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大そうじへの備え
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スティーブ・ジョブスのことを、たいていの人はすごい天才で、この人がいなかったら今のIT環境は存在しなかったとさえ考えていると思う。 まあ、それは一面の真実で、インターフェースとデザインこそが、ITの顔であり、我々が最も重視するものだといういうことを見抜いておしすすめたという功績は素晴らしいものだったと思う。 とくにマッキントッシュ以降のことしか印象にない人には、そこが大きいと感じるんじゃないかな。 でもこの世にジョブスしかいなければ、コンピュータは高価なブランド品であり続けて、すべての人に安価なコンピュータパワーが届く時代はなかなか来なかったろう。 ジョブスとウォズニャックが作ったアップルで最初のヒット作となったアップルIIはふたりの思想が合体した作品だった。 外見のスマートなデザインやグラフィックが支えるべきだというところは多分ジョブスのセンスで、ハードもソフトもあらゆる情報を
同じことは公務員の数や待遇についても言える。 公務員もなぜか、無駄飯食いばかりであんなものはできるだけ減らしたほうがいいと信じている人が、少なからずいる印象だ。俺の子供の頃はそういう話をよく聞いたし、今でも高齢の人にそう思い込んでいる人が多いような印象がある。 そこで、無駄な公務員の数は減らせ、というようなことを公言する人がいる。 それはそもそも実態とかけ離れた認識じゃないかと思う。 対応する人にもよるけれど、役所の窓口に行くとほとんどの場合、かなり親切で丁寧な対応をしてくれると思う。 昔はお役所仕事というと、たらい回しや無駄に時間がかかるもののことを言っていたけど、おそらくそういう批判をうけたせいで、今ではかなり改善されているというのが本当ではないだろうか。 しかも、これも、公務員とは本来、一般の人々に公共サービスを提供する人たちだという原則に立ち返って考えてみると、この数を
我々とは性質の違う集団がいる。 彼らは不当に利益を得ているので、その利権を奪って罰しなければならない。 日本ではこれまで、世間はこの構造の論理で正義を行使しようとしてきた。 ここで、我々とは違う性質の集団には、ありとあらゆるものが入る。 古くは、政治家、教師、医師など、社会的に一定の権威があると思われていて、社会的尊敬を当たり前だった人たち。これには東関東大震災以降、学者も加わった。 また、生活保護受給者や障害者、在日外国人など、弱い立場の人たちをも標的に定めることも、少なくなくなった。 しかし、こういう形式の正義は、ほとんどすべての場合、長期的に見てすべての人を不幸にしていく。 今の日本にある息苦しさの非常に多くの元凶は、こういう誤った思考回路にある。 世間では、国会議員が多すぎるから削減するべきだと思っている人が多いようで、国会議員自らがそれを公約に掲げていたりする。
民主主義はひとつじゃない。 色々な国の歴史的経緯でそれぞれに微妙な違いがある。 たとえばフランスは人権宣言で、現代の世界の人権意識のひな形を創った国だけれど、公共のスペースや教育の場では、イスラム教徒のベールを禁止している。そこには少し違和感を覚える。 これはフランスの民主主義の成立に当たって、圧倒的な権力だった宗教と王権を排除する必要があったため、政治や教育の場に宗教を持ち込ませない(当時はもちろんキリスト教)ために決められた原則だ。 でも、違う歴史で民主主義を獲得した国は、ベールを禁止するようなことまではしていない。 民主主義は歴史的手順を踏んで、社会をより良くするためにはこう言う制度が必要だという多数の納得がないと、あまりうまく機能しないようだ。 欧米の人や、多分多くの日本人も、民主主義は政治形態の完成形に近いので、どこの国でもこれをやればうまく行くだろうと思っていたフシ
