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今年の「#文学」
britty.hatenadiary.org
今週のお題「2011年、夏の思い出」 はじめて地中海をみたのは1995年、いまは亡き夫との新婚旅行だった。高台にあるマルセイユ中央駅からハーバー沿いにそったホテルまでタクシーに乗って、坂を下る道へ出ると夏の海が遠く光っていた。夕食を海岸沿いのピザ屋で食べた。中サイズのを二人で分けて食べるつもりで一枚頼んで、ウェイトレスが露骨に変な顔をしたので「何だろう感じ悪い」と言い合っていたところ、隣席に座った家族連れの、まだ小学生くらいな男の子が大を一人でたいらげていたので、なるほど、我々はとても変な客だったんだなとようやくそこで得心した。 それからちょうど16年たったんだな、とウィキマニア2011の閉幕パーティで、夕日が落ちたばかりで西に淡く光が残る地中海をプライベートビーチのデッキから見下ろしながら、ぼんやりと思った。この海はあのときのマルセイユの海まで、続いているんだと、思った。 ウィキマニア2
本日2011年6月22日をもちまして、ひょうごんテック世話人会およびSahana Japan Teamをやめましたので、お知らせいたします。 ひょうごんテックおよび Sahana Japan Team において本年4月以来続いておりましたセクシャルハラスメント、およびその告発後に両団体関係者から受けた度重なる不誠実な対応にわたくしは疲れ果てました。 私事ではあれ、なんどかこのブログでもご紹介した団体内の去就の話ですので、このブログでもお知らせすることに致しました。他所ですでにご覧になった方には、重複をお詫び申し上げます。 セクハラが発生し、どなたにも相談できない数ヶ月の間、また相談し告発した後でも心無いしうちのため、心因反応を起こし、数時間、あるいは1時間すらも眠れない夜を何度もすごしました。疲労がたまり、注意力が落ち、また不安を感じるようなことも重なり、いろいろなことが常のようには出来ま
冬が長かった分、今年の春はあっという間に来て、あっという間に去っていった。桜が咲くたびに、彼といった花見のことを思い出して、なきたくなる。とりわけ実際にいつか二人でいった場所の景色をみると、涙があふれてくる。 それだから4月開催となった今年のOSC神戸へ出るために、4月半ばの阪急神戸線へ乗り、思い出すのは二人で乗った・開通したばかりの95年4月1日の神戸線やあるいは友人たちといった夙川公園の花見、もうだいぶ桜も散ってきた六甲の山並みに、二人で結婚一周年の記念に行ったことを思い出し、電車のなかで幾度も涙が出た。 3月11日の地震のあと、震災関連の報道はしばらくほとんど見なかった。わたしたちが結婚したのは95年の阪神大震災の直後で、それぞれ住んでいた場所はさして影響を受けなかったとはいえ、友人知人にいろいろ被災した人はいて、だから阪神の震災を受け、またそこから復興していく街の記憶は、これから二
世間は2010年を振り返る企画一色だが、しかしこれを書かずにこの一年を終えるわけにはいかない。 というわけでオイスターソース味おでんなのであります。これは Twitter で@asarinさんから教わった。@asarinさんは Cookpad で見つけたらしい。きわめて簡便で、しかも肉や魚を使わないで出汁が取れるのが個人的にはツボです。今月は、大根と厚揚げとタコのぶつ切りをこれで煮たものを温めなおしては、食べていました。 さて作り方。 湯を沸かす。 オイスターソースと塩を適量加える。 おでんだねを加えて火を通す。 煮立ったところで火を止めて、しばらくおいて味を染ませる。 できあがり。 何度か試行錯誤したところ、水1リットルにオイスターソース大さじ1くらいの割合がちょうどよいようである。塩加減は好みで。塩の味を感じるほど入れてしまうとやや辛いようである。 煮立ったらすぐ食べられるが、最低でも
承前 以下に書くことは Google Books 等の検索結果をまとめた私的なメモである。 「国家は…… instrument of violence*1 / Gewaltapparat である」とする定式化は広くマルクス(ときにはマルクス=エンゲルス)に帰されている*2。この定式化は1960年代にはマルクス主義者以外にも広範に知られていた*3。しかしこの語はそれとしてマルクスの著作中には登場しない可能性が高い。marxists.org に収録されている、手稿を含めたマルクスの著作中に Gewaltapparat という語は登場しない。一つの可能性としては、1910年代の共産主義者によるマルクス受容のなかで、マルクスの国家観、すなわちアレントの言葉を借りれば "the state as an instrument of violence at the command of the ruli
