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大そうじへの備え
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忙しくて更新が滞りました。失礼。 さて、自民党の総裁選なんだけど、福田政権の負のイメージを誤魔化すお祭り騒ぎになぜ、マスメディアは一役買ってしまうのだろうか。もちろんこういう人事系の話に、世間は強い関心があるから、盛り上がるのは当然だとは思う。だが確実に言えるのは、マスメディアというのは、こういう毒にも薬にもならない不特定多数へ向けたネタが好きなのだ。 例えば環境問題なんかも、やってて視聴者からクレームが来たり、自民党や企業からおおっぴらに怒られたりすることがないから、マスメディアにとってはやりやすい。要するに総裁選も環境問題もネタとして安牌なのだ。そのため余計な危機感を煽ってまで、お祭り騒ぎにしたがる。環境省などは、そこをうまく予算獲得に利用している。 ただし、いま団塊の世代がリタイアして、冗談抜きにクレーマーが激増しているので安牌に走るのも無理もないかもしれない。暇なのか、くだらない
オヤジくさくて恐縮だが、最近過去を振り返ることが多い。私の場合、自分の現状を顧みたり、短期・長期目標を設定するときに結構年齢や周期を気にするので、今は自分にとってまさに転機なのだろう。前の転機は、大きな挫折を経て、新卒で入った会社を辞めた25歳の時だった。あれから10年以上たった。何を得て、何を得ることができなかったのだろう。そろそろ小まとめをする頃にさしかかっているのかもしれない。 ありがたいことに、いろいろ声をかけていただいている。今の会社もそうだし、取引先もそう。何と驚いたことに、このブログを通したものもある。失敗や反省することも多々あったけど、自分の10年を評価してくれる人が確実に存在してくれていることに安堵し、素直に感謝している。そして未知の分野に飛び込むのか、さらに地歩を固めるべきなのか、思いが揺れ動いている。 今まで取材をしていてもっとも心躍った瞬間はいつだったかなと考える。
かつて森の中で狩猟採集民と一緒に生活したことがある。彼らは家電製品などを与えてもあまり受け取ろうとしない。いずれ壊れた時に、森の中にある物では補修できないことを知っているからだ。食べられるものやタバコなどは受け取る。しかし、決してありがとうとは言わない。初めはそのそっけない態度に当惑し、何か割り切れないものを感じる。 やがてそれは彼らに「所有」という概念が無いからだと知る。物は、常に持つ者から持たざる者へと分け与えられるべきものであり、森の生活ではそれが当たり前だからだ。物は所有(ストック)すべきものでなく、回り物(フロー)なのである。物を持つ私が、彼に分け与えるのはごく自然なことであり、何ら礼を言う必要は無いということになる。 本来お金の流れも、そういうものなのかもしれない。誰かが欲を張ってフローを止めると、それは膨張し、行き場を求めて確実な市場を求めてなだれこむ。結果、多くの人間が不幸
僕はWillcomのスマートフォンを前から使用していて(僕自身はすごく気に入っている)、iPhoneを実際に使ったことはない。店頭でいじっただけの体験で言うのも何だが、iPhoneのようなデバイスは日本のメーカーからはなかなか出てこないように思う。機能面だけを見れば、私のひいき目もあるだろうが、willcomやイーモバイルの方が、携帯インターネット端末としては優れているだろう。だが、このように人々を熱狂的にさせる種類のプロダクトは、日本のメーカーからは出にくいと思うのだ。 iPhoneには、多少の機能を犠牲にしても、こういう端末を作るんだ、携帯デバイスの未来はこうなる、といった信念や思想のようなものが感じられる。それは個人の強烈なリーダーシップなくしては生まれない類の製品ではないかと思う。前から思っているのだが、あーだこーだとうるさい船頭が多い体制では、良いものは生まれない。最後はたった一