民主主義とは何か。 こう正面切って問われたとき、スパッと答えられる人はあんまりいないんじゃないかな。もちろん、だれでも小中高校までで色々な形で習ってきたはずなんだけど、解っているようでどこか曖昧という人が少なくないと思う。 実際、この問題について話してみると、民主主義とは何なのか全くわかってないひとによくであう。 たとえば民主主義は多数決だという人。 これはちょっと考えれば間違いだとすぐ解る。物事を決めるときに、数の多い少ないだけで決めていたら、マイノリティは常に不利益しか被らない。そんなものが、世界の多くが認める比較的ましな制度であるはずがない。 多数決というのは、その前段に十分な話し合いがあって、概ねそれで良さそうなところまで煮詰まってきているけど、どうしても細部で意見が分かれるようなときに、結論を有限の時間内で得るためにする手段、それも苦肉の策に過ぎない。民主主義は、本来な
夜の繁華街にいくと、やたらとたくさん占い師がいる。 それはなぜかと考えていてふと思い当たったのは、特別な資格がなくても誰でもすぐにはじめられるビジネスというものが、日本にはそれくらいしかないってことだ。 そういうビジネスは、発展途上国では例えば床屋だったりする。いろいろな旅行記などで、途上国を旅しているときに、露天などであやしい床屋さんに冷やし冷やしながら頭を刈って貰ったというような話を時々目にする。 しかし、日本では床屋も理容師もしっかりした資格を取らないと営業できない。刃物を使うのだから、安全のため、衛生のため、きちんとした資格は必要だってわけだ。それは確かにそうだろう。 ただ、1000円床屋がでてきたとき、旧来の組合は、新ビジネスに圧力をかけようとした。 1000円床屋は洗髪をしないため水道設備を持たず、その代わり数をこなして利益を上げる。数をたくさんこなすから、腕前の上達
ここ最近、マタハラ(マタニティハラスメント)が注目を集めるようになった。 つまり、妊娠出産にともなって、休暇を取ったり時短勤務をする権利を、妨げてはいけないって事だ。 ところが、これに伴って、「逆マタハラ」という現象も注目されるようになっているらしい。 それは、出産・子育てをする女性社員をフォローしなければならない周囲の社員たちが、過剰な業務負担を強いられる事によっておきる問題だ。 その結果、フォローする側の社員は、出産・子育てをしている人に不満を持つ。出産・子育てする人ばかりいい目をみて、なんで自分たちは加重労働という不利益を被らなければならないのかというわけだ。 そう感じてしまうことは、直感的にはわからないでもない。 でも、こういう対立構造で物事をとらえて、あいつらばっかり優遇されてみたいなことを考えはじめると、結局誰も幸せにならない。 今も世界にはびこる紛争の多くが、も
最近読んだ医療情報で、もう一つ難しいなと感じたのは、村中璃子さんによる子宮頸がんワクチンに関するこの文章だ。 あの激しいけいれんは本当に子宮頸がんワクチンの副反応なのか 子宮頸がんワクチン薬害説にサイエンスはあるか 子宮頸がんワクチンのせいだと苦しむ少女たちをどう救うのか 同じ趣旨の話は、オレも前に何度も書いている。 子宮頸がんワクチンをめぐるあれこれ(その1) 子宮頸がんワクチンをめぐるあれこれ(その2) 子宮頸がんワクチンをめぐるあれこれ(その3) 子宮頸がんワクチンをめぐるあれこれ(その4) 子宮頸がんワクチンの痛みの副反応は心理、社会的要因が原因の意味 中村さんの文は、専門家だけあってしっかりしていてわかりやすいし、なるほどと思って読ませて貰った。 ところがオレの古くからの友人の女性の一人が、これを読んで自分の娘に子宮頸がんワクチンを打つのが良いかどうか迷うと