結論からいうと私にはわからないんですけどね。Grimm の Deutsches Woerterbuch 第1版にも出てなかったし。 でも Gewaltapparat がヴェーバーと関係ないってのはないとおもうな。暴力装置のほうは知らないけど。 おそらくこの「暴力装置」という言葉は福田歓一の影響であろうと思われる。上にみたようにヴェーバーの独占について述べた箇所には装置という意味合いは含まれていない。このようにして、「暴力装置」という神山茂夫の用語は、左派、右派含め広まっていき、そして今や社会学用語集や政治学の教科書にまで掲載されるようになった、というわけである。 http://d.hatena.ne.jp/catisgood/20101121/1290326392 百歩譲って日本語としてそうなのかもしれませんが、Google Books に収録されてない論文などいくらもあるでしょう(苦笑)
OSC神戸のスタッフ仲間である澤登さん(@sawanoboly)が、昨日こんなことを書いていた。 頼まれたことに対して、『無償だけど3ヶ月かかります』というのと、『3日でやるからお金ください』というの。オープンソースのコミュニティとしてどちらが健全か。私は後者だと思うぞ。 @sawanoboly それに触発されて、ちょっと考えてみた。ただし私が多少なりとも具体的に知っている FLOSS (Free/Libre-Open Source Software) コミュニティは MediaWiki に限られるし、それも実際の貢献としては l10nやi18nに少し関わっているくらいで、きほん一方的に機能要望を出すだけの人なので、偏った見方である可能性をお断りしておく。 オープンソースの、というか少なくとも Mediawiki の場合、上の選択は二択ではない、という気がする。そもそも二項対立が設定できな
今月もやりますよ。第5回関西ウィキメディア勉強会。10月31日(日曜日)。 詳細は http://kansai.wikimedia.jp/wiki/KWU からご覧下さい。 英語名称の Kansai Wikimedia Unconference が示すように、関西ウィキメディア勉強会はアンカンファレンス方式でゆるゆるやっています。だから続いているのかな? 第6回11月は関西オープンフォーラム(KOF)でいつものようにやらせていただこう、と考えていたら、気がつくと外国人エンジニアの講演会をやることになっていました。というわけでこれはいつもと場所や運営方法が変わります。以下詳細。 MediaWiki開発者コミュニティに参加するには 11/5 17:00〜 (50 min) [ 会場 : 6F-M-6 ] 講師:Ryan Lane*1(ウィキメディア財団オペレーションズ・エンジニア) 主催:関西
id:mohnoさんからid:Britty:20101006:p2へコメントをいただき、考えていたことがいくつかあります。たとえばここ。 本題については、大屋氏の認識がそうだとしたら、同様のプログラムを動かすことが引き続き問題とされかねないわけで、“技術者の安心”のために声を上げ続けないといけないことになりますね。 「藪の中」『鰤端末鉄野菜』へのid:mohnoさんコメント 便宜のため「大屋氏の認識がそう」だとして、話を続けます*1。技術者にとって安心できる環境が大事だというのは同意です。クラックでもない技術的にはごく常識的な(そりゃベストプラクティスではないにしても)ツールを動かして、いちいち逮捕されたのじゃたまらないでしょう。そして「声を上げ続けないといけない」というのもそのとおりでしょう。安全とそして自由を己の努力によって購うというのは、自己規定の可能という自由の定義からしても穏当な
さて10月2日の岡崎市立図書館問題パネル討論会 (https://www.esd21.jp/news/2010/10/post-1.html) だが、スライドも公開された岡本報告 (http://d.hatena.ne.jp/arg/20101005/1286211802) はあまり話題にならず(異論のあるひとが少ないからかもしれない)、断片的情報ばかりが先行する嫌いのある大屋報告がもっぱら話題になっていて、なんだか皮肉なものだなあという気もする。 そのなかでまとめを作ってくださった方が何人かおり、どれもいろいろな示唆をあたえてくださった。みなさまの労作に感謝したい。だが、しかしまとめの正確さということについて気になる点がまったくないわけではない。そのことを備忘として書き留め、一例をあげておきたい。そのような違う読み方の可能性を意識して参照される限りでは、最初にリアルタイムで会場から届いた
