀元前2040年頃-紀元前18世紀頃) 三分割スタイル、ハトホル・スタイル メケトレの墓の副葬品 新王国時代(紀元前1570年頃 - 紀元前1070年頃) ヌビア・スタイル 流行の変化 頭飾り、髪飾り、かつら、道具類 トトメス3世妃の頭飾り・ロゼット文様の飾り トトメス3世妃の頭飾り・ガゼルの付いた冠
女性雑誌の見出し風に言ってみた「一瞬行った気になる古代エジプト」のアイメイク編です。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 まず、脱毛 宴会に行く前に コールとは アイシャドーの色 アイメイクの実例 ラーヘテプ王子(Prince Rahotep)と妻ネフェルト(Nofret)座像 カーアペル(Kaaper)立像 座る書記像(カイロ・エジプト博物館蔵) メンナ(Menna)の墓の壁画 王妃ネフェルティティ胸像 まず、脱毛 古代エジプト人は体毛のお手入れを習慣としていました。 蚤や虱などの虫を寄せ付けないという効果もあったため、体毛は定期的にカミソリで剃るか、または、むしり取りました。 暮らしに余裕の無い人たちがカミソリとして用いたの
古代エジプトの宴会に行く前にばっちりキレイになりましょう。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 監督官カーとメリトの墓から出土した品々 夫カー(Kha) 妻メリト(Merit) メリトのかつら メリトの化粧箱 メイク道具あれこれ トトメス3世の名が記された壺 コール(コホル)入れいろいろ 化粧用スプーン 化粧用パレット ナルメル王のパレット 監督官カーとメリトの墓から出土した品々 夫カー(Kha) 装飾箱 木製 トリノ・エジプト美術館蔵 装飾箱 _ Emanuela Meme Giudic… CC-BY-3.0 長い間盗掘の魔の手から逃れていた、新王国時代のカーとメリト夫妻の墓。 『トリノ・エジプト博物館』(朝日新聞出版)による
昨日、無事に葬儀を終えました。 ブックマークで励ましてくださった方々、どうも有難うございました。 masuhiro6595 様 urimasaru様 osukisuki様 hukunekox様 ponponpanda8787様 madoromi-life様 コメント欄で励ましてくださった方々、どうも有難うございました。 ことぶ㐂(ことぶき) (id:lunarcarrier)様 schun (id:schunchi2007)様 id:kainaomichi様 id:tannpopowatage様 のんち (id:nonchi1010)様 森下礼 (id:iirei)様 ko-todo (id:ko-todo)様 まーたる (id:ma-taru)様 えんちゃんぐ (id:ennchang)様 蝶々 (id:miko1221)様 どんぐり (id:saki-compass)様 kira (i
このブログを見てくださってる方へ いつも読んでくださって有難うございます。 今週末、いつも足跡を残してくださっている皆様の所へ遊びに行かせていただくつもりでしたが、4月30日のお昼過ぎ、昨夏から入院していた家族が亡くなりました。 救急車で運ばれて入院した時は1、2週間程度で退院できるとのことでしたが、その後医師から「もって、後半年。あるいは今年いっぱい。覚悟はしておいて。いつ急変してもおかしくない」と言われました。 動揺して泣きながら、せめて、出来れば寒い冬でなく、春の花が咲く下で。もし、出来ればオリンピック・パラリンピックまで頑張って、と思っていました。 10月頃、「今日でもうダメかな」ということもありましたが、何とかここまで頑張ってくれました。 今年1月に見舞った時が最後になりました。 2月は私の具合が悪く、帰省を見送りました。 いつ永遠の別れが来るかわからない状況での帰省見送りはとて
「一瞬行った気になる古代エジプト」。 今回は「今からお出掛けするのでメイク中」の気分をほーんの一瞬味わう企画です。 それでは家の中に入ってみたいと思います。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 古代エジプトのお宅 ジェフティネフェルの家の中 カーサの祠堂(しどう) 中王国時代の家 メケトレの墓の副葬品 寝室 古代エジプトのお宅 紀元前3000年頃に始まった、古代エジプト。今から5000年程前のことですね。 『お金の流れでわかる世界の歴史』(大村大二郎(著) KADOKAWA)によると、古代エジプトは、 …実は徴税システムが非常に優れており、また民衆の生活もかなり豊かだったようなのである。 古代エジプトというと、ピラミッドに象徴さ