私は、バブル後の就職氷河期世代のトップバッターで、もういいおっさんである。いま20代後半の氷河期世代諸君もあっという間におっさんになる。それはもう、驚くくらいあっという間だ。そして今現在の私もそうなのだが、近親者の死と誕生が、否応なく迫ってくる。愚痴っていたって、人生の列車は残酷なくらいに時間厳守で前へ進んでいく。 自分が抜き出した秋葉原の連続殺人犯の書き込みを時々読み返す。社会との関わりは今のところ不明だが、無差別殺人は繰り返されている。幸い身近にせっぱ詰まった人間はいないが、私はかつて親しくしていた大学の同級生を自殺で亡くしたことがある。何もできなかった、そして葬儀にさえ逃げて顔を出さなかったことを今も悔いている。 社会から疎外された若者たち。個人に責任を帰すべきケースもあるだろうが、社会構造がロストジェネレーションを生み出したのは間違いない。少なくとも上の世代は若い者を育て新しい日本
個人的にはiPhoneのような音楽デバイス普及の鍵って、イヤホンにあるんじゃないかと思う(僕自身はiPhoneのユーザーではない)。私も遅ればせながらBluetoothのついた携帯デバイスを買ったので、ワイヤレスイヤホンを購入してみた。買ったのは、モトローラのS9。これがものすごく快適で、よく音楽を聴くようになった。 前からイヤホンのひもが鬱陶しくてしょうがなかった。よく巻いて整理してカバンに入れたはずなのに、再び出すとなぜかこんがらかっている。これが不思議。どんなに慎重に巻いても必ずこんがらかっている。聴く前にほどく作業が面倒くさくてしょうがない。電車の中でドアや荷物に引っかかって、耳が引っ張られるときもつらい。 で、ワイヤレスを探してみた。しかし日本ではまだあまり種類や数が無い。受信部を首からぶら下げてそこから紐が出ているイヤホンを店員に紹介された。いや、これじゃあ普通のイヤホンと結果
いまやってるフジテレビの27時間番組とやらを見た人は、特にネットユーザーでは少ないというか、ほとんどいないと思う。いま事情があって実家にいるので、何となくつきあいで見たのだが、これが恐るべき程度の低さだった。私が高校生だった80年代後半からフジテレビは何も進歩していないのだ。相変わらず、さんまやたけし、タモリなどが出て、面白くも何ともない内輪ネタで品の無い笑いを振りまいている。予算は1/100もないだろうが、あらびき団の方がまだ100倍は面白い。 19時ごろのたけしがさんまとナイナイの岡村の自家用車を破壊するという企画。これが無惨だった。面白くも何ともないどころか、出演している芸人も引いていた。今田耕司にたけしが車で突っ込むところなど、見た目にも危険で狂気を感じさせるものであり、実際に警察に通報した人もいるのではないかと思った。見ている者もやたらと後味の悪い、ひどい企画だった。小学生でさえ
映画、クライマーズ・ハイを見てきた。1985年8月、群馬県御巣鷹山に乗員乗客524人を乗せた日航機が墜落した。あの大惨事を追った地元地方紙記者たちの日々を描いている。詳細はリンクを参考にしてほしい。以下参考。 映画生活(コンパクトにまとめられてる) http://www.eigaseikatu.com/topics/1402 読売 http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/review/20080704et09.htm 東映(ストーリーに詳しくない人はこの記事は詳しいので読んどくと分かりやすいかも) http://www.toei.co.jp/movie/details/1174249_951.html 今も記者の現場とはこういうものだろう。スクープを追っている時は、アドレナリンが出て、1週間不眠不休でも全く気にもならない。僕が新聞社に入っ
マスコミに就職活動をしている学生(記者志望)と話をした。まだ目がきらきらしていて、マスコミに幻想を抱いているようだった。われわれの時代は沢木耕太郎とか本田靖春のような、何となく憧れてしまう、ルポライターがロールモデルになったものだが、今の学生にそういう人っているのだろうか。あまり具体的にこれという人名が出てこないのが気になった。 その代わりやけに業界の内部事情に詳しい。給与とか福利厚生とか。私なんか初任給もらって初めて給与の額を知ったくらいだったが。あとインターネットで変わるこの業界の未来図とか。そんなこと、僕の時代は考えたこともなかったけど、時代の流れなのかなあ。ではなおさら、そんなしっかりした学生たちが何でこんな不透明な時代にマスコミを目指すのだろう。 マスコミは相変わらず狭き門で、学生にとっては憧れの的らしい。春だめだった人は秋採用を目指し、それでもだめなら留年するそうだ。しかし、こ