非公式なグループがさっと集まって話し合いができる場所が豊富にあるというのは、活発なイノベーションを促す重要な社会的資本だろう。 社会的資本としてのカフェ - elm200 の日記 同感です。そして東京だけでなくそういう場所は大阪でも神戸でも少ないように感じます。喫茶店はありますが、いちどに15人くらいがどかっと入って、しかも全員が会話に参加できるように座るようにはたいてい出来ていない。公共の会議室はあっても、これはこれで予約が一ヶ月前から必要で、「さっと」集まって使うには向かない。 話は戻りますが インターネット接続可能な無線 LAN を無料で提供している店が多い。飲み物も食事も実にうまく、何時間いても何も言われない。 社会的資本としてのカフェ - elm200 の日記 id:elm200さんがおっしゃるのはベトナムの場合ですが、ロンドンのパブもそんな感じでした。そして居酒屋と違うのは、1
ツイッタードラマというと日本語圏内では某TVドラマを指すようですが、そうではなくて、Twitterの上で展開されるドラマの話。 Such Tweet Sorrow http://www.suchtweetsorrow.com/ id:nofrillさんが紹介されていて知ったのですが、これが無類に面白いです。てまあシェイクスピアだから(つうかロミジュリですね*1)、そしてロイヤル・シェイクスピア・カンパニーだから、当然っちゃ当然ですが。 Such Tweet Sorrow は『ロミオとジュリエット』のツイッター版なのですが、大胆な翻案が行われています。舞台は原作のヴェローナから現代のイギリスにおきかえ、登場人物はみなイギリス人になっている。なのでツイートはみな英語でかかれます。ロンドンマラソンなどの実際の出来事とリンクさせたり、乳母を姉にしたり(Jess Capulet @Jess_Nurs
朝、Twitterのタイムラインをみると、サリン事件関係のリツイートをたくさんされている方がいました。それで今日の日付だとおもっていた15年前の個人的な思い出―9年前自死した夫にまつわるささやかな思い出―は実は昨日だったということに気づいた*1。どうもきちんと日付を覚えてないんですよね、なぜか。ということはおいて。 みているとなんだかいろいろしんどくなってきてしまったので、リツイートだけ切ってしまいました。いつの頃からか、フォローしている方のツイートとその方のリツイートの講読を分けて設定できるようになっていて、こういうときには便利です。*2 サリン関係、読んでいてしんどかったというのはわたくしだけでもなかったようで、タイムライン上で同じことで困っている友人がいたので、リツイートだけ切れますよと教えてさしあげました。そのときに友人が漏らしますのに、大事なことだけれども、知らない人のを読んでも
id:pollyannaさんがこんなことを呟いてました。 子供関係ないだろう。人質に取って交渉するようなアホで野蛮なことしないでほしい。恥ずかしい [ http://bit.ly/c6U4du ] asahi.com(朝日新聞社):「無償化対象、朝鮮学校は除外を」拉致担当相、文科相に - 社会 @pollyannna_y on Twitter これいま気づいたのですが、高校無償化の話なんですね。たぶん。それはおいて、そこで思ったこと。 提言1。日本の学校の卒業資格を全部国家試験にしたらどうでしょう。 そもそもいまは憲法で、中学までは義務教育なのですから、小学校と中学校には日本国民が全員行くことになっている。すでに国レベルで実施されていることの仕上げとチェックを国レベルでやることに何か問題があるようには思いません。そして現在の教育現場における問題のひとつは、学校に在籍しただけで卒業は出来るけ
id:shioyama こと翻訳家の Chris Salzburg さんと渋谷でお茶を飲んだ。以前は Global Voices の日本版?(http://jp.globalvoicesonline.org/)日本語*1エディターだった Chris さんは、いまはそのポジションからは退かれて、しかし GV には引き続き関わっておられるよし、いま構想中のニュースを扱う新プロジェクトに関連してお問い合わせをいただいていたのだが、わたしが別用あって東京へ出た機会にお話をしようということになった。 Chris さんは、11月のウィキメディア・カンファレンス・ジャパンでのわたしの報告を聴きにきてくださっていて、そのときにお目にはかかれたのだが、座ってゆっくりお話をするのはこれが初めてである。もうひとりウィキメディアンのボランティアの翻訳者を途中から交えて、わたしたちは英語から他の言語へ翻訳をするとい
