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今年の「#文学」
blog.livedoor.jp/tokinowasuremono
森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」第4回 「小山哲男、ちだ・ういの暴走」 60年代は読売アンデパンダン末期にフリーキーな前衛美術家が大挙して登場した時期でもあった。彼らはほどなく美術館やギャラリーを飛び出し、街頭ハプニングに進出した。加藤好弘率いるゼロ次元、ネオダダイズム・オルガナイザーズ、ネオダダの影響を受けたアンビート、どこにでも出没したダダカンこと糸井寛二、クロハタ、ハイレッド・センター、九州派、牧朗の薔薇卍結社、果ては極めて風俗色濃厚の交楽龍弾まで、「いまやアクションあるのみ」といった塩梅で、その肉体の反乱を謳歌していた。 このうちイチモツ露出による猥褻物陳列罪で検挙・逮捕されたのは全裸”儀式”に一定のこだわりを持ったゼロ次元の加藤好弘、秋山祐徳太子、小山哲男、ダダカン、告陰の末永蒼生らだ(*1969年7月。前回も触れた「万博破壊共闘派」の一連の流れで。官憲は70年安保闘争
杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第103回 住民投票 九月下旬に、スイスのグラウビュンデン州で計画している民間防衛訓練センターの住民投票がありました。日本では馴染みのないプロセスですが、州が関わっているプロジェクトでは設計コンペを行い … 続きを読む 杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第102回 設計コンペの展示会 初夏に提出した設計コンペの展示オープニングがあるというので、計画敷地であったBadenへ行ってきました。 スイスではコンペ要項や手順のフォーマットがSIA (スイスエンジニア建築家協会 … 続きを読む 杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」第101回 気候と空間の透明性 僕の住んでいるスイスは国の大きさが九州7県と同じくらい、人口密度はその70%弱で少し広々としています。夏は日差しが強く気温も日本に負けず高いものの、カラッ
「岡粼乾二郎の認識―抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」展 豊田市美術館 千葉真智子 タイトルにあるとおり、本展は、造形作家であり、批評家・研究者としても重要な仕事をしてこられた岡粼乾二郎さんに企画監修をお願いし、豊田市美術館のコレクションに館外からお借りした作品を加えて構成された展覧会である。 当館のコレクションの大きな特色は、一般的な日本の美術館がまず収集対象に掲げるであろう、近代でいえば、印象派やキュビスムなどのフランス美術、そして戦後でいえば、アメリカ型の抽象表現主義美術、この二大巨頭がほぼゼロなことで、かわりに、近代ではウィーンの美術・応用芸術、戦後に関してみれば、イタリアのアルテ・ポーヴェラやヨーゼフ・ボイスらドイツ系の作家たちの作品が多いという点にある。こうした特色を考慮しながら、さらに岡粼さんがこれまで熱心に研究し、折に触れて言及してきた作家や美術の
本日6月8日は松本竣介(1912年4月19日 - 1948年6月8日)の命日です。 今年は、竣介の没後75年にあたります。 ただいま「第33回瑛九展/湯浅コレクション」を画廊で開催中ですが、瑛九(1911年4月28日 - 1960年3月10日)が一歳年上ですが、同時代を生きた二人は短い生涯でした … 続きを読む 生きているTATEMONO 松本竣介を読む 14(最終回) とりあえず一区切り 植田実 昨年4月、画家の誕生月にあわせて始まった「生誕100年 松本竣介展」の巡回第1会場・岩手県立美術館に、綿貫不二夫さんに襟首をつかまえられるように連れて行かれた日の、それ以前 … 続きを読む 生きているTATEMONO 松本竣介を読む 13 「デッサン」と「エッセエ」(承前) 植田実 松本竣介編集の『雜記帳』が、その寄稿者たちに投げた「エッセエ」問題は、さまざまな波紋として見えている。里見勝蔵