ゲームといえば、今では誰もがまず真っ先に思い浮かべるのは、デジタルゲームだと思う。 しかし、ゲームにはそれとは違う、アナログゲームというのもある。 これは、トランプを始め、昔から遊びつがれているゲームもあるし、今でも新たに創作されている作品もたくさんある。 たとえば、 【ゲームマーケット】大人が翻弄される楽しさ! 小学生が考案した斬新なゲーム『光ネッサンス』とは なんて創造的な作品もあったり。 こういったアナログゲームを使って、発達障害児の社会性を育む活動をされている方がいる。 共同体感覚を醸成するツールとしてのアナログゲーム アナログゲームを適切な指導の下に使うことで、他者との関係の取り方に困難を抱える発達障害の子供に、成長を促す手助けができるという。 この中で、 『アナログゲームとデジタルゲームの違いは「プレイヤー同士がルールを共有するか否か」にある。アナログゲーム
twitterとかニュースのコメント欄のように、匿名性の高い(ように思える)不特定多数が参加するSNS的な媒体には「荒らし」がつきまとう。 荒らしは、有意義な議論の場を、他の人には理解しにくい論理や暴言でかき乱し、それを執念深く続けるので、参加者を興ざめさせる困った存在だ。 先日、この荒らしをする人を事前に予測するアルゴリズムの記事が出た。 ネット荒らしを予測するアルゴリズム 170万人のユーザーを対象に、4000万件の投稿を調査した結果、荒らしをする人間には、明白な特徴があるようだ。 それはたとえば、投稿回数が多く、スペルミスや文法間違いが散見され、また多数の人から反応がある。最終的に追放されるような人物は、最初から非常に明確な行動や人格を示しているという。 現時点では、このアルゴリズムで「将来の荒らし」とされたユーザーの5人に1人は、間違って特定され、結局立ち入り禁止にされ
twitterのまとめで、 あなたは何を覚えていますか 〜記憶処理十人十色〜 というのがあって、これがなかなか面白い。 何かを記憶したり、思い出したり、思考したりという行為は、人と比較しあうことは滅多にない。でも、やってみると、そのやりかたは決して同じではなくて、かなり個性の差があるんだよね。 俺も大学時代にこういう違いがあることに気づいて、ずいぶん前にコラムに書いたこともある。 それは同級生の女性が、漢字を書き間違える人がいるのが理解できないと言ったからだ。え、そうなの?って聞くと、だって目の前に字の形がはっきり見えてるでしょ、あれで間違うほうがおかしいと。 おお~、それはオレとは全然ちがう。オレの場合は、何かの形がくっきり目の前に見えるなんてことは未だかつてないんだよね。小説を読んで、情景描写でそこの風景がありありと目に浮かぶなんてことも一度もない。ぼんやりしたイメージのよ
先日、JAXAの野田篤司さんと話していて、ベイマックスの舞台になってた大学って、実は東工大だろうって言う話を聞いた。 物語に登場するクレイテック社のロゴマークが、東工大のツバメのマークをほとんど真似したようなものだし、キャンパス内の風景もなんとなく似ている。それに、作中に登場した技術の発表イベントみたいな事を、実際に年に1度やっているんだそうだ。 さらに、東工大では何度かMaker Faire Tokyoをやっていて、そういうイベントが好きなジョン・ラセターなら、実際東工大にきて見ていても不思議はない。少なくとも、誰かが取材に来て資料写真を撮っているようなことは、あったんじゃないだろうか。 考えてみると、東工大はすでに退官されたけど、アンチヒューマノイド派で、ヘビ型ロボットで有名な広瀬茂男さんの研究室もあって、集合して機能するマイクロロボットってのも、広瀬研だったかその系統の研究室で