東京から帰ってまいりました。日曜日にウィキメディア・カンファレンス・ジャパン2009に出席し、そのあと二日ほどのんびりしてまいりました。 発表は色々聴きたかったのですが、なにしろ同時並行で6トラック、うち2齣で発表(ひとつは「ウィキメディアにおける多言語化と翻訳」、もうひとつは共同発表のプロジェクト紹介 "Wikimedia in a nutshell")とみっしりした日程だった上に、聴きたい発表同士が同じ時間に重なることが多く、弱りましたた。とはいえスタッフの皆様はもっとお忙しかったわけで、ほんとうにお疲れ様でした。ありがとう。 朝は近くに宿*1をとったせいもあって、すこし遅めの始動だったのですが、いや受付はすごい人でした。なんでも当日受付だけで100人超えていたらしく、計280人が出席ということでした。おかげで刷ったものが足りなくなり、ていうか基調講演の部屋でまず席を取って朝ごはんを食
はてなダイアリーどころか twitter も更新しないでいたところ、あやつは生きているのかというようなことをのたまう方もいたらしいのですが、ええ御心配をお掛けいたしました、まあ何とか生きております。 明日から東京です。実は8月にもいちど上京して、そのときはゴーギャンと1/1ガンダムを見にいったのですが、リーフェンシュタールの『意志の勝利』をやっていたと後で知り、残念でございました。ゴーギャンはボストンで見たかったのですが、閉館間際だったため、部屋に近づくことさえ出来ず敗退し、3年振りの歯医者復活戦でございました。敗者。そうそう歯医者にもいかなきゃなのですが、いつものように泥縄でございまして、発表前なので予約を一回飛ばしました。次が怖い。 そう、発表をするのであります。以下、主催者にさっき送ったばかりの概要。なんという泥縄、しかしないよりはまし (better than nothing) と
淡く光る空にすこしの雲が漂う。夕映えの光に照らされて紅色に輝いている。西にみえる山の稜線がいっそう際立ってみえる、そんな夏の遅い午後。 夏至も近いこの日、今日もなんということもなく、終わろうとしている。普段どおりゲーム三昧で、金曜からはもうひとつ新しいのを始めるので、さらに無為の中に沈む毎日が続くだろう。そんな懶惰の日に昨日読んだはてな匿名ダイアリーのあるエントリがふと思い浮かぶ。 自分にもまた夢をみた若い日があったことを、そのエントリで何人の人が思い出しただろうか。翻って省みるに、夢をなにか断念したという気持ちは自分にはない。もともと職も地位も求めたわけではなかった。学位はとってないけれど、それは夢というのとたぶんすこし違う。研究職に就きたいと思ったことはもちろんあったけれど、研究ができればよいのであって、その他の公務をしなくていい在野というのはそれはそれで気持ちが良い。 そのことはおい
NHKラジオ第二放送の「まいにちスペイン語」、3月で終わったシリーズのなかで ensaladilla rusa というのがでてきた。直訳すればロシア風サラダだが、訳ではたんに「ポテトサラダ」と呼んでいた。それでポテトサラダにもいろいろあるけれど、なにをどうするとロシア風になるのだろ、と疑問に思ったのだがそのまま忘れていたところ、マヨネーズで茹でたじゃがいもを和えたのをそう呼ぶのだと友人から聞いた。2月のことである。 ウィキペディア英語版にも Russian salad で項目があって、それによればロシアではオリヴィエ風サラダと呼ぶらしい。19世紀の末モスクワにあったフランス料理屋のスペシャリテに由来するという。興味深いことに、元来のレシピにはじゃがいもは出てこない。弟子がレシピを盗んだのがだんだんに広まっていって、20世紀にはいる頃にはもうじゃがいもが入るレシピが一般的であり、ニューヨーク
ひさびさにはてなブックマークを眺めてみると、なにやらはてなの中の人に会いにこいとか会いにいくとかそういう話にみんながひとこと述べていて、なにやら賑やかなことだと思った。 ちょうど昨日、ひょうごんテックの世話人会で、これから先の関西オープンソース系イベント、ということはKOFの話も出たりして、その文脈では我々は出展者としての自分たちを考えたわけではあるが、同時にああいうコミュニティ行事のつねとして運営側の立場から考えるというのもごく気軽な作業ではある。*1。 昨年のKOFでは、はてなからは伊藤直也氏が来てくださった(id:naoya:20081111)。データベース構築の話で、ものすごい数の人が来た。100人を超えているはず。床に座る人が出かねない勢いで、その節は出席者の方にもスペースを作っていただくなどいろいろにご協力いただいたのだが、講演のあとの質疑も活発で、聴衆の満足度の高い企画のひと
