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「天狗」とは、文字通り、山にいる鼻の長いアレですね。源義経が稽古をつけてもらったという天狗です。 ... 「天狗」とは、文字通り、山にいる鼻の長いアレですね。源義経が稽古をつけてもらったという天狗です。 そんな天狗に憧れて、本気で修行をしていた人物がいました。室町幕府の管領・細川政元です。その本気ぶり、ここでご紹介しましょう。 応仁の乱の中心人物・細川勝元の息子です 「管領細川家の当主でしたが、他になりたいものがありました」 細川政元は、応仁の乱で東軍の総大将となった細川勝元の嫡男として文正元(1466)年に生まれました。幼名は聡明丸と言い、乱のさなかで亡くなった父・勝元が臨終の際に「この子がいれば細川家は安泰だ」と言い残したとされ、その聡明さは買われていたようです。 父の死去に伴いわずか8歳で家督を継いだ政元ですが、元服したのはその5年後で、応仁の乱もようやく片付いた頃でした。 その後、室町幕府9代将軍・足利義尚は、幕府に反抗的だった六角行高を討伐することにしました。もちろん政元も協力します