ゴリラ研究で有名な、京大総長の山極寿一さんにインタビューした、 「人類の攻撃性、起源はどこに? 山極・京大総長に聞く」 が非常に面白かった。 今でも、人類は道具を使い始めた時から、それを仲間同士の暴力にも転用してきたと思っている人は多い。その意味で、人類の知恵と戦争のような暴力とは切り離せないみたいな、ペシミスティックな運命論を漠然と信じている人もいると思う。 その考え方のもとは、アウストラロピテクス・アフリカヌスを発見したレイモンド・アーサー・ダートが1950年代に唱えた、キラーエイプ仮説だった。 このアウストラロピテクスは、今から400万年~200万年前の(華奢型)猿人で、せいぜい25万年ほどの歴史しかない我々ホモ・サピエンスと比べると、相当昔のご先祖様に当たる。 ダートは発掘したアウストラロピテクスや、その近辺にあった動物の化石の骨の状態から、アウストラロピテクスが道具を
今のAIブームを作り上げた中心的な技術は、ビッグデータと機械学習だと思う。 Googleやアップルやアマゾンの、音声認識やサジェスト機能など、現実に使われていて、たしかに以前に比べると圧倒的に性能が向上しているのが解るのは、この技術に関するものだからだ。 ビッグ・データというのは、もともと、何に使って良いかわからないけど、とにかく膨大に集まってしまうデータのことだった。 ビッグという言葉から量が多いことがポイントだと誤解している人が多いけど、それは違うんだよね。 データはたくさんあればあるほどより正確に何かわかるってもんじゃなくて、知りたいものをうまく代表した標本が選べば、わりと少ないデータでも全体の内容を正確に調べられる。それが統計ってものなわけだ。 一方、ビッグデータのいちばんのポイントは、量の問題より、とりあえず使い道がわからないと言うことなんだよね。 上記のIT大手企業
2011年から国立情報学研究所の新井紀子さんを中心に、ロボットは東大に入れるかってプロジェクトが行われている。 キャッチーな名前だし、知っている人は多いんじゃないかな。 しかし、オレはひねくれているというか、まあいっぱい報道されているからまあオレが書かなくていいかとか、東大入試狙うなんてダッセえなという偏見もありーので、あんまりフォローしていなかったんだよね。 ところが、『フォーラム 人間とマシン(AI)は共に進化できるのか?』という講演会で新井さんの話を直接聞いて、こりゃあやっぱりすごく面白いと認識を改めました( ・∀・ ) 新井さんは、もともと数学基礎論が御専門のバリバリの数学者なんだけど、このプロジェクトの狙いは、東大に合格できる人工知能を作ること、ではなくて、東大に受かるような人工知能なんて自分が生きている間にできっこないと思っているという。一生のうちにできない問題に取り組
今年になって日本でも、人工知能ってものが凄いことになっているらしいという話が、かなり浸透した印象がある。 4月に 「第三次AI革命はシンギュラリティへ到達できるか」 を書いたけれど、これで現状の分析はざっとできてるとは思う。 つまり、第三次AIブームは凄いことは凄いけれど、空騒ぎに過ぎない部分が多々あるねって事だ。 今回のブームは、いくつかのエポック的な出来事と、アメリカの超巨大IT企業がAIをうまく使うアプリケーションを見つけて一定の成功を収めていることが、全体の雰囲気を醸し出したものだ。 その全体の雰囲気に酔ったみたいになって、専門家の中にも少しちょうしに乗って,これから凄いこと起きまっせーという景気のいいことを言ったり、このままAIが発達すると社会的にも大変なことになるヨーなんて事を言い出す人がでてきている。 まあ、これ自体は、そう思いながらやることが研究もモチベーショ
SF作家の野尻抱介さんがtwitterで @nojiri_h: シンギュラリティを誰も笑わなくなり、トリリオン・センサー時代が近い、なんて言われるいまとなっては、未来を語るならSF書くよりエンジニアになったほうがいいと思う。でもSFでしか語れないこともあるので、まだ廃業する気はないよ。 https://twitter.com/nojiri_h/status/524834162889342978 とつぶやいていた。 確かに、近頃の人工知能や次世代シーケンサなどの技術革新のありさまをみると、そういった技術についての知識が伴わない、単なる人間の空想だけでは、これから先の社会の変化をリアルに想像することは無理だろうと思う。 これとは別に、SFに登場する、未来なのに今や時代遅れな世界12選という記事があった。 このコラムは、書きぶりがSFが描いてきた面白さや深さを無視して、ただ人をバカに