青木宏さん追悼 ― 「瀧口修造 夢の漂流物」展カタログのこと 土渕信彦 建築には不案内、全くの門外漢で、もともと怠け者で不勉強なものですから、青木宏さんのお名前は存じ上げず、もちろんお目にかかったこともありませんでした。 たまたま9月27日の水曜日は、銀座から … 続きを読む 四国・宇和島のコレクター清家克久さんが久しぶりに上京、7日と8日に在廊されました。 友人やご親戚の方をはじめ多くの方が来廊され再会を楽しまれていましたが、清家さんがこれほどのコレクション(今回の展示はほんの一部ですが)をしているとは皆さんご存じなかったらし … 続きを読む 四国・宇和島に在住の清家克久氏は瀧口修造の熱心なコレクターであり、長年にわたり蒐集してきた瀧口とその関連作家たちについて、ときの忘れもののブログで「瀧口修造を求めて」(全12回)、「瀧口修造と作家たち ― 私のコレクションより ―」(全14回)を連
土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」第16回 土渕信彦 16-1.「旅」展 「旅 ―〈ここではないどこか〉を生きるための10のレッスン」展は、東京国立近代美術館で開催された。会期は2003年10月28日〜12月21日だった。タイトルどおり「旅」に焦点が当てられた企画展で、内外の作家10名の約70点の作品が展示された。 最初のセクションで瀧口修造のリバティ・パスポートが12点並べられた。これだけの点数のリバティ・パスポートが集められたのは世田谷文学館の「瀧口修造と武満徹」展のとき以来だったように思う。図録もまるで瀧口のリバティ・パスポートのようなサイズの、ハンディな体裁で好ましかった。ただ、10年経って老眼になってみると活字も図版も小さく感じられ、せめてもう一回り大きな文庫本サイズくらい欲しいという気がしないでもない(図16-1)。 図16-1 東京国立近代美術館 「旅 ―〈ここではないどこ
大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第127回 児童公園のすべり台である。 背後には公営アパートが建っており、とてもクラシックな風景だ。 そのすべり台の降り口のところに制服姿の女子生徒が立っている。 夏用の白いセーラー服、とこれもまたクラ … 続きを読む 大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第126回 車の付ついた三種の乗り物と人。 それぞれのいまの姿からつぎの瞬間が予想できる。 自転車はまもなく画面の左手に走り去り、右手からやってきた乗用車は歩道の手前で停止するだろう。 歩道には背広姿の … 続きを読む 大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第125回 少女ふたりが浴衣姿で立っている。 膝くらいの丈の子ども用の浴衣だ。 履物は下駄。 ときは夕暮前だろう。 昼間の明るさが夜の闇にバトンタッチされるまでの宙吊りの時間帯だ。 小さいほう
私の人形制作第76回(最終回) 井桁裕子 展覧会を終えて 先月、9月15日(火)〜27(日)の個展には多くの方にご来場頂き、誠にありがとうございました。 遠方から、あるいはお忙しい中をご予定をつけて来てくださったり、何度も足を運んでくださった方もいらっしゃい … 続きを読む 私の人形制作第75回 井桁裕子 展覧会開催中です 15日から「片脚で立つ森田かずよの肖像」展示が始まっています。 作品は時折、私の浅い思考や狭い視野を越えて、ずっと深い思いを持つ人からの共感を頂く事があります。 限られた展示期間に、そのような出会いを得る … 続きを読む 私の人形制作第74回 井桁裕子 個展に向けて 記録的な猛暑が続いたこの夏、体調を崩された方も多かったと思います。 これを書いている今も、酷暑の盛りは過ぎた気はするものの蒸し暑く、そんな一週間の過去からお送りする手紙です。 9月には外出も楽になるでしょう
宮脇愛子先生は2014年8月20日に亡くなられました。 あれから10年。 宮脇先生は世界各地で制作活動を展開され、その交友関係は幅広く多彩でした。 その一端は宮脇アトリエに在籍した杣木浩一先生の回想「宮脇愛子さんとの出会い」(ただいまブログ連載中、毎月8日更新)に詳し … 続きを読む ときの忘れものでは8月いっぱい、「杣木浩一×宮脇愛子」展を開催中です。 初日の昨日8月20日は宮脇愛子先生の命日でした(2014年8月20日死去)。 亡くなられてちょうど10年、 お世話になったご恩返しの気持ちで、この日を選んで企画しました。 私たちは磯崎新先生と宮脇愛 … 続きを読む 佐藤圭多のエッセイ「大西洋のファサード −ポルトガルで思うこと−」第15回 あるがままを受け入れる いつものカフェでいつものようにチーズトーストを頼む。あれ?昨日頼んだのと全然違う。確かにチーズトーストではあるのだけれど、昨日
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