ロココ美術の最後を飾るフラゴナール。 そのフラゴナールに『ぶらんこ』の仕事を回した画家の名は? 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 フラゴナールの代表作『ぶらんこ』(1768年) 男爵からの注文を断った画家ガブリエル=フランソワ・ドワイアン フラゴナールの「あぶな絵」 『ベッドで犬と遊ぶ少女(ラ・ジャンブレット)』 『ベッドで子犬と戯れる娘』 『奪われた肌着』 その他 フラゴナールによる歴史画 『偶像に犠牲を捧げるジェロボアム』 『カリロエを救うためにみずからを犠牲にする大祭司コレシュス』 非歴史画 『読書する娘』 『しるし』 『ラヴ・レター』 『子宝』 『冠を受ける恋人』 (連作『恋の成り行き』) 『ピエロに扮した少年』 『ユ
ウィリアム・ホガースの代表作の一つ、『当世風の結婚』の第一場と第二場を、ファッションと室内の様子から見ていきます。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 『当世風の結婚』Marriage à-la-mode 『第一場』 The Marriage Contract(結婚の財産契約) 第一場を「ファッション」で見る フル・ボトムド・ウィッグ スティンカーク バッグウィッグ ソリテール 男性靴のかかとの色「赤」 つけぼくろ 『第二場』 The Tête à Tête(結婚後間もなく) 第二場を「室内装飾」で見る 壁の絵 時計 床の上のカーペット 『第三場』 『第四場』 『第五場』 『第六場』 ホガースの功績 『当世風の結婚』Marria
ロココ時代の貴婦人たちの足元って気になりませんか? 一体どのような靴を履いていたんでしょう? ドレスの下を、少し覗いてみたいと思います。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 フラゴナールの『ぶらんこ』 王様の脚線美 貴婦人のドレスの下 ストッキングとミュール ミュール バックル パトン(patten) ロココ絵画の最後を飾る画家 ジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honoré Fragonard、1732年4月5日ー1806年8月22日) 『朝の身繕い(部屋着)』 シャルダン画 『狩猟の合間の昼食』 シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー画 『廃墟となったルーヴルのグランド・ギャラリーの想像図』 ユベール・ロベール画 『サン=ク
仲良く飲みものを楽しむ家族。後にこの家族に降りかかる運命とは? 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 『一杯のチョコレート』 飲みものを受け皿から飲む バンティエーヴル公ルイ・ジャン・マリー・ド・ブルボン 息子 ランバル公ルイ・アレクサンドル・ド・ブルボン 娘 ルイーズ・マリー・アデライード・ド・ブルボン=パンティエーヴル ランバル公妃マリー・ルイーズ フランス革命「9月虐殺」 1792年9月3日 ルイ16世の処刑 『一杯のチョコレート』 飲みものを受け皿から飲む 『一杯のチョコレート』 1768年 ジャン=バプティスト・シャルパンティエ その昔、ヨーロッパでは、コーヒーやお茶を受け皿に移し、冷ましてから飲む習慣がありました。 ス