●ダブルフローMOCVD とはいえ,ただ人の真似をしないって決めただけで,トントン拍子にことが進んだわけじゃない。とくに最初の1年半は,苦労の連続だったそうだ。 LED を作るには,まず基板の上に窒化ガリウムの結晶膜を作る方法を見つけなくてはならない。 これにはMOCVD という装置を使うんだけど,うまく窒化ガリウムの結晶膜が作れる装置が,なかなか作れなかった。 MOCDV っていうのは,1000度に加熱した基板に,原料のトリメチルガリウムとアンモニアのガスを流してやるもので,そうするとガスが熱で反応して基盤上に窒化ガリウムの結晶が成長してくる。原理だけ言うとすごく簡単そうだけど,これがそう簡単にはいかないんだよね。 この基盤を加熱するのに,先行していた赤碕教授は,電磁波を照射して電子レンジ方式で加熱する方法を使っていた。もちろん,中村さんはそれを真似したくないので,基盤をヒータ
昨日発表された、今年のノーベル物理学賞は、青色LEDの発明に対してで、名城大学の赤崎勇教授、名古屋大学の天野浩教授、およびカリフォルニア大学の中村修二教授の三名に贈られることとなった。 個人的には青色LED は応用的な発明で、ノーベル賞の対象にはならないと思っていたので、結構意外だったんだけど(取るとしても赤崎さんだけかなあと)、オレの予想を覆してお三方が受賞されたことは本当に喜ばしい。 どうも、高輝度の青色LEDの発明で作れるようになった白色LEDが、アフリカなど電力網のまだ行き届いていない場所でも使える明か理として普及してきたことが、今回の受賞の一つの理由になっているらしい。その波及効果の大きさはやっぱり凄いものなんだね。 で、まあ、オレは95年の夏前に、中村修二さんの取材をして当時連載していたログインに記事を書いたんだよね。日経産業新聞かなんかで青色LEDがはできたってのを読ん
佐賀新聞のサイトに掲載された、川崎医療福祉大特任教授の佐々木正美さんの講演録がとてもよくて、頷かされるところが多かった。 講演採録=川崎医療福祉大特任教授・佐々木正美さん まず、「大切なことを教える」しつけとは単に教えるとか、言うとかいうことではなく、教えて「待つ」ことだという。これはあらゆるこどものしつけにいえることだろうし、「親でも教育者でも、自分の衝動を自制する力がない人ほど厳しく頑固で、怖い」というのも全くその通りだと思う。 というか、この文章に書かれていることは全てに賛成できるので、みなさんにも是非読んで貰いたいと思う。 発達障害というのは、その知識が乏しく、深く考えたことのない人からは、見えにくい障害だ。当時者それぞれの違いがかなり大きいし、ある面ではかなり素晴らしい能力を発揮するのに、できて当たり前に思えるようなことが全く不可能だったりする。 知らない人は、そのでき
9月27日に起きた御嶽山の噴火で、30人を越える人が犠牲となってしまった。 火山災害では、消防や報道関係者43人が火砕流で亡くなった1991年の雲仙普賢岳のときに次ぐ犠牲者数だ。 ただ、業務で危険な場所にいたわけではない、一般登山客が犠牲になったという意味では、明治以降最悪、つまり日本の歴史の中でもっとも酷い火山災害になるらしい。 こういう哀しい出来事があると、人は「なぜ未然に防げなかったのか」、「噴火の予知はどうなっていたのか」、「きちんとした対応が為されていなかったのではないか」、という方向に考え始めがちだ。 実際、 御嶽山頂の地震計、昨夏から故障 噴火時、観測できず なんていう、本文を読むと、結構観測態勢が整っていたんだなって感じなんだけど、これをネタに、誰かの責任問題にしたがる人が出てきそうなニュースも出てきている。 でも、この壊れた地震計が仮にもっと早く直せていたと
