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あまり更新されないけれどよく読んでいる日記があって、こんなエモーショナルな文を書きたいと思ってい... あまり更新されないけれどよく読んでいる日記があって、こんなエモーショナルな文を書きたいと思っているが、自分が得意なのはどちらかというと小論文みたいに説明的な文らしい。文に感情を乗せることが苦手だ。安全な、ありきたりなことしかここでは発言していない。最近人と話していたことで、自我の話があった。前にも似たようなことを書いたけれど、押井版攻殻的に、自分という枠組みから解き放たれたいと感じている。自分というこだわり、自我の中は窮屈で息苦しい。閉じてしまっていて面白味に欠ける。種のようなイメージだ。突き破って芽を出し、枝を生やしてのびのびしたい。そして実を付けまた種を落とし、絶対的だった自分が枠組みを越え、相対的に拡がっていけばいいのにと思う。今この瞬間にも拡がり、飛び散り、混ざり合い、自分は自分でなくなっている。長野一郎が言ってたことはそういうことじゃないかと思うようになった。 絶対を経験している
2018/02/26 リンク