マリー・アントワネット、1773年の肖像画 フランソワ=ユベール・ドルーエ (François-Hubert Drouais 1727年12月14日ー1775年10月21日) ルイ15世の公式寵姫デュ・バリー夫人 夫の3人の叔母たち 皇女時代を描いたジャン=エティエンヌ・リオタール(Jean-Étienne Liotard、1702年12月22日ー1789年6月12日) エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランとの出会い エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun, 1755年4月16日ー1842年3月30日) 胸像に見られるマリー・アントワネットの顔かたち 画家による自画像 マリー・アントワネット、1773年の肖像画 フランソワ=ユベール・ドルーエ (François-Hubert Drouais 1727年12
ミレーの『オフィーリア』 リチャード・レッドグレイヴ、アーサー・ヒューズの『オフィーリア』 ミレーの『オフィーリア』の影響 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse, 1849年4月6日ー1917年2月10日) 1855年9月 パリ万国博覧会 ミレーの『オフィーリア』 『オフィーリア』 ジョン・エヴァレット・ミレー 1851年頃 テート・ブリテン蔵 顔の横に、首の回りに、彼女自身を飾るように花が水面に浮かんでいます。 バラは“若さ、美貌”を、 忘れな草は“思い出”を、 ひな菊は”純潔”を、 パンジーは“叶わぬ恋”を、 ケシは“死”を、 スミレは“誠実、早死”を オフィーリアに相応しい花言葉が散りばめられています。 萌え出た草の新鮮な緑と春のアネモネは、オフィーリアの頭部に不気味に覆いかぶさる朽ちた柳の幹と対照的に描かれる。胸毛の赤さゆえに受難のキ
「古代エジプト人はパン食い人」 料理と数学 ペスゥ問題 中間管理職ケンヘルケプシェフ氏 「古代エジプト人はパン食い人」 古代エジプトは農業が盛んでした。様々な食べ物が食べられていましたが、有名なものは、パン。 墓に描かれた壁画や副葬品の多くに、召使いと思われる人物が粉を挽いたり、パンを焼いたりしている場面が見られます。 「エジプト人はパン食い人で、キュレスティスというパンを食べ、オオムギからつくる飲み物を飲んでいる」とギリシャのヘカタイオス(紀元前6-5世紀)記していたと、アテナイオスが伝えている。 (『パンの文化史』 舟田詠子(著) 朝日選書 P88) ※アテナイオスは古代ギリシア(2世紀頃)の人物で、『食卓の賢人たち』を著しました。 パンはエジプトの最も古い食べ物であり、先王朝時代(紀元前3500年頃)から食されていた。初期の材料は大麦や雑穀、加熱してもみがらを取り除いた小麦だった。大
古代エジプトの壁画に描かれた女性の頭上にある「もの」とは一体何? 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 頭にのせる 古代エジプトのボディフレグランス キフィ(Kyphi) 身だしなみ スキンローション 頭にのせる 古代エジプトのボディフレグランス メンナの墓の壁画 紀元前1422年-前1411年頃 上の絵では、長い髪のかつらの上に何かが載っています。 男女ともにロータス(睡蓮)の香りを楽しみ、女性たちは、おしゃれの一環としてボディフレグランス(香料を含ませて円錐型に固めた脂を頭の上にのせ、時間がたつと熱で溶け出し芳香のある脂が体に流れるアイテム)なども使っていました。 (『香りと歴史 7つの物語』 渡辺昌宏(著) 岩波ジュニア新書
ジェームズ・ギルレイのエッチングより 「蝋燭の芯切り係」という職業 1700年代後半、ウィーン ジェームズ・ギルレイのエッチングより Lady Godina's rout; - or - Peeping-Tom spying out Pope-Joan 1796 風刺画で知られるイギリスの画家、ジェームズ・ギルレイ(James Gillray、1757年8月13日 - 1815年6月1日)のエッチングです。 ヴィクトリア朝時代に人気のあったカードゲーム「Pope-Joan」に興じる人々を描いていますが、中央にほぼバストが丸見えの女性がいます。 その彼女の後ろにいて、胸元?いえ、カードを覗き見してる男性(Peeping-Tom ピーピング・トム、のぞき屋)の、その手をご覧ください。 彼は何を持っているのでしょうか。 こういう道具です。 何やら蓋みたいなものが付いています…。 1830-184
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