先日、知人に聞いたのだが、ハイブリッド車の代表、プリウスのバッテリーの寿命は5年ほどで、交換費が14万くらいかかるそうだ。だからその時点で乗り換える人も多いらしく、新しい車両の製造コストや環境負荷を考えると、あまり環境に優しい車とはいえないそうだ。 複雑で高価なバッテリーの製造や廃棄自体が、かなりの環境負荷をもたらすし、炭素ガスの発生もともなう。バッテリーがネックとなって、まだまだ使える車体が廃棄されるようであれば、環境に優しくなくなる。もっとも車体の製造-廃棄サイクルが短くなるほうが、メーカーとしては利益がでる。 カタログでは燃費35km/lとうたってはいるものの、実際には20km/lを下回るようだし(乗り方にもよる)、それでは軽自動車を少し上回る程度だ。高価な車体価格の元をとるために、ユーザーが寿命の5年間のうちにガソリン代の差額を稼ごうと長距離運転をしたら、無駄なエネルギー消費の奨励
昔からモノを持たない生活が理想だった。こないだ書いた、「都会では賃貸の方が良いかも」という記事に割と大きな反響があったが、今思えばあまり一般的な内容ではなく、私自身の考えが色濃く反映していたなと思う。手狭な都会の部屋で生活するならば、できるだけモノを持たない方が豊かな暮らしを送れると前から思っていた。実際は理想にはほど遠く、部屋は荷物や本やCD、レコード、DVDであふれてるけど。 だから住居を選ぶときに重要なのは、「場所」だと思うようになった。僕が今度、都会で住み処を探すとすれば、近くにレンタカー屋、コンビニ、図書館の存在があることは重要だと思う。お金や駐車スペース(都会では出先にも少ない)は無いし、車はできるだけ持ちたくないので、レンタカー屋が近くにあればいい。あとコンビニはできるだけ冷蔵庫や周りにモノを貯めたくないから重要。 最近、よく図書館を使うようになった。自宅や職場のネットから検
秋葉原で無差別殺人を犯した犯人が携帯電話のサイトに書き込んだものがネットに上がっていた。この犯人の書き込みを読んで、つくづく考えさせられた。できれば時系列に沿って、多くの人に読んでほしい。 マスコミはこの膨大なログの中からなぜか「作業場行ったらツナギが無かった 辞めろってか わかったよ」というフレーズを集中的に報道していたようだ。リストラが原因ではなく、彼がいじめられたと誤解したのが事件のきっかけとなったと言いたげである。彼が勤めていた職場はメディアの大スポンサー、トヨタ系列の工場だという。この辺りの話については、このブログなどが詳しい。 私にとっては、この書き込みの内容が大変な衝撃だった。孤独に脅え、派遣社員として生きていくことへの絶望が連綿と書きつづられている。表現からは、この容疑者の知性すら少しうかがえる。私なりに印象に残った箇所を抜粋してまとめてみた。 06/03 06:00
いまや老若男女誰もが、ブログやyoutubeを使ってノーコストで表現し、不特定多数へ自由に発信できるようになった。私にも人並みに表現欲求がある。映像制作という仕事をしているので、ある程度満たされているのだが、それでもなお何かつぶやきたい時にこのブログを使っている。でもこのブログも一切人に知らせずひっそりやっておけば良かったなーと、今では少し後悔している。 はじめは1日10~20くらいのアクセスだったのが、いまやちょっとVISTAの愚痴を書いただけで3千近くのアクセスがくるようになってしまった。いつの間にか口コミで僕の知人や関係者も読むようになって、何か恥ずかしくなりこれまでに何度もやめようと思ったのだが、やっぱり数千人の読者に書いたものを読まれるというのは快感であり、なかなか閉鎖できないでいる。 これはつまり、脳の報酬系を刺激されるということではないだろうか。最近読んだブルーバックス「進化