川村記念美術館の「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」展、出口近くにある最後の展示室は1964年制作のシリーズに充てられていて、順路からはすこし奥まった袋小路になっていた。4枚のパネルが掛けられたその部屋に入ったとき、最初どれもが真っ黒に塗られているのだと思った。 本展はロスコの連作「シーグラム壁画」(1958年から1959年、図版上)を取り上げており、普段はロンドンのテート・モダンと川村記念に分かたれて収蔵されている作品をあわせて展示している。茶色を基調にしアクセントに同系色であるオレンジと黒を使った巨大な画面構成が「シーグラム壁画」の特徴で、単色に塗った背景に浮遊するような直方体を組み合わせる画面構成は以前からロスコの好んだものだったが、この時期ロスコは急速に色彩を自分の画面から排除していく。 以前の黄色や赤あるいは青などを使った対照性の高い色彩配置(図版下)には、当時の批評では現代的な都市
「影響力なんか知るか」ってのも欺瞞的だな。仮に影響力を持っているのだとして、じゃーそれを行使して何が悪いの? と開き直ったほうがいいんだ、きっと。 http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090512/1242127656 違うな。正しい方向ではあるけれども。わたしならこういう――影響力は積極的に意図的に行使されるべきであり、影響力の大きな人間ほど積極的に発言すべきなのだと。行使されない力は潜勢に可能性に留まり、それはなるほど力ではあっても我々の世界に実質的な影響を及ぼさない死んだものとなる。土の中にうめた銀塊がいかなる富をも生み出さないように。 レトリックの公共的機能ということに最近かんたんに言及したが(わたしの文章修行 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake)、コミュニケーションの媒体としての言語は公共性をつねに帯びている。たんに誰にでもきかれるということに留
ウィキペディアでかなり前から問題として内外に認識されていることのひとつが人名項目の妥当性で、創設者のジミー・ウェールズや前理事長のフロランス・ドゥヴォワールなどは一時期誰かプロジェクト外の人とあうたびにその人の知人や家族やあるいはご本人の項目にこれこれの間違いがあるとお叱りや苦情をいただいていたと聞いている。お叱りならばまだしも、深く静かにウィキペディアへの憎悪をつのらせる人もきっと世の中にはいて、これはなんとかしないと禍根を残すよなあということはウィキペディアのどの言語版でもそれなりに関わっているプロジェクト参加者には共有された認識にはなっている。 現役で活動されている方、あるいは物故してまだ日の浅い方に関する記述は、どれだけ注意を払っても過ぎるということがない。他人からみればなんでもない、隠す必要の感じられないことでも、ご当人やあるいはご家族には繊細な問題をはらんでいることはありえて、
文章読本の類を読むようになったのはいつごろだったろうか。中学かあるいは高校の時分だったように思うがよく覚えていない。最初に読んだのが丸谷才一だったのは覚えている。それからとくに自覚的に選ぶということはなくたまたま目にとまったもの手にふれたものを読んできたのだけれど、それは体系だった仕方ではないにしてもわたしの文章の読み方書き方に影響を与えたことに振り返って気がつかされる。 はてなダイアリーで文章の書き方についての諸説が先日来にぎわっているのをみて、自分がいままで通り過ぎてきたそういう書物について、論じるというのでもなく、むしろものづくしのように並べてみたいとおもった。以下、記憶に頼って書くので洩れもあるのかもしれない。たとえばあの谷崎の『文章読本』、有名な本でもありどこかで読んでいてもおかしくないのだが、しかしわたしには谷崎を読んだという記憶がない。あるいは記憶の底に沈積しているのかも知れ