今回の御嶽山の噴火に関連して、 川内原発の再稼働に影響するか という話がある。 原発の再稼働に反対する人たちは、もちろん予知できないんだからやっちゃいけないみたいなことをいうわけだけれど、実際にはそんな話はどうでもよくて、結論は最初から決まっているのだろう。決して、今回の新しい情報に基づいた判断がなされたわけではないはずだ。 そもそも南九州でカルデラ噴火が起きるかも知れないからというなら、原発再稼働どころか、南九州一帯に人を住まわせちゃ危ないって事になると思うんだよね。 カルデラ噴火によって川内原発が粉砕される様なことは、可能性としてはあるかも知れないけれど、それだけのことが起きるのだとすると、原発が稼働している場合と、稼働していない場合での被害の差は、その場所に使用済み核燃料などが置かれている限り大した差にはならない。 また、そのレベルで危険な場所というのは、日本にはほかにも
痴漢にはつねづね謎を感じていた。 それは、自分のこれまでの知り合いのなかで、誰一人として、痴漢をしそうな人間がイメージできないってことだ。これは、オレのコラムを読んでくれている人なら、かなり多くが賛成してくれるんじゃないかと思うんだ。 そもそも痴漢というのは、なぜそんな事をするか全くわからない。通勤通学の混雑のストレスフルな状況で、エロいことをしたいと思えること自体不思議だし、そもそも相手の嫌がることをやることがオレには理解できない。 痴漢を容認するような男性は、そもそも非常に少ないことは確かだ。 だいぶ前だけど、2ちゃんねるのどこかのスレで、一人が「男なら誰でも痴漢するだろ」みたいな事を書き込んだら、他の全員から一斉に攻撃されていたのを見たことがある。あの、露悪的なところがある匿名掲示板ですら、同意するものは一人も現れず、痴漢するやつなんて人間のクズだという意見しか出てこなかった
先日読んだこのブログが胸を打ったのでここで紹介したい 君はいい子 -虐待としつけ、そして医療- 我が子をADHDと知らず奮闘した母親が、子をまともにしたいと真面目に思うあまり虐待を行ってしまう。しかし、子が反社会的行動をするようになるのではないかと畏れて警察の「少年問題相談窓口」に相談するという、意外なところから援助のネットにひっかかることができて、適切な診断と処方を受け、嵐のような日々から何とか抜け出せたという内容。 自閉症スペクトラムやADHDなどの発達障害は、ごく最近になって多少は知られるようになってきているけど、それでも社会の理解はまだまだ足りていない。まして、このお母さんのころは、教師ですら言葉は知っていても、実際に発達障害だと考えて援助に結びつける判断ができていない程度の環境だったわけで、その苦労が偲ばれる。 何らかの援助を受けようと努力もしたけれど、あまり役に立たない
このところ、日本でもいろいろな大手企業が、安価な遺伝子診断に乗り出すというニュースを目にする。 DeNA が DNA検査サービス MYCODE を開始、9800円からの個人向け。 ヤフー、一般向けゲノム解析サービスを10月に開始 次世代シーケンサ技術の急速な発達で、遺伝子解析のコストは劇的に下がってきている。今の時点では、一人分のゲノムを全部読むには、10万円程度かかるけれど(それでも驚異的なコストダウンだけど)、数年もすれば1万円を切るようになるだろう。 その技術の進歩を背景に、一般向け遺伝子診断ビジネスに乗り出す企業が出てくるのは、特に法規制のようなものがない日本では、当たり前といえば当たり前のことだ。 ただ、この遺伝子診断というやつは、ほとんどの場合、原理的に星占いと同じくらいのリアリティしかない。 それが良く解るのはこの記事だ。 自閉症の遺伝子診断は幻想 フランスの分