仕事で使うパソコンをウィンドウズVISTAに会社がアップグレードしてくれたのだが、これがもう最悪。起動まで5分以上軽くかかるわ、オフィス2007は使い方が全然変わっていて、くそ忙しいのに印刷のやり方もよく分からなくなって必死に探さないといけないわで、ろくでもない。時々フリーズして、強制終了して次に起動すると、初期状態にもどっていたり。やばいと思って必死にいろんなソフトをインストールして再起動したら、何事も無かったかのように前の状態に戻っていた。おいおい、俺の半日を返せ。 あまりに不評なんで、マイクロソフト自体がVISTAに見切りをつけたなんて話もあり、XPのSP3を出して延命し、それどころかWindows7なる新OSを出すという計画もあるそうだ。どこまで消費者を馬鹿にすれば気が済むんだ。この件で、僕は次に買うのは、Macと決めた。あと、PHSのW-zero3の後継機種のD4というのをSHA
ちょっと気づいたのだが、最近出ているSONYのHDVデジタルビデオカメラや、AVCHDのHDDビデオカメラとかって、AVケーブルによる映像の入出力機能(つまりアナログ映像入出力)のうち、入力の部分が無くなっていませんか?以前は、安いカメラでも出力と入力は切り替えられたはずなんだが、どうしてだろうか。 私のように仕事で時折アナログを取り込まないといけない人間にはきわめて不便な状況なんだが、あまりこの変化に気づいている人はいないようだ。少し思ったのは、昔のVHSに入っている映像をデジタイズされてしまうのを防ぐための措置なのかなということだ。 アナログ映像素材として各個人や家庭にあるうちはいいが、いったんデジタル化されてしまうと、もちろん法的には著作権で守られてはいるが、それをブロックする技術的保護ができなくなってしまう。すなわち際限なく、ネットの海を漂流してしまうのだ。 うがちすぎかもしないが
僕のように30代も半ばになってくると、周りの友人がみんな35年ローンとかでマンションなどを買い始める。「家賃払うより、後で自分のモノになるんだから得でしょ」「転勤すれば、そこを賃貸にすればいいし」などと言う。だけど、35年も(基本的に)解約できないモノに、何千万円もよく投資できるなと感心してしまう。キー局に勤めてる友人なら分かるのだが、僕らのような10年もてば御の字というような制作会社の連中でもそういうのが結構いるから不思議だ。もちろん公務員のように安い社宅が無いという理由は大きいのだが。公務員は都心でも月1万円くらいだそうだから。 東京に住んでて映像ディレクターなどというヤクザな稼業をしていると、自分の人生がこれから先35年も変わらないとはとても考えられない。だからそういう自分をしばるようなものは極力買いたくない。車もそうだ。もちろん維持費が高いとか、無くても交通網が発達してるので生活で
ここのところ体調が悪く、ブログから遠ざかっていた。ジャーナリストの烏賀陽(うがや)弘道さんをオリコンが訴え、東京地裁がオリコン全面勝訴の判決を命じたというニュース。これは個人をねらい打ちした“恫喝訴訟”そのもので、言論の自由を脅かすものとして、許されないと考える。この件をご存じ無い方は以下の記事を読んでいただきたい。私は烏賀陽さんとは1,2度メールをやりとりした程度の関係だが、個人的に敬意を抱いている「アニキ分」であり、そういうバイアスがかかっていることは断っておく。雑誌にコメント「掲載同意なら個人に責任」東京地裁が賠償命令 音楽市場調査会社「オリコン」(東京)が記事中のコメントで名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの烏賀陽(うがや)弘道さん(45)に損害賠償などを求めた訴訟の判決が22日、東京地裁であり、綿引穣裁判長は烏賀陽さんに100万円の賠償を命じた。 問題となったのは、月刊誌
