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今日ではけっして珍しくないハーフタレントの草分け的存在の加藤ローサさん。2004年に結婚情報誌『ゼクシィ』の2代目ゼクシィガールに選出されブレイク。「理想の花嫁」(と言っても、当時はまだ18歳の高校3年生)として一躍注目され、その後は多く…
1986年にスタートし、2作のテレビシリーズと、7作の劇場版が公開されてきた『あぶない刑事』。最新作である第8弾『帰ってきた あぶない刑事』が、タイトル通り、帰ってきた。主演を務める舘ひろしと柴田恭兵はそれぞれ御年74歳と72歳。ダンディ…
2010年、AKB48研究生として公演に立ったことをきっかけに、芸能界でのキャリアを築いてきた川栄李奈。2015年にAKB48を卒業して以降は、俳優として活躍。上白石萌音、深津絵里らとトリプル主演した2021年の連続テレビ小説『カムカムエ…
84年にデビューするやいなや、瞬く間に人気アーティストとなったBARBEE BOYSのベーシストであるエンリケ。彼の活躍は、バービーだけに留まらない。浜崎あゆみを始め、永井真理子、江口洋介などの数多くのバックバンドも務めた。現在も、ベーシ…
90年代の音楽シーンに颯爽と現れ、ティーンエイジャーを中心に熱狂的なファンの支持を集めた筋肉少女帯。そのフロントメンバーが大槻ケンヂだ。今年メジャーデビュー35周年を迎え、アルバム『一瞬!』の発売、ライブ活動やフェスへの出演など、今なお変…
俳優・水沢駿(44)と黛英里佳(38)。その名にピンと来なくても『秘密のケンミンSHOW』(読売テレビ/日本テレビ系)の「東京一郎とはるみ夫妻」と聞けば、多くの人は「ああ!」と声を上げるのではないだろうか。それほどまでに2人が出演した同番…
90年代の音楽シーンに颯爽と現れ、ティーンエイジャーを中心に熱狂的なファンの支持を集めた筋肉少女帯。そのフロントメンバーが大槻ケンヂだ。今年メジャーデビュー35周年を迎え、アルバム『一瞬!』の発売、ライブ活動やフェスへの出演など、今なお変わらず精力的な活動を続けている。 音楽シーンのみならず、エッセイ、小説、DJなど幅広く活動している大槻ケンヂさんの、THE CHANGEを聞いた。【第1回/全5回】
小説家・吉本ばななの作品は多くの読者から親しまれている。1987年のデビュー以来、著作は全世界で30か国語以上に翻訳され、映像化作品も多数。国語の教科書にも作品が掲載されており、いまも10代、20代の若い読者の心を揺さぶっている。そんな吉…
小芝風花は、いま最も輝いている女優のひとりだ。2クールつづけて地上波ドラマのヒロインを演じ、CM出演も多数。さまざまな役柄を演じる俳優は、仕事自体が「CHANGE」と言える。あふれるエネルギーを感じさせる小芝さんだが、これまでどんな「CHA…
1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイナムコフィルムワークスの社屋「ホワイトベース」の会議室で富野監督の「THE CHANGE」について聞いた。 【インタビュー第5回/全5回】 ■「オリジナルの作品を作っていかなければならないという“使命感”があった」 ーー日本だけに限らず、海外の映画作品でももともと原作があるものを映像化し、ヒットした作品が多いと思います。『Gのレコンギスタ』もそうですが、富野監督がオリジナル作品にこだわりゼロからアニメを作り続ける、その理由を教えてください。 「物知りじゃないからです。いわゆる、原作になるようなものをいっぱい読んでいたら、ぼくも原作を使うでしょうね。だけどぼ
1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイ…
1955年、高校3年生でデビューして以来『へび少女』『まことちゃん』『漂流教室』など、数々の名作を残してきた楳図かずおさん。95年発表の『14歳』以来、長く休筆していたが、22年に開催された『楳図かずお大美術展』で、『わたしは真悟』の続編となる『ZOKU-SHINGO』を発表し、大きな反響を呼んだ。実に68年に及ぶ楳図さんの作家人生、その間にはどんな「CHANGE」があったのだろうか。【第3回/全5回】 ホラー漫画という新しいジャンルの開拓。そしてかわいらしいだけではない、リアルな人間としての魅力を持った少女の絵柄。苦労の末にこれらを手にした楳図かずおさんは、1960年の後半には、超のつく売れっ子漫画家となっていた。その忙しさは、想像を絶するものだった。 「ちょうど『おろち』(1969~70)を描いていたときは、週刊連載を3本、月刊連載を3本、そのほかにもいろいろと描いていました。今でも信
富野由悠季「ぼくは宮崎駿さんみたいに、原作を見つけることができない」オリジナルでアニメを作る理由と「次作への思い」
1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイナムコフィルムワークスの社屋「ホワイトベース」の会議室で富野監督の「THE CHANGE」について聞いた。 【インタビュー第4回/全5回】 ■「人類の革新のハウツーを示すような物語が作れなかった」 「ぼくのキャリアは虫プロの『鉄腕アトム』から始まっているから、昔から“富野さんはアニメ志向なんですよね?”と言われるんだけど、実はアニメ志向だったことは今まで一度もないんです。映画としてアニメを作るということしか考えていなかったんだけど、それも結局きちんとできないまま、今日まで来てしまったという意味で、ぼくには“敗北感”があるんです」 ロボットアニメにリアリティ
星野真里「ここがひとつの転換期だったと思います」弟の影響で入った児童劇団から金八先生の長女役に大抜擢!芸能事務所に所属するきっかけに
1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイナムコフィルムワークスの社屋「ホワイトベース」の会議室で富野監督の「THE CHANGE」について聞いた。 【インタビュー第3回/全5回】 富野監督は1964年に手塚治虫のアニメ制作会社「虫プロダクション」に入社し、『鉄腕アトム』第96話「ロボット・ヒューチャーの巻」で演出家としてデビューをはたす(新田修介名義)。 「アニメーターをやりながら演出家を志す人間に何人もあったことがあるんだけど、本当にびっくりしたのは、絵がうまくても“絵コンテの切り方”が分からないっていう人のいるということ」 と、富野監督は語る。 「絵コンテ」とはアニメの場合では作画の前に準備
1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイナムコフィルムワークスの社屋「ホワイトベース」の会議室で富野監督の「THE CHANGE」について聞いた。 【インタビュー第2回/全5回】 日本大学芸術学部映画学科を卒業し、富野監督は1964年に手塚治虫のアニメ制作会社「虫プロダクション」に入社。そこで大きな衝撃を受けたという。 「虫プロの一番年上の社員がぼくより1つ年上なだけなの。大学のときの1年先輩が録音部や撮影部にいたり、すでに演出をやっている人もいて、それが最年長。そのほかにアニメーターとか彩色をやってくれるお姉さんもいたんだけど、東映動画から流れて来たそのほとんどが年下の人たちだった。 中には中
1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイナムコフィルムワークスの社屋「ホワイトベース」の会議室で富野監督の「THE CHANGE」について聞いた。 【インタビュー第1回/全5回】 取材場所に現れた富野監督は、机上の青い砂時計にじっと目線を注いだ。 この砂時計は「双葉社THE CHANGE」のシンボルで、一緒に写真を撮らせてほしいのです、とこちらの意図を説明すると、富野監督は、 「それだったらキャラクターにすればいい。マルを2つつければ目玉になるじゃない」 とひと言。常にキャラクターのことを考える富野監督の姿勢を実感したところから、取材はスタートした。 ■「生身のものというのはどこか柔らかい」 A
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