きのうの夜、BSプレミアムで「ガメラ2 レギオン襲来」が放送されました。 オレはこの作品に、SF考証で参加させていただき、レギオンについての設定を担当したのね。 そういう意味では手前味噌になっちゃうけど、この作品は、怪獣映画史上最高傑作といっていい作品なんじゃないかなあ。 SF考証は基本メインストーリーを少し補足して彩りをちょっとよくする程度のものだけど、レギオンに関してはストーリーやエピソードにもうまく取り入れていただけて全体を面白くするのに貢献できたんじゃないかなと思ってます( • ̀ω•́ )✧ 作品の面白さは、間違いなく本編監督の金子修介さん、特技監督の樋口真嗣さん、脚本の伊藤和典さんの功績なんだけど、この作品ではSFの心が解っているというか、話が通じやすいスタッフが揃っていて、それがあったから、他には例がないほど細部までリアルに作り込んだ作品に仕上がったんだと思う。しかも
熊谷晋一郎さんの 自立は、依存先を増やすこと希望は、絶望を分かち合うこと や 頼りにくい社会を変える 熊谷晋一郎さん を読んで感銘を受けた。 とくに「健常者が他人の助けを借りずに生活できているのは、多数派にあわせて設計された社会システムのおかげです。下支えするモノや制度、つまり依存先が多い。逆に障害者は、依存先が極端に限られている」という洞察は全くその通りだと思う。 ずいぶん前のことだけど、今ではアンドロイド研究で有名になった大阪大学の石黒浩教授に取材したときに、人間の脳は実はあまり大した情報処理はしていないんじゃないかという、非常に挑戦的で面白い話を聞いたんだよね。 我々が会社や学校に行く時、それを楽々できているのは、脳の情報処理のおかげというより、まわりの環境が知性化されていて、そのガイドがあるからだろう。たとえば道路という知的な構造が環境中にあるから、われわれはそれに従
自動車の運転が完全自動化できる未来が、間近にせまってきている。 少なくとも技術的には、すでに実用に耐えるレベルに達しているのかもしれない。 しかし、だからといって、それを社会が受けいれられるだろうか?という観点の、面白い記事があった。 絶対に事故を起す自動運転車の「恐ろしい未来」 近い将来ロボット自動車が登場したとする。それを制御するソフトウェアは複雑で、そこには必ずバグが含まれているだろう。 そのロボット自動車が完全に普及した状態で、年間10万件の交通事故を引き起こしたとしたら、それは技術として全くダメのように思える。直感的には。 しかし、今現在、日本では年間60万件の交通事故が起き、4000人ほどが亡くなっている。この交通事故が10万件に収まり、死亡事故も減るとしたら、ロボット自動車のほうがより安全な選択ではないか。 人間には難儀な認知的歪みがある。 自然災害をもろに受
片耳が難聴で聞こえなくなると、静かな場所での言葉の聞き取りには余り支障はないのに、会話の途中で雑音が混じる(テレビがつくとか換気扇が回るとか)と、途端に意味がわからなくなる。 これはつまり、両耳から同じ種類の雑音が入っている時は、脳がそれを無視するように処理していて、今集中すべき声だけを認識させるように働いているということだ。 おそらく雑音がその声の一部をかき消していて、鼓膜の振動をいくら調べても、それが声によるものか雑音によるものか、物理的な区別はつけようがないのだろうけど、両耳から情報が入ることや、こういう話がされているという記憶や文脈理解があると、聞こえていないことが解らないレベルで言葉が理解できるのだろう。 また、ある話者の発声を加工して、かなり頻繁に音声のない部分を作ったぶつ切りの録音は、誰が聞いても、聞き手はその喋っている内容を理解することが難しい。 ところが、その音声
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