何とも仰々しい売れ筋ねらいのタイトルだが、中身はそれほど扇情的でもない。小泉構造改革の実務をとりしきった元財務官僚・高橋洋一氏の回想である。まさに政権中枢にいた人間にしか分からない内幕を知ることができ非常におもしろかった。自民党を否定的に見ていた人には(私がまさにそうだが)、構造改革派といわれた小泉、安倍元首相や竹中・元総務相、とりわけ中川秀直・元幹事長への印象ががらりと変わるだろう。記者クラブべったりのマスコミ取材からは見えない、貴重な情報が満載である。 この本では構造改革派の自民党幹部を少し好意的に描き過ぎだとは思うが、実際に霞ヶ関から追い出された著者がそれほど事実をねじ曲げて書いているとも思えない。何となく安倍辞任劇に抱いていた私の違和感もこの本でかなりすっきりした。安倍氏は少し青臭いところはあるが、人の意見を素直に受け入れ正義感もあったようだ。特殊法人改革、公務員制度改革に関しては
僕の周りでは、尾崎好きがばれると「クドい・説教くさい」「時代錯誤」「痛い」と散々な扱いなので、隠れキリシタン的なんですが、もうファン歴も20年近いので開き直ろうかと思う。僕が高校生だった80年代後半にはもうすでに「暑苦しくウザい」的な扱いだったと思うんだけど、いまだにそういう一面的な見方をしている人がいるともったいないので、ある歌をご紹介しよう。 尾崎豊(1965年生~1992年没)といえば、反逆のカリスマ、若者の教祖、とにかく大人への反抗、反体制の象徴としてとらえられがちである。「15の夜」の歌詞「盗んだバイクで走り出し~♪」とか「卒業」の「夜の校舎窓ガラス壊して回った~♪」などの彼の詩を誤解して、そのままに不良行為をする奴も続出するなど、単なる校内暴力の煽動者、社会への反抗者というのが強烈な印象となってしまっている。 またサラリーマンを揶揄したかのようにもみえる「Bow!」という曲の歌
城繁幸氏の「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか~アウトサイダーの時代~」を読んだ。富士通を辞めて内部告発的な本を出したときから彼のことは注目していた。このブログを2004年に始めたときも3番目の記事で取り上げていた。格差問題や就職氷河期などについてもだいたい同じ意見だ。会社や日本社会に対して、うまく口にできないもどかしさや閉塞感を抱えている若者は読んでみるといいと思う。 年功序列と既得権を死守する大企業や官僚機構の中高年、左翼政党。これらを著者は昭和的価値観またはリバイアサンと呼んでいる。この本では、こうした旧体制に支配された江戸時代の封建制のような社会を変えようと、いつになく過激な言葉で若者をあおっている。このままいくと、ロストジェネレーションは35歳をこえ統計からもロストしてしまう。職務給や自由な労働市場を早く実現しないと、本当に彼らはホームレスになる。あと10年の空白がロスジェネ世代
半導体の研究者と話をする機会があった。以下先生に聞いた話を記録しておく。 産業のコメともいわれる半導体。その物性の研究において日本は世界のトップを走ってきた。しかし、こうした分野はあと10年もしないうちに、中国やインドに追い抜かされるだろうということだ。次第に国内では人気も無くなり、若い人材も集まらなくなってきた。だがこれはかつて日本がアメリカを追い越したのと同じ歴史的必然で、避けるのは難しいという。 一生懸命作った芸術品ともいえる集積回路でもあっという間にコストが下がり、100円もしなくなってしまう。「賽の河原の石積み」ともいえるようなこの作業に進んで若者(ただでさえ少子化で希少価値の上がっている)が入ろうとするはずがない。しかも真面目に地道に生きても、こうした技術者が40代半ばになればリストラに遭うという過酷な現実も90年代後半に見てしまった。 そして、この技術者軽視の風潮は、日本の
忙しくて更新が滞ってしまいました。すいません。最近、NHKの視聴率を見ていて、ある傾向がはっきりしてきたなと思った。なかなかセンスが良いと思われる番組、例えば英語でしゃべらナイトや爆問学問といった番組でも視聴率が5%をこえるのは難しいようだ。 一方でコンスタントに14~15%をほとんど手間暇かけずにとれてしまう番組がある。それは何かというと、「歌謡コンサート」と「鶴瓶の家族に乾杯」である。正直、この二つは私も年をとったのか、チャンネルをとめて見てしまうことがある。 かつて演歌は視聴率がとれないと敬遠され、歌番組は壊滅したのだが、今はバラエティやドラマを含めあらゆる番組の視聴率が下がって、むしろ古き良き演歌を聴かせる番組のほうがはるかに視聴率が良くなってしまったのだ。 鶴瓶の番組を見てしまうのは、当たり前の家族が普通に幸せそうにしているのを見るのが、単純に気持ちよいからである。こういう田舎で