語らねばなるまい。 んで、皆様方に聞きたいのはさ色々あるんだけどさ * 普通の人は理性で「惚れる」はある程度コントロール出来るもんなの? * 出来るとしたら俺が出来ないのはなんでなのかなあ? * 俺がコントロール出来るようになるにはどうしたらいいの?(少なくとも理性で「それはおかしい」と理解するだけでは無理だたーよ) * 皆様方はどうやってコントロールしているの? こんな感じ? 「ご多分に漏れず年齢=彼女いない歴の俺に女の気持ちを読む方法を教えてくれ。」を読んで沢山語っちゃうよ - Diary Blog of Dary むり そもそも「恋の山には孔子(くじ)の倒れ」という。どんな偉い人でも惚れたら七転八倒しコントロールできないというのは古今東西変わらない。「恋と戦争では何でも許される」と西欧の諺にもあるというがこれはまあ手練手管のことだろうからちょいと違うかもしれませんな。 ただし惚れる閾
これまでのお話 「亡夫はこの日の名称は「うみうしの日」であるべきだと強硬に主張しておりましたが、私が知る限りいまだかつて誰も賛成したことがないことに、日本国民の良識をみる思いがする」と先日書いたところ、はてな村のみなさまから件の名称に熱い賛同の意をいただきました。亡夫が聞いたら喜ぶことでしょう。いや違うな。「当然やん」っていうだけだな。 あるときわたくしが4月29日のことを「みどりの日」と当時の名称で呼んだところ、亡夫が「のんのんのん。『うみうしの日』」といいました。彼はわたくしに対しては本当に理不尽に振舞っていて、他の方には理由等きちんと説明するところ、わたくしに何かをいうときには結論だけいってその導出論理はわたくしに推測させるという何というかな「おいお茶」とかだけいって済ませる伝統的な日本の男の人と同じメンタリティなんじゃないかなこれは。と思うがまあそんなことをいっても奴が正面から取り
とくに決めていなかったのだが二三考慮することも出てきて、なのでまだらに予定があるようなないような。 4/26 厳密にはまだゴールデンウィークじゃないのですが、午後からテックカフェ。詳細はお知らせ:第1回テックカフェ@六甲道 by ひょうごんテック - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wakeをご覧下さい。 4/29 とくに予定なし。先帝陛下のご生誕記念ですね。なんで「みどりの日」じゃなくなったんだろう。いまの名称は愚見するに即物的にすぎる(いや明治節だって大概即物的かもしれんが)。亡夫はこの日の名称は「うみうしの日」であるべきだと強硬に主張しておりましたが、私が知る限りいまだかつて誰も賛成したことがないことに、日本国民の良識をみる思いがする。 4/30 午後から神戸。ていうかたかとり。 このあと特に予定はないのですが、横浜在住のマイミクさんが在阪なさるというので、お会いできればなと思っており
ああ、嫌なものを読んだ。 クラス全員、欠席させない――。千葉県立一宮商業高(一宮町)から県立勝浦若潮高(勝浦市新官)に1日付で赴任した鈴木幹男教諭(36)のモットーだ。一宮商で一昨年度担任した3年生、昨年度の1年生と2年続けてクラス全員1年間欠席ゼロを達成。勝浦若潮高でも「学校を休むな」と指導するという。 「社会に出ると、少しぐらい体調が悪くても仕事を休めない。学校で休まないことを身につけさせたい」 http://www.asahi.com/edu/news/TKY200904200295.html まず思い出したのは夫のことだ。うつ病をやみ、数ヶ月の通院加療の後、どうしても耐えがたくなった夫はある日意を決して上司に相談した。うつ病のことを打ち明け、病気休暇を取り、自宅で療養したいといった。少なくともわたしは彼からそう聞いている。上司はいった「なあ、もうちょっと頑張れんか」。 一週間後に
二月の終わり、わたしは自分のはてなブックマークを非公開(プライベートモード)にした。一方で、ブックマークコメントを通じて交流のあった方もいて、それをまったく失うのも不本意なので、はてなグループを利用して閲覧範囲を制御するということを考えた。 これは案外にうまくいった。はてなブックマークの設定に公開許可を直接に書き込むより、はてなグループの管理画面で閲覧の許可不許可を管理するほうが、一覧性があって使いやすい。もっとも不許可というのはことばの綾で、実際には「不許可」というモードははてなグループにはない。たんに「管理者承認まち」になって残るだけである。これはなんとかならんもんですかね。「はい」だけが有効で「いいえ」がないなんて、まるで太古の電脳紙芝居の似非分岐*1みたいだ。おしつけがましいったらありゃしない。おいといて。 ところがしばらくたって不都合に気がついた。はてなブックマークに、閲覧してく
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