地方はどこも元気がない。公共事業は減る一方で、所得は低い、若者はいない。バブル期に作った観光施設は廃墟となっている。にぎやかなのは、日帰りの温泉施設と、道の駅の野菜コーナーくらいである。先日地域振興に関係したボランティアに参加して、地元で行われた会議にも出席したのだが、地域の観光資源を活用して人を呼び込むというのは本当に難しいと思った。 そういうことを専門にやってきた研究者やコンサルやNPOなどその道のプロが、夕張を含め日本各地で失敗しているのである。私のようなド素人が首をつっこんだところで、できる発言など何も無い。まあ国内で観光客を呼び込むのは限界だと思う。だから政府は観光庁なる新しい官庁を作って外国人を呼び込もうとPR しているものの、国際的な観光地として成立するような地域はごく限られている。 一時的に客を呼び込んでも長続きはしない。ブランディングに成功する観光地もわずかにあるだろ
松下電器がグーグルと組むらしい。ようやくネットとテレビが融合しそうだ。 それにしても、この松下のプレスリリースにあるようなネットワークを使ってウェブアルバムを共有したり、youtubeを見たりなんてことは、PCでできることであり、リビングにあるテレビを使ってまでやる必要性はない。PCを使って写真を整理したり公開できない人間が、こういうテレビを使ってやることはまず無いとみていい。こういう勘違いがこれまでネット家電から消費者を遠ざけてきた。テレビはPCを代替するものではないのだ。 ネットには、デジタルテレビが嫌いな人が多いが、私はやはりPCで映像を見る気にはなれなかった。くつろげる居住空間に、基本的に32V以上のデジタルテレビは最低ほしいな、というのが現段階での結論だ。有機ELテレビがほしいのだが、いまのところ様子見である。※こんな偉そうに語っちゃっているが、まだブラウン管のテレビを見てますハ
総務省が地デジ番組の無制限コピーに待った(規制)をかけた。詳しくは池田信夫さんのブログを見ていただきたい。まったくコピーワンスとかウザイことこの上ない。コピーに制限かけるくらいならまだしも、「CRPM対応のDVDを使え」とかレコーダーに表示が出て、この寒い中電気屋に走らされた人なんかもいるはずだ。どこまで消費者を馬鹿にしたら気が済むのだろうか。 しかし、言って聞くような連中ではないので、若い人からテレビをボイコットするしかないかもしれない。それにしても最近は視聴率グラフを見ても、のきなみふるわないようだ。いま二桁とるのはかなり難しいだろう。いまだにHDDレコーダーなど録画機器を調査サンプルに入れてないからそもそも視聴率自体の精度も怪しいものだが、低い傾向は間違いない。もうテレビは見放され始めているのだろうか? 大手のスポンサーなんかはこの事態をどう考えているのか。それでもまだテレビは重要な
日テレの働きマンというドラマを見ていて、書籍の営業担当者は報われないという話があった。もともと安野モヨコが週刊モーニングに連載している週刊誌記者の日常を描いた漫画だが、マスコミでありがちなエピソードをうまく、すくいとっているため、マスコミ若手の間で人気の漫画だ。デフォルメされたキャラもいかにもありがちである。 本が売れても、編集者と作家のおかげ。売れなかったら、営業は何してるんだと後ろ指さされる。そんな仕事は他にもある。以前、ここでテレビの音声マンが報われない仕事で、やる若手が減っていると書いた。音がうまく録れてなければ、お前の責任だとどやしつけられる。しかしきちんと録れていてもそれが当たり前であって、評価されることはない。 最後にこのドラマで書籍の営業担当・千葉君は、女性作家に「売ってくださってありがとうございました」と手を握って言われただけで、出版記念パーティで人目もはばからず泣き出し
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